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おっぱいに誠実で何が悪い!〜“乳眼”持ちに転生した俺、婚約破棄された悪役令嬢の無実だけは見抜いてしまう〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第38話 王宮の夜会は、やさしい顔で息を詰まらせる

 王宮の夜会場というのは、入った瞬間に息が詰まる。


 別に空気が悪いわけじゃない。

 むしろ逆だ。花の香りは上品に整えられ、燭台の火は柔らかく揺れ、床も壁も磨き上げられている。

 人々は笑みを浮かべ、声量は抑えられ、誰も露骨な敵意なんて見せない。


 でも、それ全部が“見せるために整えられている”と分かるからこそ、余計に息苦しい。


「……うわ」


 思わず漏れた声はかなり小さかったはずだが、隣のリリアーヌにはきっちり拾われた。


「何ですの」


「いや、予想以上に“やさしい顔の地獄”だなって」


「的確ですけれど、もう少し言い方を選びなさい」


「でも本当だろ」


「ええ。本当ですわ」


 そこは否定しないらしい。


 今夜の会場は、王妃主催の小規模晩餐会にふさわしく、広すぎず狭すぎずの絶妙な規模だった。

 大広間ほど人は多くない。

 だからこそ、誰がどこにいて、誰へ視線を向け、誰を避けているかがよく分かる。


 つまり観察には向いている。

 気分は最悪だが。


 俺とリリアーヌは、入場の一拍前からすでに視線を浴びていた。

 ヴァルモン家の嫡女が来た。

 しかも、婚約破棄以後も折れていない顔で。

 その事実だけで、場の水面に見えない波が広がる。


 《乳眼》を向ける。


 近くの令嬢たち。

 好奇心。

 警戒。

 少しの愉悦。

 “どう振る舞うのか見ていたい”という色。


 年配の女官。

 礼儀正しい微笑みの下で、品定め。

 “崩れているか、まだ立つ気があるか”を見る目。


 男たち。

 露骨に口は出さないが、噂の続きとして眺める感じ。


「……すごいな」


 俺が言うと、リリアーヌは視線を前へ固定したまま問う。


「何がですの」


「全員、笑ってるのに全員ちょっとずつ違う」


「だから王宮は嫌なのです」


 その一言が、妙に実感を持って刺さった。


 会場の奥、王妃の席に近い側では、女官たちが静かに動いている。

 中心近くにいるのは、当然のようにエレノアだった。


 初めて、はっきりと姿を認識する。


 四十代後半。

 派手さのない端整な美しさ。

 王妃付き筆頭女官にふさわしく、装いも表情も過不足がない。

 そして何より、“自分がここで一番場を読める”と知っている人間の静かな余裕がある。


「……あれか」


 俺が小さく言う。


「ええ」


 リリアーヌも声を落とす。


「エレノアですわ」


 《乳眼》を向ける。


 ぞくり、とした。


 今まで見てきた誰とも違う。

 感情が薄いわけではない。

 むしろある。

 だが、それが恐ろしくよく整えられている。


 警戒。

 管理。

 計算。

 そして、深いところにある“これが正しい”という確信。


 悪意むき出しの人間より、こういう確信を持つ人間の方が厄介だ。

 自分のしていることを秩序だと思っているから、手を止めない。


「……気持ち悪いな」


 思わず漏らすと、リリアーヌが横目で見る。


「どう見えますの」


「悪いことしてる顔じゃない」


「でしょうね」


「でも、全部“正しい配置”だと思ってる」


「ええ」


「セシルを白へ、あんたを黒へ置いたことも、その延長なんだろうな」


 リリアーヌの感情が、ほんの少しだけ強く揺れた。

 怒りだ。

 でも、もう飲み込める怒り。


「そうですわ」


 短く、はっきり言う。


 そのとき、前方で小さなざわめきが起きた。


 王妃の脇近くへ、新たな一団が入ってくる。

 若い令嬢たちに囲まれた、あの柔らかな白。


「……セシル」


 俺が息を止めるように言う。


 白に近い象牙色のドレス。

 やわらかく下ろされた髪。

 光を受けるたび、まるで“ここにいて当然の白さ”みたいに見える。

 だが《乳眼》で拾うと、もうそんなふうには見えない。


 緊張。

 疲労。

 そして、今日の彼女は、いつもよりさらに奥歯を噛んで立っている感じがあった。


 それだけじゃない。

 胸元の揺れの奥に、小さな熱がある。

 決意。

 紙片を渡したあとから、確かに増えた色。


「……来てるな」


「何がですの」


「自分で選んだあとの揺れ」


 リリアーヌが少しだけ目を細める。


「まだ、立てていますのね」


「ギリギリだと思うけどな」


 そのギリギリが、逆に怖い。

 折れる寸前なのか、一歩出る寸前なのか、まだ判別しきれない。


 晩餐会は形式通りに進んだ。

 王妃の入場。

 挨拶。

 ゆるやかな会話の流れ。

 小規模とはいえ、王宮の場である以上、すべてが定められた温度で流れる。


 その間、リリアーヌは実に完璧だった。


 笑いすぎない。

 硬すぎない。

 返礼は過不足なく。

 でも、王宮が好む“整えやすい柔らかさ”へは一歩も寄らない。


 《乳眼》で自分を見られないのが惜しいくらいだ。

 たぶん今の彼女は、王宮にとってかなり“扱いにくいほど美しい”顔をしている。


「……何ですの」


 小皿へ手を伸ばしながら、リリアーヌが小さく言う。


「また見ていますわね」


「いや」


「いや、ではありません」


「今日のあんた、かなり強いなって」


 正直に言うと、彼女の耳がほんの少しだけ赤くなる。


「……今、その話を?」


「いや、だって事実だろ」


「この場で言われると調子が狂います!」


 小声なのにちゃんと怒られた。

 だが、そのやり取りをしながらも彼女は所作を乱さない。

 さすがだ。


 そのとき、柔らかな声が二人の間へ滑り込んだ。


「ごきげんよう、リリアーヌ様」


 空気が変わる。


 エレノアだった。


 近くで見ると、やはり圧が違う。

 高圧的ではない。

 むしろ驚くほど穏やかだ。

 だがその穏やかさが、“ここは私の場です”と言っている。


「エレノア様」


 リリアーヌも微笑み返す。


「ごきげんよう」


 《乳眼》を向ける。

 やっぱりすごい。

 揺れが読みにくいわけじゃない。

 ただ、一つひとつが整いすぎていて、どこに本音の芯があるのか見失いそうになる。


「今夜はお顔を見られてよかったですわ」


 エレノアが言う。


「最近は少し、お心がお疲れではないかと案じておりましたの」


 見事な言い方だった。

 探り。

 牽制。

 それを完全に“気遣い”の顔で包んでいる。


 リリアーヌも負けていない。


「お気遣いありがとうございます」


「ええ。ヴァルモン家ほどのお家のご令嬢が、妙な噂で心を曇らせていては、周囲も気を揉みますもの」


 妙な噂。

 つまり“あなたを悪役扱いする空気”を、本人の口では噂程度に落としてくる。


 俺は横で、腹の奥が少しずつ熱くなるのを感じた。


「ですが」


 リリアーヌは静かに言う。


「曇るほど弱くはありませんの」


 エレノアの揺れがほんの少しだけ変わる。

 面白くない。

 だが表面は微笑みのまま。


「それは何よりですわ」


「ええ」


「王宮という場所は、ときに誤解や期待が複雑に絡みますから」


 その一言の中に、“あなたもセシルも、わたくしが整えています”みたいな冷たさがあった。


「そうですわね」


 リリアーヌは頷く。


「ですから、役に押し込められぬよう気をつけませんと」


 今度こそ、エレノアの揺れが少し強くなる。


 刺した。

 かなり浅いが、たしかに刺した。


「……役、ですの?」


 エレノアが柔らかく問い返す。


「ええ」


 リリアーヌは微笑みを崩さない。


「白にせよ、黒にせよ。便利な役というものは、存外、人を楽に見せますでしょう?」


 空気が、見えないところでぴんと張る。


 周囲にいる令嬢たちは、会話の意味を完全には取れていないかもしれない。

 でも“今ここで女同士の刃が触れた”ことだけは感じている。


「……リリアーヌ様は、相変わらずお言葉が鋭い」


 エレノアは微笑んだまま言う。


「それが長所か、短所か」


「場によりけりですわね」


 リリアーヌも一歩も引かない。


「少なくとも、“何も見ない顔で笑い続ける”よりは、わたくしには性に合っております」


 《乳眼》で見る限り、エレノアはかなり内側で計算を早めていた。

 この場で押し返すか。

 引くか。

 リリアーヌを“感情的な娘”へ見せる方向へ振るか。


 だが、王妃の視線が遠くから一瞬こちらへ来たことで、彼女はすぐに調整した。


「ふふ」


 エレノアは小さく笑う。


「お元気そうで安心いたしましたわ」


 逃がした。

 いや、逃がしたように見せて、今夜の扱いを決め直したのだろう。


「……気持ち悪いほど上手いな」


 エレノアが去ったあと、小声で俺が言うと、リリアーヌもほとんど同時に息を吐いた。


「ええ」


「完全に“心配している筆頭女官”の顔だった」


「ええ」


「でも中身は、配置の再確認だ」


「ええ」


 三連続で同意された。

 それだけ、今の数十秒は濃かった。


「どう見えましたの」


 リリアーヌが低く問う。


「怒ってるっていうより、“想定より立ってるな”って見てた」


「……」


「あと、俺も含めて」


「ええ」


「“どこまで見えてるか”を計ってた」


 そのときだった。


 少し離れた位置で、セシルがこちらを見ていた。


 いや、“こちらを見たあと、すぐに逸らした”という方が正しい。

 でも《乳眼》で拾った揺れは大きかった。


 怖い。

 迷い。

 そして――来るかもしれない、という色。


「……リリアーヌ」


「何ですの」


「セシル、たぶん今夜何かするかもしれない」


 彼女もその視線の先を追い、少しだけ表情を引き締めた。


「根拠は」


「揺れ」


「またそれですのね」


「でも外してないだろ」


「ええ、まあ」


 完全には否定しない。


「今のあいつ、エレノアとこっちの両方見てた」


「ええ」


「たぶん、“どちらへ寄るか”のぎりぎりにいる」


 リリアーヌは静かに息を吸った。


「でしたら」


「?」


「こちらから、選ばせるしかありませんわね」


 その言い方が、今日の一手になる。


 だが、その直後だった。


 会場の奥で、ひときわ柔らかい笑い声が上がる。

 王妃の近く。

 エレノアがさりげなく人の配置を変え、その流れの中へセシルを近づけていた。


「……っ」


 セシルの揺れが強くなる。

 疲労。

 緊張。

 でも、ここで笑わなければならないという刷り込み。


「まずい」


 俺が小さく言う。


「ええ」


 リリアーヌも同じものを感じたらしい。


 セシルは笑った。

 笑ったが、その一拍前に、ほんのわずかに空白があった。

 気づく者は少ないだろう。

 でも《乳眼》で見れば、もう危うさが隠しきれていない。


「……あれ、長く持たない」


「ええ」


 リリアーヌの声が低くなる。


「今夜のどこかで、もう一度揺れるはずです」


「だったら」


「その時に捕まえる」


 短い会話だった。

 だが、その方針で十分だった。


 王宮の招待状は微笑みの形をしている。

 そしてこの夜会もまた、笑顔で人を選り分ける場だ。


 だが今夜、その微笑みの下で、白い檻は確かにひびを増やしている。

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