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おっぱいに誠実で何が悪い!〜“乳眼”持ちに転生した俺、婚約破棄された悪役令嬢の無実だけは見抜いてしまう〜  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第36話 反撃の舞台は、王宮の前へ

 その夜の応接室は、静かだった。


 静かだが、停滞ではない。

 むしろ逆だ。

 ここまで集めてきたものが、ようやく一本の形になり始めたときの静けさだった。


 机の上には、紙が並んでいる。


 脅迫文の控え。

 旧礼拝室の使用記録の断片。

 王宮女官筋から流れた金と書式の記録。

 王子アレクシスの証言メモ。

 ロイドの関与を示す学園内の配置と鍵の線。

 セシルが自分で持ち出した、小さな小さな一枚。


 どれも単独では決定打になりきらない。

 だが、並べると見える。

 白い聖女候補と、黒い悪役令嬢が、同じ手によって塗り分けられていたことが。


「……揃ってきましたわね」


 リリアーヌが、机の端に立ったまま言った。


 今日の彼女は濃い藍色のドレスだった。

 白でも黒でもない、深い夜の色。

 それが妙に今の空気に合っている。


 俺はソファに腰を下ろしたまま、机の上を見つめる。


「揃ったって言っていいのか、これ」


「完全勝利の札ではありませんわ」


 ミレイユが即座に返した。


「ですが、“ただの言いがかり”ではなくなった」


「ええ」


 バルトロも静かに頷く。


「少なくとも、舞踏会の断罪が単発の感情劇ではなく、王宮女官筋を含む構造的な誘導だったことを示す骨組みはできました」


 骨組み。

 その言葉がしっくりくる。


 まだ足りない。

 エレノア本人が自白したわけでも、王子が公の場で全部を認めたわけでもない。

 でも、もう“リリアーヌがヒステリックに騒いでいるだけ”の話ではなくなった。


「整理しましょう」


 リリアーヌが言う。


 その声は、驚くほど落ち着いていた。

 怒りも悔しさも持ったまま、それでも前を向ける時の声だ。


「まず一つ」


 彼女は、指先で脅迫文へ触れる。


「わたくしを悪役へ落とすための印象操作。脅迫文の偽造。舞踏会以前からの静かな席外し」


「ええ」


「二つ。旧礼拝室」


 今度はセシルの紙片へ。


「セシル様に対する“笑顔の教育”。鏡前確認。女官筋の出入り。鍵の管理」


「ええ」


「三つ。王子」


 アレクシスの証言メモへ指が移る。


「婚約見直し文書への署名。エレノア側書式との一致。前夜の押し込み」


「ええ」


「四つ。王宮秩序」


 最後に、推薦記録と古い事例の紙束を見た。


「エレノアが過去にも、“ふさわしい白”を上げ、“扱いづらい黒”を外してきた痕跡」


 そこで彼女は一度だけ、深く息を吸った。


「つまり」


 そして顔を上げる。


「これは、わたくし個人への嫌がらせではありません」


「……」


「王宮にとって都合のよい役へ人を押し込み、都合の悪い役を切る。その仕組みの中で、たまたまわたくしとセシル様が、白と黒へ振り分けられたということです」


 応接室に、少しだけ重たい沈黙が落ちた。


 そうだ。

 ここまで来ると、話はもう“悪役令嬢の冤罪晴らし”だけでは終わらない。

 もっと根が深い。

 人を役割で塗りつぶす仕組みの話だ。


「……エレノア」


 俺が低く呟く。


「本人は自分を悪だと思ってないんだろうな」


「ええ」


 リリアーヌが頷く。


「だからこそ厄介です」


「秩序を守るために、ふさわしい位置へ整えてるだけ、か」


「そうですわ」


「胸糞悪いな」


「ええ。とても」


 短い応酬。

 でも、その言葉の温度は、今までよりずっと揃っていた。


 そのあと、会議はさらに現実的な方向へ移る。


 どこで。

 どうやって。

 何を突きつけるのか。


 学園内での小競り合いでは、もう足りない。

 礼拝室の記録も、王子の証言も、全部“公の前”へ出さなければ意味がない。


「王宮の前ですわね」


 ミレイユが言った。


「ええ」


 リリアーヌが即答する。


「学園内で噂をひっくり返すだけでは足りません。王子の婚約と、王妃付き女官筋の関与が絡んでいる以上、王宮の空気そのものへ切り込まなければ」


「でも、どう切り込む」


 俺が聞くと、バルトロが一枚の招待状を示した。


「数日後、王妃殿下主催の小規模晩餐会がございます」


「……例の、以前ずらされたり外されたりしてたやつの延長か」


「ええ。その一種です」


「招待は?」


「お嬢様にも一応来ております。形だけは、まだ完全に切られていない」


 なるほど。


 王宮にとってリリアーヌは、“静かにずらしたい存在”ではあっても、露骨に排除してよい家格ではない。

 そこが今は逆に使える。


「……そこか」


 俺が言うと、リリアーヌは頷いた。


「ええ。次の舞台は、そこです」


「いきなり大勝負だな」


「小出しにしても、向こうに潰されるだけですわ」


「だろうな」


「ですから、守っているだけでは終わりにします」


 その声音が、ほんの少しだけ熱を帯びた。


「次は」


 彼女の視線が、机上の紙束を越えてまっすぐ前へ伸びる。


「自分を悪役にした舞台そのものを、王宮の前で壊します」


 その宣言は、静かだった。

 でも、部屋の空気を一瞬で変えるには十分だった。


 俺は、思わず少しだけ笑っていた。


「……いいな、それ」


「何がですの」


「言い方」


「そうかしら」


「かなり」


 リリアーヌは少しだけ目を細めた。


「今さら、わたくしに引くつもりですの?」


「まさか」


 それだけは即答できる。


 この人は、たぶんもう“巻き込まれた令嬢”ではない。

 自分を悪役にした物語そのものへ、逆に刃を入れようとしている。


 だが、会議はそこで感情に流されて終わるほど甘くない。


「問題は」


 ミレイユが現実へ戻す。


「セシルですわ」


 その名が出ると、空気が少しだけ変わった。


 机の上の紙片。

 礼拝室使用記録の断片。

 セシルが自分で選んで持ってきた、小さな反抗。


「ええ」


 リリアーヌも頷く。


「セシル様は、もう“完全な敵側”ではありません」


「でも、完全な味方でもない」


 俺が補う。


「ええ」


 ミレイユも同意する。


「彼女はまだ、エレノアの白い檻の中にいる。だから次の王宮の場で、彼女がどう動くかは読めません」


「読めないからこそ」


 バルトロが静かに言う。


「最後の一押しが必要でしょう」


「最後の一押し」


 俺が反復すると、執事は頷いた。


「ええ。セシル嬢が、“自分で選んだ一歩”を二歩目へ進めるための」


 それはつまり、次章の導火線だ。


 紙片ひとつではまだ足りない。

 あれは始まりだ。

 でも、白い檻を本当に揺らすなら、セシル自身がもう一度何かを選ばなければならない。


「……あの子、耐えられるかしら」


 珍しく、ミレイユが少しだけ声を落とした。


「さあな」


 俺が答える。


「でも、もう後戻りはしてない」


「ええ」


 リリアーヌが、静かにその言葉を引き取る。


「でしたら、前へ出させるしかありませんわね」


「……かなり厳しい言い方だな」


「甘いことを言って、あの子をまた“可哀想な白い聖女”へ戻す方が、ずっと残酷ですもの」


 その通りだった。


 リリアーヌはセシルを許していない。

 だが、それでも“自分で選ばせる”という線だけは外さない。

 そこが、この人の誠実さなのだろう。


 会議が終わり、ミレイユとバルトロが退出したあと。

 応接室には、また俺とリリアーヌだけが残った。


 ランプの火が揺れる。

 外はもう夜だ。


「……なあ」


 俺が言う。


「何ですの」


「ここまで来ると、かなり怖いな」


 リリアーヌは少しだけ目を細めた。


「何が」


「次、王宮の前でやるんだろ」


「ええ」


「学園みたいに、多少騒いでごまかせる場じゃない」


「ええ」


「失敗したら、こっちが完全に“面倒な令嬢と変な男”で終わる」


 そこまで言うと、彼女は少しだけ沈黙した。


 その沈黙の中には、同じ怖さがある。

 でも、逃げたい方向の揺れはあまりない。


「……怖いですわよ」


 やがて、リリアーヌはそう言った。


 少し意外だった。

 この人は、こういう時に怖いと口にすることが少ないからだ。


「でも」


 彼女は続ける。


「怖いからこそ、王宮の前でやるのです」


「……」


「学園だけで終わらせれば、“少し空気が悪くなった婚約者騒動”で片づけられる」


「うん」


「でも、そうではないのでしょう?」


「そうじゃない」


「でしたら、あの場へ持っていくしかありません」


 それは、冷静な判断だった。

 勢いじゃない。

 むしろ勢いを削ぎ落として、なおそこへ行くと決めている。


「……やっぱりあんた、強いな」


 思わず言うと、リリアーヌは少しだけ視線を逸らした。


「今さらですわね」


「今さらだけど、改めて」


「そういうことを、真面目な顔で言わないでくださる?」


「何でだよ」


「……調子が狂います」


 またそれだ。

 でも今回は、前より少しだけ柔らかい。


「分かった」


「本当に?」


「半分くらい」


「半分でも多いのです!」


 怒られた。

 だが、そのやり取りのあとで、彼女は少しだけ肩の力を抜いた。


「……でも」


「ん?」


「あなたが今もそう言えるなら」


「?」


「次章も、たぶん大丈夫ですわね」


「何だそれ」


「こちらの話です」


 そう言って、彼女はほんの少しだけ笑った。


 王宮の前で、悪役令嬢は微笑まない。

 たぶん次は、そういう章になる。


 白い檻の中で揺れるセシル。

 沈黙を割り始めた王子。

 そして、白と黒を塗り分けてきた筆頭女官エレノア。


 全部をまとめて、次の舞台へ持っていく。

 まだ完全勝利じゃない。

 でも、“崩せるだけの骨組み”はできた。


 それで十分だ。

 反撃の舞台は、もう王宮の前にある。

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