第9話 アーデルハイト
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
2日目(7/21)4話目です。
ディートリヒの爆破試験が行われてから、数日が過ぎた。
盗まれた透明魔石について、家令による調査は続いていた。
だが、設備修理用の細い工具は屋敷の物置で見つかり、誰が持ち出したのかを示す記録も残されていなかった。
ディートリヒが提出した製作記録には、使用した魔石の種類と爆破術式だけが簡単に書かれている。
肝心の核を作った工程については、
『新たな精製方法を用いた』
という一文しかなかった。
父ゲルハルトは、記録が不十分だとしてディートリヒを叱責した。
使用した素材を明らかにし、製作工程を書き直すよう命じたものの、盗用を認めたわけではない。
アルノルトによる安全確認が終わるまで、新型爆破石を鉱山へ持ち込むことは禁止された。
しかし、研究そのものは継続を許されている。
レオンハルトの手元に残ったのは、自分の研究帳と、一つの火属性魔石だけだった。
それでも、研究を止めるつもりはなかった。
低純度鉱石から、高純度の魔石を作ることができる。
その事実まで、誰かに奪われたわけではない。
レオンハルトは量産方法を考えるため、鉱石の産地ごとの性質を調べ始めていた。
ベルクシュタイン領の廃石だけではない。
過去に他領から持ち込まれた鉱石。
試料として保管されていた価値の低い石。
採算が取れず、閉鎖された鉱山の記録。
同じような低純度鉱石がほかの土地にも存在するなら、危険な深部へ頼らず魔石を作るための材料になるかもしれない。
だが、伯爵家の鉱山帳簿や取引記録を自由に閲覧する権限は、十二歳のレオンハルトにはなかった。
必要な資料があるたび、家令を通して申請し、父の許可を得なければならない。
その日も、過去の鉱石取引記録を借りるため、レオンハルトは本館の資料室へ向かっていた。
「本日は西側の応接室へ近づかれませんように」
廊下ですれ違った執事が、足を止めて告げた。
「来客ですか?」
「ローゼンフェルト子爵家の方々がお見えになっております」
ローゼンフェルト。
レオンハルトは、その名に聞き覚えがあった。
ベルクシュタイン領の南西に隣接する子爵領である。
森林と痩せた農地が多く、かつては小規模な魔石鉱山も所有していた。
だが、十数年前に良質な鉱脈が尽き、鉱山は閉鎖された。
その後、魔物の群れによって街道沿いの村が大きな被害を受け、護衛兵の増員と街道修復に多額の費用がかかった。
さらに二年続いた不作の際、領民へ配る穀物を買うため、ローゼンフェルト家はベルクシュタイン家から金を借りていた。
浪費によって作った借金ではない。
領民を冬へ越させるための借金だと、レオンハルトは聞いている。
「父上との会談ですか?」
「はい。返済期限と担保の見直しについてのお話と伺っております」
執事はそれ以上答えず、頭を下げて去った。
借金の交渉なら、自分には関係のない話だ。
そう思い、資料室へ向かおうとした時だった。
「レオンハルト様」
父付きの従者が早足で近づいてきた。
「旦那様がお呼びです。応接室へお越しください」
「僕を?」
「跡取りとして、領地間の契約交渉を学ぶようにとのことです」
父は、鉱山経営について自分が無知だと言った。
今回の同席も、その教育の一環なのだろう。
「分かりました」
レオンハルトは小さく息を整え、従者の後へ続いた。
◇
応接室へ入ると、最初に目へ入ったのは、大きな卓上へ並べられた書類だった。
土地台帳。
借用証書。
鉱山の採掘記録。
穀物と木材の生産報告。
街道修復費用の明細。
その向こうには、父ゲルハルトが座っている。
父の隣には家令と会計担当者。
反対側には、ローゼンフェルト子爵家当主フリードリヒ・フォン・ローゼンフェルトと、一人の少女が座っていた。
少女は十一歳ほどに見えた。
淡い金色の髪を肩のあたりで整え、青緑色の瞳をしている。
華美ではないが、丁寧に仕立てられた濃紺のドレスを身につけていた。
背筋を真っすぐに伸ばし、膝の上には小型の帳簿を置いている。
ただ同席しているだけではない。
会計担当者が数字を読み上げるたび、帳簿の該当箇所を確認し、父親の横へ小さな紙を差し出していた。
「来たか」
ゲルハルトがレオンハルトを見る。
「こちらへ座りなさい」
「はい、父上」
レオンハルトは父の斜め後ろへ用意された椅子へ座った。
「こちらはローゼンフェルト子爵と、ご令嬢のアーデルハイト嬢だ」
フリードリヒは疲れた表情を浮かべながらも、領主としての姿勢を崩さず頭を下げた。
「お初にお目にかかります、レオンハルト様」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です」
レオンハルトが挨拶すると、少女も立ち上がった。
「アーデルハイト・フォン・ローゼンフェルトと申します。十一歳です」
「レオンハルト・フォン・ベルクシュタインです」
「存じております」
その一言の前に、僅かな間があった。
伯爵家の長男でありながら、生活に使う魔石ばかり研究する無能。
宝石遊びしかできない子供。
そのような噂が近隣領へ伝わっていても、不思議ではない。
しかし、アーデルハイトの顔には嘲りも憐れみもなかった。
ただ、目の前の相手を自分の目で確かめようとする視線がある。
「続けよう」
ゲルハルトの言葉で、二人は席へ戻った。
「現在、ローゼンフェルト家が当家へ負っている借入金は、利息を含めてこの額になる」
会計担当者が数字を読み上げる。
フリードリヒは静かに頷いた。
「承知しております。借入金が、街道修復と二年分の救荒用穀物へ使われたことについては、既に提出した領内会計簿のとおりです」
「支出内容を問題にしているのではない」
ゲルハルトは淡々と答える。
「理由が何であれ、返済期日は守られなければならぬ」
「その点について、言い逃れをするつもりはございません。しかし、昨年の不作に加え、修復した街道が春の土砂崩れで再び損傷しました。今期に全額を返済すれば、領民へ配る種籾まで不足します」
「事情は聞いている。返済期限を延ばすことは可能だ」
ゲルハルトは一枚の地図を広げた。
「ただし、担保の見直しが必要になる」
ローゼンフェルト領の北側。
ベルクシュタイン領との境界に近い山岳地帯へ、赤い線が引かれている。
「この旧鉱山と、周囲の土地を譲渡してもらいたい」
フリードリヒが地図へ視線を落とした。
「閉鎖鉱山を、ですか」
「鉱脈が尽きてから十年以上使われていない。現在のローゼンフェルト家には、維持費だけがかかる土地だろう」
「しかし、伯爵家が利用するにも、再調査と補修が必要です」
「鉱山そのものへ大きな期待をしているわけではない」
ゲルハルトは地図の街道を指でなぞった。
「この土地を得れば、ベルクシュタイン領南部から西方街道へ抜ける運搬路を確保できる。旧選別場の倉庫も、魔石や木材の中継地として使える」
さらに、境界に近い山林を押さえることで、ローゼンフェルト領に対する影響力も強められる。
父はそれを口にはしなかったが、レオンハルトにも意図は理解できた。
価値がない鉱山だから欲しいのではない。
鉱山以外の価値があるから、返済猶予と引き換えに手に入れようとしているのだ。
「提示された範囲には、村の共有林が含まれています」
アーデルハイトが地図を見ながら言った。
ゲルハルトが視線を向ける。
「よく見ているな」
「今回の譲渡候補地については、会談前に父から帳簿と土地台帳を確認するよう命じられていました」
十一歳の少女が所有権や土地利用に詳しい理由が、それで分かった。
普段から勝手に口を出しているわけではない。
父親から資料確認を任され、交渉に必要な数字を調べてきたのだ。
「その共有林から、村人は冬に使う薪の三分の一を採っています」
アーデルハイトは帳簿の頁を示した。
「薬草の採取地にもなっています。譲渡するのであれば、代替地か、現在の採取権を残していただく必要があります」
「アーデルハイト」
フリードリヒが娘を見る。
「発言は私が求めた時に、と言ったはずだ」
「申し訳ありません、お父様」
アーデルハイトは頭を下げた。
父親は帳簿へ目を通した後、改めてゲルハルトへ向き直る。
「娘の指摘どおりです。村人の採取権を失えば、冬前に別の山林を整備しなければなりません。その費用まで含めなければ、土地の譲渡額を正しく計算できません」
最終的に条件を述べたのは、領主であるフリードリヒだった。
アーデルハイトは、その判断に必要な情報を補っている。
「では、村の採取権は残そう」
ゲルハルトは地図を見直した。
「ただし、鉱山坑口、旧選別場、主要運搬路への立ち入りは禁止する」
「採取できる季節、区域、人数は契約書へ明記していただきたい」
「よい」
レオンハルトはアーデルハイトを見た。
借金交渉へ付き添っているだけの令嬢ではない。
土地を渡した場合、誰の暮らしへどんな影響が出るかを理解している。
そして、その情報を領主である父へ渡し、条件へ変えている。
「旧鉱山の評価額はこちらになります」
ベルクシュタイン家の会計担当者が書類を差し出した。
フリードリヒは数字を確認し、眉を寄せた。
「これでは、借入金の五分の一にも届きません」
「採り尽くされた鉱山だ。倉庫と運搬路の価値を加えても、これが妥当だ」
「坑道設備も一部は残っています」
「十年以上放置された設備だ。再調査、排水、支柱交換に必要な費用はこちらが負担する」
ゲルハルトの言葉は冷静だった。
レオンハルトは卓上の書類へ視線を移した。
評価資料としてローゼンフェルト側から提出された、旧鉱山の採掘記録。
鉱石の品質別分類。
廃棄量。
過去の収支。
その表紙に、見覚えのある表現が記されていた。
『低純度混合鉱』
『属性不明瞭』
『選別後廃棄』
レオンハルトの意識が、その文字へ引き寄せられる。
「父上」
「何だ」
「ローゼンフェルト家から評価資料として提出された、旧鉱山の採掘記録を見てもよろしいでしょうか」
ゲルハルトが僅かに眉を動かした。
「交渉中だぞ」
「鉱山の評価に関わる可能性があります」
アーデルハイトがレオンハルトを見る。
ゲルハルトは数秒考え、書類の束を示した。
「提出された評価資料の範囲だけなら構わん。勝手に持ち出すな」
「ありがとうございます」
レオンハルトは採掘記録を手に取った。
記録は十五年以上前から残っている。
最初の数年間は、火属性と土属性の魔石が少量採れていた。
しかし、深く掘り進めるにつれて、採れる鉱石の品質が変わっている。
一つの鉱石へ複数の属性が混ざり、魔力が細かく分散していた。
従来の錬金術では属性を安定させられず、最後の三年間は掘り出した鉱石の七割以上が廃棄されている。
「廃棄された鉱石は、今も残っていますか」
レオンハルトは尋ねた。
フリードリヒが娘へ視線を向ける。
アーデルハイトは事前に調べていた帳簿を開いた。
「坑口の南側と、旧選別場の裏に集積されています」
「運び出してはいないのですか?」
「量が多すぎたため、その場へ積まれています。表面の一部は土砂に埋もれていますが、大半は残っているはずです」
「どれくらいの量ですか」
「最後に正確な計量を行った時点で、荷車八千台分以上です」
アーデルハイトは別の記録を確認する。
「最盛期のベルクシュタイン主力鉱山が、二か月ほどで地上へ運び出す岩石量に近いと聞いております。その後も一年ほど採掘しているため、実際にはさらに多いと思われます」
荷車八千台分。
レオンハルトは息を止めた。
ベルクシュタイン領の選別場に積まれた廃石とは、比べものにならない量だ。
「その鉱石を見たことはありますか?」
「あります」
アーデルハイトの青緑色の瞳が、レオンハルトを見返す。
「灰色の石へ赤や青の筋が入り、磨いても濁りが取れません。魔力測定では、測るたびに属性判定が変わります」
レオンハルトが研究した低純度鉱石とよく似ている。
複数属性が混ざり、不純物に遮られ、魔力が分散している石。
《結晶創造》なら利用できる可能性が高い。
「レオンハルト」
ゲルハルトの声が飛んだ。
「交渉を止めるな」
「申し訳ありません」
レオンハルトは書類を戻そうとした。
だが、その前に一枚の計画書が目に入った。
旧鉱山の安全対策計画。
廃石の山の一部が雨によって崩れ、旧道を塞ぐ恐れがあるため、斜面側の廃石を土留めのある平地へ移す予定が記されている。
「この廃石は、移すのですか?」
フリードリヒが答えた。
「すべてではありません。崩れやすい斜面に積まれた分だけです。谷へ流れ込めば、川を塞ぎ、下流の村へ被害が出る恐れがあります」
安全な集積地を作るにも、費用が必要になる。
財政が苦しいローゼンフェルト家にとって、利用価値のない廃石は負担でしかないのだ。
レオンハルトは一度、息を整えた。
第7話で、父から費用や人員を考えずに採掘停止を求めても受け入れられないと学んだ。
ここでも、可能性だけを口にして負担を押しつけるわけにはいかない。
「処分費用を確定する前に、試料調査の猶予をいただくことはできますか」
ゲルハルトが目を細めた。
「また低純度鉱石の研究か」
「はい。通常の魔石として利用できない石でも、魔力が残っている可能性があります」
「お前が一日に六個しか作れぬ研究のために、他家の計画を変えろと言うのか」
「計画全体を止めてほしいのではありません」
レオンハルトは資料を示した。
「安全のために移す必要がある斜面側は、そのまま進めるべきです。ただ、移設先へ運ぶ前に少量の試料を分けていただければ、利用できるかを調べられます」
「運搬費は誰が負担する」
「最初は小箱一つ分だけです。僕の研究費から支払います」
「結果が出るまで、廃石全体を保管しろとは言わぬのだな」
「はい。必要な安全対策は止めないでください」
ゲルハルトはレオンハルトを見た。
以前のように、ただ「捨てないでください」と訴えたわけではない。
費用と安全対策を分けた上で、必要な試料だけを求めている。
「実物を見て、何が分かる」
「含まれる属性、魔力の総量、不純物の種類、分離に必要な時間です」
「使えたとして、何にする」
「高純度魔石を作れる可能性があります。荷車八千台分の廃石が利用できるなら、量産方法を試す材料にもなります」
「また可能性か」
「はい」
レオンハルトは否定しなかった。
「ですが、捨てる前に確かめるための費用なら、僕が負担できます」
アーデルハイトが父へ小さな紙を差し出した。
フリードリヒは内容を確認し、自ら口を開く。
「小箱一つ分の試料であれば、こちらから提供できます」
「よろしいのですか?」
レオンハルトが尋ねる。
「廃石の選別と箱詰めに必要な費用は、研究費から負担していただきます。ただし、旧鉱山からベルクシュタイン領境までの運搬はこちらで行いましょう」
アーデルハイトが計算したのは、おそらく運搬距離と人件費だ。
フリードリヒは娘の数字を参考にしながら、領主として条件を提示している。
「ありがとうございます」
「まだ、提供を確定したわけではない」
ゲルハルトが低い声で言った。
「旧鉱山を当家へ譲渡するなら、廃石も土地に付随する資産として扱う」
アーデルハイトが父へ視線を向けた。
フリードリヒは娘の帳簿を確認してから、ゲルハルトへ向き直る。
「その点については、条件を分けていただきたい」
「何?」
「既に地上へ掘り出され、集積されている廃石は、地下の鉱床とは異なる動産です」
アーデルハイトが事前に確認していた土地台帳には、鉱山設備、採掘権、地上集積物が別項目で記されていた。
彼女はその記述へ印をつけている。
フリードリヒは娘の指摘を踏まえ、続けた。
「鉱山、運搬路、倉庫を譲渡することは検討します。しかし、廃石の所有権まで含めるなら、提示された評価額では受け入れられません」
「採掘不能の石だ」
「その石に価値がないのであれば、当家へ所有権を残しても問題はないはずです」
ゲルハルトの眉が僅かに動いた。
「子供の研究に値をつけろと?」
「現時点で価値があると申し上げているのではありません」
フリードリヒは落ち着いて答える。
「価値が不明なものを、無価値と決めて無償で譲ることはできないと申し上げています」
アーデルハイトは何も言わず、父の横で帳簿を閉じた。
レオンハルトの可能性を信じ切ったわけではない。
しかし、可能性が示された以上、契約条件から切り離して保留する。
それが彼女の判断だった。
「面白い」
ゲルハルトの口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「ならば、廃石を含める場合と、含めない場合の二通りで評価額を出そう」
「廃石の移設費用と、崩落防止のための土留め費用も別項目にしてください」
フリードリヒが言う。
「よかろう」
会計担当者たちが、新しい計算を始めた。
交渉はその後も続いた。
鉱山の譲渡範囲。
村人の採取権。
旧道の通行権。
倉庫の所有権。
返済期限の延長。
廃石を含む場合と、含まない場合の評価額。
最終的な契約は、双方が資料を持ち帰り、改めて検討することになった。
◇
会談が終わった後も、ゲルハルトとフリードリヒは別室で契約書案の確認を続けることになった。
レオンハルトは、閲覧を許された採掘記録を元の順番へ戻していた。
「先ほどは、ありがとうございました」
声をかけられ、顔を上げる。
アーデルハイトが卓の反対側に立っていた。
「僕は何もしていません」
「廃石の所有権を、ほかの土地と分けて考えるきっかけをくださいました」
「でも、価値があるとは証明できていません」
「証明できていないことと、価値がないことは同じではありません」
アーデルハイトは淡々と答えた。
「分からないものを無償で渡すより、分かるまで条件から外す方が合理的です」
レオンハルトは思わず小さく笑った。
「父上にも、そのように説明できればよかったのですが」
「伯爵様は、今月必要な魔石の数を見ておられるのでしょう」
「知っているのですか?」
「会談中に、そちらの会計担当者が納品数を読み上げていました」
アーデルハイトは、ただ周囲の資料を盗み見たわけではない。
交渉の席で公にされた数字を覚えていたのだ。
「レオンハルト様が一日に六個作れるとしても、今のままでは月三千個の代わりにはなりません」
「やはり、意味がないと思いますか?」
「いいえ」
アーデルハイトは即座に否定した。
「今は数が足りないだけです」
その言葉に、レオンハルトは目を見開いた。
父と同じ問題を指摘しながら、結論が違う。
「どうすれば数を増やせるか。誰なら同じ作業を手伝えるか。どの工程なら分けられるか。道具で代用できる工程はあるか。費用はいくらかかるか」
アーデルハイトは指を一つずつ折った。
「それを調べる価値はあると思います」
「まだ、ローゼンフェルトの廃石が使えると決まったわけではありません」
「ですから、最初に小箱一つ分だけ試すのでしょう?」
「はい」
「使えなければ、それ以上の費用をかけずに済みます。使えるなら、次に荷車一台分を試せばよい」
アーデルハイトは採掘記録の一冊を開いた。
「この頁に、廃石の集積場所と移設予定地が書かれています」
旧鉱山の簡単な見取り図。
坑口。
選別場。
廃石の山。
土留めを設置する予定の平地。
運搬路。
「契約が決まるまでは、鉱山も廃石もローゼンフェルト家の所有です」
「はい」
「父へ頼めば、試料を提供できます。ただし、結果を教えてください」
「もちろんです」
「利用できた場合は、製造方法そのものではなく、石一箱からどれほどの魔石を作れたか。作業時間、必要な材料、失敗した量も知りたいです」
「製造方法は必要ないのですか?」
アーデルハイトの視線が、レオンハルトの腕の下にある研究帳へ向いた。
会談中も、レオンハルトは採掘記録へ書き込みをせず、必要な内容だけを自分の帳面へ記録していた。
製法について質問された時も、魔力の分離方法までは口にしていない。
「独自の研究なのでしょう?」
「はい」
「それなら、簡単に公開したくないと考えるのは当然です」
盗用事件を知らなくても、彼女はレオンハルトの態度から、技術を守ろうとしていることを読み取っていた。
「必要なのは、廃石に資産としての価値があるかどうかです。製法まで譲っていただく必要はありません」
「商品としての価値を調べるのですね」
「商品になるとは限りません」
アーデルハイトは訂正する。
「まずは材料として値段をつけられるか、です」
「分かりました」
「それから、レオンハルト様は鉱夫の方々を守るために研究しておられるのでしょう」
「どうして分かったのですか?」
「ローゼンフェルト領へ来る商人や鉱夫から、魔石灯の話を聞きました」
火を使わず坑道を照らす石。
若い伯爵令息が作ったが、正式にはほとんど採用されていない。
それでも、使った鉱夫たちからは評判がよい。
その程度の話なら、近隣の鉱山関係者へ伝わっていても不思議ではない。
「鉱山の危険を調べていることも、国境近くの宿場で働く者たちの間では噂になっています」
「採掘停止を求めたことまで?」
「そこまでは知りませんでした」
アーデルハイトは正直に答えた。
「ただ、会談中のお話で、危険な深部を掘らずに済む方法を探していることは分かりました」
「無能だという噂も聞いたのでは?」
「聞きました」
迷いのない返答だった。
「宝石遊びしかできない方だと」
レオンハルトは苦笑する。
「噂どおりに見えますか?」
「まだ判断できません」
アーデルハイトは真面目な顔で答えた。
「ですが、帳簿も費用も見ずに、夢だけを語る方ではないと思いました」
「先ほど、運搬費を聞かれてから考えただけです」
「聞かれた後に考え直せるなら、それで十分です」
褒められているのか、評価を保留されているのか分からない。
だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
「試料をいただけるなら、必ず調べます」
「では、父へ正式に申請しておきます」
「費用は僕の研究費から支払います」
「結果が出なかった場合は?」
「使えなかった理由も含めて報告します」
「利用できた場合は?」
レオンハルトは少し考えた。
「廃石を捨てないよう、改めてお願いしたいです」
「それだけですか?」
「え?」
「利用できると分かったなら、誰が石を所有するのか。誰が加工するのか。運搬費を誰が負担し、利益をどう分けるのかを決める必要があります」
レオンハルトは答えられなかった。
作れるかどうか。
鉱夫を守れるかどうか。
その先の契約までは、まだ意識が向いていなかった。
「利用できた場合は、その時に相談させてください」
「分かりました」
アーデルハイトは、ほんの僅かに笑った。
「では、まずは試料一箱分の結果をお待ちしています。レオンハルト様」
◇
ローゼンフェルト家の馬車が屋敷を出た後。
レオンハルトは専用工房へ戻り、閲覧を許された記録から書き写した内容を広げた。
属性不明瞭。
低純度。
混合鉱。
選別後廃棄。
これまでは、価値のない石を示す言葉だった。
だが、今のレオンハルトには、まだ使われていない資源の在処を示す印に見える。
荷車八千台分以上の低純度鉱石。
もし、そのすべてに僅かでも魔力が残っているなら。
危険な深部へ鉱夫を送る回数を減らせる。
採掘量を落としても、必要な魔石を補えるかもしれない。
閉鎖された鉱山や、貧しい領地に新しい収入を生み出せる可能性もある。
レオンハルトは見取り図の廃石置き場へ印をつけた。
その横へ、試料が届いた際に調べる項目を書き込んでいく。
含まれる属性。
魔力の総量。
不純物の種類。
分離に必要な時間。
鉱石一個あたりの回収量。
箱一つから作れる高純度魔石の数。
失敗率。
製造費。
父は、量産できないなら意味がないと言った。
アーデルハイトは、今は数が足りないだけだと言った。
同じ現実を見ても、その先に何を見るかは違う。
レオンハルトは新しい頁を開いた。
『ローゼンフェルト旧鉱山・低純度混合鉱調査計画』
題名を書き、その下へ試料提供者の欄を作る。
少し迷った後、羽根ペンを動かした。
『ローゼンフェルト子爵家』
さらに、その横へ小さく記す。
『窓口――アーデルハイト・フォン・ローゼンフェルト』
まだ手元には、石一つ届いていない。
利用できる保証もない。
それでも、価値がないと決めつけられたものを、捨てる前に確かめようとする者がいた。
レオンハルトは、書き加えた少女の名前をしばらく見つめた後、次の頁へ検査手順を書き始めた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




