第20話 鉄槌のグレーテ
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
4日目(7/23)5話目です。
魔力灯十個を近隣商会へ引き渡した日の午後。
レオンハルトとアーデルハイトは、そのままローゼンフェルト領の南西へ向かった。
馬車の荷台には、試作した冷却箱が積まれている。
中には村で作られた乳酪と山鹿の肉、それから葉物野菜が少量ずつ入っていた。
冷却結晶は厚い布袋へ収め、箱の底へ置いている。食材との間には木板を挟み、直接触れないようにしていた。
ひび割れた固定金具と、冷却結晶の試作品も別の布へ包んである。
さらに、アーデルハイトは訪問先への手土産として、濃い褐色の酒が入った瓶を用意していた。
「その酒は、かなり強いのですか」
揺れる馬車の中で、レオンハルトが尋ねた。
「かなり強いです」
「飲んだことがあるのですか」
「一口だけ」
「どうでしたか」
「喉が焼けるかと思いました」
アーデルハイトは、膝の上で開いていた帳面から目を上げた。
「グレーテルは、これを水のように飲みます」
「身体に悪くないのでしょうか」
「本人には言わないほうがよいでしょう」
「なぜですか」
「酒を取り上げに来たと思われます」
レオンハルトは、座席の下に置かれた酒瓶を見た。
細い瓶の中で、濃い液体が馬車の揺れに合わせて動いている。
「酒を持っていけば、話を聞いてくれるのですか」
「少なくとも、何も持たずに行くよりは可能性があります」
「依頼を受けてもらえる可能性は?」
「分かりません」
アーデルハイトは帳面を閉じた。
「グレーテルは腕のよい鍛冶師です。農具、馬車の金具、武器、防具。頼まれれば、大抵の物を作れます」
「それなら仕事は多いのでは?」
「多いです。だからこそ、気に入らない依頼を断っても困りません」
「貴族からの依頼も?」
「特に、貴族からの依頼を嫌います」
アーデルハイトは窓の外へ目を向けた。
「以前、領外の男爵が特注の剣を注文しました。グレーテルは、重心が悪く実戦では使いにくいと説明したそうです」
「男爵は聞かなかったのですか」
「家紋を大きく入れろ。宝石を増やせ。自分の腕力なら重くても問題ない、と命じました」
「完成したのですか」
「グレーテルは、注文書を炉へ投げ込みました」
「本人の前で?」
「本人の前で」
レオンハルトは少し考えた。
「正直な方なのですね」
「そこを好意的に受け取るのですか」
「使う人に危険があるなら、作らないほうがよいでしょう」
アーデルハイトは、呆れたような、感心したような顔でレオンハルトを見た。
「あなたとグレーテルが意気投合するのか、最初の数分で追い返されるのか、分からなくなってきました」
「喧嘩をするつもりはありません」
「グレーテルにも、そのつもりがなければよいのですが」
◇
街道沿いの工房へ着いたのは、日が西へ傾き始めたころだった。
工房は石造りの平屋で、その背後に太い煙突が立っている。
屋根や壁には煤が付き、建物の横には鉄材、木炭、壊れた農具が積まれていた。
入口の扉は開いている。
中から、鉄を打つ音が響いていた。
かん。
かん。
かん。
一定の間隔で繰り返される音は、馬車を降りたレオンハルトの胸にまで響く。
熱気と鉄の匂いが、入口から外へ流れていた。
アーデルハイトが先に工房へ入る。
「グレーテル。いるかしら」
「音が聞こえてるなら、いるに決まってんだろ!」
奥から大きな声が返ってきた。
「今、手が離せん! 邪魔するなら帰れ!」
「相変わらずね」
「お前も相変わらず、忙しいときに来やがる!」
レオンハルトは冷却箱を持ち上げ、アーデルハイトの後へ続いた。
工房の中央には、大きな炉があった。
赤く燃える炭の前で、一人の女性が鉄槌を振るっている。
背丈はレオンハルトの肩より低い。
だが、露出した腕は太く、肩から背中にかけて引き締まった筋肉が見えた。
赤褐色の髪は後ろで無造作に束ねられ、額には汗が滲んでいる。
革の前掛けには、小さな焦げ跡がいくつも残っていた。
炉から取り出した赤い鉄を金床へ置き、重い鉄槌を振り下ろす。
高い音が鳴るたび、火花が散った。
レオンハルトは思わず、その手元を見つめた。
鉄槌を振るう力だけではない。
打つ角度。
鉄を回すタイミング。
熱の残り方を見極める視線。
すべての動きに、迷いがなかった。
やがて女性は、成形した鉄を水へ入れた。
白い蒸気が上がる。
じゅう、という音が消えてから、ようやくこちらを向いた。
「で?」
金色に近い茶色の瞳が、レオンハルトを射抜く。
「その細っこい坊主が、例の廃嫡された伯爵家の息子か」
「初めまして。レオンハルト・フォン・ベルクシュタインです」
「長い」
「レオンとお呼びください」
「貴族様を愛称で呼べってか?」
「今は廃鉱山の管理人です」
「伯爵家の名前は残ってるだろ」
「名前だけでは、金具は直せません」
グレーテルは一瞬、黙った。
それからアーデルハイトへ視線を向ける。
「妙なのを連れてきたな」
「話くらいは聞いてあげて」
「忙しい」
「酒を持ってきたわ」
アーデルハイトが瓶を掲げる。
グレーテルの目が、酒へ移った。
「どこのだ」
「北部産の黒麦酒。蒸留を二度したものよ」
「……置いていけ」
「話を聞いたあとで」
「値打ちの分からん小娘になったな」
「交渉を覚えたと言って」
グレーテルは鼻を鳴らした。
「仕方ねえ。酒一杯分だけだ」
「ありがとうございます」
レオンハルトが頭を下げると、グレーテルの眉が寄った。
「まだ何もしてねえぞ」
「話を聞いていただけますから」
「調子の狂う坊主だな」
グレーテルは鉄槌を壁際へ置き、冷却箱へ目を向けた。
「それが頼みたい物か」
「はい」
レオンハルトは木箱を作業台へ載せた。
「廃鉱石から作った冷却結晶を使い、内部の食料を保存する箱です」
「冷却結晶?」
グレーテルは蓋を開けた。
ひんやりした空気が流れ出す。
中へ手を入れ、乳酪、肉、野菜へ順番に触れる。
「氷じゃねえな」
「箱の底に結晶があります」
「見せろ」
レオンハルトが布袋を取り出そうとすると、グレーテルがその手を制した。
「触るな。あたしが見る」
彼女は革手袋をはめ、布袋を持ち上げた。
中から青い結晶を取り出し、光へかざす。
「綺麗にまとめちゃいるが……」
結晶を指先で軽く叩く。
次に耳へ近づけた。
レオンハルトは、その仕草を不思議そうに見つめた。
「魔力が揺れてる」
「揺れている?」
「お前には見えても、音は聞いてねえのか」
「魔力の音が分かるのですか」
「魔力そのものじゃねえ。魔石や金属が、内側でどう震えてるかだ」
グレーテルは結晶を作業台へ置いた。
「ドワーフの耳は、人間より細けえ振動を拾う。鍛冶を長くやってりゃ、ひびが入る前の金属も、魔石の乱れも音で分かるようになる」
生まれ持った聴覚だけではない。
長年、鉄と魔石を扱って身につけた技術なのだ。
「こいつは一定じゃねえ。冷える力が強くなったり弱くなったりしてる。このまま金具へ固定すりゃ、膨らんだり縮んだりを繰り返す」
「結晶そのものが?」
「外から分からん程度にな」
レオンハルトはすぐに《結晶創造》を使った。
結晶内部の冷却性魔力を可視化する。
魔力は多層の流路を通り、周囲の熱を吸収している。
大きな乱れは見えない。
しかし、グレーテルに言われて細部へ意識を向けると、外殻の一部がわずかに伸び縮みしていた。
熱を吸収するたび、内部の魔力密度が変化している。
「確かに、変化しています」
「気づいてなかったのか」
「はい」
「そんな物を金具で締め付けたのか?」
「これを使いました」
レオンハルトは、ひび割れた固定金具を差し出した。
グレーテルは受け取ると、一度見ただけで作業台へ投げた。
「こんなもん、割れて当然だ」
「やはり金属が悪かったのですか」
「先に悪いのは設計だ」
グレーテルは冷却箱の側面を拳で軽く叩いた。
「結晶が動く。箱も動く。荷車へ載せりゃ、さらに揺れる。それを薄い鉄の輪でがっちり締め付けてる」
「固定しなければ、外れてしまいます」
「固定と締め付けは違う」
グレーテルは折れた金具を拾い上げた。
「これじゃ、結晶の冷えが一か所へ集まる。鉄の片側だけが縮み、反対側はそのまま。そこへ結晶の細けえ振動まで加わる。割れろと言ってるようなもんだ」
アーデルハイトが冷却箱を見る。
「では、金具を厚くすれば?」
「もっと悪くなる」
「なぜ?」
「冷え方に差が出る。厚いほど、内側と外側の温度差が大きくなる」
「金属を変えるのは?」
「それだけじゃ足りん」
グレーテルは冷却箱の蓋を閉め、側面を押した。
木材がわずかに軋む。
「箱も駄目だ」
「箱も?」
「隙間だらけだ。布と藁を詰めただけじゃ、冷気が逃げる。蓋も歪んでる。これじゃ冷やす力を無駄に食う」
グレーテルは冷却箱を一周した。
「内側に水が溜まってるな」
「結露です」
「名前なんざどうでもいい。水が木へ染みりゃ腐る。肉から出た汁と混ざりゃ、臭いも残る。掃除もしにくい」
容赦のない指摘が続く。
「持ち手の位置も悪い」
「持ち手まで?」
「中身を入れれば重心が下がる。ここを持って運べば傾く。冷却結晶が底で転がる」
グレーテルは鼻を鳴らした。
「宝石を木箱へ貼り付けただけの玩具だな」
アーデルハイトが、レオンハルトの顔を見る。
怒るか、傷つくと思ったのだろう。
だが、レオンハルトは冷却箱ではなく、グレーテルを見ていた。
「ほかにもありますか」
「は?」
「問題点です。すべて教えてください」
グレーテルが目を細める。
「馬鹿にされてるのが分からんのか」
「玩具に見える理由は分かりました」
「怒らねえのか」
「実際に金具は壊れました。箱にも水が溜まっています」
レオンハルトは結晶を持ち上げた。
「私は結晶の働きばかり見て、外装へどれほど負担がかかるか理解していませんでした」
「貴族様なら、作った職人を叱るところだろ」
「村へ戻ったら、壊れた原因と、説明が足りなかったことを職人へ伝えます。そのうえで、改良にも協力していただきたいです」
工房に短い沈黙が落ちた。
グレーテルは腕を組み、レオンハルトを上から下まで見た。
「本当に伯爵家の息子か?」
「一応は」
「その割に威張らんな」
「威張れば、壊れない金具が作れますか」
「作れねえな」
「なら、意味がありません」
グレーテルの口元が、少しだけ動いた。
「言うじゃねえか」
彼女は結晶を指で示した。
「まず、こいつの膨らみ方を減らせ」
「外殻を厚くすれば?」
「魔力が伝わりにくくなる」
「では、外殻を柔らかく――」
「柔らかけりゃ欠ける」
レオンハルトは結晶内部を見つめた。
問題は外殻だけではない。
熱を吸収するたび、内部の魔力密度が上がっている。
その変化が、結晶全体を押し広げていた。
「魔力を一か所へ溜めず、複数の小さな層へ分けます」
「できるのか」
「試します」
レオンハルトは作業台の端を借り、冷却結晶を両手で包んだ。
《結晶創造》を発動する。
内部へ蓄積された熱と、冷却性魔力の流れを分離する。
吸収した熱が中心部だけへ集まらないよう、外周に沿って細い層を増やす。
さらに、結晶内部へわずかな緩衝層を作った。
青い結晶の中に、薄い輪が幾重にも浮かぶ。
「これならどうでしょう」
グレーテルが結晶を受け取る。
先ほどと同じように指で叩き、耳へ近づけた。
「さっきより静かだ」
「膨張も抑えられています」
「冷やしてみろ」
レオンハルトは、作業台の上へ置かれた水の入った金属杯の横に結晶を置いた。
魔力を流す。
青い光が広がり、杯の表面へ水滴が浮かび始める。
だが、しばらくすると光が弱くなった。
「冷却力が落ちています」
緩衝層を増やしすぎたことで、熱を吸収する流路まで狭くなっていた。
「動きを抑えりゃ、力も通らなくなる」
グレーテルが言った。
「はい。もう一度変えます」
「今度は層を減らせ。全部を同じ厚さにするな」
レオンハルトは結晶を作り直した。
外側の緩衝層は薄く。
熱を蓄える中心部の周囲だけを厚く。
再び試す。
今度は冷却力が戻った。
しかし、結晶の一方にだけ白い霜が広がった。
「偏っています」
「流れが片側へ寄ってる」
グレーテルが結晶の向きを変える。
「ここだ。音が高い」
レオンハルトが内部を見ると、確かに一つの流路だけ魔力が集中していた。
そこを分岐させ、再び整える。
三度目の試験で、ようやく全体が均等に冷え始めた。
グレーテルは結晶を指で叩き、耳へ近づける。
「完全じゃねえが、さっきよりずっとましだ」
「膨張は残っています」
「なくす必要はねえ」
グレーテルは作業台の紙へ、炭で簡単な図を描いた。
「動く前提で金具を作る」
「動く前提で?」
「結晶を輪で締めるんじゃねえ。三方から爪で支える」
「三点で?」
「爪の根元に薄い板ばねを入れる。結晶がわずかに動いても、ばねが逃がす」
「冷えは金具へ伝わりませんか」
「爪の先へ革と乾燥木を挟む。金属が直接触れなきゃ、冷え方も急にならん」
「冷気を遮りすぎる可能性は?」
「爪は固定するだけだ。冷気を箱へ広げる板は別に作る」
グレーテルはさらに線を書き足した。
「薄い金属板を箱の内側へ沿わせる。結晶を直接食材へ近づけず、板全体へ冷えを広げる」
「一か所だけ凍るのも防げます」
「そういうことだ」
レオンハルトは図へ顔を近づけた。
「この板の材質は?」
「鉄より、銅を混ぜた合金がいい。高いが熱を伝えやすい」
「金属板が冷えすぎれば、表面に水が溜まります」
「だから底へ溝を作る」
グレーテルは箱の下へ線を引いた。
「水を一か所へ集め、外から抜ける栓を付ける。栓の周りは革で塞ぐ」
「開けたときだけ水を捨てるのですね」
「そうだ」
「蓋の密閉は?」
「二重にする。内蓋と外蓋の間に乾いた羊毛を詰めろ」
「羊毛ですか」
「空気を含む。藁より形が崩れにくい」
レオンハルトは、図へ見入った。
結晶だけを見ていては思いつかなかった工夫ばかりだ。
「すごいです」
「まだ絵を描いただけだ」
「それでも、私が考えていた箱とはまったく違います」
「当たり前だ。あたしは鍛冶師だぞ」
グレーテルはそう言いながらも、少しだけ胸を張った。
「試しに作っていただけますか」
「誰が引き受けると言った」
「必要な費用と作業賃は支払います」
「金の問題じゃねえ」
「では、何が必要ですか」
グレーテルはレオンハルトを睨む。
「その結晶を、もう少し扱いやすくしろ」
「どのように?」
「冷却力を三段階くらいに変えられんのか」
「三段階?」
「肉を冷やすのと、野菜を冷やすのじゃ必要な冷たさが違う。運び始めと、冷えたあとの維持でも違う」
レオンハルトは目を見開いた。
冷却力を一定に保つことしか考えていなかった。
しかし、箱の中が十分に冷えたあとも同じ力で熱を奪えば、魔力を無駄に消耗する。
食材によっては、冷えすぎる可能性もある。
「結晶の魔力流路を切り替える仕組みがあれば」
「外から動かせるようにしろ。箱を開けて結晶を触るんじゃ意味がねえ」
「金具の一部を回すことで、魔力の出口を変える……」
「できるか?」
「試します」
レオンハルトは冷却結晶を再び手に取った。
内部の流路を三つへ分ける。
一つ目は細く、ゆっくりと熱を吸収する。
二つ目は現在と同程度。
三つ目は短時間だけ強く働く。
結晶の外側に、小さな受け口を三つ作る。
外装の金具を回し、接触する受け口を切り替えられるようにする。
丸みを帯びていた結晶は、片側に三つの浅い溝を持つ形へ変わった。
「この溝へ金属の爪を合わせれば、流路を切り替えられます」
「見せろ」
グレーテルは結晶を受け取り、溝へ細い鉄棒を当てた。
最初の溝では、結晶の光が淡くなる。
二本目では安定した青色。
三本目では光が強くなった。
直後、結晶の表面へ細い亀裂が走った。
「止めろ!」
レオンハルトはすぐに魔力を抑えた。
亀裂は浅い。
だが、強い流路へ魔力を集中させすぎたことで、外殻が耐えられなかった。
「強の流路が狭すぎます」
「出口だけ広げても駄目だ。入口から変えろ」
「はい」
レオンハルトは亀裂の入った部分を分離し、結晶を再構成した。
強い流路だけ、根元から二本へ分ける。
さらに、短時間以上は働かないよう、内部へ魔力を遮る薄い層を入れた。
二度目の試験では、作業台へ薄い霜が広がったものの、結晶に亀裂は入らなかった。
グレーテルは霜を指で擦り、低い声で笑った。
「面白え」
「引き受けていただけますか」
「酒一杯分の話は、もう終わったぞ」
レオンハルトが言葉を止める。
グレーテルは、三つの溝を持つ結晶を光へかざした。
「ここからは依頼じゃねえ」
「では――」
「この結晶がどこまで使えるか、あたしが試したくなっただけだ」
彼女は棚から金属片を取り出した。
「勘違いするなよ。お前のために作るんじゃねえ」
「はい」
「そこで素直に頷くな!」
グレーテルは炉へ炭を追加した。
火が大きくなり、工房の中へ熱が広がる。
「坊主、火吹きの取っ手を動かせ」
「私が?」
「手伝いたいんだろ」
「はい」
「なら動け。アーデルハイトは寸法を記録しろ」
「私も?」
「突っ立って見てるだけなら、酒を置いて帰れ」
アーデルハイトは小さくため息をつきながら、帳面を開いた。
◇
日が沈んだあとも、工房の炉は赤々と燃え続けた。
外が暗くなるにつれ、工房の窓から漏れる炎の光が、街道脇の地面を照らした。
グレーテルは薄い合金板を箱の内側へ合わせて曲げた。
結晶を支える三本の爪には、小さな板ばねを付ける。
接触部分へ乾燥木と革を挟み、急激に冷えが伝わらないようにした。
最初に作った爪は硬すぎて、結晶の動きへ追いつかなかった。
強い冷却を試した瞬間、板ばねの根元が歪んだ。
「薄すぎたな」
グレーテルは迷わず金具を外し、炉へ戻した。
二つ目は厚くしすぎ、今度はほとんどしならなかった。
「これじゃ、また締め付けてるのと同じだ」
レオンハルトも結晶の形を微調整する。
「あと爪一本分、細くしろ」
グレーテルに言われれば、外殻を削る。
「溝が深すぎる。爪が引っかかる」
そう言われれば、魔力流路へ影響しない範囲で浅く戻す。
どちらかが一方へ合わせるのではない。
金具に合わせて結晶を変え、結晶の性質に合わせて金具を変える。
何度も寸法を確認し、試し、外しては作り直した。
夜もかなり更けたころ、ようやく改良した固定具が形になった。
冷却結晶を三本の爪で支え、回転式のつまみで冷却力を切り替える。
箱の内側には、冷気を広げる金属板。
底には水を集める溝と、小さな排水栓。
蓋は二重にし、その間へ羊毛を詰めた。
最初の木箱とは、ほとんど別物になっていた。
「入れてみろ」
グレーテルが言った。
レオンハルトは、持ってきた乳酪と肉、野菜を箱へ戻した。
つまみを強へ合わせる。
結晶が青く輝き、金属板へ冷気が広がる。
箱の内側全体が、ゆっくりと冷え始めた。
一か所だけ霜が付くことはない。
金具も割れず、爪が結晶のわずかな動きに合わせてしなる。
しばらくして、つまみを中へ切り替えた。
光が少し弱まり、冷却力が安定する。
「どうだ」
グレーテルが尋ねる。
「結晶への負担も減っています」
「金具は?」
「異常ありません」
「箱の隙間は?」
アーデルハイトが蓋の周囲へ手を当てる。
「ほとんど冷気が漏れていません」
グレーテルは満足そうに鼻を鳴らした。
「まだ試作品だ。荷車へ載せて揺らせ。二日使って金具を外せ。錆びや歪みが出ないか見ろ」
「分かりました」
「水も捨て忘れるな。栓が詰まるかもしれん」
「すべて記録します」
「箱を大きくするなら、同じ作りじゃ駄目だ。板の厚さも、爪の数も変わる」
「では、大型化するときも相談させてください」
「勝手に先の話を決めるな」
グレーテルは革手袋を外した。
「まだ一つ作っただけだ」
「では、この一つの試験が成功したら改めてお願いします」
「しつこいな、お前」
「必要な技術ですから」
グレーテルはレオンハルトを睨んだ。
やがて、酒瓶へ視線を向ける。
「それを開けろ」
アーデルハイトが瓶を渡す。
グレーテルは栓を抜き、金属杯へ酒を注いだ。
一口飲み、満足そうに息を吐く。
「悪くない」
「酒がですか」
「酒もだ」
グレーテルは、完成した冷却箱を軽く叩いた。
「お前の結晶も、最初よりはましになった」
「ありがとうございます」
「褒めてねえ」
「問題点を教えていただいたから、改善できました」
「いちいち素直に受け取るな」
グレーテルはもう一口飲んだ。
わずかに耳が赤くなっている。
「それと」
彼女はレオンハルトへ指を向けた。
「結晶が本体で、箱や金具は飾りだと思うな。道具は全部揃って初めて道具だ」
「はい」
「村へ戻ったら、最初の金具を作った奴に今日の改良を見せろ」
「そうします。壊れた原因も説明します」
「それでいい」
グレーテルは、しばらくレオンハルトの顔を見た。
「……気に食わんな」
「どこがでしょう」
「そうやって、すぐ認めるところだ」
「認めてはいけませんか」
「怒鳴り返してきたほうが、殴りやすい」
アーデルハイトが小さく笑った。
「気に入ったのね」
「誰がだ!」
グレーテルの声が工房へ響く。
彼女は酒を飲み干し、杯を作業台へ置いた。
「試験結果を持ってこい」
「いつまでに?」
「三日後だ。肉が腐ってても、金具が割れてても、全部そのまま持ってこい」
「分かりました」
「成功してたら、次の箱を作る」
「ありがとうございます」
「だから、まだ決めてねえ!」
グレーテルは再び鉄槌を掴んだ。
「さっさと帰れ。今度こそ仕事の邪魔だ」
レオンハルトは改良された冷却箱を持ち上げた。
最初に運び込んだときより、箱は重くなっている。
だが、金具は安定し、蓋の隙間から冷気も漏れていない。
「グレーテルさん」
「なんだ」
「あなたの技術は、すごいです」
グレーテルの動きが止まった。
「結晶の力を箱全体へ広げる方法も、動きを受け流す金具も、私には作れませんでした」
「当たり前だ」
「だから、三日後もお願いします」
「試験結果を持ってこいって言っただろ!」
「はい」
「なら早く行け!」
レオンハルトとアーデルハイトが工房を出る。
扉を閉める直前、レオンハルトはもう一度だけ中を見た。
グレーテルは背を向け、炉の前へ戻っている。
作業台の端には酒瓶が置かれていた。
その隣には、先ほど炭で描いた三点支持金具の図面が、丸められず丁寧に広げられている。
馬車へ冷却箱を積み込むと、アーデルハイトが小さく笑った。
「どうやら追い返されずに済みましたね」
「まだ正式に引き受けていただいたわけではありません」
「三日後に来いと言われたのでしょう」
「試験結果を見てからです」
「グレーテルが興味のない相手へ、次の期限を決めることはありません」
レオンハルトは、工房の煙突を見上げた。
夜空へ、細い煙が昇っている。
馬車が走り始める。
荷台で冷却箱が揺れるたび、青い結晶を支える三本の爪が、わずかにしなった。
それでも金具は割れない。
蓋の隙間から冷気が漏れることもなく、箱の中では食料が静かに冷やされ続けていた。
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