第34話 工房襲撃
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
最終日(7/26)4話目です。
レオンハルトがクラウスとともに王都へ向かった翌朝。
フェルミナ魔石工房では、いつもどおり始業の鐘が鳴った。
照明結晶部門では、出荷予定の魔力灯が検査台へ並べられている。
冷却・暖房結晶部門では、遠方の商会へ送る冷却箱の金具が取り付けられていた。
医療・浄水結晶部門では、近隣集落へ交換用の吸毒結晶を送る準備が進んでいる。
レオンハルトが不在でも、作業は止まらない。
工房を、一人の錬金術師だけに依存する場所へしない。
誰かが休んでも、調査へ出ても、仕事と安全を守れる仕組みを作る。
それが、フェルミナ魔石工房を設立した目的の一つだった。
「照明結晶、第百八十一号から第百九十号まで、点灯を確認しました」
エルザが記録助手から検査表を受け取った。
「発熱と振動試験は?」
「異常ありません」
「では、合格札を付けてください。箱詰めの前に、製造番号をもう一度確認します」
工房記録室の中央には、王国軍の事故調査から持ち帰った原本保管箱が置かれていた。
到着したのは前夜遅く。
封印番号と王立魔道具院側の記録を照合してからでなければ、管理屋敷の機密室へ移せない規則になっている。
移動には、記録係と機密文書管理者の二人が立ち会う必要もあった。
「その箱、もう運んでもいいんじゃないのか?」
記録助手が尋ねる。
「最後の封印照合が終わっていません」
エルザは箱の四隅に貼られた封印紙を、一枚ずつ確認した。
「ゼバスティアンさんが来たら、一緒に管理屋敷へ運びます」
「随分と厳重なんだな」
「同じ内容の写しは王都にもあります。でも、片方だけになれば、書き換えられても比べられません」
記録助手は箱から一歩離れた。
「分かった。近づかない」
「ありがとうございます」
エルザが最後の番号を書き写したとき、工房の外で短い鐘が鳴った。
一度。
間を置いて、二度。
荷馬車の到着を知らせる鐘ではない。
警備所が、不審な集団を発見したときに鳴らす合図だった。
◇
管理屋敷の執務室では、ゼバスティアンが来客記録を開いていた。
机には、ここ数か月に工房や屋敷を訪れた者たちの名簿が並んでいる。
商人。
職人。
雇用希望者。
運送業者。
商会の使者。
その一部には、確認が必要な人物を示す赤い印が付けられていた。
防衛隊の伝令が、息を切らしながら部屋へ入ってくる。
「西の監視所から通信です。武装した集団が街道を外れ、古い製材所の南側から森へ入りました」
「人数は?」
アーデルハイトが尋ねる。
「確認できただけで五十以上。後方にも続いています」
「紋章は?」
「掲げていません。ただし、装備と歩調が統一されています。盗賊ではありません」
ヴォルフガングが地図を開いた。
「街道を使わず、森を通る時点で客ではない」
「北の坑道口と東の荷運び道にも斥候を出しました」
防衛隊の副隊長が報告する。
「よし。西から見えている部隊が、すべてだと思うな」
ヴォルフガングが答えた。
ゼバスティアンは、伝令の言葉へ反応していた。
「古い製材所ですか」
来客記録の一冊を開く。
三週間前、製材所の再利用を申し出た商人がいた。
木箱製造所を作り、工房へ資材を納めたいという話だった。
「保証人は、ラウナー商会でしたね」
アーデルハイトが思い出す。
「はい。シュヴァルツベルク侯爵家と取引のある商会です」
「利用許可は出していません」
「正式な許可は出しておりません。ただし、申請前の測量だけは認めました」
ゼバスティアンは、商人が提出した測量図を広げた。
製材所。
周辺道路。
伐採予定地。
それだけではない。
西側監視所から見えにくい森の窪地と、荷車を隠せる斜面まで細かく記されていた。
「その商人は?」
「二日前から宿へ戻っておりません」
さらに別の記録を開く。
「五日前に運搬員として雇った男も、今朝の点呼へ出ていません。保証人は同じラウナー商会です」
「役割が別だったのでしょう」
アーデルハイトの声が硬くなる。
「商人は侵入経路を調べる役。運搬員は工房と屋敷の内部を調べる役」
「そして、レオンハルト様の出発を知らせる役でもあった可能性があります」
ゼバスティアンは、昨日の出門記録へ目を落とした。
西門付近の荷車置き場に、欠勤した運搬員がいたとの証言がある。
レオンハルトとクラウスが出発した直後、その男は仕事を抜けていた。
「襲撃側は、レオンが王都へ向かったことを知っている」
「はい。出発時刻と護衛人数まで伝えた可能性があります」
ヴォルフガングが地図へ駒を置く。
「正面から兵を出し、防衛隊を引きつける。内部へ潜り込ませた者が屋敷と工房を狙う。地下から塔へ入る部隊もいるかもしれん」
そのとき、机上の通信結晶が光った。
鉱山入口からの連絡だった。
『北側の旧排水坑で、新しい足跡を見つけた』
オットーの声が響く。
『少なくとも二十人。爆破用の荷を引きずった跡もある』
ヴォルフガングが低く息を吐く。
「地下も来たか」
「リンデさんへ連絡します」
アーデルハイトが、鉱山深部へつながる通信結晶へ手を伸ばした。
◇
警戒鐘が三度鳴った。
住民たちは、ヴォルフガングが仕官してから月に一度行っていた避難訓練どおりに動き始める。
子供と老人は、学校と診療所の地下避難室へ。
幼い子供のいる家族は、管理屋敷近くの共同倉庫へ。
井戸と食料庫には、防衛隊員が配置される。
避難時に持ち出す荷物は一つだけ。
家畜や家財を取りに戻ることは禁止。
通りの壁には、文字を読めない者にも分かるよう、色と絵で避難経路が示されていた。
「赤い札の道は使わないでください!」
アーデルハイトが広場の中央で声を上げる。
「青い矢印に従い、指定された避難場所へ進んでください! 家族とは避難所で合流できます!」
ヒルデガルトは、屋敷の使用人と女性職員を集めていた。
「避難者の名簿は入口と内部で別々に取ります。入った者、まだ来ていない者、確認へ向かった者を分けてください」
「はい!」
「子供だけで来た場合も、家族を探しに戻らせないこと。こちらで確認します」
そこへ、エルザが原本保管箱を抱えて戻ってきた。
「ゼバスティアンさんとの封印照合が終わりました。機密室へ運びます」
「私も同行します」
ヒルデガルトが答えた。
「屋敷内に侵入者がいる可能性があります」
直後、若いメイドが駆け込んできた。
「裏口の倉庫から、物音がします!」
「誰か入りましたか」
「分かりません。裏口も倉庫も鍵が掛かっているはずです」
ヒルデガルトは腰の内側に隠していた短剣を抜いた。
「エルザ、箱を持ったまま私の後ろへ」
二人は廊下を進む。
裏口に近い倉庫の扉は閉じていた。
だが、鍵穴の周囲には新しい傷がある。
ヒルデガルトが指を口元へ当てた。
中から、低い声が聞こえる。
「鍵結晶は見つかったか」
「まだだ。運搬員が床下を開けてある。機密室まで急げ」
欠勤した運搬員が、侵入口を準備した内通者だった。
ヒルデガルトは扉の脇へ立ち、エルザへ目で合図する。
エルザは原本箱を壁際の固定金具へ置いた。
箱の取っ手を金具へ通し、簡易封印具を作動させる。
無理に持ち上げれば、封印紙が破れて警報結晶が鳴る仕組みだった。
そのあと、廊下の呼び鈴を一度だけ鳴らす。
屋敷内への侵入を知らせる合図である。
倉庫の扉が内側から開いた。
灰色の服を着た男が顔を出す。
ヒルデガルトの短剣の柄が、男の顎を打った。
男は声も上げられず倒れる。
「何だ!」
二人目が剣を抜いた。
ヒルデガルトは扉を蹴り返し、その腕を扉と枠の間へ挟む。
剣が床へ落ちた。
三人目が小型の弩を構える。
エルザは近くの棚から金属盆を掴み、男の弩を持つ腕へ投げつけた。
盆が前腕へ当たり、射線が逸れる。
放たれた矢が壁へ突き刺さった。
ヒルデガルトが踏み込み、短剣の柄で男の手首を打つ。
弩が落ちた。
最初に倒れた男が起き上がろうとする。
エルザは掃除用の棒で足元を払い、再び床へ転ばせた。
「動かないでください!」
「小娘が!」
男がエルザの腕を掴もうとする。
その前に、ヒルデガルトが背後から首へ腕を回し、床へ押さえつけた。
「屋敷には女しかいないと聞かされましたか」
声は穏やかだった。
だが、男の首筋には短剣の刃が触れている。
「残念でしたね」
警備員たちが駆けつけ、三人を拘束した。
倉庫の奥からは、屋敷の見取り図、機密室の位置を記した紙、鍵結晶を外す器具が見つかる。
床板の一部を外すと、古い排水路へ続く穴が開いていた。
「運搬員が、荷を運ぶふりをして開けたのでしょう」
エルザが言った。
ヒルデガルトは警備員へ命じる。
「排水路の両側を封鎖してください。探索は二人一組。見つけた物には触れず、ゼバスティアン殿を呼ぶこと」
原本箱の封印が無事であることを確認し、二人は機密室へ急いだ。
◇
フェルミナ魔石工房では、グレーテルが全作業を停止させていた。
「結晶調整室を封鎖しろ!」
職人たちが厚い防火扉を閉める。
「未完成品も廃棄箱も持ち出すな! 外装棟は鉄板を下ろせ! 入口は一つだけ残す!」
工房には、大量の魔石と金属部品がある。
奪われれば武器へ転用される。
乱暴に扱われれば、火災や爆発を引き起こす。
「南の資材置き場から煙です!」
職人が駆け込んでくる。
「火を付けられたか」
グレーテルが舌打ちした。
「消火班を出せ! ただし半分は中へ残れ! 外へ誘い出されるな!」
工房の警告灯が赤く点滅する。
魔力蓄電塔からの供給は、緊急時の低出力へ切り替えられていた。
冷却倉庫や街路灯への供給を抑え、防衛結界、診療所、避難所、通信網へ魔力を優先する。
町の外縁に配置された結晶杭は、蓄電塔完成後、ヴォルフガングの提案で段階的に設置したものだった。
完全に町を囲う常設要塞ではない。
主要な侵入路だけを遮断し、防衛隊が集まるまで時間を稼ぐための結界である。
ヴィルヘルミーネは蓄電塔の制御室で、魔力配分を調整していた。
「西側結界、展開します」
魔力制御結晶へ手を置く。
通りの外縁に埋められた結晶杭が順に光り、森と町の間へ薄い光壁を立ち上げる。
「正面部隊が接触!」
「人数は?」
「七十ほどです。大型盾と組み立て式の破城具を持っています!」
破城具は、古い製材所へ事前に部品として持ち込まれていた。
そこで組み立て、森を抜けて運んできたのだ。
「西側へ六。北側へ二。残りは塔と通信網へ回します」
ヴィルヘルミーネは、魔力を細かく分けた。
以前の彼女なら、膨大な力を一度に流し、結界杭そのものを壊していたかもしれない。
今は違う。
必要な場所へ、必要な量だけ送る。
敵の破城具が光壁へぶつかり、鈍い音が響く。
結界は揺れたが、崩れなかった。
「持ちこたえられますか」
通信担当者が尋ねる。
「持ちこたえます」
ヴィルヘルミーネの額へ汗が浮かぶ。
「ここは、私を恐れず受け入れてくれた場所ですから」
◇
旧排水坑を進んでいた私兵たちは、蓄電塔の地下基礎へ近づいていた。
狭い坑道の先には、かつて排水を集めていた広い地下空洞がある。
「この空洞を抜ければ、塔の基礎だ」
先頭の兵士が地図を確認する。
「爆破魔石で制御線だけを切る。塔そのものは壊すな」
「地竜の噂は?」
「領民を近づけないための作り話だ」
暗闇の中で、金色の瞳が開いた。
「ここは、レオンの群れの巣」
空洞の中央に、銀灰色の髪を持つ少女が立っている。
「何者だ!」
「帰るなら、追わない」
ジークリンデは静かに告げた。
「それ以上進むなら、止める」
私兵の一人が剣を抜いた。
「子供一人で――」
地面が揺れた。
ジークリンデの身体が銀色の光へ包まれる。
空洞の広さに合わせた、翼を畳んだ地竜の姿へ変わった。
銀灰色の鱗。
岩盤を掴む爪。
太い尾。
完全な成竜の大きさではない。
それでも、坑道を塞ぐには十分だった。
「武器を捨てて戻れ」
声が岩壁を震わせる。
後方の兵士が爆破魔石へ手を伸ばした。
ジークリンデの尾が地面を打つ。
岩壁から石柱が飛び出し、兵士の腕の手前で止まった。
「次は、触れる」
私兵たちは武器を捨て、来た道を逃げ戻った。
ジークリンデは追わなかった。
落とされた爆破魔石は、爪で触れず、周囲の岩を動かして一つずつ包み込む。
さらに地脈から流れ込む魔力を遮断し、厚い岩の殻へ封じた。
『リンデ、地下部隊は?』
通信結晶からオットーの声が聞こえる。
「逃げた」
『塔の下へ来そうか』
「来させない」
ジークリンデは、地面へ爪を置いた。
地脈を流れる魔力の振動を探る。
塔の東側。
本来なら閉じているはずの保守用通路付近に、不自然に強い魔力がある。
「別の人がいる」
『どこだ』
「塔の東。とても強い」
◇
町の西側では、ヴォルフガングが防衛隊を指揮していた。
「弓隊、まだ射るな!」
若い兵士が振り返る。
「敵は目の前です!」
「味方の矢も結界に阻まれる。射撃口を開けば、その場所だけ結界が薄くなる」
ヴォルフガングは敵の動きを見た。
「門前へ誘導してから撃て。今は結界へ近づかせるな」
防衛隊は、農民、鉱夫、元冒険者から組織されたばかりだ。
訓練は重ねている。
だが、本物の軍勢を相手にするのは初めてだった。
「盾隊、薄くなった場所だけ補え!」
副隊長が結晶盾を持つ兵士たちを率いる。
攻撃魔法が光壁へ衝突する。
結界の一部が揺らぎ、兵士たちが内側から盾を重ねた。
「左から十人、森へ回っています!」
「第二班を出せ。ただし深追いさせるな」
「正面を破るつもりではないのですか」
「破れるなら破るつもりだろう」
ヴォルフガングは、敵の配置を見渡した。
「だが、本命ではない。正面へ音と兵を集め、別の場所を通すつもりだ」
そのとき、北側から通信が入った。
『地下部隊、後退! 蓄電塔東側で強力な魔力反応!』
ヴォルフガングの表情が変わる。
「塔の警備隊へ増援を送れ!」
「正面は?」
「ここは俺が指揮する。敵を町へ入れるな」
◇
管理屋敷では、ゼバスティアンが捕らえた侵入者の所持品を調べていた。
短剣。
弩。
屋敷の見取り図。
鍵結晶を外す道具。
ラウナー商会の倉庫札。
そして、私兵用の装備番号が刻まれた金属片。
黒い山と、翼を広げる鷲。
正式な家紋ではない。
シュヴァルツベルク侯爵家が表向き所有していない護衛部隊へ、武器や防具を支給する際に使う管理印だった。
「この印を、なぜご存じなのですか」
アーデルハイトが尋ねる。
「王都の伯爵家へ仕えていた頃、シュヴァルツベルク家と取引する軍需商会の納品書を扱ったことがございます」
ゼバスティアンは金属片へ触れずに答えた。
「家紋を使えない物資へ、この管理印を付けておりました」
「敵がわざわざ証拠を持ってきたわけではないのですね」
「侵入者の短剣の鞘へ、支給管理用として刻まれていたものです。消す必要があるとは考えなかったのでしょう」
「保全してください」
「立会人二名のもとで封印いたします」
ゼバスティアンは見取り図を広げた。
工房。
管理屋敷。
魔力蓄電塔。
三か所に印が付いている。
「敵の目的は、記録の奪取、技術者の確保、塔の中核制御結晶の強奪です」
「町ごと壊すつもりではない?」
「当初は、その予定ではなかったでしょう」
そのとき、通信結晶から激しい雑音が響いた。
『塔の東側保守通路が開いています!』
警備兵の声。
『内側の鍵結晶が上書きされています!』
続いて、聞き慣れない男の声が流れた。
『やはり、美しい装置だ』
低く、落ち着いた声だった。
『これほどの魔力を蓄えながら、街灯と冷却箱へ使うとは』
「誰です!」
ヴィルヘルミーネの声が重なる。
『ヴォルフラム』
男は笑った。
『シュヴァルツベルク侯爵閣下に仕える魔術師だ』
その名乗りには、隠す必要などないという傲慢さがあった。
塔を制圧し、証拠も証人も残さず撤収できると考えているのだ。
◇
魔力蓄電塔の東側保守通路。
本来は二重の鍵結晶と警備結界で閉じられている。
だが、欠勤した運搬員が保守担当者から鍵の起動順序を盗み見ていた。
その情報を使い、ヴォルフラムが遠隔術式で外側の結界を一時停止させたのである。
正面部隊と地下部隊へ注意が向いた隙に、彼は飛行魔法で東側の崖へ降り、保守通路から塔へ侵入した。
制御室前には、黒い外套をまとった男が立っていた。
細身の杖。
銀色の髪。
周囲には、塔の警備兵が倒れている。
全員、生きていた。
黒い魔力の鎖で手足を拘束され、動けないだけだ。
コンラートから、技術者と塔の管理者は可能な限り生かして捕らえろと命じられていたからである。
ヴィルヘルミーネは制御室の内側にいた。
扉を閉じたまま、倒れた警備兵の状態と外部制御盤を確認する。
ヴォルフラムは、制御室前にある主遮断盤へ杖を向けていた。
そこを奪われれば、塔の中核と町の供給網が完全に接続されたまま固定される。
ヴィルヘルミーネは扉を閉じたままでは止められないと判断し、防護結界を展開して外へ出た。
「主遮断盤から離れなさい」
ヴォルフラムは彼女を見て、薄く笑った。
「災厄令嬢が、随分と器用に魔力を扱うようになったものだ」
「その呼び方を、誰から聞きました」
「王都では有名だった」
ヴォルフラムは塔の中核を見上げる。
「魔力制御結晶か。レオンハルトの技術は、やはり危険だ」
「人を救う技術です」
「だから危険なのだ」
「何を言っているのですか」
「膨大な魔力を持つ者を、誰でも安全に扱えるようにする。価値のない鉱石を、誰でも使える魔石へ変える。貴族と商会が独占してきた力を、平民へ渡す」
ヴォルフラムは杖の先を主遮断盤へ向けた。
「そんなものが広がれば、秩序が壊れる」
「壊れるのは、あなた方の利益でしょう」
ヴィルヘルミーネの周囲へ、青白い結晶が浮かぶ。
「塔から離れてください」
「断る」
ヴォルフラムが杖で床を突いた。
黒い魔法陣が、主遮断盤と塔の中核へ広がる。
遮断結晶の制御式が、外側から上書きされた。
町への供給弁を閉じようとしても、塔側から魔力が押し戻される。
「何をするつもりですか!」
「塔を暴走寸前まで追い込む」
ヴォルフラムは答えた。
「お前たちには扱えないと証明し、制御を失ったところで中核結晶を切り離す。侯爵閣下が管理すれば、この塔は正しく使われる」
「失敗すれば、町が吹き飛びます」
「私が失敗すると?」
ヴォルフラムは笑う。
彼は、自分なら限界直前で塔を制御できると信じていた。
その自信こそが、最大の危険だった。
警告灯が赤く染まる。
制御盤の針が上昇した。
「止めます」
ヴィルヘルミーネが結界を放つ。
ヴォルフラムの黒い雷が迎え撃った。
青白い壁と黒い雷が衝突する。
結界表面に亀裂が走り、ヴィルヘルミーネの身体が後ろへ滑った。
靴底が床へ長い跡を残す。
右腕が痺れる。
それでも、結界は消えなかった。
「この塔は渡しません」
「ならば、壊れるまで抱えていろ」
ヴォルフラムが魔法陣へさらに力を流した。
塔の中を巡る魔力が逆流を始める。
制御盤の一部が砕けた。
町へつながる主線が閉じない。
街路灯が一斉に明滅する。
冷却倉庫の結晶が唸る。
防衛結界が大きく揺らいだ。
◇
管理屋敷の通信室へ、各所から報告が重なる。
「西側結界、出力低下!」
「冷却倉庫の供給を停止します!」
「診療所と避難所の照明だけ残してください!」
「工房は、すべての結晶設備を停止!」
「旧排水坑はリンデさんが封鎖!」
アーデルハイトは、一つずつ優先順位を決めた。
「避難所と診療所を最優先。倉庫の食料は失っても、人命を守ります」
「塔との主線を切れません!」
「物理遮断は?」
「主弁を閉じても、上書きされた遮断結晶が押し戻しています!」
「では、各施設側で個別に切ってください」
アーデルハイトは迷わなかった。
「工房、倉庫、街路灯の順に停止。診療所と避難所だけを残します」
ゼバスティアンが移動予定表を確認していた。
レオンハルトとクラウスは、王都へ向かう途中、昼前に第一中継宿へ到着する予定だった。
襲撃側は二人が十分遠くへ進んだと考えていた。
だが、軍務院の護衛との合流が遅れ、出発は予定より半日遅れている。
「レオンハルト様は、まだ第一中継宿へ着く前です」
「連絡できますか」
「街道監視所から、先回りできます」
ゼバスティアンは通信担当者へ命じる。
「第一中継宿と手前の二つの監視所へ緊急通信。街道を走る軍務院護衛付きの馬車を止め、襲撃と塔の異常を伝えてください」
「はい!」
「帰還には?」
「高速馬へ乗り換えれば、日没前には領境へ戻れます」
通常の馬車なら一日以上掛かる。
だが、軍務院の護衛が使う交代馬と、街道沿いの中継所を使えば大幅に短縮できる。
それでも、塔が持つかは分からない。
「暴走まで、どれほどですか」
アーデルハイトが通信結晶へ尋ねる。
『このままなら、二刻ほどです』
ヴィルヘルミーネの苦しそうな声が返る。
『町側の供給を切れば、もう少し延ばせます』
「一刻でも延ばしてください」
『やります』
窓の外で、塔から赤い光が立ち上がった。
空間が割れたのではない。
過剰な魔力が、稲妻のような筋となって空へ走っている。
その光が、雲を赤く染めた。
◇
第一中継宿へ続く街道。
レオンハルトたちの馬車は、監視所の騎士によって止められた。
「ローゼンフェルト領から、緊急通信です!」
レオンハルトが馬車から降りる。
「何が起きました」
「武装集団が領地へ侵入。工房、管理屋敷、魔力蓄電塔が襲撃されています」
クラウスの表情が変わる。
「被害は?」
「住民は避難中。正面部隊はヴォルフガング殿が防いでいます。ですが、上級魔術師が塔へ侵入し、暴走させようとしています」
「塔が?」
レオンハルトの顔から血の気が引いた。
「残り時間は?」
「最後の通信では、二刻ほどと」
王都へ同行する予定だったローゼンフェルト家の法務官が、すぐに言った。
「審問より領地が先です。私は調査記録の写しを持って王都へ向かいます」
「しかし、証言は」
「予備審問の延期を申請します。襲撃そのものが新たな証拠になります」
クラウスは、街道監視所の高速馬を見た。
「レオンハルト様。戻ります」
「はい」
「私も同行します」
「当然です」
クラウスは一瞬だけ目を見開き、すぐに頷いた。
軍務院の護衛騎士も二人が馬へ乗る準備を始めた。
「我々も領境まで同行します」
「ありがとうございます」
レオンハルトは鞍へ跨がった。
王都へ向かうために整えた衣服も、持ってきた書類も、そのままだった。
だが、迷いはない。
馬が街道を蹴る。
クラウスが隣を走る。
「間に合います」
クラウスが言った。
根拠のある言葉ではない。
それでも、レオンハルトは頷いた。
「必ず間に合わせます」
◇
町では、魔力蓄電塔の警告鐘が鳴り響いていた。
一度。
二度。
三度。
限界が近いことを知らせる音。
工房では、グレーテルが最後の防火扉を閉じる。
屋敷では、ヒルデガルトとエルザが侵入者と原本を守る。
地下では、ジークリンデが塔の基礎へ流れ込む余剰魔力を地脈へ逃がしている。
西側では、ヴォルフガングが私兵を町の外へ押し留めていた。
制御室前では、ヴィルヘルミーネがひび割れた結界を維持している。
レオンハルトはいない。
それでも、彼が作った仲間と仕組みは、まだ崩れていなかった。
ヴォルフラムが主遮断盤へ手を向ける。
「見せてみろ」
黒い術式が、塔の中核へ食い込んだ。
「レオンハルトの理想が、どれほど脆いものか」
塔の頂部から、赤い魔力光が空へ噴き上がる。
制御盤の針が、限界線へ近づいた。
残された時間は、僅かだった。
お読みいただきありがとうございます。
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