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マチルダは時を巻き戻って、人生がやり直せるのだと理解した途端、緩む口角を隠す事も出来なかった。
「まぁマチルダ、どうしたの?」
何も感じることの無い母マリーは、現状で満足できる女だけど、自分は違うのだとマチルダは感じてそして途端に母を見下した。
母の問いにフッと嘲笑を浮かべ「何でもない」と再び布団を頭から被り、ベッドの中に潜り込んだ。
娘が再びベッドに潜り込んだのを見て、体調が戻るまで寝かせてあげようと、マチルダが被った布団をトントンと軽く叩いて、マリーは部屋を出ていった。
扉の閉まる音がしたあと、マチルダはムクリと起き上がった。
前回の人生の失敗を繰り返してはならないとマチルダは思う。
時が巻き戻る前のマチルダの人生は、途中まで順調だった。
ある日突然両親が亡くなったと聞かされた時は、自分はどうなってしまうのだろうかと不安で胸が押しつぶされそうに思った。
伯父と兄が領地に来ても葬儀の手配はしてくれたが、二人はマチルダに寄り添ってはくれなかった。ただ伯父が「生活は心配するな」そう言っただけで、今後は兄と一緒に、伯父の住むタウンハウスで暮らせるのかとか従姉妹達と同じようにドレスを作ってもらえるのかとか、令嬢の様に侍女はつけてもらえるのかとか、マチルダが一番知りたい事は明言してくれなかった。
結局マチルダは葬儀の後も、領地のカントリーハウスに住むように言われた。
葬儀から10日ほど経過した時、その人は伯父と連れ立ってやって来た。
「マチルダちゃん初めまして。私はミネリタ、ジェルバン子爵よ」
そう言って微笑むその人は、ブルネットの髪に緑の瞳を持つとても可愛らしい人だった。そしてマチルダには、ミネリタから差し伸べられた手が、光り輝くように見えた。
「マチルダちゃん、私と一緒に子爵家に行かない?二人で楽しく過ごしましょう」
ミネリタの発する言葉は、マチルダには蜜の味がするように甘かった。マチルダが直ぐに頷くと彼女は満足そうに、また輝く微笑みをマチルダに向けた。
そうして連れて行かれたジェルバン子爵家では、彼女の娘を紹介された。
でもマチルダは、ちっとも不安になんか思わなかった。何故なら子爵家に行くまで、ミネリタは自分の娘、アリエリーノが如何に可愛げがないかと力説していたからだ。
「おば様はアリエリーノ様が苦手なの?」
マチルダの問にミネリタはフルフルと首を左右に振って、
「違うわ、苦手ではないの。可愛いと思えないの」
ミネリタの言葉に驚いたマチルダだったが、その後の説明で、どうやら娘が金髪の青い目で無かったことが、気に食わないのだと分かった。
それを聞いたマチルダは心の底から笑いそうになった。
まさにミネリタの理想の子供の容姿を、自分は持っている。
マチルダは死んだ両親に初めて感謝して冥福を祈った。
「おば様、私はずっとお側にいていいの?」
「勿論よ!」
ミネリタの微笑みにマチルダも笑顔で返す。そして心の中ではほくそ笑んでいた。
ミネリタの娘、アリエリーノは、利用価値はあるが、取るに足らない人物だと、その時マチルダの胸に刻まれた。
そして幸せな日々が続く。
それは永遠に続くものだとマチルダは思っていた。だが、30代を過ぎた頃、漸く自分の立ち位置が危うい物だと理解し始めた。
疾うの昔に貴族籍は抜かれていた為、縁談など一つも来なかった。
若く見えても、ミネリタがいつまでも生きているわけではない事を感じた時、危機感を覚えたマチルダは、アリエリーノの夫を誘惑することを思いついた。
彼女の息子は既に自分の手の中に堕ちている。
マチルダを本当の母と思い込むようにミネリタと洗脳してきた甲斐があった。
だが、その息子が寮に入る事になった時、その間に追い出されるような気がしていた。
だから、その日がマチルダがライトに迫る最後の機会だった。
ミネリタと画策して、アリエリーノを領地に足止めした。
父の目を覚まさせる為と、アルトに嘘を吐き協力させた、
だが、ライトはマチルダに、体で籠絡させるような隙さえ見せない。
一回の既成事実でいいのにと、マチルダは王都に向かう道中、焦りと悔しさでイライラしていた。
その時、突然馬車がゆっくりと傾いたと思ったら、マチルダは馬車の中の天井部分に叩きつけられた。
痛いとマチルダが思った時、彼女の目に入ったのは、ライトがアルトを抱えてアチコチにぶつかっている様だった。
咄嗟にマチルダは、座席に置いていたクッションで自分の頭を守った。
そしてその後は気を失っていたようだ。
「母上!母上!」
マチルダを起こしたのはアルトだった。
マチルダが目を開けると、アルトはホッとした顔をして、そして次の瞬間、不安げにマチルダに教えてくれた。
「母上、大丈夫ですか?血は出ていないようですが、雨で濡れてしまっているので、寒いでしょう?ですが、もっと大変なことがあるんです。父上がおかしいんです!僕にお前は誰だって言うんですよ!」
起き抜けは少し混乱していた頭に、飛び込んできたアルトのその言葉は、マチルダをあっという間に覚醒させた。
直ぐに起き上がり雨に濡れたまま、木の影で頭を抱えるライトの側に走った。
マチルダが肩を叩くと、ライトのその瞳には不安が見て取れた。
(間違いない、思い出したんだわ。でもアルトのことは忘れちゃったの?)
確かめようと思い、マチルダはライトに尋ねた。
「私はあなたの妻よ。貴方は昔記憶を失ったのだけど思い出したの?」
マチルダの言葉に息を呑んだのは、ライトだけではなかった。マチルダの後ろから付いてきていたアルトもまた驚きで目を瞠った。彼にはライトの記憶喪失の話はしていなかったからだ。
そしてライトがマチルダに答える。
「私はまだ12歳のはずだが、貴方が妻という事はもう婚姻できる歳になっているのか?」
「えぇそうよ。昔貴方が少年の時、私があなたを助けたの」
「⋯そうなのか?それは⋯ありがとう」
「貴方は誰かわからなかったのだけど、思い出したの?」
「私が誰だかわからないって?では国を超えてしまったのか?私は、ハイザード王国第三王子、セドリックだ。私は王家に帰らなければならないんだ。ここはどこなのだ?」
ライトの言葉に今度はマチルダが驚いて目を瞠った。
降り続く雨が容赦なく打ち付け、三人の体温を奪ってゆく。アルトが項垂れるライトをおぶってそれからその場を離れた。
状況のわからないライトは勿論の事、マチルダとアルト、二人の中でも御者の存在は、眼中にも頭の隅にも無かった。




