第31話 偽物の高純度魔石
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
最終日(7/26) は6話投稿で1話目です。
フェルミナ魔石工房が正式に動き始めてから、三か月が過ぎた。
第二期工事へ着手できるほどの資金は、まだ貯まっていない。
それでも、第一期工房の生産は着実に安定していた。
照明結晶部門では、規格に沿った魔力灯が毎週決まった数だけ作られている。
冷却・暖房結晶部門では、冷却箱の外装部品を共通化し、破損した金具だけを交換できるようになった。
医療・浄水結晶部門は、清浄棟が完成するまで旧工房の一角を使用している。
通信結晶と魔力制御結晶は、管理屋敷の機密室で少数ずつ製造されていた。
どの製品にも、固有の製造番号が刻まれている。
材料の入荷日。
鉱石を選別した者。
結晶を調整した者。
外装を作った職人。
組み立てを担当した者。
完成品を検査した者。
不具合が起きた場合、材料の入荷から出荷まで、どの工程へ遡ればよいのか分かるようになっていた。
「第百二十二号、点灯時間は基準を満たしています」
エルザが検査表を確認する。
「発熱も許容範囲内です」
記録助手の一人が、隣で数値を書き込んだ。
「次は輸送振動試験です」
木箱へ収めた魔力灯を、振り子式の台へ固定する。
一定の幅と速さで台を揺らし、荷馬車で運ぶ際の振動を再現する装置だった。
以前は、完成した製品をそのまま商人へ渡していた。
今では、作業場で正常に動くだけでは合格にならない。
運搬中に壊れないか。
使用中に金具が緩まないか。
温度が変わっても、結晶と外装が歪まないか。
実際に使われる状況まで想定して試験している。
「異音なし」
「固定金具にも緩みはありません」
「合格札を付けてください」
見習い職人が、ほっとしたように息を吐いた。
その様子を見ていたレオンハルトは、小さく頷いた。
一つの製品が完成するまでには、何人もの手が関わる。
自分が核となる結晶を作っただけでは、製品の半分にも届かない。
「レオン」
工房の入口から、アーデルハイトが呼んだ。
その手には、赤い封蝋が押された書状がある。
「ベルクシュタイン伯爵家からです」
工房内の空気が、僅かに変わった。
レオンハルトは、書状の封蝋を見つめた。
山と槌を組み合わせた家紋。
生まれ育った屋敷で、数え切れないほど目にした印だった。
それでも今は、遠い土地の家紋のように感じられる。
「父からですか」
「差出人は、ゲルハルト・フォン・ベルクシュタイン伯爵です」
アーデルハイトの声は平静だった。
「ただし、正式な取引の申し込みではありません」
「命令書ですか」
「法的な強制力を持つ命令ではありません」
アーデルハイトは書状へ目を落とした。
「ですが、ゲルハルト伯爵は、伯爵家当主としてレオンへ命令できるつもりで書いています」
◇
その書状が廃鉱山の村へ届く、十日ほど前。
ベルクシュタイン伯爵家では、王国軍へ納める魔石の不足が深刻になっていた。
崩落した主坑道は、今も使えない。
周辺の小規模鉱脈から採れる魔石は、以前より質が悪く、量も少ない。
それでも、王国軍との納品契約は残っている。
結界装置の動力石。
夜間警備用の照明魔石。
野営地で使う加熱魔石。
攻撃用魔道具や魔導砲に組み込む高出力魔石。
納期は待ってくれない。
鉱山の資産価値は落ちた。
商会からの信用も揺らいでいる。
王都の社交界では、主力鉱山を失った伯爵家として噂され始めていた。
ゲルハルトは執務室で、今月と翌月の納品予定表を睨んでいた。
「今月分だけではない」
机の前に立つ鉱山長ブルクハルトへ、低い声を向ける。
「翌月分も、半分以上足りない」
「新坑道を掘っております」
「いつ採れる」
「早くても二月後かと」
「それでは契約に間に合わん」
ゲルハルトは予定表を机へ叩きつけた。
「低純度鉱石なら、倉庫に残っております」
ブルクハルトが言った。
「だが、軍の高純度規格には届かない」
「それを使えるようにするのが錬金術師の仕事だろう」
部屋の隅にいたディートリヒが、苛立ったように口を開いた。
「父上。何度言われても、粗悪な石から本物の高純度魔石は作れません」
「以前は作れていた」
「兄上の話ですか」
ディートリヒの声が低くなる。
「違う。お前が作った高威力爆発魔石の中核だ」
「あれは私の技術です」
「なら、もう一度作れ」
ゲルハルトの目は、息子ではなく、伯爵家の後継者を見るものだった。
「王国軍への契約を破れば、伯爵家の信用は終わる」
「終わらせません」
ディートリヒは答えた。
「本物の高純度魔石が足りないなら、高純度品として検査を通る魔石を用意すればよいのです」
ブルクハルトが顔を上げる。
「検査を通る、とは?」
ディートリヒは机へ、濁った赤色の魔石を置いた。
低純度の火属性魔石。
内部には黒い不純物が多く、細かな亀裂も走っている。
「このままでは、誰が見ても粗悪品です」
次に、小瓶へ入った赤い液体を取り出した。
「ですが、高純度の火属性魔石は、色が濃く均一であるほど上質だと見なされます」
「着色するのか」
「表面を塗るだけでは見抜かれます」
ディートリヒは魔石の細かな亀裂へ、赤い液体を染み込ませた。
液体には、色だけでなく、短時間だけ魔力の流れを表層へ集める薬剤が混ぜられている。
複数の低純度魔石から抽出した魔力を、表面近くへ偏らせるためのものだった。
「内部全体を高純度化することはできません」
ディートリヒが説明する。
「ですが、検査時だけ表層へ魔力を集中させれば、最初の出力は高純度品に近づきます」
「持続しないのか」
「長く使えば、内部の不純物が流れを乱します」
着色液を染み込ませたあと、透明な錬金膜で表面を覆う。
錬金膜には、亀裂を見えにくくするだけでなく、検査開始直後の魔力放出を一時的に増幅する性質があった。
濁っていた魔石は、表面だけなら鮮やかな赤色に変わる。
遠目には、高純度の火属性魔石に見えた。
「軍の検査官は、内部を見ないのか」
ゲルハルトが尋ねる。
「本来は、抜き取った品へ長時間負荷試験を行います」
ディートリヒが答えた。
「しかし今回は、緊急補充品として扱われます」
「なぜだ」
「シュヴァルツベルク侯爵家の商人が、補給担当者へ話を通しています」
王国軍では、信頼ある鉱山から継続して仕入れている品について、簡易検査へ切り替える制度があった。
過去の納品実績があり、戦時や魔物被害などで補充を急ぐ場合に限り、色、重量、初期出力を確認して受け入れる。
本来なら、納入ロットの一部を後日詳しく調べる規則もある。
だが、その追加検査を担当する部署には、シュヴァルツベルク侯爵家の影響を受ける役人がいた。
「侯爵は、納期を守ることが最優先だと」
「安全については何と言っている」
「問題が出る前に、次の品へ切り替えればよいと」
ブルクハルトの顔色が変わった。
「それでは、故障が起きると分かって納めることになります」
「すべてが壊れるわけではない」
ディートリヒは冷たく答えた。
「低純度品でも、内部の亀裂が少ないものを選べば、一定時間は使えます」
「選別は誰がする」
「鉱山側です」
ブルクハルトの表情が固まった。
「採掘記録には、上等級として記載してください」
「実際の等級と違います」
「だから、記録を書き換えるのです」
「作業員が気づきます」
「着色前の石を見た者には、試験用魔石だと説明してください。口外した者は、契約違反として解雇する」
ブルクハルトは何も答えなかった。
かつて、鉱山崩落事故の記録を書き換えた。
レオンハルトの警告をなかったことにした。
鉱夫たちへ口を閉ざさせた。
今回も、同じだった。
違うのは、危険へさらされる相手が鉱夫から王国軍の兵士へ変わっただけだ。
「今月分は、これで揃えられます」
ディートリヒが言った。
「ですが、翌月分までは足りません」
「では、どうする」
「兄上にも作らせます」
ゲルハルトの眉が動いた。
「レオンハルトへ?」
「兄上の魔石を一部混ぜれば、不具合の割合を下げられます。それに、兄上から安く仕入れられれば利益も残る」
「従うと思うのか」
「父上が命じれば」
ディートリヒは当然のように答えた。
「兄上は今でも、父上に認められたがっているはずです」
ゲルハルトは黙った。
それは、彼自身もどこかで信じていたことだった。
廃嫡した。
価値のない土地へ送った。
それでも、父である自分が命じれば、レオンハルトは従う。
「書状を出せ」
ゲルハルトは言った。
「今月の不足分と翌月分を合わせ、月百二十個。価格は通常の三分の一だ」
「三分の一では、向こうが受けない可能性があります」
ブルクハルトが言う。
「受けさせる」
「レオンハルト様は、すでに伯爵家の継承権を――」
「私の息子であることに変わりはない」
ゲルハルトは強く言った。
「作れ」
その命令が、偽魔石と供給要求の両方を動かした。
◇
偽の高純度魔石は、表向きにはベルクシュタイン伯爵家の正規品として整えられた。
ブルクハルトは、低純度鉱石の採掘台帳を書き換えた。
下等級と記されていた石を、上等級の予備鉱脈から採掘したことにする。
着色と錬金膜の作業は、ディートリヒが選んだ錬金術師三人だけに行わせた。
作業場への立ち入りは禁止。
原料の受け渡しも、記録上は「表面保護加工」とされた。
加工後の魔石には新しい番号が刻まれ、元の採掘番号との対応表は別の帳簿へ隠された。
「この帳簿は、鉱山事務所へ置くな」
ディートリヒがブルクハルトへ命じる。
「では、どこへ」
「父上の書庫へ入れます。通常の検査官には見せない」
ブルクハルトは、改竄された納品台帳へ署名した。
その手が僅かに震えている。
「今さら良心が痛むのですか」
ディートリヒが笑った。
「鉱山事故のときには、平然と兄上の名を書いたでしょう」
ブルクハルトは答えなかった。
彼の署名によって、偽魔石は正規の高純度品として出荷された。
◇
王国軍の補給所では、緊急納品用の簡易検査が行われた。
色。
重量。
表面の亀裂。
初期出力。
検査官は、無作為に選んだ数個を測定具へ載せる。
着色された表面は濃く均一だった。
透明な錬金膜によって、細かな亀裂も見えにくい。
魔力を流した直後だけは、表層へ集められた力が放出され、規格値を僅かに上回った。
「以前のベルクシュタイン産より、出力の落ち方が早いようだが」
一人の検査官が言った。
「緊急補充品ですので、採掘場所が異なります」
シュヴァルツベルク侯爵家とつながる商会の男が答える。
「初期基準は満たしております」
「長時間試験は?」
「後日、補給本部で行う予定です」
別の役人が口を挟んだ。
「前線から催促が来ている。今は受け入れを優先しろ」
その役人は、コンラートから金を受け取っていた。
詳しい検査へ回す予定だった抜き取り品も、後回しを示す札を付けられ、倉庫の奥へ移された。
魔石には合格印が押される。
だが、受け入れ台帳に記されたのは、納入元と数量だけだった。
個々の製造番号や加工番号は、装置側の記録へ統一して引き継がれない。
補給所ごとに帳簿の形式も違っていた。
そのため、別々の部隊で故障が起きても、同じ納入ロットが原因だとすぐには分からない仕組みになっていた。
◇
最初に異常が起きたのは、小型の加熱魔道具だった。
野営地で湯を沸かすための装置。
起動直後は、問題なく熱を発した。
だが、しばらくすると出力が急に低下する。
兵士が魔力を流し直した瞬間、魔石の内部にあった亀裂が広がった。
外殻が割れ、赤い粉と小さな破片が噴き出す。
「止めろ!」
炎は大きく広がらなかった。
近くにいた兵士が腕へ軽い火傷を負っただけだった。
軍医は、破片から妙な刺激臭がすることへ気づいた。
「普通の火属性魔石ではない匂いだ」
破片と赤い粉は小瓶へ入れられ、補給所へ戻されることになった。
だが、報告書には「加熱魔道具の過負荷による破損」と記された。
二件目は、夜間警備用の照明魔道具だった。
光が点滅し、最後には完全に消えた。
同じ部隊で使っていた古い照明具にも接触不良があったため、装置側の劣化と判断された。
三件目は、結界杭。
野営地を囲む杭の一つが、夜半に停止した。
その型の結界杭は古く、以前にも接触部品の故障例があった。
兵士たちは、今回も杭そのものの不調だと考えた。
結界の薄くなった場所から狼型の魔物が入り込み、二人が負傷した。
事故の重さから、調査報告は作られた。
しかし、加熱具、照明具、結界杭では担当部署が違う。
補給所も部隊も異なっていた。
共通するのがベルクシュタイン産の魔石だと気づく者はいない。
さらに、コンラートの息が掛かった役人は、報告を一つにまとめず、各装置の不具合として別々に処理した。
「魔道具職人の組み立てが悪かったのではないか」
「兵士が出力を上げすぎたのだろう」
「雨へ濡らした可能性もある」
責任は、現場へ向けられた。
回収された破片。
赤い着色粉。
剥がれた透明な錬金膜。
初期出力だけが高く、その後急落した測定記録。
後に事故原因を明らかにする手掛かりは、すでに残り始めていた。
◇
管理屋敷の会議室で、アーデルハイトがゲルハルトの書状を読み上げた。
「ベルクシュタイン伯爵家は、王国軍への納品義務を果たすため、レオンハルト・フォン・ベルクシュタインに高純度魔石の供出を求める」
「供出?」
グレーテルの眉が上がった。
「売買という言葉すら使っていないのか」
「価格は、現在フェルミナ魔石工房が同等出力品へ設定している正式価格の三分の一」
フェルミナ魔石工房の高純度魔石には、一般市場で完全に同じ品が存在しない。
そのため、原料費、人件費、検査費、設備維持費、適正な利益を積み上げ、同程度の出力を持つ既存魔石の相場と比較して価格を決めていた。
「必要数は月百二十個。初回分は二十日以内に納めるよう求めています」
「無理です」
レオンハルトは即答した。
「作れないのか」
ヴォルフガングが尋ねる。
「作ることだけなら、不可能ではありません」
レオンハルトは書状を見つめた。
「ですが、今の生産量では、魔力灯や浄水装置へ使う結晶を止めなければなりません」
「領内向けの品を止めて、伯爵家へ回せということですね」
ヴィルヘルミーネが言った。
「価格も原料費と人件費を下回っています」
アーデルハイトが帳簿を開いた。
「この条件で作れば、検査費を削っても赤字です」
「検査費を削ることはありません」
エルザが反射的に言う。
全員の視線が集まり、彼女は少し慌てた。
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません」
レオンハルトが答えた。
「削らないのは、そのとおりです」
そのとき、ゼバスティアンが別の書状を机へ置いた。
「今朝、ローゼンフェルト子爵家から届いた報告でございます」
「何の報告ですか」
「王国軍で、ベルクシュタイン産魔石を使った魔道具の故障が続いているとの噂です」
正式な軍報ではない。
フリードリヒ子爵と取引のある商人が、複数の補給所で故障品を見たと伝えてきたものだった。
加熱魔道具の破損。
照明具の停止。
結界杭の不調。
さらに、旧ベルクシュタイン鉱山で働いていた鉱夫からは、現在採れているのは低純度鉱石ばかりだという話も届いている。
「低純度鉱石しか採れないのに、高純度品を軍へ納めている」
アーデルハイトが言った。
「そのうえ、こちらへ異常な安値と短納期で大量供給を求めている」
「何かを隠している可能性があります」
ヴィルヘルミーネが言う。
「まだ証拠はありません」
レオンハルトは答えた。
「ですが、安全でない魔石を正規品として扱っている可能性は考えるべきです」
「だからこそ、条件なしでは供給できないな」
ヴォルフガングが言った。
レオンハルトは父の書状へ視線を戻した。
法的には、従う義務はない。
廃鉱山と村はローゼンフェルト子爵家の領内にあり、フェルミナ魔石工房の契約権限もアーデルハイトとフリードリヒ子爵が持っている。
ゲルハルトは、廃嫡した息子へ昔の関係を使って命じようとしているだけだった。
それでも、家紋の押された書状を見ると、胸の奥に昔の感覚が蘇る。
父へ逆らってはならない。
認めてもらわなければならない。
役に立つと証明しなければならない。
「レオン」
アーデルハイトが静かに呼んだ。
「あなたは、どうしたいのですか」
「断ります」
答えは、思ったより早く出た。
「父だから断るのではありません。取引条件として受けられません」
「では、ローゼンフェルト子爵家名義で返書を作ります」
アーデルハイトが頷く。
「ただ拒否するだけではなく、正式な条件を示します」
レオンハルトは書状を机へ置いた。
「供給は、命令や供出ではなく、正式な売買契約であること」
「はい」
「価格は、原料費、人件費、検査費、設備費を含む正式価格を基準にすること」
「用途と必要出力も開示させます」
「はい。組み込む魔道具の構造も確認します」
ヴォルフガングがレオンハルトを見る。
「軍向けの魔石を作るのか」
「人間への攻撃を主目的とする魔道具には供給しません」
「魔物討伐用は?」
「討伐対象と必要性を確認します。結界、照明、輸送、救護、信号、避難路の確保に使うものは検討します」
「城壁防衛用の攻撃装置は?」
「一律には決めません。人間同士の戦争へ使う可能性が高い場合は断ります」
「境界は難しいぞ」
「だから、用途を開示してもらいます」
レオンハルトの声は揺れなかった。
「安全検査には、王国軍か中立の検査官が立ち会うこと」
アーデルハイトが書き留める。
「契約主体はローゼンフェルト子爵家とします。お父様の承認も得ます」
「供給量は、既存契約と領内需要を損なわない範囲です」
「血縁を理由とする減額や、無償供出には応じない」
ゼバスティアンが文言を整えた。
「それでお願いします」
◇
返書は三度書き直された。
最初の文面は、レオンハルトが感情を抑えすぎ、拒絶だけが強く見えた。
二度目は、アーデルハイトが条件を細かく入れすぎ、外交書簡というより契約書になった。
三度目に、ゼバスティアンが文章を整えた。
返書には、フリードリヒ子爵の承認を示す副署も加えられた。
ベルクシュタイン伯爵家当主、ゲルハルト・フォン・ベルクシュタイン閣下。
高純度魔石供給の要請について、ローゼンフェルト子爵家およびフェルミナ魔石工房は、以下の条件を提示する。
供給は命令または供出ではなく、正式な売買契約として行う。
価格は原料費、人件費、検査費、設備維持費、輸送費を含む正式価格を基準とする。
用途、必要出力、使用魔道具の構造を事前に開示する。
王国軍または双方が認める中立の検査官による安全確認を行う。
供給量は、既存契約と領内需要を損なわない範囲とする。
人間への攻撃を主目的とする魔道具への供給は行わない。
血縁を理由とする減額、無償供出には応じない。
条件を受け入れる場合、改めて正式な担当者を通じて協議する。
エルザは、返書の写しと受領記録を残すため、記録係として同席していた。
「強すぎませんか」
彼女が心配そうに尋ねる。
「事実です」
アーデルハイトが答えた。
「でも、お父様なのですよね」
エルザはレオンハルトを見る。
「はい」
「怒られるかもしれません」
「そうでしょうね」
「怖くありませんか」
レオンハルトは、すぐには答えられなかった。
怖くないと言えば、嘘になる。
父に見放されたこと。
廃嫡されたこと。
崩落事故の責任を負わされたこと。
その記憶は、今も消えていない。
「怖いです」
レオンハルトは正直に答えた。
「ですが、ここで父の要求へ従えば、工房の人たちへ無理をさせます」
材料費を削る。
検査時間を減らす。
領内向け製品を止める。
安い価格で大量に納めるには、どこかへ負担を押しつけるしかない。
「以前の私なら、自分が眠らずに作ればよいと思ったかもしれません」
ヒルデガルトが、じっとレオンハルトを見る。
「今は違うのですね」
「はい」
レオンハルトは返書へ署名した。
「これは、私一人の工房ではありませんから」
◇
返書がベルクシュタイン伯爵家へ届いたのは、十日後だった。
書状を受け取った書記官は、差出人、受領日、封蝋の状態を受領簿へ記録した。
そのうえで、ゲルハルトの執務室へ届ける。
ゲルハルトは、文面を最後まで読んだ。
その顔から、次第に表情が消えていく。
「正式価格だと?」
紙を握る手へ力が入る。
「安全検査。用途の開示。供給量は向こうが決める。人間への攻撃用には供給しない」
ディートリヒが横から返書を覗き込む。
「兄上は、自分を何だと思っているのでしょう」
「私の要求を、取引条件へ変えた」
「廃嫡された分際で」
「廃嫡したのは父上です」
ディートリヒの一言に、ゲルハルトの視線が鋭くなった。
「何が言いたい」
「兄上に家族として従わせたいなら、廃嫡しなければよかったということです」
部屋の空気が冷える。
ディートリヒは、僅かに笑った。
「ですが、もう必要ありません」
「何がだ」
「今月分は納品できています」
「翌月分が足りない」
「加工数を増やします」
「不具合の報告が来ている」
「現場の扱いが悪いのです」
「結界装置まで停止したそうだ」
「古い型の杭です。取り付けた職人を調べればよいでしょう」
ディートリヒは平然としている。
「兄上の魔石を買えば、伯爵家の利益は消えます。安全検査へ応じれば、こちらの魔石と比較される」
ゲルハルトは黙った。
レオンハルトの魔石。
ディートリヒが高純度品として納めた魔石。
同じ条件で並べられれば、差が明らかになる可能性がある。
「父上」
ディートリヒが声を低くした。
「今さら兄上へ頭を下げるのですか」
その言葉は、ゲルハルトの最も触れられたくない部分を正確に刺した。
廃嫡した息子。
価値がないと切り捨てた技術。
貧しい村へ追いやった少年。
その相手へ正式価格を払い、安全検査を受け、供給量まで決められる。
「必要ない」
ゲルハルトは返書を机へ投げた。
「レオンハルトの魔石など、必要ない」
「そのとおりです」
ディートリヒは満足そうに答えた。
「私が伯爵家を立て直します」
机の端には、王国軍から届いた追加の不具合報告書が置かれていた。
前の報告とは別の部隊で、同じ納入時期の魔石が壊れたという内容だった。
封は、まだ切られていない。
コンラートの商人からは、その日の朝、新たな融資の提案も届いていた。
不足分の魔石を用意する代わりに、ベルクシュタイン領の鉱山権を担保へ入れる契約。
コンラートが求めているのは、伯爵家の再建ではない。
不正と借金から逃れられなくしたうえで、鉱山と流通権を奪うことだった。
だが、ゲルハルトはまだ、その意図へ目を向けようとしなかった。
◇
その夜。
レオンハルトは、管理屋敷の工房記録室にいた。
棚には、製造番号ごとに整理された帳面が並んでいる。
合格品。
不合格品。
再加工品。
廃棄品。
どれにも、その判断理由が記録されていた。
机の上には、父へ送った返書の写しと、王国軍で故障が続いているという商人の報告がある。
「眠れませんか」
アーデルハイトが入ってきた。
「少しだけ」
「返書を後悔していますか」
「いいえ」
レオンハルトは首を振った。
「ただ、父が条件を受け入れるとは思えません」
「私も思いません」
「はっきり言いますね」
「期待を持たせるよりよいでしょう」
アーデルハイトは、父の要求書と、壁一面の品質記録を見比べた。
「三分の一の価格で、通常以上の数を二十日以内に作る」
「はい」
「それが可能だと言うなら、材料、人件費、検査のどこかを削るしかありません」
「あるいは、本物ではないものを納めるか」
レオンハルトは静かに言った。
「証拠はありません」
「分かっています」
「だから、家族だから疑うのではなく、記録と現物で確かめる必要があります」
レオンハルトは頷いた。
感情で決めない。
同じ条件で比べる。
不具合を工程まで遡る。
破片を調べる。
出力の変化を記録する。
それは、フェルミナ魔石工房で学んだ方法だった。
窓の外では、工房の夜間灯が静かに光っている。
その光を支える魔石に、見た目だけの美しさは必要ない。
内部に何が含まれているか。
どれだけ安定して力を流せるか。
使う者を危険へさらさないか。
価値を決めるのは、表面の色ではなかった。
一方、遠く離れた王国軍の倉庫では、鮮やかな赤色へ染められた魔石が、次の出荷を待っていた。
回収された破片の小瓶も、未整理の報告書とともに棚へ置かれている。
赤い着色粉。
剥がれかけた錬金膜。
黒い不純物。
内部へ広がる細かな亀裂。
王国軍の側では、まだ誰も、それらを一つの原因として確かめてはいなかった。
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