第24話 地竜ジークリンデ
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
5日目(7/24)4話目です。
共同井戸の使用を止め、浄水装置を設置してから数日。
新たに体調を崩す者は、ほとんどいなくなった。
手足の痺れが強かった少年も、まだ走ることはできないものの、家族に支えられながら診療所の外を歩けるまでに回復している。
だが、井戸へ毒性鉱物が流れ込んだ原因は、まだ解明されていなかった。
レオンハルトたちは、廃鉱山で働いていた元鉱夫たちから、最近の異変について聞き取りを進めていた。
地面の揺れ。
坑道の奥から響く低い音。
閉鎖された深部から流れてくる冷たい風。
そして、共同井戸の水が濁り始めた時期。
エルザとゼバスティアンが集めた記録を鉱山図の横へ並べると、異変はほぼ同じころから始まっていた。
「最初に揺れを感じたのは、共同井戸の水に鉄臭さが出るようになった少し前です」
オットーが鉱山図を指でなぞる。
「旧第三坑道の奥へ、置き去りにしていた作業道具を回収しに行った者がいます。そのとき、地面の下から何かを打ちつけるような音を聞いたそうです」
「落盤ではないのですか」
アーデルハイトが尋ねた。
「落盤なら、細かい石が落ちたあとに大きな岩が崩れる音が続きます。今回の音は、一度響いて止まる。それが、間を置いて何度か繰り返されたそうです」
「地脈の変動でしょうか」
レオンハルトは鉱山図へ手を置いた。
《結晶創造》を使い、地中を流れる魔力を探る。
しかし、地表から深部までは距離があり、細かな構造までは読み取れない。
分かるのは、地下に大きな魔力の流れがあることだけだった。
以前より脈動が強い。
本来なら緩やかに流れるはずの地脈が、途中で行き場を失い、何かを内側から押しているように感じられた。
「鉱山へ入る必要があります」
レオンハルトが言った。
「どこまで入るおつもりですか」
ゼバスティアンが予定帳を閉じる。
「まずは旧第三坑道までです。異常がなければ、その先の閉鎖区画を確認します」
「同行者は?」
「オットーさんと、坑道を知る元鉱夫を二人」
「それだけでは足りません」
「魔物がいるとは限りません」
「いないとも限りません」
ゼバスティアンの口調は穏やかだった。
「原因不明の地鳴りが続き、毒性鉱物が水脈へ流れ込んでおります。通常の鉱山調査ではございません」
「では、グレーテルさんにも同行をお願いします」
「なんであたしなんだ」
工房から呼ばれていたグレーテルが腕を組む。
「岩盤と支柱の状態を見てほしいからです」
「鍛冶師に岩の割れ目まで見ろってか」
「鉱山設備の点検も担当すると、契約に書かれていました」
「ゼバスティアンみてえなことを言うようになったな」
グレーテルは不満そうに言いながらも、鉱山図を覗き込んだ。
「まあ、行くのは構わねえ。ただし、危険だと思ったら、その場で引き返すぞ」
「はい」
「そこで素直に返事されると、逆に不安になるな」
アーデルハイトが地図を畳んだ。
「私は鉱山入口で待機します。異変が起きた場合、すぐ村へ知らせられるよう、人員と物資をまとめます」
「私も坑道へ」
「駄目です」
レオンハルトは即座に答えた。
「なぜですか」
「坑道内の状態が分かりません」
「だからこそ、管理責任者として確認する必要があります」
「外で人員と物資を管理する方も必要です」
アーデルハイトは言葉を止めた。
危険から遠ざけるためだけではなく、外部での役割を任せようとしているのだと理解したのだろう。
「……分かりました。ただし、一刻ごとに入口へ戻るか、連絡役を出してください」
「まだ通信結晶はありません」
「だから、人を戻してください」
「はい」
「連絡役は私が決めます」
ゼバスティアンが言った。
「調査隊の最後尾へ一人付け、半刻を過ぎても撤退しない場合は、入口へ報告に戻らせます」
「その条件でお願いします」
◇
旧第三坑道へ入ったのは、昼前だった。
先頭はオットー。
その後ろへ、坑道を知る元鉱夫が二人。
レオンハルト。
グレーテル。
最後尾には、異変があれば入口へ戻る連絡役として、村の警備を担当する男が付いた。
全員が魔力灯を持っている。
油灯と違い、火が酸素を奪う心配はない。
それでも、坑道へ入る前には灯りの残量を確かめ、予備を二つ用意した。
坑道の奥へ進むたび、白い光が岩壁を照らす。
「以前より湿っています」
オットーが言った。
足元には、細い水の流れができている。
岩の隙間から染み出した水が、坑道の低い場所へ集まっていた。
レオンハルトはしゃがみ込み、水へ手を近づける。
共同井戸で見たものと同じ、黒紫色の魔力が僅かに混じっていた。
「この水が、共同井戸へ続く水脈へ流れ込んでいる可能性があります」
「奥へ行くほど濃くなってるな」
グレーテルが岩壁を鉄槌の柄で叩いた。
低く、空洞へ響くような音が返る。
「向こう側に広い空間がある」
「以前からですか」
オットーが首を振った。
「この先に大きな空洞はありませんでした。少なくとも、昔の鉱山図には記されていません」
さらに進むと、坑道の壁へ新しい亀裂が走っていた。
古い亀裂なら、縁が削れ、割れ目の下へ鉱石の粉が溜まる。
しかし、この亀裂は鋭い。
内部から押し広げられたように、岩が外側へ盛り上がっていた。
「共同井戸の底で見えた亀裂と似ています」
レオンハルトは岩壁へ触れた。
内部を探る。
壁の向こうには、広い空洞がある。
そのさらに奥から、大きな魔力が伝わってきた。
地脈の流れとは違う。
温かく、重く、ゆっくりと脈打っている。
「生き物です」
レオンハルトが呟く。
「どれくらいの大きさだ」
グレーテルが鉄槌を握り直した。
「正確には分かりません。ですが、かなり大きいです」
そのとき。
坑道の奥から、何かが岩を擦る音が響いた。
ごり。
ごり。
重いものが、狭い場所を通ろうとしている。
魔力灯の光が僅かに揺れる。
「戻るぞ」
オットーが低く言った。
誰も反対しなかった。
坑道へ入って、まだ半刻ほどしか経っていない。
連絡役を入口へ戻す前に、全員で撤退することになった。
来た道を引き返す途中、最後尾の男が足を止めた。
「何だ、これは」
足元に銀色のものが落ちている。
手のひらほどの大きさ。
薄く湾曲し、表面には細かな紋様が刻まれていた。
「触らないでください」
レオンハルトが近づく。
それは金属ではなかった。
鉱物とも違う。
硬い外側の内側に、生物特有の魔力が僅かに残っている。
「鱗です」
「こんな大きさの鱗を持つ魔物がいるのか」
男の顔が青ざめた。
「地竜かもしれません」
オットーが言う。
坑道の空気が、一気に重くなった。
地竜。
地下や岩山に棲む、竜種の一つ。
土や鉱石を喰らい、地中を掘り進む。
成体なら、石造りの城壁さえ破壊すると言われている。
「持ち帰るのか」
グレーテルが尋ねた。
レオンハルトは鱗を見つめた。
未知の大型生物の身体の一部を、何の対策もなく村へ持ち込むのは危険だった。
「この場では、場所と形だけ記録します」
エルザが用意した簡易記録板へ、発見位置と大きさを書き込む。
だが、その直後。
坑道全体が大きく揺れた。
天井から小石が落ちる。
鱗の下へ新しい亀裂が走り、今にも岩の隙間へ落ちそうになった。
「なくなるぞ」
グレーテルが言った。
「封印布を」
レオンハルトは、危険物を運ぶために用意していた厚い布を広げた。
鱗へ直接触れず、布ごと包み込む。
「村の中へは持ち込みません。鉱山入口の隔離箱へ保管します」
「それならいい」
グレーテルが頷く。
次の瞬間、坑道の奥から低い咆哮が響いた。
「走れ!」
オットーの声が飛ぶ。
一行は急いで入口を目指した。
背後から追ってくる咆哮は、耳で聞く音というより、岩盤そのものを震わせる響きだった。
◇
地竜が村の近くへ姿を現したのは、その夜だった。
昼間に人間たちが去ったあと、地竜は一度、深部の卵のもとへ戻っていた。
だが、地脈の脈動がさらに強まり、卵を挟んでいた岩盤が動き始めた。
単独では救えない。
そう判断した地竜が、坑道へ残った人間の匂いを追い、崩れた通路を掘り進んだことを、レオンハルトたちが知るのは後のことだった。
最初に異変へ気づいたのは、村外れに置かれた魔力灯だった。
地面が揺れ、支柱が軋む。
次いで、廃鉱山の入口から大量の土煙が噴き出した。
見張り役が鐘を鳴らす。
激しい音が村中へ響き渡った。
「魔物だ!」
「鉱山から何か出てきたぞ!」
人々が家から飛び出す。
ゼバスティアンとアーデルハイトは、すぐに避難を指示した。
「鉱山から遠い西側へ移動してください!」
「歩ける方は、管理屋敷裏の畑へ! 動かせない病人と子供は、石造りの診療所へ!」
村人を一か所へ集めるのではなく、鉱山から離れた場所へ分散させる。
ヒルデガルトは診療所へ入れる者を選び、避難経路を塞ぐ荷車を移動させた。
アーデルハイトはエーベルハルト村長とともに、家ごとの人数を確認する。
グレーテルは工房から大槌を持ち出し、職人たちへ炉の火を落とすよう命じた。
レオンハルトが鉱山の方向を見る。
暗闇の中から、巨大な影が現れた。
四本の脚。
岩のように厚い胴体。
地面を擦る長い尾。
全身を覆う銀灰色の鱗が、魔力灯の白い光を反射している。
頭には後方へ伸びる二本の角。
金色の瞳が、村の手前で立ち止まった。
地竜は、すぐには村へ入らなかった。
鼻先を上げ、空気の匂いを探る。
やがて視線が、鉱山入口の脇へ置かれた隔離箱へ向いた。
銀色の鱗が入っている箱だった。
地竜が咆哮する。
地面が揺れ、近くの窓が震えた。
「鱗を取り返しに来たのか」
グレーテルが大槌を構える。
「違うかもしれません」
レオンハルトは地竜の動きを観察した。
鱗そのものへ執着しているというより、鱗へ残った匂いを確かめているように見える。
あの鱗は、地竜が卵を守る際に剥がれたものだ。
巣の匂いと魔力が付いていた可能性がある。
「地竜は、あの鱗を持ち出した者が、深部の巣へ近づいたと判断したのかもしれません」
「それで人間を追ってきたってのか」
「おそらく」
レオンハルトは隔離箱を開き、布包みを地面へ置いた。
そこから十分に距離を取る。
地竜が一歩近づいた。
大きな爪が地面へ食い込む。
鼻先を布包みへ寄せ、匂いを確かめる。
やがて、金色の目がレオンハルトへ向けられた。
怒りは消えていない。
しかし、地竜は建物を壊していない。
人へ向けて岩や魔力を放つこともない。
「私たちが坑道へ入ったことを怒っているのですか」
地竜の姿では、人間の言葉を話せないらしい。
低い唸りとともに魔力が揺れ、その感情だけがレオンハルトへ伝わってきた。
警戒。
怒り。
そして、焦り。
「あなたは、あの奥で何かを守っている」
地竜の尾が地面を打つ。
土が跳ねた。
同時に、廃鉱山の方向から再び低い地鳴りが響く。
地竜が振り返った。
金色の瞳に、初めて怒りとは違うものが浮かぶ。
恐怖だった。
「奥で、守っているものが危険なのですね」
地竜は村ではなく、鉱山へ向かって吠えた。
その声は、助けを求めるものにも聞こえた。
「レオン」
アーデルハイトが近づく。
「まさか、鉱山へ行くつもりですか」
「この地竜は、村を襲いに来たのではありません」
「それでも、何を守っているのか分かりません」
「だから、確かめます」
「今すぐでなければならない理由は?」
また地面が揺れた。
今度は、坑道入口の一部が崩れた。
地竜が苦しそうに唸る。
「今でなければ、間に合わないかもしれません」
アーデルハイトは唇を噛んだ。
「一人では行かせません」
「地竜は人間を警戒しています。大勢で行けば、奥へ案内してくれない可能性があります」
「案内してくれる保証もありません」
「それでも、行きます」
レオンハルトの声は静かだった。
だが、譲るつもりがないことは、誰にでも分かった。
「レオンハルト様」
ゼバスティアンが口を開いた。
「止めても行かれるのでしょうね」
「はい」
「では、最低限の条件をお守りください」
「条件?」
「鉱山入口までは、グレーテルさんとオットーさんが同行します。魔力灯を二つ。予備を一つ。縄、水、赤い布をお持ちください」
「赤い布は?」
「十歩ごとに壁へ結んでください。救援時に進路を確認できます」
「分かりました」
「帰還時刻を鐘三つ後と定めます。間に合わない場合、入口で待つ二人が救援へ向かいます」
「はい」
「さらに、危険だと判断した場合は、守られているものを確認できなくても戻ってください」
レオンハルトは地竜を見た。
「努力します」
「守るとは言わないのですね」
「状況を見なければ約束できません」
「以前よりは正直でございます」
◇
グレーテルとオットーは、崩れた坑道入口まで同行した。
地竜は二人を警戒して低く唸ったが、レオンハルトが一人で前へ出ると、攻撃はしなかった。
「無茶するなよ」
グレーテルが言う。
「危険なら戻ります」
「お前の危険の基準は信用ならねえ」
「鐘三つまでです」
オットーが赤い布の束を渡した。
「帰り道が崩れても、これを目印にします」
「ありがとうございます」
レオンハルトが地竜へ近づくと、巨大な頭が低く下がった。
金色の瞳が、彼を見つめる。
「案内してください」
地竜の言葉そのものは聞こえない。
だが、魔力の揺れから感情の方向は伝わる。
レオンハルトは鉱山を指した。
「あなたが守っているものを、助けられるかもしれません」
地竜はしばらく動かなかった。
やがて背を向け、崩れた坑道へ歩き始めた。
レオンハルトも後を追う。
地竜が通った跡には、人間一人が歩けるほどの隙間が残っている。
十歩進むたび、レオンハルトは赤い布を岩の突起へ結んだ。
坑道の奥は、昼間より大きく崩れている。
だが地竜は迷わず進んだ。
岩壁を爪で削り、狭い場所を広げながら深部へ向かう。
途中、黒紫色の水が流れる亀裂があった。
毒性鉱物を含んだ水だ。
その流れは、地竜が進む先から来ている。
やがて、坑道は広大な空洞へつながった。
昼間、岩壁越しに感じた空洞だった。
天井は高く、壁には銀色の鉱脈が走っている。
空洞の中央には、巨大な白銀の塊があった。
丸みを帯びた殻。
表面を覆う、細かな鱗状の紋様。
「卵……」
地竜の卵だった。
大人が両腕を広げても抱えきれないほど大きい。
成長した銀白色の鉱脈が、卵を下から持ち上げている。
その上には、天井から落ちた巨大な岩がのしかかっていた。
卵は、成長する鉱脈と岩盤の間へ挟み込まれていた。
地竜は岩へ頭を押しつけ、何度も持ち上げようとしている。
だが、卵の下でも地面が割れ始めている。
地脈から漏れ出した魔力が、一か所へ滞留しているのだ。
その余剰魔力を吸い込んだ銀白色の鉱脈が、異常な速さで結晶を成長させていた。
おそらく、過去の崩落で地脈の流路が変わり、魔力を逃がす道が塞がれたのだろう。
さらに、卵そのものが孵化へ向けて魔力を求め始めたことで、周囲の流れが強まっている。
余剰魔力に押し出された毒性鉱物は、亀裂を通じて水脈へ流れ込んでいた。
共同井戸の汚染源も、ここだった。
レオンハルトが卵へ近づこうとすると、地竜が唸った。
「触りません」
足を止める。
「状態を確認するだけです」
《結晶創造》で岩盤と鉱脈を探る。
銀白色の希少鉱石。
これまで村で使ってきた低純度鉱石とは比べものにならない。
一欠片でも高値で売れるだろう。
魔力灯や冷却結晶へ使えば、僅かな量で大きな効果を得られる。
領地の財政を、一気に立て直せる可能性さえある。
だが、この鉱脈は地脈の余剰魔力を吸い込み続けている。
ただ砕いただけでは、細かな鉱石として残り、再び魔力を集めるかもしれない。
卵を救うには、鉱脈を支えている魔力構造そのものを分解し、不活性な石へ変える必要があった。
そうすれば、希少鉱石としての価値は失われる。
「この鉱脈の魔力構造を壊せば、卵を下ろせます」
地竜が低く唸った。
「ですが、鉱石としては使えなくなります」
卵の殻には、すでに細い亀裂が入っていた。
内部の命が弱く脈打っている。
迷っている時間はない。
「命を見捨てて、石だけ持ち帰れと言う仲間は、私の周りにはいません」
レオンハルトは地面へ両手をついた。
「鉱石より、この命を救います」
《結晶創造》を発動する。
銀白色の鉱脈の構造を分析。
地脈の魔力を吸い込む層。
硬度を支える層。
周囲の岩盤と結びつく層。
希少鉱石としての性質を保つ中心構造。
それらを一つずつ分離していく。
鉱脈全体を一度に壊せば、空洞そのものが崩れる。
必要なのは、卵を押し上げている部分だけを不活性化することだった。
額へ汗が浮かぶ。
地脈の魔力が強すぎる。
鉱石はレオンハルトの力へ抵抗するように震えた。
それでも、一層ずつ結びつきを外していく。
やがて銀白色だった鉱脈から光が失われた。
表面が灰色へ変わり、ただの脆い石へ崩れていく。
卵を押し上げていた力が消えた。
同時に、上からのしかかっていた岩が傾く。
地竜が肩と背で受け止めた。
苦しげな咆哮が空洞へ響く。
「右へ押してください!」
言葉は届かなくても、レオンハルトが指した方向は伝わった。
地竜が岩を右へ押す。
レオンハルトは反対側の岩盤へ結晶柱を生成した。
透明な柱が伸び、岩の重みを受け止める。
一本。
二本。
三本。
腕が震える。
視界の端が暗くなる。
魔力が急速に失われていく。
それでも、卵を潰していた岩は少しずつ持ち上がった。
地竜が前脚で卵を引き寄せる。
最後に大きく尾を振り、卵を安全な窪地へ転がした。
岩盤が結晶柱へ落ちる。
激しい音が空洞を揺らした。
柱へ亀裂が走る。
「離れてください!」
レオンハルトが叫ぶ。
地竜は卵を抱えるように身を丸めた。
結晶柱が砕け、岩盤が落下する。
だが、卵のあった位置からは外れていた。
土煙が広がる。
衝撃で、レオンハルトの身体が地面へ投げ出された。
魔力は、ほとんど残っていなかった。
◇
目を開けると、金色の瞳がすぐ近くにあった。
地竜が、レオンハルトを覗き込んでいる。
その後ろには、救い出された卵がある。
殻の亀裂は浅い。
内部の魔力も、弱いながら安定していた。
「無事です」
レオンハルトは起き上がろうとした。
だが、腕に力が入らない。
身体を支えきれず、再び地面へ手をついた。
地竜が鼻先を彼の胸へ押し当てる。
支えるような動きだった。
「中の命も……生きています」
地竜が低く喉を鳴らした。
先ほどまでの威嚇とは違う。
安堵したような、柔らかな音だった。
やがて地竜は鼻先を離し、自ら全身へ魔力を巡らせた。
淡い光が、巨大な身体を包む。
変身は、レオンハルトが触れたためではない。
人間の言葉で意思を伝えるため、地竜自身が姿を変えたのだ。
巨大な身体が光の中へ縮んでいく。
二本の角が消え、四本の脚が人の手足へ変わる。
長い尾が、銀灰色の髪へ溶けた。
全身を覆っていた鱗は、身体へ沿う銀灰色の簡素な衣へ姿を変える。
光が収まったとき、そこには一人の少女が立っていた。
見た目は十五、六歳ほど。
腰まで届く銀灰色の髪。
鋭さを残した金色の瞳。
首筋と手の甲には、薄い鱗の紋様が浮かんでいる。
少女は裸足のまま卵の前へ立ち、レオンハルトを見つめた。
「人の子」
初めて聞く声は、低く、少し掠れていた。
「あなたは、わたしの声を聞けなかった」
「申し訳ありません」
「竜の姿では、魔力で意思を伝える」
少女は自分の胸元へ触れた。
「人間には、言葉ではなく感情しか届かない」
「怒りと、焦りは感じました」
「それでも、卵を選んだ」
少女は、灰色へ変わった鉱脈を見る。
「その石は、人間が欲しがるものだ」
「価値はありました」
「なぜ壊した」
「卵を救うために必要だったからです」
「迷わなかったのか」
「迷いました」
レオンハルトは正直に答えた。
「村を豊かにできる鉱石でした。使い道も、いくつも考えました」
少女の目が細くなる。
「それでも壊した」
「鉱石は、別の場所で探せます」
レオンハルトは卵へ目を向けた。
「その命は、失えば戻りません」
少女は長いあいだ黙っていた。
やがて卵へ手を置く。
「これは、母が残した最後の卵」
金色の瞳が僅かに伏せられる。
「わたしの、まだ生まれていないきょうだい」
「お母様は?」
「もういない」
空洞を流れる魔力が、小さく脈打つ。
「母エルドリンデは、昔の地脈の乱れから、わたしと卵を守って死んだ」
それ以上を話すつもりはないらしい。
少女は短く息を吐いた。
「わたしは、そのあと一人で卵と地脈を守った」
「最近、また地脈が乱れ始めたのですね」
「人の鉱山が崩れたとき、流れが変わった」
少女は空洞の奥を指す。
「魔力が逃げる道が塞がった。漏れた魔力が石を育てた。卵も、生まれるために魔力を求めた」
「二つが重なり、鉱脈が異常に成長した」
「そうだ」
「水へ毒が流れたのも?」
「押し出された石の毒が、割れ目から水へ入った」
「村の井戸まで流れました」
「人の水にも?」
「何人かが体調を崩しました。今は浄水装置で対応しています」
少女は卵から手を離した。
「わたしは、人が卵を狙ったと思った」
「坑道へ入ったからですか」
「鱗には巣の匂いが付いていた」
昼間に持ち帰った鱗を見る。
「あれを持つ者が、卵の近くまで来たと思った。だから人間の匂いを追った」
「一度、卵のもとへ戻ったのですか」
「戻った。だが岩が動き、わたし一人では助けられなかった」
「それで村まで」
「助けを求めるつもりではなかった」
少女は僅かに顔を背けた。
「人間を脅し、卵から遠ざけるつもりだった」
「ですが、私たちが卵を助けられるかもしれないと考えた」
「あなたが鱗を返した。村を壊さず、わたしを見た」
金色の瞳が、再びレオンハルトへ向く。
「だから試した」
「私を案内したのですね」
「逃げるなら、それまでだと思った」
「逃げる余裕はありませんでした」
「倒れるほど魔力を使うとは思わなかった」
レオンハルトは立ち上がろうとした。
しかし、やはり脚へ力が入らない。
少女が腕を伸ばし、肩を支える。
「動くな」
「地上へ戻らなければ」
「わたしが運ぶ」
「ですが、卵は?」
「今は安定している。すぐには動かない」
少女はレオンハルトを見つめる。
「名前は?」
「レオンハルト・フォン・ベルクシュタインです。レオンと呼ばれています」
「長い」
「グレーテルさんにも言われました」
「わたしは、ジークリンデ」
少女は少し間を置いた。
「母は、リンデと呼んだ」
「では、リンデと呼んでも?」
「それは、群れの者だけが呼ぶ名だ」
「分かりました。ジークリンデさん」
「……今は、それでいい」
ジークリンデは卵へ目を向けた。
「レオン。地脈の流れは、まだ戻っていない」
「余った魔力を逃がす必要があります」
「このままなら、別の場所で石が育つ。水も、また濁る」
「地脈そのものを止めることはできません」
「止めれば、山が死ぬ」
「では、傷つけずに余剰魔力を集め、安全な場所へ逃がす仕組みが必要です」
ジークリンデがレオンを見た。
「人間に、できるのか」
「一人では無理です」
レオンハルトは正直に答えた。
「地脈を知るあなたと、鉱山を知るオットーさん。構造物を作るグレーテルさん。予算と人員を管理するアーデルハイト。皆の協力が必要です」
「群れで守るのか」
「はい」
ジークリンデはしばらく考えた。
「なら、卵と地脈を守るため、しばらく人間の村を見る」
「協力していただけるのですか」
「まだ、あなたの群れをすべて信じたわけではない」
彼女ははっきりと言った。
「だが、レオン。あなたは卵を守った」
金色の瞳が、まっすぐレオンハルトを見つめる。
「だから、わたしはあなたと地脈を守る」
「ありがとうございます」
「先に地上へ戻る」
ジークリンデは再び竜の姿へ戻った。
銀灰色の衣と髪が光へ溶け、巨大な鱗と翼のない四肢へ変わる。
彼女は身体を低くし、レオンハルトを背へ乗せた。
レオンハルトは鱗の隙間へ縄を通し、落ちないよう身体を固定する。
帰り道には、赤い布が残っていた。
地竜は、その印を避けるように進みながら、崩れた坑道を地上へ向かった。
鉱山入口へ戻ったころには、定めた時刻を僅かに過ぎていた。
救援へ入ろうとしていたグレーテルとオットーが、地竜の背に乗せられたレオンハルトを見て立ち尽くす。
「お前……何をしてきた」
グレーテルが呟いた。
「卵を助けました」
「それは見れば分かる話じゃねえ!」
地竜がゆっくりと身を低くし、レオンハルトを地面へ下ろす。
アーデルハイトが駆け寄った。
「レオン!」
「戻りました」
「戻りました、ではありません!」
彼女は怒鳴りかけ、レオンハルトが一人では立てないことへ気づいた。
すぐに反対側から身体を支える。
「魔力を使い果たしたのですね」
「ほとんどです」
「ゼバスティアン!」
「寝台を用意しております」
ゼバスティアンは、すでに村人へ地竜を刺激しないよう指示していた。
地竜は村へ踏み込まず、鉱山入口の前へ伏せる。
その金色の瞳は、レオンハルトと、彼を支える者たちを静かに見ていた。
まだ、村のすべてを信じたわけではない。
それでも、彼女は地上へ残った。
空の下で、銀灰色の鱗が魔力灯の光を反射する。
そして地の底では、救われた白銀の卵が、ゆっくりと次の鼓動を打っていた。
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