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おっぱいに誠実で何が悪い!〜“乳眼”持ちに転生した俺、婚約破棄された悪役令嬢の無実だけは見抜いてしまう〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第39話 白い聖女は、誰の前で崩れるのか

 王宮の夜会というものは、ひとつ乱れが見えると、逆に全体が静かになる。


 騒ぎ立てる者はいない。

 ざわめきも、せいぜい扇の影で一拍だけ止まる程度。

 でも、その一拍があるだけで分かるのだ。

 ああ、今ここで“何か”が起きた、と。


 セシルの笑顔が一瞬だけ遅れた、その空白もそうだった。


 王妃の近くで交わされる柔らかな会話。

 エレノアが自然な手つきで配置した令嬢たち。

 そこへ差し込まれるように立たされたセシル。

 何も知らない者が見れば、ただ白く、慎ましく、上品な聖女候補の一場面だ。


 でも《乳眼》で見れば、もう違う。


 笑う前の一拍に、恐れがある。

 正しい顔を思い出そうとする焦りがある。

 そして、思い出せないかもしれないという疲労がある。


「……っ」


 喉の奥で、無意識に息が鳴った。


 隣でリリアーヌが、視線は前に向けたまま低く言う。


「落ち着きなさい」


「分かってる」


「分かっている顔ではありませんわ」


「でも今の見ただろ」


「ええ」


「かなり危ない」


「ええ」


 リリアーヌの返答も短い。

 それだけ、今の空白は彼女にも見えたのだろう。


「ここで崩れたら」


 俺が言いかけると、彼女が続けた。


「“お疲れなのでしょう”で処理されますわね」


「だよな」


「ええ。そして、もっと丁寧に白い檻へ戻される」


 最悪だ。

 セシル本人が今ここで少し揺れたところで、それだけでは檻は壊れない。

 むしろ王宮の側は、“守るべき聖女候補”として補強するだけだ。


 だから必要なのは、ただ崩れることじゃない。

 誰の前で、どのように崩れるかだ。


「……リリアーヌ」


「何ですの」


「セシルをこの場から少し外へ出せるか」


「すぐには難しいですわね」


「だよな」


「ですが、不可能ではありません」


 彼女の目がわずかに細くなる。


「王妃殿下への挨拶の流れが一巡したあと、小休止が入るはずです」


「うん」


「そのとき、回廊側の控え間へ人が散ります。もしセシル様が一人になる隙があるなら、その一瞬だけは作れるかもしれない」


「一瞬で十分かもな」


「十分かは、あなた次第ですわ」


 言われて、少しだけ背筋が伸びる。


 そうだ。

 ここから先は、ただ眺めているだけじゃ駄目だ。

 セシルが次に揺れた瞬間を、ちゃんと“選ばせる側”へ変えなければならない。


 そのとき、会場の奥でアレクシスの姿が見えた。


 王子は今夜もきちんと王子の顔をしている。

 衣装も所作も隙がない。

 だが《乳眼》で見ると、やはり前回会った時よりもはっきりと揺れていた。


 緊張。

 保身。

 そして、セシルへ向ける視線の中にある罪悪感。


「……王子も来たな」


 俺が言うと、リリアーヌが短く頷く。


「ええ」


「セシル見てる」


「ええ」


「でも近づかない」


「ええ」


「弱いな」


 思わず漏れた本音に、リリアーヌが小さく息を吐いた。


「ええ。ですが」


「?」


「今のあの方は、“近づけばまずい”と分かっているだけ、以前よりましなのかもしれません」


 それは、かなり皮肉だった。

 でも間違ってもいない。


 アレクシスは、セシルの白い構図の中で“守る王子”の役をやってきた。

 だが今は、そこへ不用意に近づけば、自分の罪まで浮くと分かっている。

 だから動けない。


「……情けないな」


「ええ」


 リリアーヌも同意する。


 だが今は、その情けなさを責めて終わる場面でもない。

 使えるなら使うしかない。


 会場の空気が、少しだけゆるむ。

 王妃が年長の貴婦人たちへ視線を移し、若い令嬢たちの輪が細かくほどけ始めた。

 小休止の前触れだ。


「来ますわね」


 リリアーヌが言う。


「うん」


「動けますの?」


「たぶん」


「“たぶん”ではなく」


「行く」


 そう答えた瞬間、彼女はわずかに目を細めた。


「ええ。なら結構」


 王宮の夜会場には、表の広間と、その周囲をつなぐ細い回廊がいくつもある。


 大きな扉で仕切られていないぶん、人の流れは絶えない。

 だからこそ、ほんの短い“人目の薄い隙間”が生まれる。


 小休止の流れに合わせて、令嬢たちは化粧直しや軽い休憩のために控え間へ散った。

 年配の貴婦人たちは回廊沿いで立ち話を始める。

 そしてその一瞬、セシルが輪の中心から少しだけ外れた。


「今ですわ」


 リリアーヌが囁く。


 俺は頷いて、回廊の陰を使って距離を詰める。


 セシルは小さな控え間の入口近くで、一度だけ壁へ手をついた。

 その姿だけで、もう限界が近いのが分かる。


「セシル」


 小声で呼ぶと、彼女はびくりと肩を震わせた。


「……あなた」


「少しだけ」


「だめです、今は」


「今だからだろ」


 《乳眼》を向ける。

 揺れは強い。

 もう隠しきれていない。


 疲労。

 焦り。

 逃げたい。

 でも逃げられない。

 そして、また何かを選ぶかどうかの境目。


「今夜、きついだろ」


 俺が言うと、セシルはすぐには答えない。

 代わりに視線を逸らし、指先を強く握る。


「……平気です」


 嘘だ。

 今のはかなり分かりやすい。


「平気なら、さっき笑う前にあんなに止まらない」


 その一言で、セシルの揺れが大きく跳ねる。


「見ないでください」


「無理だ」


「どうして」


「見えるからだよ」


 半分は能力の話で、半分はそうじゃない。


 セシルは、少しだけ泣きそうな顔になった。

 その顔は、今の王宮の場には全然ふさわしくない。

 でもだからこそ、今はそっちの方がずっと本物だった。


「……もう」


 小さく言う。


「今夜のわたし、ちゃんと笑えていませんか」


 その問いが痛かった。


 “ちゃんと笑えていない”

 その基準が、もう彼女の中では“自分がどう感じるか”ではない。

 王宮にとって正しいかどうかだ。


「ちゃんと、の意味次第だな」


 俺が答えると、セシルは少しだけ息を止める。


「……」


「王宮が欲しがる白い笑顔って意味なら、今日はかなり危うい」


 そこを誤魔化さずに言う。

 残酷だが、必要だと思った。


 セシルの揺れが、さらに細かくなる。

 傷つく。

 でも、その奥に“やっぱりそうなんだ”という納得もある。


「でも」


 俺は続ける。


「それって、悪いことか?」


「え……」


「王宮の前で“正しい白い顔”が保てないなら、それはお前の中の何かがまだ死んでないってことだろ」


 その言葉に、セシルの呼吸が一瞬乱れた。


「そんなふうに……考えたこと、ありません」


「だろうな」


「皆さまは、もっと綺麗に笑えばよいと」


「言うだろうな」


「ええ」


 そこで彼女は、小さく唇を噛む。


「でも、わたし」


「うん」


「今夜、エレノア様の近くへ行くたびに」


「……」


「自分の顔が、もう誰のものか分からなくなって」


 その言葉は、限界を超える手前の人間のものだった。


「だったら」


 俺は低く言う。


「今夜もう一つ、自分で選べ」


 セシルの目が揺れる。


 その瞬間、足音が近づいてくる気配があった。

 遠くない。

 誰かがこの回廊へ入ってくる。


 まずい。

 時間がない。


「……何を」


 セシルが掠れた声で問う。


「エレノアの前で、ほんの少しでいい」


「……」


「“教わった白”じゃなくて、“自分で決めた一言”を出せ」


 それは無茶振りに近かったかもしれない。

 でも今夜、この場で、それ以上のことは言えない。


「無理です……」


 すぐに返ってくる。

 だが揺れの中には、“無理だと思いたい”も混じっている。


「本当に?」


「……」


「紙片を持ち出した時も、無理だと思ってたろ」


 セシルの感情が一気に熱を帯びる。


「……っ」


「でもやった」


「それは」


「今日も同じだ」


 足音が近い。

 もうすぐだ。


「一言でいい」


 俺は言い切る。


「誰かに与えられた白じゃない、お前の言葉を出せ」


 セシルは、震えたまま俺を見ていた。


 怖い。

 迷う。

 でも、その奥にほんの小さな意地みたいなものが生まれかけている。


 そのとき、回廊の角からエレノアの姿が見えた。


「……セシル様」


 相変わらずやわらかな声だ。

 だが《乳眼》で見れば、かなり強く管理の意識が立ち上がっている。

 “外れた駒を戻す”時の揺れだ。


「こちらにいらしたのですね」


 セシルの肩が跳ねる。

 今まさに、白い檻の中心人物が来た。


 そしてその一拍遅れて、リリアーヌもこちらの側へ歩いてきた。

 回廊の向こうで、見える位置に立つ。

 完全に会話へは割り込まないが、“こちらにも目がある”と示すには十分な距離だ。


「少し疲れましたか?」


 エレノアが言う。


「今夜は人の目も多いですもの。ですが、あなたなら大丈夫」


 いつもの言葉だ。

 支える顔。

 整える声。

 白い檻を補強するためのやさしさ。


 セシルの揺れが激しくなる。


 今だ。

 ここを越えるかどうかだ。


「……エレノア様」


 セシルが言う。


 声が、少しだけ掠れていた。


 エレノアの揺れがわずかに止まる。

 予想外だったのだろう。

 セシルの方から、こんなタイミングで声が出ることが。


「はい」


「わたし……少しだけ、休みたいです」


 その一言は、ものすごく小さい反抗だった。


 でも、確かに“自分で選んだ言葉”だった。


 エレノアの感情が、初めてはっきり乱れた。


 大きな怒りではない。

 だが、管理が崩された時の不快。

 想定のズレ。

 そして、“ここで押し返すべきかどうか”の高速な計算。


 すごい。

 本当に、一瞬だ。

 けれど今までで一番、エレノアの揺れが読めた気がした。


「……もちろん」


 やがてエレノアは微笑んだ。


「ですが、その前に王妃殿下へ一言だけ」


「いえ」


 セシルが、もう一度言った。


 今度は少しだけ、声がはっきりしていた。


「今は、少しだけ一人になりたいです」


 その場の空気が、見えないところでぴんと張る。


 リリアーヌの感情が強く揺れる。

 驚き。

 そして、はっきりした評価。


 エレノアはまだ笑っていた。

 でも《乳眼》で見れば、その笑みの下で管理が激しく回っているのが分かる。

 ここで押さえ込めば目立つ。

 引けば、白い檻に初めて小さなひびが公の場で入る。


 数秒。


「……分かりましたわ」


 結局、エレノアは引いた。


「では、少しだけ」


 その返答の“少しだけ”に、取り戻しの意志が滲む。

 だが、それでも引かざるを得なかった。

 ここは王宮の夜会場で、王妃の視線もある。

 白い聖女候補を露骨に押しつけるには、人目がある。


 セシルは一礼した。

 けれどその仕草のあと、ほんの一瞬だけ、こちらを見た。


 揺れはひどい。

 怖い。

 でも、その中にあった。


 やった。

 そういう微かな熱が。


 エレノアが去ったあと、セシルはその場に数秒立ち尽くした。

 自分でも今の一言が何を意味するのか、まだ呑み込めていないのかもしれない。


「……セシル」


 俺が小さく呼ぶと、彼女ははっと我に返った。


「今の」


「……」


「お前が選んだな」


 セシルの目が揺れる。

 泣きそうだ。

 でも泣かない。


「……少しだけ」


「それで十分だ」


 そう言うと、彼女は小さく頷いた。

 もう後ろへは戻れない。

 それを、たぶん彼女自身も分かっている。


 そのあと、リリアーヌと合流した時、彼女は一言だけ言った。


「見ましたわ」


「うん」


「……やりましたわね」


 その声音には、驚きと、少しの高揚があった。


「かなり小さいけどな」


「十分です」


 リリアーヌは言い切る。


「王宮の場で、エレノアへ“今は一人になりたい”と言った」


「うん」


「それだけで十分、線が引けます」


 そして彼女は、回廊の先へ消えていったエレノアの背を見た。


「今の揺れは?」


「かなり来てた」


「どういう色でしたの」


「想定外への不快。管理の乱れ。あと、“ここで押し返すのはまずい”って計算」


「……」


「エレノア、今夜初めて“自分の配置がずれた”って感じたと思う」


 リリアーヌは小さく息を吐いた。


「それなら上出来ですわ」


 そのとき、遠くで楽が鳴り、夜会の流れがまた再開される気配がした。


 でももう、同じ夜会ではない。

 白い聖女は、ほんの少しだけ自分の言葉を出した。

 そして筆頭女官は、その一言を押し返しきれなかった。

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