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廃嫡錬金術師の魔石国家  作者: 阿鼻恭介
第四章 廃鉱山の仲間たち

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第19話 冷却結晶

この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。

4日目(7/23)4話目です。

 管理屋敷の生活が少しずつ整い始めてから、数日が過ぎた。


 廊下から釘や木片が消え、食堂の机には食事以外の物を置かない決まりができた。


 研究用の鉱石と記録用紙は作業部屋へ集められ、薬品瓶にはすべて蓋と中身を示す札が付けられている。


 ヒルデガルトが管理を始めてから、屋敷の中で必要な物を探し回る時間は明らかに減っていた。


 その一方で、レオンハルトが食事の時間を忘れる回数も減っている。


 正確には、忘れたまま研究を続けることを許されなくなった。


「レオンハルト様。昼食のお時間です」


 作業部屋の扉が三度叩かれる。


「あと少しで終わります」


「昨日も同じことをおっしゃいました」


 扉の向こうから、エルザの声が返ってきた。


「今日は本当にあと少しです」


「ヒルデガルト様をお呼びします」


「すぐに行きます」


 レオンハルトは手にしていた鉱石を置いた。


 エルザは、ヒルデガルトの名を出せばレオンハルトが動くことを覚え始めている。


 作業部屋を出ると、エルザが廊下で待っていた。


 使用人服には、まだ着慣れていない様子が残っている。


 きちんと結んだはずの腰紐がわずかに曲がり、髪も一房だけ耳の横へ落ちていた。


 胸元には、小さな帳面が差し込まれている。


「何を書いているのですか」


 レオンハルトが尋ねる。


「本日の予定です」


 エルザは帳面を開いた。


「昼食のあと、完成した魔力灯の確認。その後、廃石の選別方法を元鉱夫の方々へ説明。夕方にはアーデルハイト様が来られます。それから……」


 彼女は頁をめくり、眉を寄せた。


「何か忘れましたか」


「魔力灯へ商会の印を付けるため、木工職人の方が来られる予定でした」


「書いていなかったのですか」


「別の頁へ書いてしまいました」


 エルザは少し頬を赤くし、急いで予定を書き足した。


「まだ慣れておりません」


「十分に助かっています」


「ヒルデガルト様には、予定は一か所へまとめるよう言われています」


「私なら、書いたこと自体を忘れるかもしれません」


「それは慰めになっておりません」


 エルザは困ったように笑った。


 食堂へ入ると、ヒルデガルトが配膳の確認をしていた。


 レオンハルトの姿を見ると、壁に掛けられた時計へ目を向ける。


「今日は遅刻しておりませんね」


「約束は守ります」


「エルザが呼びに行かなければ、どうなっていたでしょう」


「途中で気づいたと思います」


「いつですか」


 レオンハルトは答えず、席へ着いた。


 食堂の壁際には、十個の魔力灯が並べられている。


 すべて一晩の点灯試験を終え、明るさと持続時間も基準を満たしていた。


 木枠と金具を取り付けた外装には、それぞれ製造番号を示す小さな札が結ばれている。


 翌朝には、アーデルハイトとともに近隣商会へ運ぶ予定だった。


 食卓には黒パンと豆の煮込み、それから薄く切られた塩漬け肉が並んでいる。


 以前より少しだけ品数が増えていた。


 魔力灯の試験製造に村人が関わるようになり、屋敷へ食料を売りに来る者も増えたためだ。


 無償で受け取ることはせず、すべて帳簿へ記録して代金を支払っている。


 その仕組みを作ったのも、アーデルハイトとヒルデガルトだった。


「この肉は、昨日届いたものですか」


 レオンハルトが尋ねる。


「はい」


 ヒルデガルトが答える。


「村の狩人が仕留めた山鹿です。ただ、すべて塩漬けにしました」


「すべて?」


「この時期は傷むのが早いのです」


 窓の外では、強い日差しが庭を照らしている。


 山間部とはいえ、昼間はかなり暑くなる。


 肉や乳製品をそのまま置いておけば、半日もせず臭いが変わることがあるという。


「塩も安くはありませんよね」


「高価です」


 ヒルデガルトは煮込みを取り分けながら頷いた。


「保存するために大量の塩を使えば、それだけで食料の値段が上がります。塩漬けに向かない野菜や乳製品は、さらに保存が難しい」


「冬まで残すのは?」


「乾燥させるか、地下の貯蔵庫へ入れます。ただし、地下室も夏は十分に冷えません」


 エルザが口を挟む。


「村では、朝に搾った乳が夕方には使えなくなることもあります」


「そんなに早く?」


「暑い日は特にです。母も、売れ残った乳を捨てたことがあります」


 レオンハルトは、食卓に置かれた乳酪へ目を向けた。


 表面は少し乾き、香りも強くなっている。


「近隣の町へ運ぶことはできないのですか」


「途中で傷みます」


 ヒルデガルトが答えた。


「この村から最も近い町まで、荷車で半日以上かかります。道の状態が悪ければ、さらに遅れるでしょう」


「なら、村で食べきれなかった分は」


「捨てることになります」


 レオンハルトの手が止まった。


「食料が足りないのに?」


「余る時期と、足りない時期が違うのです」


 ヒルデガルトは淡々と言った。


「収穫期には一度に増える。ですが、保存できなければ冬まで残せません。売ろうとしても町へ着く前に傷む。だから安く買い叩かれるか、その場で捨てるしかないのです」


 レオンハルトは黙って考えた。


 光を蓄える結晶が作れる。


 熱を蓄える結晶も、幼い頃に作ったことがある。


 ならば、冷却性の魔力も結晶へ固定できるのではないか。


 前世の知識では、物を冷やすには熱を外へ移動させる必要がある。


 この世界では、水属性や氷属性の魔力に、周囲から熱を奪う性質が含まれている。


 その性質を結晶へ固定し、一定量ずつ働かせれば。


「レオンハルト様」


 ヒルデガルトの声で、思考が途切れた。


「はい」


「食事中です」


「分かっています」


「手が止まっています」


 レオンハルトは急いで煮込みを口へ運んだ。


 だが、頭の中ではすでに結晶構造を組み立て始めていた。


          ◇


 昼食を終えると、レオンハルトは厨房へ向かった。


 ヒルデガルトとエルザも後を追う。


「何をなさるのですか」


「確認したいことがあります」


 レオンハルトは厨房の隅にある石造りの貯蔵棚を開けた。


 中には野菜、乳酪、残った肉が置かれている。


 棚の奥は室内より少し涼しい。


 だが、冷たいと呼べるほどではない。


「この棚へ氷を置いたことはありますか」


「冬に切り出した氷を、土へ埋めて保存する地域はあります」


 ヒルデガルトが答える。


「ですが、この村には氷を長く保管できる施設がありません」


「氷そのものではなく、周囲から熱を奪う力を保存できればどうでしょう」


「冷たさを生み出す結晶ですか」


「正確には、結晶内部へ固定した魔力で、周囲の熱を一時的に吸収します」


「吸い取った熱はどうなるのですか」


「結晶の内部へ蓄積されます。限界まで吸収すれば冷却効果は止まり、再び使うには魔力を整え直す必要があると思います」


「まだ、思います、なのですね」


「初めて試しますから」


 レオンハルトは小さな青灰色の廃鉱石を取り出した。


 廃石置き場で見つけた、水属性に近い魔力を含む石だった。


「危険な実験ですか」


 ヒルデガルトが尋ねる。


「爆発や毒性はありません。ただ、冷却力が強すぎる可能性はあります」


「周囲へ影響が出る可能性があるのですね」


「少量から試します。異常があればすぐ止めます」


 ヒルデガルトはしばらくレオンハルトを見たあと、一歩下がった。


「記録を取ります」


 エルザが帳面と筆を構えた。


 慌てて開いたため、筆の先が頁へ触れ、小さな墨の染みができる。


「あ……」


「あとで何の染みか分かるよう、端へ印を付けておいてください」


 ヒルデガルトが言う。


「はい」


 エルザは墨の横へ、小さく「開始前」と書いた。


 レオンハルトは鉱石を両手で包み、《結晶創造》を発動した。


 内部に散らばる魔力を可視化する。


 青白い光が、石の細かな亀裂へ入り込んでいた。


 水を生み出す性質。


 魔力を流れやすくする性質。


 そして、周囲の熱を奪う性質。


 レオンハルトは最後の部分だけを分離した。


 不純物を外へ押し出し、小さな結晶核を作る。


 最初は、光結晶と同じように外殻を薄く整えた。


 完成した青い結晶を、水差しの横へ置く。


 しばらく待つ。


 水差しの表面が白く曇った。


「冷えてきました」


 エルザが身を乗り出す。


 次の瞬間、水差しの一部へ白い霜が広がった。


 陶器の内側から、小さな音がする。


「離れてください」


 レオンハルトはすぐに結晶へ触れ、《結晶創造》で魔力の流れを止めた。


 霜の広がりが止まる。


 水差しを確認すると、底の近くに細いひびが入っていた。


「強すぎました」


 ヒルデガルトの声が低くなる。


「はい。熱を奪う速度が速すぎます」


「水差しが割れていたら?」


「水が漏れただけです」


「足元へ落ちていれば、凍傷を負う可能性は?」


 レオンハルトは黙った。


「あります」


「では、危険な実験です」


「次からは石皿の上で試します」


「次からではなく、今からです」


「はい」


 エルザは、ひびが入った時刻と霜の範囲を書き込んでいる。


 先ほどの墨染みの横へ、慌てた字で記録を続けていた。


「結晶は失敗ですか」


 彼女が尋ねる。


「冷却する力は成功しています。ただ、放出方法が失敗しました」


 レオンハルトは青い結晶を両手で包んだ。


 冷却性の魔力が、一方向へ集中して流れている。


 このままでは近くの物だけを急激に冷やしてしまう。


「外殻を厚くするだけでは、全体が弱くなりすぎる」


 熱を吸収する道を一本にせず、細い層へ分ける。


 中心部へ直接熱を引き込むのではなく、外側から順に受け渡す。


 レオンハルトは結晶内部を、多層構造へ組み替えた。


 さらに、特定の方向だけへ力が集中しないよう、魔力の流路を放射状に配置する。


 青い光が、先ほどより穏やかに落ち着いた。


 石皿の上へ置き、別の水差しを少し離して並べる。


 今度は急激な霜が出なかった。


 時間をかけて、陶器の表面へ細かな水滴が浮かび始める。


 レオンハルトは水を杯へ注ぎ、一口飲んだ。


「冷たい」


 先ほどのような凍るほどの冷たさではない。


 食堂に置かれていた水より、はっきりと温度が低かった。


 ヒルデガルトも杯を受け取り、慎重に口をつける。


「今度は、飲める程度ですね」


「結晶が周囲の熱を少しずつ吸収しています」


「どれくらい持つのですか」


「まだ分かりません。吸収できる熱量には限界があります」


「限界へ達したあとは?」


「結晶内部に溜まった熱を逃がし、冷却性の魔力を整え直せば、再使用できる可能性があります。ただ、今のところ私にしかできないでしょう」


「使い捨てではないのですね」


「再調整が成功すれば」


 レオンハルトは貯蔵棚を見回した。


「この結晶を箱へ取り付けて、内部を冷やしてみます」


「木箱ですか」


「密閉できるものがよいです。外から熱が入りにくい構造にしたい」


「保存したい物は?」


「肉と乳製品。それから野菜も少し」


 ヒルデガルトは頷いた。


「同じ食材を、通常の棚と冷却箱へ分けて入れましょう。何日持つか比較します」


「お願いします」


「エルザ」


「はい」


「食材の重さ、匂い、色、硬さを記録してください。朝と夕方の二回です」


「分かりました」


 エルザは帳面へ項目を書き始めた。


 途中で「硬さ」を二度書き、一本の線で消して隣へ書き直す。


「消した文字も読めますね」


 レオンハルトが言う。


「まだ、きれいにまとめられません」


「最初から完璧でなくても、何を直したか分かれば十分です」


「ですが、あとで清書します」


 エルザは真剣な顔で答えた。


「試験記録は比較できなければ意味がありません」


 ヒルデガルトが言う。


「一つだけ見て、よくなったと思い込むのは危険です」


「そのとおりです」


 レオンハルトは素直に頷いた。


          ◇


 午後になると、アーデルハイトが屋敷を訪れた。


 十個の魔力灯の仕上がりを確認するためだった。


 一つずつ外装と製造番号を確かめ、点灯の記録へ目を通す。


「すべて一晩以上、同じ明るさを保ったのですね」


「はい。最も短いものでも、十時間を超えています」


「明朝、予定どおり商会へ持ち込みましょう」


 アーデルハイトは頷いたあと、厨房の隅へ置かれた大きな木箱に気づいた。


「これは何ですか」


「冷却箱の試作品です」


「魔力灯の納品前に、次の研究を始めたのですか」


「食事の時間は守りました」


「そこを聞いているのではありません」


 アーデルハイトは呆れたように息を吐いた。


 レオンハルトは、木箱の内側へ固定した青い結晶を示した。


 箱の隙間には布を詰め、蓋の内側には乾燥させた藁を重ねている。


 密閉性は高くない。


 それでも蓋を開けると、ひんやりした空気が流れ出した。


 中には肉、乳酪、葉物野菜が入っている。


 アーデルハイトはすぐに手を入れず、まず箱の外側へ触れた。


 次に蓋の隙間へ指を近づけ、漏れ出す冷気を確かめる。


 最後に、箱の中にある乳酪を布越しに持ち上げた。


「いつ入れたものですか」


「昼食のあとです」


「今のところ、匂いは変わっていませんね」


「通常の棚にも、同じ食材を置いています」


「比較試験をしているのですか」


「ヒルデガルトが提案しました」


 アーデルハイトは、少し離れた棚へ置かれた肉と見比べた。


「北側の牧場では、朝に搾った乳を町へ運べず、乳酪へ加工しています」


「加工しても余るのですか」


「すべて売れるわけではありません。南の畑では葉物野菜が一度に採れますが、町へ出す前にしおれるものも多い」


 アーデルハイトは冷却箱へ視線を戻した。


「これが使えれば、村の中だけの話では済みません」


「遠くへ運べるようになりますか」


「冷却効果が安定し、荷車の揺れに耐えられるなら」


 彼女は箱の縁へ手を置いた。


「乳や肉を日帰りできる範囲より先へ運べます。収穫した野菜も、これまでより高い値で売れるかもしれません」


 レオンハルトは箱を見た。


 自分は、村の食料を守るために作った。


 だが、アーデルハイトは保存から輸送、販売まで考えている。


 余った分を捨てずに済む。


 冬へ備えられる。


 遠くへ売り、現金へ換えられる。


 農民や狩人の収入が増える。


「まずは結果を見ましょう」


 アーデルハイトは浮かれずに言った。


「通常の棚へ置いた肉と、冷却箱へ入れた肉。どれだけ差が出るか確認します」


「三日ほどあれば、違いが見えると思います」


「三日で傷む前提なのですね」


「今の気温では」


「記録は私にも見せてください」


「分かりました」


 そのとき、木箱の内側から小さな音がした。


 ぱきり。


 レオンハルトはすぐに蓋を開けた。


 青い結晶を固定していた金具の一部に、細い亀裂が入っている。


「割れています」


 エルザが顔を近づけた。


「触らないでください」


 レオンハルトは手で制した。


 金具そのものは、村の職人が作った簡素な鉄製だった。


 冷却結晶に近い部分だけが白く曇っている。


 結晶へ近い側と、外気に触れる側で温度差が生じ、金属へ負担が集中したらしい。


「結晶は無事です」


「このまま使えば、金具が外れますね」


 アーデルハイトが言う。


「冷却結晶が食材へ直接触れれば、凍らせる可能性があります」


 ヒルデガルトの声が低くなる。


「安全とは言えません」


「固定方法を変えます」


 レオンハルトは金具を外そうとした。


 だが、触れた瞬間、別の部分にも亀裂が走った。


 ぱきん、と乾いた音を立て、金具の一部が折れる。


 レオンハルトは冷却結晶を受け止めた。


「思ったより脆くなっています」


「普通の鍛冶仕事では難しいのでしょうか」


 エルザが尋ねる。


「結晶の近くでは温度が下がります。金属の種類や厚さだけでなく、温度差を逃がせる形にしなければなりません」


 村の職人は、荷車や農具の修理ならできる。


 しかし、魔力結晶を固定する器具を作った経験はない。


 光結晶は熱をほとんど出さなかったため、木枠と簡単な金具で十分だった。


 冷却結晶は違う。


 結晶が正常でも、固定具が耐えられなければ道具にはならない。


「村の職人では足りないということですか」


 アーデルハイトが尋ねる。


「技術が低いという意味ではありません」


 レオンハルトはすぐに答えた。


「経験のない物を、最初から作れというほうが無理です。温度変化に強い金属と、その加工方法に詳しい人が必要です」


 アーデルハイトは、折れた金具を受け取った。


 白く曇った部分を指でなぞり、少し考え込む。


「一人、心当たりがあります」


「鍛冶師ですか」


「ドワーフの鍛冶師です」


 彼女は折れた金具を机へ置いた。


「グレーテル・アイゼンハンマー。ローゼンフェルト領南西の街道沿いに、自分の工房を持っています」


「領内の方なのですね」


「生まれは別の土地ですが、十年ほど前から住み着いています。腕は確かです」


「では、相談できますか」


「私が頼んでも、簡単には引き受けないでしょう」


「なぜですか」


「身分だけで命令し、職人の意見を聞かない貴族を嫌っています」


「それなら、私が教えていただく立場だと伝えます」


 アーデルハイトは怪訝そうに眉を上げた。


「自分の結晶を否定されるかもしれませんよ」


「問題があるなら、知りたいです」


「玩具だと笑われるかもしれません」


「どこが玩具なのか聞きます」


「工房から追い出される可能性もあります」


「そのときは、何を直せば話を聞いてもらえるか尋ねます」


 アーデルハイトは、わずかに口元を緩めた。


「本人を前にしても、その態度を続けられればよいのですが」


          ◇


 その夜。


 通常の棚へ置かれた肉は、すでに表面の色が変わり始めていた。


 一方、冷却箱へ入れた肉は、昼とほとんど変わらない状態を保っている。


 乳酪の匂いも弱く、葉物野菜もしおれていない。


 冷却結晶の効果は確かだった。


 破損した金具の代わりに、結晶は厚い布袋へ入れられ、箱の底に置かれている。


 食材との間には木板を挟み、直接触れないようにした。


 ただし、布袋の表面には水滴がつき、箱の底にも湿気が溜まっている。


「冷やすだけでは駄目ですね」


 レオンハルトが言った。


「箱の内側が腐るかもしれません」


 ヒルデガルトが指摘する。


「食材にも水分が移ります」


 アーデルハイトは葉物野菜の表面を確認した。


「輸送するなら、荷車の揺れも考えなければなりません」


 レオンハルトは記録用紙へ課題を書き足した。


 固定具。


 密閉性。


 結露。


 冷却力の調整。


 持続時間。


 再調整の方法。


 エルザも隣で記録を取っていたが、「結露」の字を間違え、少し考えたあと別の表現へ直している。


「箱の中に水滴が発生、と書きます」


「そのほうが、誰が読んでも分かります」


 レオンハルトが答えた。


「冷却効果はいつまで続きそうですか」


 アーデルハイトが尋ねる。


「結晶内部へ熱が溜まるほど、少しずつ弱くなっています。今の大きさなら、一日から二日程度かもしれません」


「町まで半日なら足ります」


「ですが、都市まで運ぶなら途中で再調整が必要です」


「今は、あなたにしかできないのですね」


「はい。まずは再び使えることを確かめます。その後、ほかの人でも扱える方法を考えます」


 アーデルハイトは頷いた。


「明朝は魔力灯を商会へ運びます。その帰りに、グレーテルの工房へ向かいましょう」


「すぐにですか」


「冷却箱を持っていくなら、食材が保たれている間のほうが説明しやすいでしょう」


「ありがとうございます」


「断られる可能性はあります」


「その場合は、何が足りないか聞きます」


「酒を持ってこいと言われるかもしれません」


「買っていきます」


「あなたは飲めませんよね」


「私が飲む必要はありません」


 アーデルハイトは小さく息を吐いた。


「では、腕のよい鍛冶師が好む酒を用意します」


 レオンハルトは、青い冷却結晶とひび割れた金具を並べて見た。


 結晶は役目を果たしている。


 肉も乳酪も、まだ傷んでいない。


 それでも、金具が壊れれば安全には使えない。


 箱に水が溜まれば、長く使い続けることもできない。


 レオンハルトは二つを同じ布へ包んだ。


 青い結晶だけでも。


 ひび割れた金具だけでも。


 食料を守る箱にはならない。


 明日、その両方を持って、レオンハルトは自分とは異なる技術を持つ鍛冶師を訪ねることになった。

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