表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
廃嫡錬金術師の魔石国家  作者: 阿鼻恭介
第二章 崩れ始めた鉱山
PR
10/20

第10話 弟の栄光

この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。

2日目(7/21)5話目です。

 ローゼンフェルト家から届いた低純度混合鉱の試料は、小さな木箱一つ分だった。


 箱の蓋には、ローゼンフェルト子爵家の封蝋が押されている。


 中には灰色の石が隙間なく詰められ、その上へ二枚の紙が添えられていた。


 一枚は、採取場所と重量を記した試料表。


 もう一枚は、アーデルハイトからの短い手紙だった。


『旧選別場南側の集積地より、表層、中層、下層の石を分けて採取しました。箱の重量、運搬費、採取に要した人員は試料表へ記載しています。利用の可否だけでなく、失敗した割合もご報告ください』


 華美な挨拶はなく、必要なことだけが簡潔に書かれている。


 レオンハルトは手紙を研究帳へ挟み、試料を作業台へ並べた。


 灰色の石へ赤や青の筋が入り、表面には細かな金属光沢が混じっている。


 見た目は、ベルクシュタイン領で廃棄されている低純度鉱石とよく似ていた。


 だが、《結晶創造》を通して内部を見たレオンハルトは、すぐに違いへ気づいた。


 含まれている魔力の総量は少ない。


 その代わり、火、水、土に近い複数の魔力が、石全体へ薄く広がっている。


 一つの石から高純度魔石を作るには効率が悪い。


 異なる属性を分離し、同じ性質の魔力を集めるまでに時間がかかりすぎる。


 しかし、照明や保温のように大きな出力を必要としない用途なら、すべてを一つの属性へまとめる必要はないかもしれない。


「高純度化だけが答えではない……」


 レオンハルトは作業台へ並べた石を見つめた。


 これまでは、混ざった魔力を分離し、同じ属性だけを一つの核へ集めようとしていた。


 だが、その工程に最も時間がかかる。


 火属性だけを抜き出し、残った水や土の魔力を使わない。


 水属性だけを集め、ほかの性質を石の中へ残す。


 それでは、廃石に含まれる魔力の大部分を無駄にすることになる。


 混ざった魔力を完全に分けず、互いにぶつからないよう流れだけを整えたらどうなる。


 出力を弱く限定し、淡い光や緩やかな熱として放出させる。


 石を細かく砕き、色や筋の似た欠片を職人の手で選別できれば、レオンハルトが一つずつ内部を確認する時間も減らせる。


 研究帳へ新しい案を書き込む。


『高出力用と生活用を分ける』


『高出力用――属性分離、純度管理、外殻強化が必要』


『生活用――混合状態のまま流路を整え、出力を制限する』


 すべてを高純度魔石へ変える必要はない。


 軍用魔道具へ使うなら、属性純度と出力の安定性が必要になる。


 だが、部屋を照らす灯りや、食事を保温する程度なら、微弱な魔力でも十分かもしれない。


 量産のためには、レオンハルトにしかできない工程を減らす必要がある。


 石を砕く。


 泥や土を落とす。


 色や筋で分類する。


 大きさをそろえる。


 外殻へ収める。


 それらは鉱夫や職人でもできる。


 レオンハルトが担当するのは、最後の魔力経路の調整だけでよい。


「これなら、一日に六個では終わらない」


 レオンハルトは実験用に磨いた小さな灰色の結晶を持ち上げた。


 属性は分離していない。


 石の内部では、赤、青、黄の淡い魔力が細い輪を作り、互いにぶつからないよう巡っている。


 そこへ僅かな魔力を流す。


 灰色だった結晶の中心に、白く淡い光がともった。


 魔石灯ほど明るくはない。


 机の上を照らせる程度だ。


 それでも、加工前の低純度鉱石では、魔力が乱れて光すら安定しなかった。


「レオンハルト様」


 工房の扉を叩く音がした。


 入ってきたのはアルノルトだった。


 老錬金術師は、作業台へ並ぶ試料と淡く光る結晶へ目を向けた。


「ローゼンフェルト領から届いた石ですか」


「はい。表層、中層、下層から分けて採取してくれました」


「随分と細かく記録されていますな」


「アーデルハイト嬢が必要な数字をまとめてくれました」


 レオンハルトは試料表を見せる。


 箱の重量。


 採取人数。


 作業時間。


 運搬距離。


 支払った賃金。


 どれも後で原価を算出できるよう記されていた。


「こちらの結晶は?」


「高純度化せず、内部の流れだけを整えました」


 レオンハルトは灰色の結晶を差し出す。


「一晩持つほどの魔力量はありません。でも、複数を交換しながら使うか、何個か組み合わせれば照明にできます」


「加工時間は?」


「一つにつき、十分の一刻ほどです」


 アルノルトの眉が動いた。


「以前の高純度魔石とは比べものになりませんな」


「石を砕いて分類する工程をほかの人へ任せれば、僕は最後の調整だけで済みます」


「軍へ納める規格品にはなりません」


「分かっています」


 レオンハルトは淡い光を見つめた。


「ですが、屋敷や村で使う照明用魔石をこれで代替できれば、その分だけ通常の魔石を軍へ回せます」


 軍への納品を直接置き換えるのではない。


 生活用に消費されていた魔石を低純度鉱石で補い、高品質なものを契約品へ回す。


 遠回りではある。


 だが、父が問題にした数量へ対する、一つの答えだった。


「旦那様へお見せになりますか」


「はい」


 レオンハルトは頷いた。


「今度は製造数だけでなく、分業できる工程、必要な人員、費用も書きました。試料一箱のうち、使えなかった石の割合も記録しています」


 アルノルトは報告書へ目を通す。


「以前より、経営の言葉で説明しようとしておられますな」


「父上に、宝石ばかり見ている者には経営が分からないと言われましたから」


「悔しかったですか」


「悔しかったです」


 レオンハルトは正直に答えた。


「でも、父上が見ているものを理解しなければ、何を作っても届きません」


 アルノルトは僅かに目を細めた。


「それでも、届かないことはあります」


「分かっています」


 レオンハルトは淡い光を消した。


「それでも、伝えるために必要なものはそろえます」


          ◇


 数日後。


 レオンハルトは、照明結晶の試作品と製造工程をまとめた報告書を持ち、父の執務室を訪れた。


 だが、部屋にいたのはゲルハルトだけではなかった。


 弟ディートリヒ。


 鉱山長ブルクハルト。


 軍務省の紋章をつけた役人。


 そして、シュヴァルツベルク侯爵家に仕える錬金術師、エルマー・ロート。


 机の上には、黒い布で覆われた細長い箱が置かれていた。


 以前の爆破試験で、ディートリヒの新型爆破石は想定以上の威力を出した。


 その報告を受けたゲルハルトが、軍務省へ成果を知らせたのである。


 軍需品の流通を握るシュヴァルツベルク侯爵家も情報を得て、技術評価のためエルマーを送り込んでいた。


「遅いぞ、レオンハルト」


 ゲルハルトの声は、いつもより機嫌がよかった。


「申し訳ありません」


「お前の報告は後だ。今日はディートリヒの改良型爆破石を披露する」


 レオンハルトは弟を見る。


 ディートリヒは新しい礼服を着ていた。


 胸元には、父から与えられた銀製の錬金術師章が輝いている。


 まだ十歳の少年だが、顔には隠し切れない誇らしさがあった。


 第8話で試した爆破石は、レオンハルトの透明核を既存の外殻へ組み込み、出力そのものが想定を超えた。


 今回は、その結果を受けて外殻と術式を改め、同じ形式を複数作れるようにした改良型だという。


 だが、アルノルトによる安全確認は完了していないはずだった。


「先生の確認は終わったのですか」


 レオンハルトが尋ねる。


「出力を抑えた三個について、正常に起爆することは確認した」


 ゲルハルトが答えた。


「外殻の早期破裂も起きていない」


「先生は実用化を認めたのですか?」


「そこまでは認めていない」


 ゲルハルトの声に、僅かな苛立ちが混じる。


「製造数が少なく、個体差を判断できないため、追加試験が必要だと主張している」


 ディートリヒが口を挟む。


「でも、三個とも成功しました」


「三個が正常に作動したことと、同じ形式を何十個作っても安全であることは別だよ」


 レオンハルトは弟を見る。


「外殻の厚さ、中核の位置、術式の幅。少しずつ違えば、魔力の流れも変わる」


「型は同じです」


「手作業で作っている以上、完全には同じにならない」


「兄上は、また僕の成果を危険だと言うのですか」


「危険だと決めつけているんじゃない。安全だと証明するには、三個では足りないと言っているんだ」


「レオンハルト」


 ゲルハルトが制した。


「王都から正式な視察が来ている。今回の試験結果を見た上で、追加試験の条件を決める」


「アルノルト先生は?」


「本日は鉱山側の支柱調査へ出ている」


 それは以前から決められていた予定だった。


 ゲルハルトは、アルノルトが戻る前に王都の使者を招いたのだ。


「先生が立ち会わない状態で試験するのですか」


「三個の正常作動は確認済みだ」


「でも、今日使う一個が同じとは限りません」


 ディートリヒが不満そうに眉を寄せる。


「兄上は、僕が失敗すると思っているのでしょう」


「失敗してほしいわけがない」


 レオンハルトは黒い箱を見る。


「坑道へ持ち込むなら、一個の成功より、外れた一個が何を起こすかを考えなければならない」


「そこまでにしろ」


 ゲルハルトの一声で、兄弟は口を閉じた。


「王都の使者を待たせている。試験場へ移るぞ」


          ◇


 屋敷の裏手にある試験場には、厚い石壁と土塁が設けられていた。


 試験用の岩塊は、人の背丈ほどもある。


 周囲には騎士が配置され、見学者は二重の遮蔽壁の後ろへ下がることになっていた。


 ディートリヒは細長い箱から、改良型爆破石を取り出した。


 以前のものより大きい。


 黒い金属製の外殻には、赤い術式が刻まれている。


 内部構造は厚い金属に遮られ、《結晶創造》でも細部までは読み取れない。


 しかし、外殻表面の術式は目で確認できた。


 中心へ向かって魔力を集め、一気に解放する構造だ。


「出力は最初の試作品の七割に抑えています」


 ディートリヒが軍務省の役人へ説明する。


「岩を崩すには十分です」


「起爆方法は?」


「導線へ魔力を流すと、十数える間に中核へ魔力が集まり、爆発します」


「途中で解除できるのか」


 役人が尋ねた。


 ディートリヒは一瞬だけ言葉に詰まった。


「一度魔力を流した後は、止められません」


「解除機構は必要だな」


 役人は記録係へ告げた。


 エルマー・ロートは爆破石を眺め、興味深そうに笑う。


「遠隔起爆へ改良できれば、軍用にも価値があるでしょう」


「将来は魔力波で起爆できるようにします」


「十歳でそこまで考えているとは」


 称賛を受け、ディートリヒの表情が明るくなる。


 レオンハルトは外殻表面へ刻まれた赤い術式を見つめた。


 右側の線が、一か所だけ僅かに太い。


 型を使って刻んだように見えるが、溝の深さが均一ではない。


 そこだけ多くの魔力が流れれば、中核へ集まる前に外殻の一部へ負荷が偏る。


「ディート」


「何ですか」


「右側の術式を確認して。ほかより溝が深い」


「見ただけで分かるのですか?」


「指でなぞれば違いが分かるはずだ」


「既に三個成功しています」


「これは四個目だ。前の三個と同じとは限らない」


「兄上には関係ありません」


 ディートリヒは爆破石を岩塊の窪みへ差し込んだ。


 ブルクハルトが満足そうに頷く。


「この威力なら、主鉱脈の硬い岩盤も一度で崩せます」


 起爆の準備が始まる。


 導線へ魔力が流され、赤い光が走った。


「退避!」


 全員が遮蔽壁の後ろへ下がる。


 レオンハルトは壁の中央へ移動した。


 一人の若い従者だけが、使者の様子を確認しようと遮蔽壁の端から顔を出している。


「壁の内側へ!」


 レオンハルトが声をかける。


 一。


 二。


 三。


 爆破石の中核へ魔力が集まっていく。


 四。


 五。


 右側の術式へ魔力が偏った。


 外殻の一部へ細かな亀裂が走る。


 解除はできない。


「予定より早く破裂します! 伏せてください!」


 レオンハルトは遮蔽壁の端にいた従者の肩を引き、壁の内側へ倒れ込んだ。


 六。


 七。


 ディートリヒが顔を強張らせる。


「そんなはずは――」


 爆破石の右側から、細い赤い光が漏れた。


 直後。


 本来の起爆より早く、爆破石が破裂した。


 轟音が試験場を揺らす。


 岩塊は正面から砕けず、右側へ大きく裂けた。


 石片が斜め上へ飛び、土塁へ突き刺さる。


 その一部は遮蔽壁の上端を越え、背後の地面へ落ちた。


 従者が端へ立ったままだったなら、破片を受けていたかもしれない。


 白い粉塵が周囲を覆った。


「全員、無事か!」


 騎士たちが声を上げる。


 負傷者はいない。


 だが、試験用の岩塊は狙った方向ではなく、斜めへ大きく吹き飛んでいる。


 粉塵が収まる。


 ディートリヒは青ざめていた。


「おかしい……三個とも成功したのに」


「今回の外殻は、右側の術式が深かった」


 レオンハルトは立ち上がりながら言う。


「魔力が片側へ集中し、中核へ届く前に外殻を内側から割ったんだ」


「兄上が何かしたのではありませんか?」


 ディートリヒが反射的に言った。


 レオンハルトは目を見開く。


「僕は遮蔽壁の後ろにいた」


「でも、兄上の力なら――」


「ディートリヒ!」


 ゲルハルトの怒声が響いた。


「失敗を兄へ押しつけるな」


 弟は口を閉じた。


 軍務省の役人は、砕けた岩塊と土塁へ刺さった破片を見比べていた。


「威力そのものは報告以上だ」


 役人が言う。


「しかし、四個中一個が想定外の方向へ破裂した。現状では実用化できない」


 エルマーは破片を遠巻きに観察しながら答える。


「逆に言えば、外殻の精度を統一できれば、大きな価値があります」


「今回の試験は失敗です」


 レオンハルトが言った。


「失敗だからこそ、改良点が分かるのですよ」


 エルマーは穏やかに笑う。


「戦場の兵器も、最初から完成していたわけではありません」


「鉱山は戦場ではありません。中には鉱夫がいます」


 ブルクハルトが顔をしかめる。


「坑道で使う際には、作業員を退避させます」


「起爆地点から退避するだけでは足りません」


 レオンハルトは土塁へ刺さった破片を指した。


「今回の破片は想定した方向から外れました。亀裂の入った坑道なら、振動も別の場所へ伝わります」


「また山が崩れるという話ですか」


「可能性があると言っています」


「レオンハルト」


 ゲルハルトの低い声が落ちた。


「もうよい」


「父上、四個中一個が失敗しました」


「分かっている」


「なら、深部での使用は禁止してください」


「現状のまま使うとは言っていない」


 ゲルハルトは壊れた岩塊へ視線を向けた。


「試験は失敗だ。だが、威力は証明された。改良して再試験する」


「父上」


「ディートリヒ。術式を手作業で刻む方法は止めろ。幅と深さをそろえる型を作れ。中核を中央へ固定する枠も必要だ」


「……はい」


「次の試験には、アルノルトを必ず立ち会わせる」


 ゲルハルトの目がレオンハルトへ向く。


「お前の指摘が正しかったことは認める」


 その言葉に、レオンハルトは僅かに息を止めた。


「だが、ここで弟を責め立てても安全性は高まらぬ。必要な改善点を報告書にまとめなさい」


「……分かりました」


 父は危険を完全に無視しているわけではない。


 それでも、開発を止める気もなかった。


 失敗の向こうにある威力を手放せないのだ。


          ◇


 再試験は、一月後に行われた。


 今度はアルノルトが立ち会った。


 外殻は二層構造へ変更された。


 中核は金属製の細い枠で中央へ固定され、術式は型板を使って同じ幅と深さに刻まれている。


 出力は、最初の試作品の半分まで落とされた。


 解除機構はまだ完成していなかったが、起爆までの時間を長くし、退避距離も広げた。


 試験に使用されたのは、同じ工程で作られた五個の爆破石だった。


 四個は正常に作動した。


 一個は起爆しなかった。


 暴発ではない。


 中核へつながる術式の一部が浅く、魔力が最後まで届かなかったためだ。


「失敗率は五分の一です」


 レオンハルトは試験記録へ書き込んだ。


「暴発しなかったのだから問題ないでしょう」


 ディートリヒが言う。


「起爆しない爆破石を回収する時が危険なんだ」


 アルノルトが厳しい声で答えた。


「内部へ魔力が残っているかもしれぬ。解除方法を作るまで、人が近づくべきではない」


 アルノルトが認めたのは、改良型が一定の条件で正常に作動することだけだった。


 鉱山での実用化も、大量製造時の安全性も保証していない。


 それでも、正常に作動した四個のうち一つは、人の背丈を超える岩塊を正面から大きく砕いた。


 軍務省の役人は、その威力へ強い関心を示した。


 エルマー・ロートは、王都での公開実演を提案した。


「選別した一個を、入念に検査して持ち込めばよいでしょう」


 その言葉どおり、王都へ運ばれる爆破石は、複数の試作品から最も状態のよい一個が選ばれた。


 外殻の寸法。


 術式の深さ。


 中核の位置。


 すべてをアルノルトと職人が確認した。


 一個だけを時間をかけて作るなら、精度を高められる。


 問題は、それを何十個、何百個と作る時にも再現できるかどうかだった。


 王都の城外で行われた公開実演では、選び抜かれた一個の爆破石が、巨大な岩を見事に砕いた。


 失敗は起きなかった。


 見物した貴族たちは、十歳の錬金術師へ惜しみない拍手を送った。


「ベルクシュタイン家の神童だ」


「軍用にも転用できる」


「兄より弟の方が、伯爵家にふさわしいのではないか」


 そんな言葉が、屋敷へ届くようになった。


 ディートリヒには、王都の貴族から贈り物が届いた。


 高価な錬金道具。


 新しい礼服。


 軍用術式の書物。


 シュヴァルツベルク侯爵コンラートからは、正式な称賛状まで送られてきた。


『将来、王国軍需を担う錬金術師となることを期待する』


 その一文を読んだゲルハルトは、満足そうに目を細めた。


 侯爵家からの称賛は、単なる褒め言葉ではない。


 軍需品の流通を支配する有力貴族が、ベルクシュタイン家の次男へ価値を認めたという政治的な意味を持つ。


          ◇


 王都での成功から数日後。


 親族と主要家臣を集めた夕食会が開かれた。


 席には、家令、騎士団幹部、鉱山関係者、会計責任者が並んでいる。


 母ヘレーネも、ゲルハルトの向かいへ座っていた。


 食事が終わる頃、ゲルハルトが立ち上がる。


「皆へ伝えることがある」


 会話が止まり、視線が当主へ集まった。


「ディートリヒを、ベルクシュタイン伯爵家の正式な後継者候補とする」


 食堂が静まり返った。


 家令が記録を取る手を止める。


 騎士団幹部たちは互いに視線を交わした。


 母ヘレーネの表情が、ほんの僅かに強張る。


 これまでは、長男であるレオンハルトが当然の後継者として扱われてきた。


 候補という言葉ではある。


 だが、次男を同じ位置へ引き上げるということは、家臣たちが今後どちらへ従うかを考え始めるということでもある。


 ディートリヒは立ち上がり、深く頭を下げた。


「ありがとうございます、父上。必ずベルクシュタイン家の役に立つ錬金術師になります」


「お前にはその才能がある」


 ゲルハルトは満足そうに頷いた。


 そして、レオンハルトへ視線を向ける。


「レオンハルト」


「はい」


「お前には、屋敷東側の装飾品工房を任せる」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「装飾品工房を、ですか」


「以前から考えていた配置だ」


 ゲルハルトは静かに続けた。


「お前を鉱山管理や軍用錬金へ置いても、ブルクハルトやディートリヒとの意見対立が増えるばかりだ」


「だから、鉱山から外すのですか」


「生活用魔石と宝石加工を、独立した収益部門として任せる」


 単なる嫌がらせではない。


 ゲルハルトなりに、長男へ役割と収入源を与えようとしている。


 だが、その役割から鉱山の安全管理は外されていた。


「商人向けの宝石、貴族夫人向けの魔石飾り、屋敷で使う生活用品。お前の得意な分野だろう」


「僕は低純度鉱石の量産方法と、鉱山の安全対策を研究しています」


「低純度鉱石の研究は続けてよい。利益を出せるなら、工房の職人も増やす」


「鉱山の調査は?」


「鉱山はブルクハルトが管理する。軍用錬金はディートリヒが担う」


 ゲルハルトの声に迷いはない。


「お前は、自分の分野で結果を示しなさい」


「僕が作っているのは、飾るためだけの結晶ではありません」


「ならば、それを売れる形にしろ」


 父は淡々と答えた。


「ディートリヒは王都で評価された。お前も、生活用魔石が家と領地へ何をもたらすか、利益で示しなさい」


 反論しても、決定は変わらない。


 レオンハルトには分かっていた。


 父の中では、役割が既に分けられている。


 弟は家の軍事的価値を高める者。


 兄は商業や生活用品を担う者。


 どれだけ鉱山の危険を訴えても。


 どれだけ低純度鉱石の可能性を示しても。


 鉱山の決定権は、レオンハルトから遠ざけられていく。


「承知しました」


 レオンハルトは頭を下げた。


 周囲では、家臣たちが二人の兄弟を見比べていた。


 ディートリヒの口元には、抑えきれない笑みが浮かんでいた。


          ◇


 夕食会の後。


 レオンハルトは一人で回廊を歩いていた。


 窓の外には、月に照らされた山が見える。


 あの山の中では、今も採掘が続いている。


 支柱は増えた。


 ポンプも追加された。


 爆破間隔も定められた。


 だが、より強い爆破石が完成しようとしている。


 ブルクハルトは、採掘量を増やせると期待している。


 父は、王都からの評価を伯爵家の力へ変えようとしている。


 そして、自分は鉱山管理から外されようとしていた。


「レオン」


 後ろから母ヘレーネの声がした。


 振り返ると、淡い色の室内着をまとった母が立っている。


「母上」


「少し、お話しできますか」


 二人は回廊の端にある小さな休憩室へ入った。


 侍女が温かい茶を置き、静かに退出する。


 ヘレーネは息子の顔を見た。


「悔しいですか?」


 レオンハルトはすぐには答えられなかった。


「……はい」


「ディートリヒが後継者候補になったことが?」


「それもあります」


 正直に言えば、弟が父に認められたことは悔しかった。


 爆破石の中核には、自分が作った透明魔石が使われていた可能性が高い。


 安全性も、量産時の品質も確立されていない。


 それでも弟は神童と呼ばれ、自分は装飾品工房を与えられた。


「ですが、一番怖いのは、あの爆破石が鉱山で使われることです」


「お父様は禁止してくださらないのですね」


「王都で成功しました」


 レオンハルトは茶の表面へ視線を落とした。


「一個だけを選び、何人もの大人が確認し、時間をかけて作った爆破石です。それが成功したからといって、何十個も同じように作れるとは限りません」


「そのことは伝えたのでしょう?」


「報告書も出しました」


「では、あなたにできることはしたのではありませんか」


「まだです」


 レオンハルトは顔を上げた。


「鉱夫たちが残っています」


 ヘレーネの表情が曇る。


「家を離れることもできますよ」


 その言葉は静かだった。


「ローゼンフェルト家のように、あなたの研究へ関心を持つ人もいます。王都へ行けば、別の工房へ入る道もあるでしょう」


「父上に認められないから、逃げるのですか」


「逃げるのではありません」


 ヘレーネは首を横に振る。


「自分の力を必要とする場所へ行くのです」


 レオンハルトは黙った。


 アーデルハイトは、低純度鉱石の可能性を切り捨てなかった。


 今は数が足りないだけだと言った。


 ローゼンフェルト領には、荷車八千台分以上の廃石がある。


 あの土地なら、自分の研究が役に立つかもしれない。


 それでも。


「まだ行けません」


「なぜですか」


「山が崩れるかもしれないと分かっているのに、鉱夫の方々を残してはいけません」


 父に認められたい気持ちは、まだ消えていない。


 後継者としての立場を失いかけていることも悔しい。


 だが、それだけではなかった。


 オットー。


 魔石灯を使ってくれている鉱夫たち。


 旧運搬路の避難経路を覚えた班長たち。


 彼らが危険な坑道へ入っている。


「少なくとも、危険を減らす方法を見つけるまでは残ります」


「危険がなくならなければ?」


「止める方法を探します」


 ヘレーネは長い間、何も言わなかった。


 やがて、息子の手へ自分の手を重ねる。


「あなたは、お父様に似ていないと思っていました」


「そうでしょうか」


「ええ。でも、守ろうと決めたものを簡単には手放さないところは、少し似ています」


 レオンハルトは窓の外の山を見た。


 父は伯爵家と契約を守ろうとしている。


 自分は鉱夫と山を守ろうとしている。


 同じようで、見ているものは違っていた。


          ◇


 翌朝。


 レオンハルトは東側の装飾品工房へ向かった。


 長く使われていなかった部屋には、宝石研磨台、細工用の工具、古い展示棚が残されている。


 父はここで、装飾品と生活用魔石を作れと言った。


 だが、何を研究するかまで指定されたわけではない。


 レオンハルトは窓を開け、埃の積もった机を拭いた。


 ローゼンフェルト領から届いた灰色の結晶を置く。


 淡い魔力を流すと、石の奥に小さな光がともった。


 装飾品としては地味だ。


 軍用魔石としては弱すぎる。


 それでも、暗い場所を照らすことはできる。


「ここで続けよう」


 工房の扉へ、新しい札を掛ける。


『レオンハルト専用結晶工房』


 父が与えたのは装飾品工房だった。


 だが、押しつけられた場所を何に変えるかは、自分で決められる。


 低純度鉱石の研究。


 生活用魔石。


 鉱山の安全記録。


 爆破石の品質調査。


 すべてをここへ集める。


 レオンハルトは新しい棚へ研究帳を並べた。


 その一冊には、ディートリヒの爆破石について記した頁がある。


 透明核。


 外殻。


 術式の偏り。


 四個中一個の早期破裂。


 五個中一個の不発。


 王都へ持ち込まれた、選別済みの一個。


 父も王都の貴族も、その一個の成功を見ている。


 だが、一個の成功は、量産されたすべての安全を保証しない。


 レオンハルトは頁の最後へ書き加えた。


『単発の成功は、量産時の品質を保証しない』


 その下へ、もう一行記す。


『鉱山投入前に、全数検査、解除機構、使用区画の再調査が必要』


 父に何度退けられても。


 弟に妬みだと言われても。


 危険が消えたわけではない。


 窓の外から、遠く低い爆発音が聞こえた。


 鉱山で使われている従来型の爆破石だろう。


 机の上の灰色の結晶が、僅かな振動を受けて揺れた。


 レオンハルトはその石を手で押さえる。


 弟の栄光は、王都の拍手とともに輝き始めていた。


 その光の下にある亀裂を、レオンハルトは見失わなかった。

お読みいただきありがとうございます。

ブックマークや評価をいただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ