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廃嫡錬金術師の魔石国家  作者: 阿鼻恭介
第四章 廃鉱山の仲間たち

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第20話 鉄槌のグレーテ

この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。

4日目(7/23)5話目です。

 魔力灯十個を近隣商会へ引き渡した日の午後。


 レオンハルトとアーデルハイトは、そのままローゼンフェルト領の南西へ向かった。


 馬車の荷台には、試作した冷却箱が積まれている。


 中には村で作られた乳酪と山鹿の肉、それから葉物野菜が少量ずつ入っていた。


 冷却結晶は厚い布袋へ収め、箱の底へ置いている。食材との間には木板を挟み、直接触れないようにしていた。


 ひび割れた固定金具と、冷却結晶の試作品も別の布へ包んである。


 さらに、アーデルハイトは訪問先への手土産として、濃い褐色の酒が入った瓶を用意していた。


「その酒は、かなり強いのですか」


 揺れる馬車の中で、レオンハルトが尋ねた。


「かなり強いです」


「飲んだことがあるのですか」


「一口だけ」


「どうでしたか」


「喉が焼けるかと思いました」


 アーデルハイトは、膝の上で開いていた帳面から目を上げた。


「グレーテルは、これを水のように飲みます」


「身体に悪くないのでしょうか」


「本人には言わないほうがよいでしょう」


「なぜですか」


「酒を取り上げに来たと思われます」


 レオンハルトは、座席の下に置かれた酒瓶を見た。


 細い瓶の中で、濃い液体が馬車の揺れに合わせて動いている。


「酒を持っていけば、話を聞いてくれるのですか」


「少なくとも、何も持たずに行くよりは可能性があります」


「依頼を受けてもらえる可能性は?」


「分かりません」


 アーデルハイトは帳面を閉じた。


「グレーテルは腕のよい鍛冶師です。農具、馬車の金具、武器、防具。頼まれれば、大抵の物を作れます」


「それなら仕事は多いのでは?」


「多いです。だからこそ、気に入らない依頼を断っても困りません」


「貴族からの依頼も?」


「特に、貴族からの依頼を嫌います」


 アーデルハイトは窓の外へ目を向けた。


「以前、領外の男爵が特注の剣を注文しました。グレーテルは、重心が悪く実戦では使いにくいと説明したそうです」


「男爵は聞かなかったのですか」


「家紋を大きく入れろ。宝石を増やせ。自分の腕力なら重くても問題ない、と命じました」


「完成したのですか」


「グレーテルは、注文書を炉へ投げ込みました」


「本人の前で?」


「本人の前で」


 レオンハルトは少し考えた。


「正直な方なのですね」


「そこを好意的に受け取るのですか」


「使う人に危険があるなら、作らないほうがよいでしょう」


 アーデルハイトは、呆れたような、感心したような顔でレオンハルトを見た。


「あなたとグレーテルが意気投合するのか、最初の数分で追い返されるのか、分からなくなってきました」


「喧嘩をするつもりはありません」


「グレーテルにも、そのつもりがなければよいのですが」


          ◇


 街道沿いの工房へ着いたのは、日が西へ傾き始めたころだった。


 工房は石造りの平屋で、その背後に太い煙突が立っている。


 屋根や壁には煤が付き、建物の横には鉄材、木炭、壊れた農具が積まれていた。


 入口の扉は開いている。


 中から、鉄を打つ音が響いていた。


 かん。


 かん。


 かん。


 一定の間隔で繰り返される音は、馬車を降りたレオンハルトの胸にまで響く。


 熱気と鉄の匂いが、入口から外へ流れていた。


 アーデルハイトが先に工房へ入る。


「グレーテル。いるかしら」


「音が聞こえてるなら、いるに決まってんだろ!」


 奥から大きな声が返ってきた。


「今、手が離せん! 邪魔するなら帰れ!」


「相変わらずね」


「お前も相変わらず、忙しいときに来やがる!」


 レオンハルトは冷却箱を持ち上げ、アーデルハイトの後へ続いた。


 工房の中央には、大きな炉があった。


 赤く燃える炭の前で、一人の女性が鉄槌を振るっている。


 背丈はレオンハルトの肩より低い。


 だが、露出した腕は太く、肩から背中にかけて引き締まった筋肉が見えた。


 赤褐色の髪は後ろで無造作に束ねられ、額には汗が滲んでいる。


 革の前掛けには、小さな焦げ跡がいくつも残っていた。


 炉から取り出した赤い鉄を金床へ置き、重い鉄槌を振り下ろす。


 高い音が鳴るたび、火花が散った。


 レオンハルトは思わず、その手元を見つめた。


 鉄槌を振るう力だけではない。


 打つ角度。


 鉄を回すタイミング。


 熱の残り方を見極める視線。


 すべての動きに、迷いがなかった。


 やがて女性は、成形した鉄を水へ入れた。


 白い蒸気が上がる。


 じゅう、という音が消えてから、ようやくこちらを向いた。


「で?」


 金色に近い茶色の瞳が、レオンハルトを射抜く。


「その細っこい坊主が、例の廃嫡された伯爵家の息子か」


「初めまして。レオンハルト・フォン・ベルクシュタインです」


「長い」


「レオンとお呼びください」


「貴族様を愛称で呼べってか?」


「今は廃鉱山の管理人です」


「伯爵家の名前は残ってるだろ」


「名前だけでは、金具は直せません」


 グレーテルは一瞬、黙った。


 それからアーデルハイトへ視線を向ける。


「妙なのを連れてきたな」


「話くらいは聞いてあげて」


「忙しい」


「酒を持ってきたわ」


 アーデルハイトが瓶を掲げる。


 グレーテルの目が、酒へ移った。


「どこのだ」


「北部産の黒麦酒。蒸留を二度したものよ」


「……置いていけ」


「話を聞いたあとで」


「値打ちの分からん小娘になったな」


「交渉を覚えたと言って」


 グレーテルは鼻を鳴らした。


「仕方ねえ。酒一杯分だけだ」


「ありがとうございます」


 レオンハルトが頭を下げると、グレーテルの眉が寄った。


「まだ何もしてねえぞ」


「話を聞いていただけますから」


「調子の狂う坊主だな」


 グレーテルは鉄槌を壁際へ置き、冷却箱へ目を向けた。


「それが頼みたい物か」


「はい」


 レオンハルトは木箱を作業台へ載せた。


「廃鉱石から作った冷却結晶を使い、内部の食料を保存する箱です」


「冷却結晶?」


 グレーテルは蓋を開けた。


 ひんやりした空気が流れ出す。


 中へ手を入れ、乳酪、肉、野菜へ順番に触れる。


「氷じゃねえな」


「箱の底に結晶があります」


「見せろ」


 レオンハルトが布袋を取り出そうとすると、グレーテルがその手を制した。


「触るな。あたしが見る」


 彼女は革手袋をはめ、布袋を持ち上げた。


 中から青い結晶を取り出し、光へかざす。


「綺麗にまとめちゃいるが……」


 結晶を指先で軽く叩く。


 次に耳へ近づけた。


 レオンハルトは、その仕草を不思議そうに見つめた。


「魔力が揺れてる」


「揺れている?」


「お前には見えても、音は聞いてねえのか」


「魔力の音が分かるのですか」


「魔力そのものじゃねえ。魔石や金属が、内側でどう震えてるかだ」


 グレーテルは結晶を作業台へ置いた。


「ドワーフの耳は、人間より細けえ振動を拾う。鍛冶を長くやってりゃ、ひびが入る前の金属も、魔石の乱れも音で分かるようになる」


 生まれ持った聴覚だけではない。


 長年、鉄と魔石を扱って身につけた技術なのだ。


「こいつは一定じゃねえ。冷える力が強くなったり弱くなったりしてる。このまま金具へ固定すりゃ、膨らんだり縮んだりを繰り返す」


「結晶そのものが?」


「外から分からん程度にな」


 レオンハルトはすぐに《結晶創造》を使った。


 結晶内部の冷却性魔力を可視化する。


 魔力は多層の流路を通り、周囲の熱を吸収している。


 大きな乱れは見えない。


 しかし、グレーテルに言われて細部へ意識を向けると、外殻の一部がわずかに伸び縮みしていた。


 熱を吸収するたび、内部の魔力密度が変化している。


「確かに、変化しています」


「気づいてなかったのか」


「はい」


「そんな物を金具で締め付けたのか?」


「これを使いました」


 レオンハルトは、ひび割れた固定金具を差し出した。


 グレーテルは受け取ると、一度見ただけで作業台へ投げた。


「こんなもん、割れて当然だ」


「やはり金属が悪かったのですか」


「先に悪いのは設計だ」


 グレーテルは冷却箱の側面を拳で軽く叩いた。


「結晶が動く。箱も動く。荷車へ載せりゃ、さらに揺れる。それを薄い鉄の輪でがっちり締め付けてる」


「固定しなければ、外れてしまいます」


「固定と締め付けは違う」


 グレーテルは折れた金具を拾い上げた。


「これじゃ、結晶の冷えが一か所へ集まる。鉄の片側だけが縮み、反対側はそのまま。そこへ結晶の細けえ振動まで加わる。割れろと言ってるようなもんだ」


 アーデルハイトが冷却箱を見る。


「では、金具を厚くすれば?」


「もっと悪くなる」


「なぜ?」


「冷え方に差が出る。厚いほど、内側と外側の温度差が大きくなる」


「金属を変えるのは?」


「それだけじゃ足りん」


 グレーテルは冷却箱の蓋を閉め、側面を押した。


 木材がわずかに軋む。


「箱も駄目だ」


「箱も?」


「隙間だらけだ。布と藁を詰めただけじゃ、冷気が逃げる。蓋も歪んでる。これじゃ冷やす力を無駄に食う」


 グレーテルは冷却箱を一周した。


「内側に水が溜まってるな」


「結露です」


「名前なんざどうでもいい。水が木へ染みりゃ腐る。肉から出た汁と混ざりゃ、臭いも残る。掃除もしにくい」


 容赦のない指摘が続く。


「持ち手の位置も悪い」


「持ち手まで?」


「中身を入れれば重心が下がる。ここを持って運べば傾く。冷却結晶が底で転がる」


 グレーテルは鼻を鳴らした。


「宝石を木箱へ貼り付けただけの玩具だな」


 アーデルハイトが、レオンハルトの顔を見る。


 怒るか、傷つくと思ったのだろう。


 だが、レオンハルトは冷却箱ではなく、グレーテルを見ていた。


「ほかにもありますか」


「は?」


「問題点です。すべて教えてください」


 グレーテルが目を細める。


「馬鹿にされてるのが分からんのか」


「玩具に見える理由は分かりました」


「怒らねえのか」


「実際に金具は壊れました。箱にも水が溜まっています」


 レオンハルトは結晶を持ち上げた。


「私は結晶の働きばかり見て、外装へどれほど負担がかかるか理解していませんでした」


「貴族様なら、作った職人を叱るところだろ」


「村へ戻ったら、壊れた原因と、説明が足りなかったことを職人へ伝えます。そのうえで、改良にも協力していただきたいです」


 工房に短い沈黙が落ちた。


 グレーテルは腕を組み、レオンハルトを上から下まで見た。


「本当に伯爵家の息子か?」


「一応は」


「その割に威張らんな」


「威張れば、壊れない金具が作れますか」


「作れねえな」


「なら、意味がありません」


 グレーテルの口元が、少しだけ動いた。


「言うじゃねえか」


 彼女は結晶を指で示した。


「まず、こいつの膨らみ方を減らせ」


「外殻を厚くすれば?」


「魔力が伝わりにくくなる」


「では、外殻を柔らかく――」


「柔らかけりゃ欠ける」


 レオンハルトは結晶内部を見つめた。


 問題は外殻だけではない。


 熱を吸収するたび、内部の魔力密度が上がっている。


 その変化が、結晶全体を押し広げていた。


「魔力を一か所へ溜めず、複数の小さな層へ分けます」


「できるのか」


「試します」


 レオンハルトは作業台の端を借り、冷却結晶を両手で包んだ。


 《結晶創造》を発動する。


 内部へ蓄積された熱と、冷却性魔力の流れを分離する。


 吸収した熱が中心部だけへ集まらないよう、外周に沿って細い層を増やす。


 さらに、結晶内部へわずかな緩衝層を作った。


 青い結晶の中に、薄い輪が幾重にも浮かぶ。


「これならどうでしょう」


 グレーテルが結晶を受け取る。


 先ほどと同じように指で叩き、耳へ近づけた。


「さっきより静かだ」


「膨張も抑えられています」


「冷やしてみろ」


 レオンハルトは、作業台の上へ置かれた水の入った金属杯の横に結晶を置いた。


 魔力を流す。


 青い光が広がり、杯の表面へ水滴が浮かび始める。


 だが、しばらくすると光が弱くなった。


「冷却力が落ちています」


 緩衝層を増やしすぎたことで、熱を吸収する流路まで狭くなっていた。


「動きを抑えりゃ、力も通らなくなる」


 グレーテルが言った。


「はい。もう一度変えます」


「今度は層を減らせ。全部を同じ厚さにするな」


 レオンハルトは結晶を作り直した。


 外側の緩衝層は薄く。


 熱を蓄える中心部の周囲だけを厚く。


 再び試す。


 今度は冷却力が戻った。


 しかし、結晶の一方にだけ白い霜が広がった。


「偏っています」


「流れが片側へ寄ってる」


 グレーテルが結晶の向きを変える。


「ここだ。音が高い」


 レオンハルトが内部を見ると、確かに一つの流路だけ魔力が集中していた。


 そこを分岐させ、再び整える。


 三度目の試験で、ようやく全体が均等に冷え始めた。


 グレーテルは結晶を指で叩き、耳へ近づける。


「完全じゃねえが、さっきよりずっとましだ」


「膨張は残っています」


「なくす必要はねえ」


 グレーテルは作業台の紙へ、炭で簡単な図を描いた。


「動く前提で金具を作る」


「動く前提で?」


「結晶を輪で締めるんじゃねえ。三方から爪で支える」


「三点で?」


「爪の根元に薄い板ばねを入れる。結晶がわずかに動いても、ばねが逃がす」


「冷えは金具へ伝わりませんか」


「爪の先へ革と乾燥木を挟む。金属が直接触れなきゃ、冷え方も急にならん」


「冷気を遮りすぎる可能性は?」


「爪は固定するだけだ。冷気を箱へ広げる板は別に作る」


 グレーテルはさらに線を書き足した。


「薄い金属板を箱の内側へ沿わせる。結晶を直接食材へ近づけず、板全体へ冷えを広げる」


「一か所だけ凍るのも防げます」


「そういうことだ」


 レオンハルトは図へ顔を近づけた。


「この板の材質は?」


「鉄より、銅を混ぜた合金がいい。高いが熱を伝えやすい」


「金属板が冷えすぎれば、表面に水が溜まります」


「だから底へ溝を作る」


 グレーテルは箱の下へ線を引いた。


「水を一か所へ集め、外から抜ける栓を付ける。栓の周りは革で塞ぐ」


「開けたときだけ水を捨てるのですね」


「そうだ」


「蓋の密閉は?」


「二重にする。内蓋と外蓋の間に乾いた羊毛を詰めろ」


「羊毛ですか」


「空気を含む。藁より形が崩れにくい」


 レオンハルトは、図へ見入った。


 結晶だけを見ていては思いつかなかった工夫ばかりだ。


「すごいです」


「まだ絵を描いただけだ」


「それでも、私が考えていた箱とはまったく違います」


「当たり前だ。あたしは鍛冶師だぞ」


 グレーテルはそう言いながらも、少しだけ胸を張った。


「試しに作っていただけますか」


「誰が引き受けると言った」


「必要な費用と作業賃は支払います」


「金の問題じゃねえ」


「では、何が必要ですか」


 グレーテルはレオンハルトを睨む。


「その結晶を、もう少し扱いやすくしろ」


「どのように?」


「冷却力を三段階くらいに変えられんのか」


「三段階?」


「肉を冷やすのと、野菜を冷やすのじゃ必要な冷たさが違う。運び始めと、冷えたあとの維持でも違う」


 レオンハルトは目を見開いた。


 冷却力を一定に保つことしか考えていなかった。


 しかし、箱の中が十分に冷えたあとも同じ力で熱を奪えば、魔力を無駄に消耗する。


 食材によっては、冷えすぎる可能性もある。


「結晶の魔力流路を切り替える仕組みがあれば」


「外から動かせるようにしろ。箱を開けて結晶を触るんじゃ意味がねえ」


「金具の一部を回すことで、魔力の出口を変える……」


「できるか?」


「試します」


 レオンハルトは冷却結晶を再び手に取った。


 内部の流路を三つへ分ける。


 一つ目は細く、ゆっくりと熱を吸収する。


 二つ目は現在と同程度。


 三つ目は短時間だけ強く働く。


 結晶の外側に、小さな受け口を三つ作る。


 外装の金具を回し、接触する受け口を切り替えられるようにする。


 丸みを帯びていた結晶は、片側に三つの浅い溝を持つ形へ変わった。


「この溝へ金属の爪を合わせれば、流路を切り替えられます」


「見せろ」


 グレーテルは結晶を受け取り、溝へ細い鉄棒を当てた。


 最初の溝では、結晶の光が淡くなる。


 二本目では安定した青色。


 三本目では光が強くなった。


 直後、結晶の表面へ細い亀裂が走った。


「止めろ!」


 レオンハルトはすぐに魔力を抑えた。


 亀裂は浅い。


 だが、強い流路へ魔力を集中させすぎたことで、外殻が耐えられなかった。


「強の流路が狭すぎます」


「出口だけ広げても駄目だ。入口から変えろ」


「はい」


 レオンハルトは亀裂の入った部分を分離し、結晶を再構成した。


 強い流路だけ、根元から二本へ分ける。


 さらに、短時間以上は働かないよう、内部へ魔力を遮る薄い層を入れた。


 二度目の試験では、作業台へ薄い霜が広がったものの、結晶に亀裂は入らなかった。


 グレーテルは霜を指で擦り、低い声で笑った。


「面白え」


「引き受けていただけますか」


「酒一杯分の話は、もう終わったぞ」


 レオンハルトが言葉を止める。


 グレーテルは、三つの溝を持つ結晶を光へかざした。


「ここからは依頼じゃねえ」


「では――」


「この結晶がどこまで使えるか、あたしが試したくなっただけだ」


 彼女は棚から金属片を取り出した。


「勘違いするなよ。お前のために作るんじゃねえ」


「はい」


「そこで素直に頷くな!」


 グレーテルは炉へ炭を追加した。


 火が大きくなり、工房の中へ熱が広がる。


「坊主、火吹きの取っ手を動かせ」


「私が?」


「手伝いたいんだろ」


「はい」


「なら動け。アーデルハイトは寸法を記録しろ」


「私も?」


「突っ立って見てるだけなら、酒を置いて帰れ」


 アーデルハイトは小さくため息をつきながら、帳面を開いた。


          ◇


 日が沈んだあとも、工房の炉は赤々と燃え続けた。


 外が暗くなるにつれ、工房の窓から漏れる炎の光が、街道脇の地面を照らした。


 グレーテルは薄い合金板を箱の内側へ合わせて曲げた。


 結晶を支える三本の爪には、小さな板ばねを付ける。


 接触部分へ乾燥木と革を挟み、急激に冷えが伝わらないようにした。


 最初に作った爪は硬すぎて、結晶の動きへ追いつかなかった。


 強い冷却を試した瞬間、板ばねの根元が歪んだ。


「薄すぎたな」


 グレーテルは迷わず金具を外し、炉へ戻した。


 二つ目は厚くしすぎ、今度はほとんどしならなかった。


「これじゃ、また締め付けてるのと同じだ」


 レオンハルトも結晶の形を微調整する。


「あと爪一本分、細くしろ」


 グレーテルに言われれば、外殻を削る。


「溝が深すぎる。爪が引っかかる」


 そう言われれば、魔力流路へ影響しない範囲で浅く戻す。


 どちらかが一方へ合わせるのではない。


 金具に合わせて結晶を変え、結晶の性質に合わせて金具を変える。


 何度も寸法を確認し、試し、外しては作り直した。


 夜もかなり更けたころ、ようやく改良した固定具が形になった。


 冷却結晶を三本の爪で支え、回転式のつまみで冷却力を切り替える。


 箱の内側には、冷気を広げる金属板。


 底には水を集める溝と、小さな排水栓。


 蓋は二重にし、その間へ羊毛を詰めた。


 最初の木箱とは、ほとんど別物になっていた。


「入れてみろ」


 グレーテルが言った。


 レオンハルトは、持ってきた乳酪と肉、野菜を箱へ戻した。


 つまみを強へ合わせる。


 結晶が青く輝き、金属板へ冷気が広がる。


 箱の内側全体が、ゆっくりと冷え始めた。


 一か所だけ霜が付くことはない。


 金具も割れず、爪が結晶のわずかな動きに合わせてしなる。


 しばらくして、つまみを中へ切り替えた。


 光が少し弱まり、冷却力が安定する。


「どうだ」


 グレーテルが尋ねる。


「結晶への負担も減っています」


「金具は?」


「異常ありません」


「箱の隙間は?」


 アーデルハイトが蓋の周囲へ手を当てる。


「ほとんど冷気が漏れていません」


 グレーテルは満足そうに鼻を鳴らした。


「まだ試作品だ。荷車へ載せて揺らせ。二日使って金具を外せ。錆びや歪みが出ないか見ろ」


「分かりました」


「水も捨て忘れるな。栓が詰まるかもしれん」


「すべて記録します」


「箱を大きくするなら、同じ作りじゃ駄目だ。板の厚さも、爪の数も変わる」


「では、大型化するときも相談させてください」


「勝手に先の話を決めるな」


 グレーテルは革手袋を外した。


「まだ一つ作っただけだ」


「では、この一つの試験が成功したら改めてお願いします」


「しつこいな、お前」


「必要な技術ですから」


 グレーテルはレオンハルトを睨んだ。


 やがて、酒瓶へ視線を向ける。


「それを開けろ」


 アーデルハイトが瓶を渡す。


 グレーテルは栓を抜き、金属杯へ酒を注いだ。


 一口飲み、満足そうに息を吐く。


「悪くない」


「酒がですか」


「酒もだ」


 グレーテルは、完成した冷却箱を軽く叩いた。


「お前の結晶も、最初よりはましになった」


「ありがとうございます」


「褒めてねえ」


「問題点を教えていただいたから、改善できました」


「いちいち素直に受け取るな」


 グレーテルはもう一口飲んだ。


 わずかに耳が赤くなっている。


「それと」


 彼女はレオンハルトへ指を向けた。


「結晶が本体で、箱や金具は飾りだと思うな。道具は全部揃って初めて道具だ」


「はい」


「村へ戻ったら、最初の金具を作った奴に今日の改良を見せろ」


「そうします。壊れた原因も説明します」


「それでいい」


 グレーテルは、しばらくレオンハルトの顔を見た。


「……気に食わんな」


「どこがでしょう」


「そうやって、すぐ認めるところだ」


「認めてはいけませんか」


「怒鳴り返してきたほうが、殴りやすい」


 アーデルハイトが小さく笑った。


「気に入ったのね」


「誰がだ!」


 グレーテルの声が工房へ響く。


 彼女は酒を飲み干し、杯を作業台へ置いた。


「試験結果を持ってこい」


「いつまでに?」


「三日後だ。肉が腐ってても、金具が割れてても、全部そのまま持ってこい」


「分かりました」


「成功してたら、次の箱を作る」


「ありがとうございます」


「だから、まだ決めてねえ!」


 グレーテルは再び鉄槌を掴んだ。


「さっさと帰れ。今度こそ仕事の邪魔だ」


 レオンハルトは改良された冷却箱を持ち上げた。


 最初に運び込んだときより、箱は重くなっている。


 だが、金具は安定し、蓋の隙間から冷気も漏れていない。


「グレーテルさん」


「なんだ」


「あなたの技術は、すごいです」


 グレーテルの動きが止まった。


「結晶の力を箱全体へ広げる方法も、動きを受け流す金具も、私には作れませんでした」


「当たり前だ」


「だから、三日後もお願いします」


「試験結果を持ってこいって言っただろ!」


「はい」


「なら早く行け!」


 レオンハルトとアーデルハイトが工房を出る。


 扉を閉める直前、レオンハルトはもう一度だけ中を見た。


 グレーテルは背を向け、炉の前へ戻っている。


 作業台の端には酒瓶が置かれていた。


 その隣には、先ほど炭で描いた三点支持金具の図面が、丸められず丁寧に広げられている。


 馬車へ冷却箱を積み込むと、アーデルハイトが小さく笑った。


「どうやら追い返されずに済みましたね」


「まだ正式に引き受けていただいたわけではありません」


「三日後に来いと言われたのでしょう」


「試験結果を見てからです」


「グレーテルが興味のない相手へ、次の期限を決めることはありません」


 レオンハルトは、工房の煙突を見上げた。


 夜空へ、細い煙が昇っている。


 馬車が走り始める。


 荷台で冷却箱が揺れるたび、青い結晶を支える三本の爪が、わずかにしなった。


 それでも金具は割れない。


 蓋の隙間から冷気が漏れることもなく、箱の中では食料が静かに冷やされ続けていた。

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