第27話 通信結晶
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
6日目(7/25)2話目です。
ヴィルヘルミーネが管理屋敷で暮らし始めてから、十日ほどが過ぎた。
胸元の魔力制御結晶は、今のところ安定している。
朝、昼、夕方、就寝前。
エルザが結晶の色と魔力の漏出量を記録し、公爵家付き治癒術師のマルタが脈拍や体温、装具が触れる皮膚の状態を確認する。
異常がなければ、ヴィルヘルミーネ自身も記録へ署名した。
最初の数日は、観察されるたびに身体を調べられているようで落ち着かなかったらしい。
だが今では、自分から小さな変化を伝えるようになっていた。
「朝食のあと、中央結晶の色が少し濃くなりました」
「どのくらい続きましたか」
エルザが尋ねる。
「半刻ほどです。胸の苦しさはありません」
「昨日も、ほぼ同じ時刻に色が変わっています」
エルザは帳面を開き、前日の記録と並べた。
「食事のあとに、魔力の巡りが強くなるのかもしれません」
「食事と魔力に関係があるのですか」
「まだ分かりません。なので、決めつけずに記録します」
ヴィルヘルミーネは、その答えを聞いて僅かに笑った。
「ここでは、分からないことを分からないまま書くのですね」
「分かったふりをすると、あとで困りますから」
エルザは真剣に答えた。
机の上には二冊の帳面が置かれている。
一冊は、ヴィルヘルミーネの体調記録。
もう一冊は、魔力制御結晶の試験記録だ。
同じ時刻の出来事でも、身体の変化と結晶の変化を分けて残す。
必要な情報を探しやすくするため、エルザが考えた方法だった。
「よい分け方ですね」
レオンハルトが言う。
「私なら、一冊へ全部書いていました」
「それでは、結晶の異常だけを調べたいときに時間が掛かります」
まるでゼバスティアンのような答えだった。
レオンハルトがそう思っていると、研究室の扉が叩かれた。
「失礼いたします」
ゼバスティアン本人が入ってくる。
「旧第二坑道で、小規模な落盤がございました」
部屋の空気が変わった。
「負傷者は?」
「おりません。作業員は全員、入口へ戻っております」
旧第二坑道では、本格的な採掘を再開していない。
廃鉱石の運搬路として使えるか確認するため、元鉱夫たちが支柱、岩盤、排水路を調べていた。
「落盤には、どうして気づけたのですか」
「奥にいた者が岩の軋む音を聞き、班長の判断で全員退避しました」
「入口へ報告が届くまで、どれほど掛かりましたか」
「移動を含め、半刻ほどです」
今回は、早い判断によって誰も傷つかなかった。
だが、浸水や魔物、大規模な崩落が起きた場合、半刻は長すぎる。
「坑道の奥から、入口へすぐ知らせる方法が必要です」
レオンハルトが呟くと、ヴィルヘルミーネが机の上の紙へ目を向けた。
「音を飛ばせばよいのではありませんか」
「音を?」
「遠くへ声を届ける魔法はあります」
「学院で学んだのですか」
「はい。ただし、空気中へ直接流すため、距離が伸びるほど崩れます。岩壁や結界にも遮られます」
「坑道では、曲がり角も多いです」
「ですから、声をそのまま飛ばすのではなく、別の形へ変えます」
ヴィルヘルミーネは波線を描いた。
「音は空気の震えです。この震えを魔力の揺れへ変え、遠くの結晶で音へ戻す」
レオンハルトは、その線を見つめた。
前世には、音を電気信号へ変えて遠くへ伝え、再び音へ戻す装置があった。
同じものを作ることはできない。
だが、音の振動を短時間だけ結晶へ記録することならできる。
「記憶結晶を使えます」
「音を保存できるのですか」
「短い時間だけです。声の振動を結晶内部へ残せます」
「保存した瞬間に、同じ構造の結晶へ送るのですね」
「はい。ただし、二つの結晶を正確に共鳴させる必要があります」
レオンハルトの頭の中で、必要な構造が組み上がっていく。
音を拾う層。
振動を魔力へ変える層。
遠くの結晶と共鳴する層。
受け取った揺れを音へ戻す層。
「試してみましょう」
「その前に」
ゼバスティアンが遮った。
「何のために使う装置かを、先に決めてください」
「坑道の入口と奥をつなぎます」
「用途は?」
「落盤、浸水、魔物、負傷者。鉱山内の安全連絡です」
「日常の雑談には使わない」
アーデルハイトが、開いたままの帳簿へ書き加える。
「使った者の名、時刻、内容を記録する」
エルザが続けた。
「相手が聞き取ったか確認する返事も必要です」
「二人が同時に話したら、共鳴が乱れる可能性があります」
ヴィルヘルミーネが言った。
「初期型は交互に話す方式にしましょう。送信具を押している間だけ、こちらの声が届くようにします」
「話し終えたら、『以上』と告げる」
ゼバスティアンが頷く。
「緊急時でも、誰が話しているか分かりやすくなります」
「呼び出しも必要ですね」
レオンハルトが言った。
「装置の前に人がいなければ、声を送っても気づきません」
「送信前に、相手側の小鐘を鳴らす仕組みを付けましょう」
グレーテルに相談すべき項目が、早くも増え始めていた。
◇
旧第二坑道は、落盤の原因が分かるまで閉鎖された。
オットーとグレーテルが元鉱夫たちを連れ、入口から落盤箇所までを再点検する。
崩れたのは、古い木製支柱の周辺だった。
湿気によって根元が腐り、天井の一部を支えきれなくなったらしい。
危険区画は石積みで封鎖し、比較的安定している入口から中継所までの区間だけ、支柱を交換して使用許可を出した。
その間、レオンハルトたちは地上で試作を進めた。
最初の試作共鳴器は、音をほとんど伝えられなかった。
研究室の両端へ透明な結晶を置き、レオンハルトが片方へ向かって声を掛ける。
「聞こえますか」
反対側の結晶が震えた。
だが、流れ出したのは低い唸りのような音だけだった。
「言葉には聞こえません」
エルザが記録する。
「強い振動しか届いていません」
ヴィルヘルミーネが結晶の揺れを確かめる。
「声の細かな高低が、途中で失われています」
「共鳴層が粗すぎました」
二つ目は、声の高さを伝えられた。
しかし、記憶層に前の音が残ってしまう。
「き、きこ、こえ、えますか」
同じ音が遅れて何度も再生され、言葉が重なった。
「送った直後に、記憶層を空にする必要があります」
三つ目は、送信した瞬間に結晶へ亀裂が入った。
声の振動を記録する層と、送信用の魔力を流す層を重ねたため、内部の一部分へ負荷が集中したのだ。
亀裂を見つけると、エルザはすぐ破損時刻と変色箇所を記録した。
グレーテルが厚い革手袋を着け、試作品を放電箱へ移す。
内部に残った魔力を吸収用の屑結晶へ逃がし、完全に光が消えたあと、鍵付きの破損品箱へ収めた。
「一つへ詰め込みすぎだ」
グレーテルは割れた外枠を調べた。
「音を拾う石と、送る石を分けろ」
「二つにするのですか」
「もっとだ」
彼女は机へ四つの金属枠を並べた。
「音を拾う。魔力へ変える。遠くへ送る。向こうで音へ戻す。それぞれ別にしろ」
「機能ごとに分ければ、失敗した部分だけ交換できます」
ヴィルヘルミーネも賛成する。
こうして、装置は四つの結晶を連ねる構造へ変わった。
受音結晶。
変換結晶。
共鳴結晶。
再生結晶。
それぞれを、絶縁革で覆った細い銀線でつなぐ。
過剰な魔力が流れた場合は、接続金具が外れ、装置全体へ負荷が広がらないようにした。
動力には、魔力蓄電塔で充填した小型結晶を使用する。
一度の充填で、短い通話なら二十回ほど使える。
使用者自身の魔力を必要としないため、魔力の少ない鉱夫でも扱える。
送信具は、手のひらほどの金属板だった。
板を押している間だけ受音結晶が働き、相手側は受信のみになる。
手を離せば、今度は相手が送信できる。
呼び出し時には、送信具の横にある小さな結晶を押す。
相手側の装置で白い光が点滅し、小鐘が三度鳴る仕組みだった。
試作を始めて六日目。
研究室と工房の間に、一組の装置が置かれた。
間には厚い石壁がある。
レオンハルトが呼び出し結晶を押す。
研究室側の小鐘は鳴らない。
代わりに、工房側から微かに三つの音が返ってきた。
送信板を押し込む。
「こちら研究室。グレーテルさん、聞こえますか。以上」
送信板から手を離す。
しばらく沈黙が続いた。
やがて再生結晶が淡く光る。
『こちら工房。聞こえている。声が少し高いがな。以上』
「届きました」
エルザが目を見開いた。
ヴィルヘルミーネは再生結晶を見つめてから、送信板へ手を伸ばした。
「こちら研究室。工房の炉は、現在いくつ動いていますか。以上」
『こちら工房。二つだ。なぜ最初の質問がそれなんだ。以上』
「数字が正しく聞き取れるか確認したかったので」
『真面目すぎるぞ、公爵令嬢。以上』
ヴィルヘルミーネが僅かに頬を膨らませた。
その表情を見て、エルザが小さく笑った。
◇
近距離試験に成功したあとも、すぐ坑道へ設置することはしなかった。
三日間、地上の試験小屋で連続使用を行う。
動力結晶の消耗。
送信板の摩耗。
外気の温度差。
工房の金属音による雑音。
湿気については、坑道の岩壁へ水を流すのではなく、濡れた布を入れた木箱の中へ装置を置いて確認した。
湿度が高くなると、銀線を覆う革が僅かに膨らんだ。
そこでグレーテルは、接続部分へ油を染み込ませた防水布を追加した。
地上試験を終えてから、装置は旧第二坑道へ運ばれた。
一組は入口の詰所。
もう一組は、再点検を終えた中継所。
装置には金属製の蓋が付けられている。
入口側の鍵は詰所責任者。
坑道側は作業班長が持つ。
「緊急時に鍵を探す時間はありません」
オットーが言った。
「赤い取っ手を強く引けば、蓋を壊して開けられる」
グレーテルが実際に取っ手を示す。
「緊急時は壊して使え。あとで理由を書けばいい」
「装置の横には、救護手順も置きます」
マルタが紙を広げた。
意識の有無。
出血。
呼吸。
挟まれているか。
歩けるか。
報告すべき順番を、短い文章と絵で示している。
坑道の班長たちは事前に診療所で救護訓練を受けた。
軽い怪我の固定方法と、動かしてはいけない状態も教えられている。
通信記録は入口側と坑道側で別々に残す。
発信時刻。
発信者。
要点。
受信者。
通話終了後、双方が署名し、翌日の交代時に内容を照合する。
緊急時に書けなかった場合は、当番者があとから聞き取って代筆することになった。
最初の通話試験。
入口側の責任者が呼び出し結晶を押す。
坑道の奥で小鐘が三度鳴った。
「こちら入口。中継所、聞こえますか。以上」
『こちら中継所。よく聞こえています。以上』
入口にいた元鉱夫たちから、驚きの声が上がった。
「本当に奥からか?」
「箱の中に誰か隠れてるんじゃないか」
少しして再び小鐘が鳴る。
『こちら中継所。そちらの声も聞こえている。箱の中には誰も入っていない。以上』
周囲に笑いが起きた。
だが、試験は続けられた。
魔力灯を同時に使う。
金属工具を打ち鳴らす。
装置を曲がり角の先へ移す。
地上で湿気を与えた予備装置とも聞こえ方を比べる。
言葉は少し掠れたものの、内容は伝わった。
ところが、坑道の奥へ装置を移すと、声が急に途切れた。
「距離だけが原因でしょうか」
エルザが尋ねる。
ヴィルヘルミーネは周囲を見回した。
「この付近だけ、共鳴の波が乱れています」
レオンハルトは壁の一部を削り、採取した岩片を別の場所へ持ち出した。
鉄分の多い岩片を装置へ近づけると、再び音が乱れる。
離せば元へ戻った。
「鉄分を多く含む鉱石が、共鳴へ干渉しているようです」
「岩壁を取り除くわけにはいきません」
「中継器を置きます」
中継器には、声を再生する機能はない。
弱くなった魔力の揺れを受け取り、乱れを整え、小型動力結晶を使って次の装置へ送り直す。
一つの動力結晶で十日ほど稼働できる見込みだった。
交換日を忘れないよう、外枠に日付札を差し込む場所も付けられた。
中継器を鉄分の少ない脇道へ設置し、再び通話する。
『こちら奥側。聞こえています。以上』
「成功です」
レオンハルトが息を吐いた。
オットーは、装置へ手を触れずに見つめていた。
「これが、あの崩落の前にあれば……助けられた者は、もっと多かったかもしれませんな」
ベルクシュタイン家の鉱山で大崩落が起きたとき。
奥の状況を入口へ伝えるには、人が走るしかなかった。
道が塞がれれば、警告も助けを求める声も届かない。
「今度は、助けを求める声を坑道の奥へ閉じ込めません」
レオンハルトは静かに言った。
オットーが頷く。
「はい。今度は、そうしましょう」
◇
運用開始から三日目。
試作共鳴器は、早くも人を助けた。
旧第二坑道で、作業員の一人が足を滑らせ、右足首を痛めたのだ。
作業班長は負傷者を無理に立たせず、呼び出し結晶を押した。
入口側で小鐘が鳴る。
『こちら中継所。負傷者一名。意識あり。右足首を痛め、歩行困難。以上』
詰所責任者は救護手順を開き、送信板を押した。
「こちら入口。出血はありますか。以上」
『出血なし。足首に腫れあり。挟まれてはいない。以上』
「足を板と布で固定してください。救援班が担架を持って向かいます。以上」
班長は事前に習った手順で足首を固定した。
入口では、通話と同時に救援班が出発する。
これまでなら、一人が入口まで走って報告し、それから担架を用意していた。
今回は報告、応急処置、救援準備が同時に進んだ。
負傷者は早い段階で診療所へ運ばれ、骨折ではないことが確認された。
「どのくらい短縮できましたか」
アーデルハイトが尋ねる。
「以前の方法と比べ、少なくとも半刻は早く救援を出せました」
ゼバスティアンが二つの通信記録を照合する。
「重傷者であれば、この差が生死を分ける可能性があります」
装置の価値は、誰の目にも明らかだった。
同時に、便利さが新たな危険を生むことも分かった。
「同じ共鳴構造を持つ装置を近くへ置けば、会話を聞けるのですか」
ゼバスティアンが尋ねた。
「理論上は可能です」
レオンハルトが答える。
「ただし、共鳴格子を正確に再現するのは、普通の錬金術師には難しいと思います」
「完成品を盗まれた場合は?」
ヴィルヘルミーネが尋ねる。
「分解して調べられる可能性があります」
「外から模倣するより、装置や部品を盗むほうが現実的ですね」
ゼバスティアンはすぐに問題を整理した。
「内通者が、共鳴部品を持ち出す可能性もございます」
「組ごとに共鳴格子を変えましょう」
エルザが言った。
「同じ鍵でなければ開かないようにするのですね」
レオンハルトは共鳴層の一部だけを交換できる構造へ変えた。
交換部品は、鍵結晶と呼ばれることになった。
鍵結晶には、外から読める番号を付けない。
ただし、すべて同じ外見では取り違える。
そこで、差し込み口の形を組ごとに僅かに変えた。
丸、三角、四角といった単純な形ではない。
表からは分かりにくい小さな凹凸を、枠の内側へ付ける。
違う鍵結晶は物理的に差し込めない。
鍵結晶は、二人一組で交換する。
一人が保管箱から取り出し、もう一人が交換場所と封印の破損がないか確認する。
鍵結晶の保管箱と、使用場所を記した機密帳は別々の部屋へ置かれた。
「坑道の安全連絡だけで、ここまで必要でしょうか」
レオンハルトが尋ねる。
「今は坑道だけです」
ゼバスティアンが答えた。
「ですが、いずれ商談、治安、災害、外交にも使われるでしょう。最初の規則が、後の基準になります」
◇
近距離通信と坑道運用が安定するまで、さらに十日を要した。
その間に、レオンハルトたちはローゼンフェルト子爵家まで声を届ける方法を検討した。
管理屋敷から子爵家までは、馬車で半日以上掛かる。
開けた地上は坑道より共鳴が通りやすい。
それでも、直接届く距離ではなかった。
街道沿いの高台へ、三基の中継器を設置することになった。
一基目は村外れの見張り小屋。
二基目は街道途中の石造りの休憩所。
三基目は子爵領境界にある料金所。
どれも既存の管理施設があり、無人の場所へ置くより警備しやすい。
中継器は雨風を防ぐ鉄箱へ収める。
管理担当者が毎朝、呼び出し試験と動力残量を確認する。
小型動力結晶は十日ごとに交換。
異常があれば、封印箱ごと取り外し、管理屋敷へ送り返す。
勝手に分解することは禁止された。
中継器の設置と試験には、半月近く掛かった。
アーデルハイトは管理屋敷側へ残り、予算と通信室の準備を担当する。
レオンハルト、ヴィルヘルミーネ、グレーテルは、オットーと護衛を伴い、街道沿いの中継地点を一つずつ回った。
子爵家側の装置は、フリードリヒの執事長立ち会いのもとで設置された。
管理屋敷と子爵家には、専用の通信室が用意された。
常時人を置くのではなく、朝と夕方に定時連絡を行う。
緊急連絡がある場合は、呼び出し鐘を繰り返し鳴らす。
通常使用者は、アーデルハイト、フリードリヒ、双方の執事長。
不在時には、事前に登録された代理責任者が使用する。
火災、襲撃、災害などの緊急時には、通信室の封印を破ってでも使用してよいと定められた。
私的な会話を控えるのは、中継器の動力と当番者の負担に限りがあるためだ。
通話時間が長くなれば、動力結晶の消耗も増える。
重要な連絡が重なった際、私用で使えなくなる事態を避ける必要があった。
遠距離試験の日。
管理屋敷の通信室に、アーデルハイト、レオンハルト、ヴィルヘルミーネ、ゼバスティアン、エルザが集まった。
机の中央には、鉄枠へ収められた試作共鳴器が置かれている。
まだ正式名称は決まっていない。
アーデルハイトが呼び出し結晶を押した。
白い光が三度点滅する。
遠く離れた子爵家まで、中継器が順番に信号を渡していく。
しばらくして、管理屋敷側の小鐘が三度鳴った。
アーデルハイトが送信板を押す。
「こちら廃鉱山管理屋敷。ローゼンフェルト子爵家、聞こえますか。以上」
返事はない。
アーデルハイトの指先が僅かに強く握られる。
レオンハルトは中継表示用の小結晶を見る。
一基目は緑。
二基目も緑。
三基目だけが、点滅している。
「境界料金所の中継器で、揺れが弱くなっています」
ヴィルヘルミーネが言った。
「増幅量を一段階上げます」
レオンハルトは管理屋敷側の調整結晶を操作した。
再び呼び出す。
今度は、しばらくして小鐘が鳴った。
『こちらローゼンフェルト子爵家。よく聞こえている。以上』
父フリードリヒの声だった。
「お父様」
『ハイデか。本当に声が届いたな。以上』
アーデルハイトの表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「試験中です。私的な会話は控えてください。以上」
『最初に父親へそれを言うのか。以上』
室内で小さな笑いが起きた。
アーデルハイトは咳払いをした。
「現在の魔力灯の注文数と、鉄材の追加購入について相談があります。帳簿をご用意ください。以上」
『早速仕事か。分かった。少し待て。以上』
これまでなら、書簡を送り、返答を待つだけで二日近く必要だった。
今は、その場で質問し、その場で確認できる。
通話を終えたあと、ヴィルヘルミーネは再生結晶を見つめた。
「距離が離れていても、同じ時間に話せる」
「あなたの理論があったからです」
レオンハルトが言った。
「レオンハルト様の記憶結晶がなければ、理論だけでした」
「グレーテルさんの外枠がなければ、途中で壊れていました」
「エルザの記録がなければ、失敗の違いも分かりませんでした」
エルザが驚いて顔を上げる。
「私も入るのですか」
「もちろんです」
ヴィルヘルミーネが答えた。
「一人で作ったものではありません」
「正式な名称が必要でございますね」
ゼバスティアンが言った。
「音声共鳴式遠距離伝達装置では長すぎます」
ヴィルヘルミーネが考え込む。
「通信結晶でよいのではないでしょうか」
エルザが言った。
「通信?」
「離れた相手と、言葉を通わせる結晶です」
グレーテルが笑う。
「分かりやすい。それでいい。長い名前は、どうせ現場じゃ使われねえ」
「では、正式名称を通信結晶といたします」
ゼバスティアンが新しい記録の表紙へ、その名を書き加えた。
◇
その夜。
レオンハルトとヴィルヘルミーネは、通信室に残っていた。
子爵家との通信を終えた装置は、すでに鍵付きの箱へ収められている。
「今日、公爵家へ向かう使者へ手紙を預けました」
ヴィルヘルミーネが言った。
「制御結晶のことですか」
「はい。朝まで眠れたことも、研究へ参加していることも書きました」
「返事が来るまで、しばらく掛かりますね」
「王都までは遠いですから」
彼女は、通信結晶の入った箱へ視線を向ける。
「これが王都まで届けば、すぐ父と母に話せますね」
「中継器を何基も置き、警備と動力を確保できれば、いつかは」
「怖くありませんか」
「何がですか」
「離れた場所へ、命令も秘密も嘘も、今までより速く届きます」
「危険はあると思います」
「悪用する者もいるでしょう」
「いるでしょうね」
「それでも作るのですか」
「作らなければ、坑道の奥から助けを求める声も届きません」
レオンハルトは箱を見つめた。
「危険だから力を消すのではなく、危険を知ったうえで守る方法を作ります」
ヴィルヘルミーネはしばらく黙っていた。
やがて、胸元の魔力制御結晶へ触れる。
「あなたは、いつもそうなのですね」
「何がですか」
「力を消そうとはしない」
そのとき、鍵付きの箱の中から、微かな音が響いた。
定時確認を終えたローゼンフェルト子爵家から、通話終了を知らせる一度だけの呼び出しだった。
小さな鐘の音が、静かな通信室へ届く。
「流れる道を作ろうとする」
ヴィルヘルミーネの言葉に応えるように、箱の隙間から淡い光が一度だけ瞬いた。
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