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時は少し遡り~アノンが、ジュノンとの再会をハイザード王国で果たした9歳の頃。
スカイナ王国、シトロン伯爵領のカントリーハウスでは、枕に向かって拳を叩きつけながら不満を漏らす、ある少女が存在した。
名はマチルダ・シトロン。
彼女もまた、巻き戻り前の記憶を所持していた。
そして枕に八つ当たりしている理由
それは、いつまで待っても自身の両親が死なない事だっただった。
「どうしてあの人達は死なないの?どうしてミネリタおば様は、私を迎えに来てくださらないの?」
マチルダの願いは叶うことはないが、彼女も自身の巻き戻り前と違う行動を起こそうと決意を新たにしていたのだ。
マチルダが、人生を巻き戻った自覚をしたのは、彼女が8歳の時だった。
ある日庭で、いつものように、落ち葉を箒で集めていた時、二人を見かけた。
それは、マチルダの伯父であるシトロン伯爵と、マチルダの父ハッサムが、庭の隅でコソコソと話をしている光景だった。
どうしてそうしたのか定かではないが、マチルダはこっそりとその話を盗み聞きする。
会話の内容は全部聞こえたわけではなかった。あまりにも小声で話していたのと、ハッサムの声が涙声であった事が原因だった。
その会話の中で、微かに聞こえたジェルバン子爵という爵位名が聞こえた時、マチルダの脳内に莫大な情報が流れ込んできた。
マチルダは、暫く茫然とそこに突っ立っていた。気付いた時には、既に二人の姿はなく、その場から立ち去ろうとしたマチルダだったが、針と糸でその場に縫い止められたように彼女は動けなかった。一歩も前に進めない。
そのうち、胸が苦しくて息が荒くなり目の前が霞む。
巻き戻り前の人生の、マチルダの最期を追体験していた。
「苦しい、誰か助けて」
掠れた小さな声は誰にも届かず、マチルダはその場で意識を失った。
目を覚ましたのは自分の部屋だった。
気が付いたマチルダを、母のマリーが心配そうに見つめていた。
「あぁマチルダ、気が付いて良かったわ。あなた庭で倒れていたのよ。具合でも悪かったの?言ってくれれば、庭掃除は私が変わってあげたのに」
優しくマチルダの額に手を当てながら、マリーは言った。そんな母親の言葉を聞きながら、マチルダは思い出す。
(そうだった、この女とあの男は負け組なのよ)
マチルダは、巻き戻り前の自分と、今の自分の不満が同じで、重なる事に納得した。
マチルダはずっと両親が不満だった。
ずっと両親が嫌いだった。
それは、あまりにも兄や従姉妹達と自分の境遇が違っていたからだった。既に6歳頃にはそれを自覚して不満に思っていた。
マチルダの両親は、父は元から貴族だが母は元平民だった。
元々伯爵家の次男であるハッサム。
長兄が爵位を継承すれば、ハッサムの戸籍は兄が握ることになる。
従来貴族の継承者以外の子息は、だいたい成人するまでに自身の将来を見据えて、何らかの方法を考えるのが当たり前だ。
家の従属爵位を受継ぐ者、それがない場合は、騎士や文官となって準爵位を王家から賜ろうとする者、貴族や裕福な商家の跡継ぎ娘の婿になる者、爵位を継承する者と話し合い、領地経営を任される代わりに籍を抜かない約束を交わす者、そのまま籍を抜かれて平民になる者、皆がそれぞれ考えて先を見据える。
だが、ハッサムは何も考えていなかった。ハッサムの親であるシトロン伯爵も同じく何も考えていなかった。
誰かがいつもハッサムの尻拭いをしてくれていたから、多少の失敗も水に流してもらっていた。元来おっとりしていて、勉強もそれほど出来るわけでもなく、またその努力もしないハッサム。日々、のほほんと暮らすハッサムは、伯爵家を継承するために、厳しく育てられた兄とはその少年期は雲泥の差があった。
そんな弟に兄は何度も注意をした。
“ちゃんと自分の将来を考えろ!”と。
だがハッサムは違う意味でそれを捉えた。
自身に婚約者がいないから兄が注意をしたのだろうと、勝手に解釈した。
自分の貴族籍が無くなるなど考えてもいなかった彼は、いつまでも甘い考えで、平民の女との間に勝手に子を儲けた。
ハッサムはその時、まだ学園生であった。
丁度その頃、シトロン伯爵家は、兄に爵位を継承する準備を着々と整えていた所だった。
弟の醜聞に巻き込まれることを恐れた兄は、弟を放逐しようと父に談判したが、どこまでも弟に甘い父親は隠し子を許してしまう。
だがその後、シトロン伯爵を無事継承した兄は弟の人脈に目をつけた。人脈といっても、ただの同級生ばかりであったが、弟の世代には第二王子がいて、その周りには、かなり優秀な人物がいる事を兄は知っていたのだ。
残念な事に兄と同じ年に生まれたのは、王女だった為、王家の旨味を世代的に兄は受け取れなかった。
だから、弟を許す代わりに、その人脈で事業の一つも引っ張って来いと、ハッサムは卒業後、その平民の娘と結婚して領地に留まる事を許されたのだった。
その時に生まれた男の子は、自身に男の子が出来ないかも知れないと危惧したシトロン伯爵が、万が一の時のために引き取った。
マチルダの父親であるハッサムは、結婚後領地にいてもあまり変わらなかった。
ただ、何か仕事をしなければ置いてもらえないことは分かっていたようで、表向きには領地経営をしている体ではあったが、そんなに優秀ではない彼には、一人で領地を回すなど無理だった。前伯爵が生きていた頃は前伯爵が、彼が亡くなったあとは、長く前伯爵の補佐に就いていた領地の執事が、ハッサムの代行をしていた。
だからハッサムに嫁いだマリーも、貴族籍に入ったものの社交などというものには無縁で、元平民という事を活かして、家の中の細々とした雑用をしていた。
奥様扱いなどされないし、貴族としても見られなかったマリーの娘だから、マチルダも幼い頃から家の手伝いと称して、庭の掃き掃除をしたり、台所の手伝いをしたりと働かされていた。
ただそれは、虐げられていたわけではない。
温情で貴族籍を与えられた家族だった為、自然と平民のようにそうなっただけである。
カントリーハウスには、侍女もメイドも存在していなかった。季節の花を整える役目の庭師と領地経営のための執事、その二人の食事を世話する料理人しか元々居なかったのだ。
前伯爵が生きていた頃は、数人のメイドはいたが、彼が亡くなったあとは、王都のタウンハウスに配置換えとなっている。
マチルダと、マチルダの両親が働いていたのは、自分たちの為だっただけである。




