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結局マチルダは僅かばかりの養育費だけで、ジェルバン子爵家で暮らす事になった。費用はミネリタの予算から捻出するようにと、妥協案を提示してなんとかロードが収めてくれたが、アノンにとっては、そこからが惨めな気分の始まりだった。
マチルダの亡くなった両親は、シトロン伯爵家の次男だった。
マチルダの父と婚姻したのは子爵家の娘だったが、こちらも次女。二人は本来なら、婚姻した時点で平民になる予定だった。
だがシトロン伯爵が領地経営を手伝うならばと、弟を貴族籍のままにしていてくれたため、マチルダは生まれた時から、貴族籍を持てた。
ただ今回マチルダの父が亡くなったことで、シトロン伯爵家がマチルダを引き取らなければ、彼女は貴族籍を除籍されるはずだったのだが、これに待ったをかけたのが、まさかのミネリタ。
マチルダの母親とシトロン伯爵夫人の仲が良好ではなかった為、彼女が平民になることを危惧したミネリタは、彼女を引き取るとシトロン伯爵家に交渉の材料として、発言してしまった。
事業提携白紙の迷惑料として、シトロン伯爵家から、マチルダを押し付けられたのだが、ミネリタはマチルダの容姿を聞いていて、願ったり叶ったりと引き取った。
だからこその僅かな養育費だったのだ。
その代わりといってはなんだが、学園の授業料の支払いとマチルダのシトロンの家名を名乗る事を約束させているのだが、それはジェルバン子爵家には何の得にもならない、マチルダ一人が得をする提案だった。
それもこれも全てミネリタの趣味から来る物で、ロード達は呆れてしまって、本気で子爵家を辞めたくなった。
彼等が残ったのは、アノンの為に他ならない。今ロード達が手を引いて、幼い彼女が一人残されては、子爵家は忽ち経ちいかなる事が分かっていたから、残ったに過ぎなかった。
そしてロード達の英才教育はアノンへと注がれていく。
一方でマチルダを引き取ったミネリタは浮かれていた。理想の姿をしたマチルダをとっかえひっかえ着飾って、彼方此方のお茶会へと引っ張り回す。
何度か、ルートの母親である、友人のハウケン伯爵夫人に、マチルダよりもアリエリーノを連れて来ないのかと、詰問されるも
「アノンはお勉強が忙しくって、私に構ってくれないのよ」
と言ったらしい。
自分がアノンの自由を奪っている事に、一つも気付けないミネリタは、もはや母ではなくなっていた。
アノンは父だけではなく結局母も亡くしたようなものだった。
マチルダが引き取られてから、約一年が過ぎた頃、アノンにとっては最悪な出会いが待っていた。
その日はアノンの10歳の誕生日だった。
いつもマチルダと疑似親子を繰り広げているミネリタが、何を思ったか、はたまた母性が残っていたのか、その日だけはアノンと二人で過ごすと言い出した。
その日だけは執事達も、前からアノンにはお休みをしてもらうつもりでいた為、急にミネリタがアノンと出かけると言っても、慌てることがなかった。不満を口にしたのはマチルダだけだ。
「え~酷いです、おば様。私ひとりぼっちになっちゃいます~」
「ごめんなさいねマチルダちゃん。でもアノンの誕生日だけは譲れないわ。だって私はあの子の母親ですもの」
アノンは急にいい母アピールをし始めたミネリタに、心底戸惑った。だが、嬉しい気持ちもあるのだ。ずっと母の愛を渇望していたアノンにはその母の提案は、辛い領地経営の勉強のご褒美みたいに思えた。
「お母様、本当?今日は私とお出かけしてくださるの?」
「えぇアノン。そろそろサマードレスも新調しなければ。あなた随分買ってないものね」
それは貴方が気に掛けないからだ!とユナは密かに思ったが、その表情には出さずに控えていた。
そしてその日は一日母とショッピングをしたり、カフェでパンケーキを食べたり、普段できない子供らしいお出かけをアノンは楽しんだ。
いつもマチルダの専売特許だった。母との手繋ぎも久しぶりで、アノンはとても幸せな気持ちで10歳の誕生日を送った。
その次の日の朝食の席でマチルダが、徐に驚く事を話しだした。
彼女は昨日一人で近くの森に遊びに行ったというのだ。
子爵家の領地は辺境伯の一画を任されている為、隣国との国境に近い。
その森も、場所によっては隣国の領土に含まれるところもある為、一年に一度の伐採の日以外は、立入禁止区域になっていた。
そしてそんな事は、マチルダがこの家に来てから直ぐに、注意事項として説明されていたはずだった。
それをアノンが指摘すると、彼女はぷうっと頬を膨らませて、アノンに食ってかかった。とても居候の態度ではない。
「だってお姉様が、おば様を独り占めするからじゃない!私寂しかったんだもの」
「まぁマチルダちゃんごめんなさいね。今日はマチルダちゃんとお出かけしましょうね」
ミネリタは、一晩でいつものミネリタに返り咲いてしまった。たった一日だけのお母様。アノンは昨日の幸せが霧散していくように思えた。
「それでね、怪我をしてた男の子がいたんだけど。もう居なくなったかしらね」
「「えっ?」」
驚いたのはアノンとロードだった。
他の者は息を呑んでいた。
あんな森に一晩怪我人を放置して、マチルダは何も思わないのだろうか?アノンは目の前に座る同い年のマチルダが、人に見えなくなってきた。
朝食のあとアノンは、お出かけの仕度をしようといそいそと部屋に戻るマチルダを捕まえて、男の子の居た場所を詳しく聞いた。
「え~初めて入った所だもの。覚えていないわ」
「でも貴方迷わず森から出たんでしょう?どの辺かくらいはわかるんじゃない?」
必死に聞いた場所は曖昧だったけれど、アノンは急いで執務室に行き、ロードとアントンに探しに行ってもらった。
居なければいいが、もし居たらどんなに心細いだろうかと、アノンは祈る気持ちで執務室で、資料を振り分けていた。
お昼近くになって、ロードとアントンは、アノンよりも少し大きい男の子を連れて帰ってきた。ずっとアントンが背負って来たのだろうか、アントンのシャツの背には血が付いていた。
急いで医者を呼びに行き、診てもらうと怪我は足が折れていて、どこからか放り投げられたようだと、医師は自身の見解を話す。
骨折のためか高熱で魘されているその男の子はミネリタの好きな金髪だった。
アノンは冷たいタオルで男の子の汗を拭いていく。
「ごめんね、もっと早く助けてあげられたのに」
それは、マチルダの非道な行いに対して、アノンなりの彼への贖罪の気持ちだった。




