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廃嫡錬金術師の魔石国家  作者: 阿鼻恭介
第四章 廃鉱山の仲間たち

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第24話 地竜ジークリンデ

この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。

5日目(7/24)4話目です。

 共同井戸の使用を止め、浄水装置を設置してから数日。


 新たに体調を崩す者は、ほとんどいなくなった。


 手足の痺れが強かった少年も、まだ走ることはできないものの、家族に支えられながら診療所の外を歩けるまでに回復している。


 だが、井戸へ毒性鉱物が流れ込んだ原因は、まだ解明されていなかった。


 レオンハルトたちは、廃鉱山で働いていた元鉱夫たちから、最近の異変について聞き取りを進めていた。


 地面の揺れ。


 坑道の奥から響く低い音。


 閉鎖された深部から流れてくる冷たい風。


 そして、共同井戸の水が濁り始めた時期。


 エルザとゼバスティアンが集めた記録を鉱山図の横へ並べると、異変はほぼ同じころから始まっていた。


「最初に揺れを感じたのは、共同井戸の水に鉄臭さが出るようになった少し前です」


 オットーが鉱山図を指でなぞる。


「旧第三坑道の奥へ、置き去りにしていた作業道具を回収しに行った者がいます。そのとき、地面の下から何かを打ちつけるような音を聞いたそうです」


「落盤ではないのですか」


 アーデルハイトが尋ねた。


「落盤なら、細かい石が落ちたあとに大きな岩が崩れる音が続きます。今回の音は、一度響いて止まる。それが、間を置いて何度か繰り返されたそうです」


「地脈の変動でしょうか」


 レオンハルトは鉱山図へ手を置いた。


 《結晶創造》を使い、地中を流れる魔力を探る。


 しかし、地表から深部までは距離があり、細かな構造までは読み取れない。


 分かるのは、地下に大きな魔力の流れがあることだけだった。


 以前より脈動が強い。


 本来なら緩やかに流れるはずの地脈が、途中で行き場を失い、何かを内側から押しているように感じられた。


「鉱山へ入る必要があります」


 レオンハルトが言った。


「どこまで入るおつもりですか」


 ゼバスティアンが予定帳を閉じる。


「まずは旧第三坑道までです。異常がなければ、その先の閉鎖区画を確認します」


「同行者は?」


「オットーさんと、坑道を知る元鉱夫を二人」


「それだけでは足りません」


「魔物がいるとは限りません」


「いないとも限りません」


 ゼバスティアンの口調は穏やかだった。


「原因不明の地鳴りが続き、毒性鉱物が水脈へ流れ込んでおります。通常の鉱山調査ではございません」


「では、グレーテルさんにも同行をお願いします」


「なんであたしなんだ」


 工房から呼ばれていたグレーテルが腕を組む。


「岩盤と支柱の状態を見てほしいからです」


「鍛冶師に岩の割れ目まで見ろってか」


「鉱山設備の点検も担当すると、契約に書かれていました」


「ゼバスティアンみてえなことを言うようになったな」


 グレーテルは不満そうに言いながらも、鉱山図を覗き込んだ。


「まあ、行くのは構わねえ。ただし、危険だと思ったら、その場で引き返すぞ」


「はい」


「そこで素直に返事されると、逆に不安になるな」


 アーデルハイトが地図を畳んだ。


「私は鉱山入口で待機します。異変が起きた場合、すぐ村へ知らせられるよう、人員と物資をまとめます」


「私も坑道へ」


「駄目です」


 レオンハルトは即座に答えた。


「なぜですか」


「坑道内の状態が分かりません」


「だからこそ、管理責任者として確認する必要があります」


「外で人員と物資を管理する方も必要です」


 アーデルハイトは言葉を止めた。


 危険から遠ざけるためだけではなく、外部での役割を任せようとしているのだと理解したのだろう。


「……分かりました。ただし、一刻ごとに入口へ戻るか、連絡役を出してください」


「まだ通信結晶はありません」


「だから、人を戻してください」


「はい」


「連絡役は私が決めます」


 ゼバスティアンが言った。


「調査隊の最後尾へ一人付け、半刻を過ぎても撤退しない場合は、入口へ報告に戻らせます」


「その条件でお願いします」


          ◇


 旧第三坑道へ入ったのは、昼前だった。


 先頭はオットー。


 その後ろへ、坑道を知る元鉱夫が二人。


 レオンハルト。


 グレーテル。


 最後尾には、異変があれば入口へ戻る連絡役として、村の警備を担当する男が付いた。


 全員が魔力灯を持っている。


 油灯と違い、火が酸素を奪う心配はない。


 それでも、坑道へ入る前には灯りの残量を確かめ、予備を二つ用意した。


 坑道の奥へ進むたび、白い光が岩壁を照らす。


「以前より湿っています」


 オットーが言った。


 足元には、細い水の流れができている。


 岩の隙間から染み出した水が、坑道の低い場所へ集まっていた。


 レオンハルトはしゃがみ込み、水へ手を近づける。


 共同井戸で見たものと同じ、黒紫色の魔力が僅かに混じっていた。


「この水が、共同井戸へ続く水脈へ流れ込んでいる可能性があります」


「奥へ行くほど濃くなってるな」


 グレーテルが岩壁を鉄槌の柄で叩いた。


 低く、空洞へ響くような音が返る。


「向こう側に広い空間がある」


「以前からですか」


 オットーが首を振った。


「この先に大きな空洞はありませんでした。少なくとも、昔の鉱山図には記されていません」


 さらに進むと、坑道の壁へ新しい亀裂が走っていた。


 古い亀裂なら、縁が削れ、割れ目の下へ鉱石の粉が溜まる。


 しかし、この亀裂は鋭い。


 内部から押し広げられたように、岩が外側へ盛り上がっていた。


「共同井戸の底で見えた亀裂と似ています」


 レオンハルトは岩壁へ触れた。


 内部を探る。


 壁の向こうには、広い空洞がある。


 そのさらに奥から、大きな魔力が伝わってきた。


 地脈の流れとは違う。


 温かく、重く、ゆっくりと脈打っている。


「生き物です」


 レオンハルトが呟く。


「どれくらいの大きさだ」


 グレーテルが鉄槌を握り直した。


「正確には分かりません。ですが、かなり大きいです」


 そのとき。


 坑道の奥から、何かが岩を擦る音が響いた。


 ごり。


 ごり。


 重いものが、狭い場所を通ろうとしている。


 魔力灯の光が僅かに揺れる。


「戻るぞ」


 オットーが低く言った。


 誰も反対しなかった。


 坑道へ入って、まだ半刻ほどしか経っていない。


 連絡役を入口へ戻す前に、全員で撤退することになった。


 来た道を引き返す途中、最後尾の男が足を止めた。


「何だ、これは」


 足元に銀色のものが落ちている。


 手のひらほどの大きさ。


 薄く湾曲し、表面には細かな紋様が刻まれていた。


「触らないでください」


 レオンハルトが近づく。


 それは金属ではなかった。


 鉱物とも違う。


 硬い外側の内側に、生物特有の魔力が僅かに残っている。


「鱗です」


「こんな大きさの鱗を持つ魔物がいるのか」


 男の顔が青ざめた。


「地竜かもしれません」


 オットーが言う。


 坑道の空気が、一気に重くなった。


 地竜。


 地下や岩山に棲む、竜種の一つ。


 土や鉱石を喰らい、地中を掘り進む。


 成体なら、石造りの城壁さえ破壊すると言われている。


「持ち帰るのか」


 グレーテルが尋ねた。


 レオンハルトは鱗を見つめた。


 未知の大型生物の身体の一部を、何の対策もなく村へ持ち込むのは危険だった。


「この場では、場所と形だけ記録します」


 エルザが用意した簡易記録板へ、発見位置と大きさを書き込む。


 だが、その直後。


 坑道全体が大きく揺れた。


 天井から小石が落ちる。


 鱗の下へ新しい亀裂が走り、今にも岩の隙間へ落ちそうになった。


「なくなるぞ」


 グレーテルが言った。


「封印布を」


 レオンハルトは、危険物を運ぶために用意していた厚い布を広げた。


 鱗へ直接触れず、布ごと包み込む。


「村の中へは持ち込みません。鉱山入口の隔離箱へ保管します」


「それならいい」


 グレーテルが頷く。


 次の瞬間、坑道の奥から低い咆哮が響いた。


「走れ!」


 オットーの声が飛ぶ。


 一行は急いで入口を目指した。


 背後から追ってくる咆哮は、耳で聞く音というより、岩盤そのものを震わせる響きだった。


          ◇


 地竜が村の近くへ姿を現したのは、その夜だった。


 昼間に人間たちが去ったあと、地竜は一度、深部の卵のもとへ戻っていた。


 だが、地脈の脈動がさらに強まり、卵を挟んでいた岩盤が動き始めた。


 単独では救えない。


 そう判断した地竜が、坑道へ残った人間の匂いを追い、崩れた通路を掘り進んだことを、レオンハルトたちが知るのは後のことだった。


 最初に異変へ気づいたのは、村外れに置かれた魔力灯だった。


 地面が揺れ、支柱が軋む。


 次いで、廃鉱山の入口から大量の土煙が噴き出した。


 見張り役が鐘を鳴らす。


 激しい音が村中へ響き渡った。


「魔物だ!」


「鉱山から何か出てきたぞ!」


 人々が家から飛び出す。


 ゼバスティアンとアーデルハイトは、すぐに避難を指示した。


「鉱山から遠い西側へ移動してください!」


「歩ける方は、管理屋敷裏の畑へ! 動かせない病人と子供は、石造りの診療所へ!」


 村人を一か所へ集めるのではなく、鉱山から離れた場所へ分散させる。


 ヒルデガルトは診療所へ入れる者を選び、避難経路を塞ぐ荷車を移動させた。


 アーデルハイトはエーベルハルト村長とともに、家ごとの人数を確認する。


 グレーテルは工房から大槌を持ち出し、職人たちへ炉の火を落とすよう命じた。


 レオンハルトが鉱山の方向を見る。


 暗闇の中から、巨大な影が現れた。


 四本の脚。


 岩のように厚い胴体。


 地面を擦る長い尾。


 全身を覆う銀灰色の鱗が、魔力灯の白い光を反射している。


 頭には後方へ伸びる二本の角。


 金色の瞳が、村の手前で立ち止まった。


 地竜は、すぐには村へ入らなかった。


 鼻先を上げ、空気の匂いを探る。


 やがて視線が、鉱山入口の脇へ置かれた隔離箱へ向いた。


 銀色の鱗が入っている箱だった。


 地竜が咆哮する。


 地面が揺れ、近くの窓が震えた。


「鱗を取り返しに来たのか」


 グレーテルが大槌を構える。


「違うかもしれません」


 レオンハルトは地竜の動きを観察した。


 鱗そのものへ執着しているというより、鱗へ残った匂いを確かめているように見える。


 あの鱗は、地竜が卵を守る際に剥がれたものだ。


 巣の匂いと魔力が付いていた可能性がある。


「地竜は、あの鱗を持ち出した者が、深部の巣へ近づいたと判断したのかもしれません」


「それで人間を追ってきたってのか」


「おそらく」


 レオンハルトは隔離箱を開き、布包みを地面へ置いた。


 そこから十分に距離を取る。


 地竜が一歩近づいた。


 大きな爪が地面へ食い込む。


 鼻先を布包みへ寄せ、匂いを確かめる。


 やがて、金色の目がレオンハルトへ向けられた。


 怒りは消えていない。


 しかし、地竜は建物を壊していない。


 人へ向けて岩や魔力を放つこともない。


「私たちが坑道へ入ったことを怒っているのですか」


 地竜の姿では、人間の言葉を話せないらしい。


 低い唸りとともに魔力が揺れ、その感情だけがレオンハルトへ伝わってきた。


 警戒。


 怒り。


 そして、焦り。


「あなたは、あの奥で何かを守っている」


 地竜の尾が地面を打つ。


 土が跳ねた。


 同時に、廃鉱山の方向から再び低い地鳴りが響く。


 地竜が振り返った。


 金色の瞳に、初めて怒りとは違うものが浮かぶ。


 恐怖だった。


「奥で、守っているものが危険なのですね」


 地竜は村ではなく、鉱山へ向かって吠えた。


 その声は、助けを求めるものにも聞こえた。


「レオン」


 アーデルハイトが近づく。


「まさか、鉱山へ行くつもりですか」


「この地竜は、村を襲いに来たのではありません」


「それでも、何を守っているのか分かりません」


「だから、確かめます」


「今すぐでなければならない理由は?」


 また地面が揺れた。


 今度は、坑道入口の一部が崩れた。


 地竜が苦しそうに唸る。


「今でなければ、間に合わないかもしれません」


 アーデルハイトは唇を噛んだ。


「一人では行かせません」


「地竜は人間を警戒しています。大勢で行けば、奥へ案内してくれない可能性があります」


「案内してくれる保証もありません」


「それでも、行きます」


 レオンハルトの声は静かだった。


 だが、譲るつもりがないことは、誰にでも分かった。


「レオンハルト様」


 ゼバスティアンが口を開いた。


「止めても行かれるのでしょうね」


「はい」


「では、最低限の条件をお守りください」


「条件?」


「鉱山入口までは、グレーテルさんとオットーさんが同行します。魔力灯を二つ。予備を一つ。縄、水、赤い布をお持ちください」


「赤い布は?」


「十歩ごとに壁へ結んでください。救援時に進路を確認できます」


「分かりました」


「帰還時刻を鐘三つ後と定めます。間に合わない場合、入口で待つ二人が救援へ向かいます」


「はい」


「さらに、危険だと判断した場合は、守られているものを確認できなくても戻ってください」


 レオンハルトは地竜を見た。


「努力します」


「守るとは言わないのですね」


「状況を見なければ約束できません」


「以前よりは正直でございます」


          ◇


 グレーテルとオットーは、崩れた坑道入口まで同行した。


 地竜は二人を警戒して低く唸ったが、レオンハルトが一人で前へ出ると、攻撃はしなかった。


「無茶するなよ」


 グレーテルが言う。


「危険なら戻ります」


「お前の危険の基準は信用ならねえ」


「鐘三つまでです」


 オットーが赤い布の束を渡した。


「帰り道が崩れても、これを目印にします」


「ありがとうございます」


 レオンハルトが地竜へ近づくと、巨大な頭が低く下がった。


 金色の瞳が、彼を見つめる。


「案内してください」


 地竜の言葉そのものは聞こえない。


 だが、魔力の揺れから感情の方向は伝わる。


 レオンハルトは鉱山を指した。


「あなたが守っているものを、助けられるかもしれません」


 地竜はしばらく動かなかった。


 やがて背を向け、崩れた坑道へ歩き始めた。


 レオンハルトも後を追う。


 地竜が通った跡には、人間一人が歩けるほどの隙間が残っている。


 十歩進むたび、レオンハルトは赤い布を岩の突起へ結んだ。


 坑道の奥は、昼間より大きく崩れている。


 だが地竜は迷わず進んだ。


 岩壁を爪で削り、狭い場所を広げながら深部へ向かう。


 途中、黒紫色の水が流れる亀裂があった。


 毒性鉱物を含んだ水だ。


 その流れは、地竜が進む先から来ている。


 やがて、坑道は広大な空洞へつながった。


 昼間、岩壁越しに感じた空洞だった。


 天井は高く、壁には銀色の鉱脈が走っている。


 空洞の中央には、巨大な白銀の塊があった。


 丸みを帯びた殻。


 表面を覆う、細かな鱗状の紋様。


「卵……」


 地竜の卵だった。


 大人が両腕を広げても抱えきれないほど大きい。


 成長した銀白色の鉱脈が、卵を下から持ち上げている。


 その上には、天井から落ちた巨大な岩がのしかかっていた。


 卵は、成長する鉱脈と岩盤の間へ挟み込まれていた。


 地竜は岩へ頭を押しつけ、何度も持ち上げようとしている。


 だが、卵の下でも地面が割れ始めている。


 地脈から漏れ出した魔力が、一か所へ滞留しているのだ。


 その余剰魔力を吸い込んだ銀白色の鉱脈が、異常な速さで結晶を成長させていた。


 おそらく、過去の崩落で地脈の流路が変わり、魔力を逃がす道が塞がれたのだろう。


 さらに、卵そのものが孵化へ向けて魔力を求め始めたことで、周囲の流れが強まっている。


 余剰魔力に押し出された毒性鉱物は、亀裂を通じて水脈へ流れ込んでいた。


 共同井戸の汚染源も、ここだった。


 レオンハルトが卵へ近づこうとすると、地竜が唸った。


「触りません」


 足を止める。


「状態を確認するだけです」


 《結晶創造》で岩盤と鉱脈を探る。


 銀白色の希少鉱石。


 これまで村で使ってきた低純度鉱石とは比べものにならない。


 一欠片でも高値で売れるだろう。


 魔力灯や冷却結晶へ使えば、僅かな量で大きな効果を得られる。


 領地の財政を、一気に立て直せる可能性さえある。


 だが、この鉱脈は地脈の余剰魔力を吸い込み続けている。


 ただ砕いただけでは、細かな鉱石として残り、再び魔力を集めるかもしれない。


 卵を救うには、鉱脈を支えている魔力構造そのものを分解し、不活性な石へ変える必要があった。


 そうすれば、希少鉱石としての価値は失われる。


「この鉱脈の魔力構造を壊せば、卵を下ろせます」


 地竜が低く唸った。


「ですが、鉱石としては使えなくなります」


 卵の殻には、すでに細い亀裂が入っていた。


 内部の命が弱く脈打っている。


 迷っている時間はない。


「命を見捨てて、石だけ持ち帰れと言う仲間は、私の周りにはいません」


 レオンハルトは地面へ両手をついた。


「鉱石より、この命を救います」


 《結晶創造》を発動する。


 銀白色の鉱脈の構造を分析。


 地脈の魔力を吸い込む層。


 硬度を支える層。


 周囲の岩盤と結びつく層。


 希少鉱石としての性質を保つ中心構造。


 それらを一つずつ分離していく。


 鉱脈全体を一度に壊せば、空洞そのものが崩れる。


 必要なのは、卵を押し上げている部分だけを不活性化することだった。


 額へ汗が浮かぶ。


 地脈の魔力が強すぎる。


 鉱石はレオンハルトの力へ抵抗するように震えた。


 それでも、一層ずつ結びつきを外していく。


 やがて銀白色だった鉱脈から光が失われた。


 表面が灰色へ変わり、ただの脆い石へ崩れていく。


 卵を押し上げていた力が消えた。


 同時に、上からのしかかっていた岩が傾く。


 地竜が肩と背で受け止めた。


 苦しげな咆哮が空洞へ響く。


「右へ押してください!」


 言葉は届かなくても、レオンハルトが指した方向は伝わった。


 地竜が岩を右へ押す。


 レオンハルトは反対側の岩盤へ結晶柱を生成した。


 透明な柱が伸び、岩の重みを受け止める。


 一本。


 二本。


 三本。


 腕が震える。


 視界の端が暗くなる。


 魔力が急速に失われていく。


 それでも、卵を潰していた岩は少しずつ持ち上がった。


 地竜が前脚で卵を引き寄せる。


 最後に大きく尾を振り、卵を安全な窪地へ転がした。


 岩盤が結晶柱へ落ちる。


 激しい音が空洞を揺らした。


 柱へ亀裂が走る。


「離れてください!」


 レオンハルトが叫ぶ。


 地竜は卵を抱えるように身を丸めた。


 結晶柱が砕け、岩盤が落下する。


 だが、卵のあった位置からは外れていた。


 土煙が広がる。


 衝撃で、レオンハルトの身体が地面へ投げ出された。


 魔力は、ほとんど残っていなかった。


          ◇


 目を開けると、金色の瞳がすぐ近くにあった。


 地竜が、レオンハルトを覗き込んでいる。


 その後ろには、救い出された卵がある。


 殻の亀裂は浅い。


 内部の魔力も、弱いながら安定していた。


「無事です」


 レオンハルトは起き上がろうとした。


 だが、腕に力が入らない。


 身体を支えきれず、再び地面へ手をついた。


 地竜が鼻先を彼の胸へ押し当てる。


 支えるような動きだった。


「中の命も……生きています」


 地竜が低く喉を鳴らした。


 先ほどまでの威嚇とは違う。


 安堵したような、柔らかな音だった。


 やがて地竜は鼻先を離し、自ら全身へ魔力を巡らせた。


 淡い光が、巨大な身体を包む。


 変身は、レオンハルトが触れたためではない。


 人間の言葉で意思を伝えるため、地竜自身が姿を変えたのだ。


 巨大な身体が光の中へ縮んでいく。


 二本の角が消え、四本の脚が人の手足へ変わる。


 長い尾が、銀灰色の髪へ溶けた。


 全身を覆っていた鱗は、身体へ沿う銀灰色の簡素な衣へ姿を変える。


 光が収まったとき、そこには一人の少女が立っていた。


 見た目は十五、六歳ほど。


 腰まで届く銀灰色の髪。


 鋭さを残した金色の瞳。


 首筋と手の甲には、薄い鱗の紋様が浮かんでいる。


 少女は裸足のまま卵の前へ立ち、レオンハルトを見つめた。


「人の子」


 初めて聞く声は、低く、少し掠れていた。


「あなたは、わたしの声を聞けなかった」


「申し訳ありません」


「竜の姿では、魔力で意思を伝える」


 少女は自分の胸元へ触れた。


「人間には、言葉ではなく感情しか届かない」


「怒りと、焦りは感じました」


「それでも、卵を選んだ」


 少女は、灰色へ変わった鉱脈を見る。


「その石は、人間が欲しがるものだ」


「価値はありました」


「なぜ壊した」


「卵を救うために必要だったからです」


「迷わなかったのか」


「迷いました」


 レオンハルトは正直に答えた。


「村を豊かにできる鉱石でした。使い道も、いくつも考えました」


 少女の目が細くなる。


「それでも壊した」


「鉱石は、別の場所で探せます」


 レオンハルトは卵へ目を向けた。


「その命は、失えば戻りません」


 少女は長いあいだ黙っていた。


 やがて卵へ手を置く。


「これは、母が残した最後の卵」


 金色の瞳が僅かに伏せられる。


「わたしの、まだ生まれていないきょうだい」


「お母様は?」


「もういない」


 空洞を流れる魔力が、小さく脈打つ。


「母エルドリンデは、昔の地脈の乱れから、わたしと卵を守って死んだ」


 それ以上を話すつもりはないらしい。


 少女は短く息を吐いた。


「わたしは、そのあと一人で卵と地脈を守った」


「最近、また地脈が乱れ始めたのですね」


「人の鉱山が崩れたとき、流れが変わった」


 少女は空洞の奥を指す。


「魔力が逃げる道が塞がった。漏れた魔力が石を育てた。卵も、生まれるために魔力を求めた」


「二つが重なり、鉱脈が異常に成長した」


「そうだ」


「水へ毒が流れたのも?」


「押し出された石の毒が、割れ目から水へ入った」


「村の井戸まで流れました」


「人の水にも?」


「何人かが体調を崩しました。今は浄水装置で対応しています」


 少女は卵から手を離した。


「わたしは、人が卵を狙ったと思った」


「坑道へ入ったからですか」


「鱗には巣の匂いが付いていた」


 昼間に持ち帰った鱗を見る。


「あれを持つ者が、卵の近くまで来たと思った。だから人間の匂いを追った」


「一度、卵のもとへ戻ったのですか」


「戻った。だが岩が動き、わたし一人では助けられなかった」


「それで村まで」


「助けを求めるつもりではなかった」


 少女は僅かに顔を背けた。


「人間を脅し、卵から遠ざけるつもりだった」


「ですが、私たちが卵を助けられるかもしれないと考えた」


「あなたが鱗を返した。村を壊さず、わたしを見た」


 金色の瞳が、再びレオンハルトへ向く。


「だから試した」


「私を案内したのですね」


「逃げるなら、それまでだと思った」


「逃げる余裕はありませんでした」


「倒れるほど魔力を使うとは思わなかった」


 レオンハルトは立ち上がろうとした。


 しかし、やはり脚へ力が入らない。


 少女が腕を伸ばし、肩を支える。


「動くな」


「地上へ戻らなければ」


「わたしが運ぶ」


「ですが、卵は?」


「今は安定している。すぐには動かない」


 少女はレオンハルトを見つめる。


「名前は?」


「レオンハルト・フォン・ベルクシュタインです。レオンと呼ばれています」


「長い」


「グレーテルさんにも言われました」


「わたしは、ジークリンデ」


 少女は少し間を置いた。


「母は、リンデと呼んだ」


「では、リンデと呼んでも?」


「それは、群れの者だけが呼ぶ名だ」


「分かりました。ジークリンデさん」


「……今は、それでいい」


 ジークリンデは卵へ目を向けた。


「レオン。地脈の流れは、まだ戻っていない」


「余った魔力を逃がす必要があります」


「このままなら、別の場所で石が育つ。水も、また濁る」


「地脈そのものを止めることはできません」


「止めれば、山が死ぬ」


「では、傷つけずに余剰魔力を集め、安全な場所へ逃がす仕組みが必要です」


 ジークリンデがレオンを見た。


「人間に、できるのか」


「一人では無理です」


 レオンハルトは正直に答えた。


「地脈を知るあなたと、鉱山を知るオットーさん。構造物を作るグレーテルさん。予算と人員を管理するアーデルハイト。皆の協力が必要です」


「群れで守るのか」


「はい」


 ジークリンデはしばらく考えた。


「なら、卵と地脈を守るため、しばらく人間の村を見る」


「協力していただけるのですか」


「まだ、あなたの群れをすべて信じたわけではない」


 彼女ははっきりと言った。


「だが、レオン。あなたは卵を守った」


 金色の瞳が、まっすぐレオンハルトを見つめる。


「だから、わたしはあなたと地脈を守る」


「ありがとうございます」


「先に地上へ戻る」


 ジークリンデは再び竜の姿へ戻った。


 銀灰色の衣と髪が光へ溶け、巨大な鱗と翼のない四肢へ変わる。


 彼女は身体を低くし、レオンハルトを背へ乗せた。


 レオンハルトは鱗の隙間へ縄を通し、落ちないよう身体を固定する。


 帰り道には、赤い布が残っていた。


 地竜は、その印を避けるように進みながら、崩れた坑道を地上へ向かった。


 鉱山入口へ戻ったころには、定めた時刻を僅かに過ぎていた。


 救援へ入ろうとしていたグレーテルとオットーが、地竜の背に乗せられたレオンハルトを見て立ち尽くす。


「お前……何をしてきた」


 グレーテルが呟いた。


「卵を助けました」


「それは見れば分かる話じゃねえ!」


 地竜がゆっくりと身を低くし、レオンハルトを地面へ下ろす。


 アーデルハイトが駆け寄った。


「レオン!」


「戻りました」


「戻りました、ではありません!」


 彼女は怒鳴りかけ、レオンハルトが一人では立てないことへ気づいた。


 すぐに反対側から身体を支える。


「魔力を使い果たしたのですね」


「ほとんどです」


「ゼバスティアン!」


「寝台を用意しております」


 ゼバスティアンは、すでに村人へ地竜を刺激しないよう指示していた。


 地竜は村へ踏み込まず、鉱山入口の前へ伏せる。


 その金色の瞳は、レオンハルトと、彼を支える者たちを静かに見ていた。


 まだ、村のすべてを信じたわけではない。


 それでも、彼女は地上へ残った。


 空の下で、銀灰色の鱗が魔力灯の光を反射する。


 そして地の底では、救われた白銀の卵が、ゆっくりと次の鼓動を打っていた。

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