第18話 メイド長ヒルデガルド
この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。
4日目(7/23)3話目です。
魔力灯の試験製造を始めてから二日目の朝。
管理屋敷の一階には、鉱石の粉と木くずが入り混じった匂いが漂っていた。
食堂の机には、削りかけの木枠、細い金具、紐、記録用紙が並んでいる。
廃石置き場から選び出された鉱石は、色と魔力の性質ごとに木箱へ分けられていた。
村の元鉱夫二人が採取と選別を担当し、木工のできる職人が外装を作っている。
レオンハルトは朝から、作業部屋へ籠もっていた。
机の上には、完成した光結晶が六個。
その隣には、透明度の低い失敗作が三個並んでいる。
「放出速度が安定しない」
レオンハルトは一つを持ち上げた。
内部には光属性の魔力が溜まっている。
だが、一度に放出される量が多すぎる。
明るさは十分だが、これでは一晩持たない。
「結晶の層を、もう少し細かく分ければ……」
机の端には、冷めた野菜スープと手つかずの黒パンが置かれていた。
朝食として運ばれてきたものだった。
しかし、レオンハルトは存在すら忘れていた。
光結晶を両手で包み、《結晶創造》を発動する。
結晶内部に流れる魔力が、細い光の線となって見え始める。
中心部へ集めすぎれば、放出が急になる。
外側へ散らしすぎれば、光が弱くなる。
中心から外殻へ向け、少しずつ魔力を通す層が必要だった。
前世で見た光ファイバーや多層膜の構造を思い出しながら、結晶内部を組み替えていく。
やがて、光の揺れが落ち着いた。
「これなら――」
そのとき。
作業部屋の扉が、ゆっくりと開いた。
「レオンハルト様」
落ち着いた女性の声がした。
「はい。少し待ってください。今、最後の調整を――」
「朝食が運ばれてから、どれほど経っているかご存じですか」
「朝食?」
レオンハルトは初めて、机の隅にある皿へ気づいた。
スープの表面には薄い膜が張り、黒パンはすっかり乾いている。
「……少し冷めてしまいましたね」
「少し、ではありません」
レオンハルトは光結晶から手を離し、声の主へ顔を向けた。
扉の前に、一人の女性が立っている。
年齢は三十代半ばほど。
暗い茶色の髪を後ろできっちりとまとめ、黒を基調とした簡素な使用人服を着ていた。
装飾は少ない。
しかし服には皺一つなく、立ち姿にも隙がなかった。
鋭すぎない灰色の瞳が、机の上から床までを静かに見渡している。
その後ろには、アーデルハイトが立っていた。
「紹介します」
アーデルハイトが部屋へ入る。
「ヒルデガルト・シュミット。ローゼンフェルト家に仕える使用人です」
「ヒルデガルトと申します」
女性は深く一礼した。
「本日より、こちらの管理屋敷を整えるために参りました」
「屋敷を?」
「このままでは、人が暮らせる状態ではありません」
ヒルデガルトは、床へ落ちた鉱石の欠片を拾い上げた。
「廊下には釘が落ちています。厨房には古い油が残り、食料庫には鼠の跡がある。客室の寝具は湿気を吸い、井戸の水にも問題があると聞いております」
「昨日から掃除は始めています」
レオンハルトが答える。
「どなたが?」
「オットーのご家族が」
「では、その方々は住居の修理と食事の支度をしながら、屋敷全体の清掃まで行っているのですか」
「……そうなります」
「それは掃除を始めたのではなく、仕事を押しつけていると言います」
穏やかな口調だった。
だが、言葉には一切の遠慮がない。
レオンハルトは返事に詰まった。
オットーたちへ命じたつもりはない。
けれど、実際には彼らが食事を作り、寝床を整え、散らかった屋敷を片づけている。
自分は魔力灯の試作ばかりに集中していた。
「申し訳ありません」
レオンハルトは素直に頭を下げた。
ヒルデガルトの眉が、ほんのわずかに動いた。
「言い訳はなさらないのですね」
「気づいていませんでした。ですが、気づかなかったことも私の責任です」
「でしたら、改善していただきます」
「お願いします」
アーデルハイトが二人のやり取りを見ながら、小さく息を吐いた。
「ヒルデガルトは、私が幼い頃から信頼している者です。屋敷の管理だけでなく、村の事情にも詳しい」
「ローゼンフェルト領のご出身なのですか」
「はい」
ヒルデガルトは頷いた。
「この村から西へ半日ほどの集落で生まれました。若い頃は冒険者をしておりましたが、今は使用人として働いております」
「冒険者を?」
レオンハルトが聞き返す。
「何か問題でも?」
「いえ。使用人の立ち方とは少し違うと思っていました」
ヒルデガルトの右足は、わずかに後ろへ引かれている。
両手は自然に下ろしているようで、いつでも腰へ動かせる位置にあった。
腰の布の内側には、細長い硬質なものが隠されている。
おそらく短剣だ。
「よく見ておられますね」
「鉱石だけを見ているわけではありません」
「食事は見えていなかったようですが」
「……それについては反省しています」
アーデルハイトが口元を押さえた。
笑いを堪えたようにも見えたが、レオンハルトが視線を向けると、すぐに真顔へ戻った。
「ヒルデガルトには、管理屋敷のメイド長を任せたいと考えています」
「メイド長ですか」
「屋敷を正常に運営するには必要です」
アーデルハイトは机の上を見渡した。
「来客を迎える場所も、記録を保管する場所もありません。今は食堂で契約を交わし、作業部屋へ食事を置き、廊下に道具が積まれている状態です」
「確かに、このままではいけません」
「分かっていただけたなら話は早いです」
ヒルデガルトが一歩前へ出る。
「ただし、私がお仕えするには条件がございます」
「条件?」
「三つです」
その言葉に、レオンハルトはアーデルハイトを見た。
彼女も初めてこの土地へ来たとき、三つの条件を提示した。
ローゼンフェルト家の者は、条件を三つにまとめる習慣でもあるのだろうか。
「何か?」
アーデルハイトに問われ、レオンハルトは首を振った。
「いえ。続けてください」
ヒルデガルトは指を一本立てた。
「一つ目。食事の時間を守ること」
「努力します」
「努力では困ります」
「守ります」
「朝、昼、夜。決められた時間に食堂へ来てください。研究の途中でもです」
「途中で結晶が不安定になった場合は?」
「事前に申し出てください。保存できる状態まで調整し、食事へ来ること」
「分かりました」
二本目の指が立つ。
「危険な実験を行う場合、必ず事前に内容を報告すること」
「危険かどうかは、実際に試さなければ分からないこともあります」
「でしたら、危険ではないと確認できていない実験は、すべて報告対象です」
レオンハルトは黙り込んだ。
かなり広い条件だ。
「火、毒、強い魔力、爆発、冷気、高熱。それ以外でも、屋敷や周囲の人間へ影響が及ぶ可能性があれば、作業場所と時間を記録していただきます」
「研究が遅れるかもしれません」
「屋敷が燃えるよりはましです」
「それはそうですが」
「鉱山崩落で魔力を使い果たし、三日間眠り続けた方に、安全管理を任せきるつもりはありません」
レオンハルトは言い返せなかった。
アーデルハイトが静かに頷いている。
オットーまで扉の外で頷いていた。
いつの間に来たのだろう。
「三つ目」
ヒルデガルトは最後の指を立てる。
「使用人を、研究材料の運搬役だけにしないこと」
「そのようなつもりはありません」
「つもりの話ではありません」
ヒルデガルトは机の横へ積まれた木箱を見る。
「こちらの箱は、どなたが運びましたか」
「オットーの息子さんです」
「こちらの水桶は?」
「奥様が」
「紙と筆を村へ買いに行ったのは?」
「……オットーです」
「すべて、あなたの研究に必要な仕事です」
レオンハルトは黙った。
「使用人は、研究を補助するためだけに存在するのではありません。屋敷の清掃、食事、洗濯、備品管理、来客対応。それぞれに仕事があります」
「はい」
「誰かへ仕事を頼む場合は、その者の担当と時間を確認してください。断ることのできない命令ではなく、正式な仕事として依頼すること」
「報酬も必要ですね」
「当然です」
レオンハルトは机の上にある光結晶へ視線を落とした。
魔力灯を作る際にも、同じことを考えた。
自分一人で作っているつもりでも、鉱石を拾う者がいる。
選別する者がいる。
外装を作る者がいる。
食事を用意し、作業できる場所を整える者もいる。
研究だけを見ていれば、その人々の仕事を見落とす。
「三つとも受け入れます」
レオンハルトは顔を上げた。
「口約束だけでよろしいですか」
ヒルデガルトが尋ねる。
「必要なら書面にします」
「そこまでは求めません」
「アーデルハイト様なら、書面にすると思いました」
「私は何でも契約書へ書くわけではありません」
アーデルハイトは少し不満そうに言った。
「休息時間は書きましたが」
「あれは必要でした」
ヒルデガルトが即答する。
「適切な判断です」
「味方が増えてしまいました」
「レオンハルト様の健康については、最初から味方しかいないと思いますぞ」
扉の外からオットーが言った。
レオンハルトは小さくため息をついた。
◇
ヒルデガルトは、その日のうちに屋敷の状態を確認し始めた。
最初に厨房。
次に食料庫。
井戸の水は飲用へ使わず、清掃用と煮沸後の調理用に分ける。
食器はすべて熱湯で洗い、鼠の跡がある袋は処分する。
湿った寝具は庭へ運び、日光へ当てる。
腐った床板には印を付け、踏まないよう縄で囲む。
誰が何を担当するかを決め、作業時間まで書き出した。
レオンハルトは、その手際を感心しながら見ていた。
「メイド長というより、部隊の指揮官のようですね」
「冒険者時代、野営地の管理を任されておりました」
「だからなのですね」
「人は、魔物に襲われなくても病気や不注意で死にます。食料が腐れば腹を壊し、床板が抜ければ怪我をする。見落としを減らすことも、生き残るための技術です」
レオンハルトはその言葉を胸に刻んだ。
鉱山でも同じだった。
大きな事故だけが人を殺すのではない。
小さな亀裂。
緩んだ支柱。
僅かな水漏れ。
誰も気に留めなかったものが積み重なり、最後に崩落を引き起こした。
「私の研究室も確認しますか」
「すでに確認しました」
「いつの間に」
「最初に入ったときです」
ヒルデガルトは淡々と答える。
「机の下に鉱石の破片が十二個。床に落ちた釘が二本。蓋のない薬品瓶が一つ。水差しの横に記録用紙が積まれていました」
「よく覚えていますね」
「覚える必要のあることですから」
「薬品瓶の中身は危険ではありません」
「中身ではなく、蓋がないことが問題です」
「はい」
レオンハルトは素直に頷いた。
「それから、窓際に置かれていた光結晶を別の場所へ移しました」
「なぜですか」
「布へ接触していました。熱がないと分かっていても、試験中の品を燃えやすい物の近くへ置くべきではありません」
「熱は出ません」
「十個すべてで確認しましたか」
「まだです」
「では、確認が終わるまで離してください」
「分かりました」
レオンハルトは、反論するより従ったほうが早いと理解し始めていた。
ヒルデガルトは厳しい。
だが、研究を止めようとしているわけではない。
安全に続けられる環境を作ろうとしている。
午後になると、彼女は村の女性を数人連れてきた。
未亡人。
鉱山が閉じて働き口を失った者。
幼い子供を育てながら、短い時間だけ働きたい者。
皆、屋敷の清掃や洗濯の仕事を希望していた。
「全員を雇うのですか」
レオンハルトが尋ねる。
「屋敷の仕事量を考えれば、最初は三人です」
「残りの方は?」
「交代で仕事へ入れるようにします。一人へ負担を集中させません」
「賃金は?」
「アーデルハイト様と相談し、村の軽作業より少し高く設定します。責任のある仕事ですので」
「私から支払えますか」
「現地管理人としての手当から一部を出していただきます」
「分かりました」
「屋敷の仕事は、研究の補助ではありません」
「覚えています」
「でしたら結構です」
女性たちの中に、一人だけ若い少女が混じっていた。
年齢はレオンハルトより一つほど上に見える。
淡い茶色の髪を肩で切り揃え、緊張した面持ちで立っている。
ほかの女性よりも、何度もレオンハルトの顔を見ていた。
「彼女は?」
レオンハルトが尋ねると、少女は慌てて一歩前へ出た。
「エルザ・ノイマンと申します」
声が少し震えている。
「この村の出身ですか」
「はい。ただ、父の仕事の都合で、少し前までベルクシュタイン領に住んでいました」
ベルクシュタインという名が出た瞬間、レオンハルトは少女を見つめた。
「お父上は鉱夫ですか」
「はい」
エルザは両手を胸の前で握り締めた。
「崩落事故のとき、レオンハルト様に助けていただきました」
「お名前は?」
「ヨハン・ノイマンです」
レオンハルトは記憶を辿った。
避難途中で足を傷め、結晶壁の近くへ運ばれた鉱夫の中に、その名があった。
「お父上は無事なのですか」
「まだ足を動かしにくいですが、生きています」
エルザの目に涙が浮かんだ。
「父から聞きました。レオンハルト様が、最後まで坑道に残って皆を守ってくださったと」
「私は、できることをしただけです」
「そのおかげで、父は帰ってきました」
エルザは深く頭を下げた。
「恩返しをしたいのです。どうか、ここで働かせてください」
「恩返しのために、人生を決める必要はありません」
「それだけではありません」
エルザは顔を上げた。
「私は、読み書きができます。村の教会で習いました。計算も少しできます」
「それは貴重ですね」
「父の仕事の記録も手伝っていました。道具の名前や鉱石の種類も、少しなら分かります」
レオンハルトの関心が一気に高まった。
「鉱石の種類を?」
「レオンハルト様」
ヒルデガルトの声が飛んでくる。
「はい」
「彼女は、研究材料の分類係として来たのではありません」
「分かっています」
「目がそう言っておりません」
レオンハルトは視線を逸らした。
エルザが小さく笑う。
緊張が少し解けたようだった。
「まずは副メイドとして働いていただきます」
ヒルデガルトが告げる。
「掃除、洗濯、配膳、備品管理。基本から覚えてください」
「はい!」
「そのうえで、読み書きや記憶力が役立つ仕事があれば、適性を見て任せます」
エルザは力強く頷いた。
「レオンハルト様も、勝手に研究記録を渡さないように」
「必要なときは相談します」
「必ず私を通してください」
「はい」
こうして、ヒルデガルトは管理屋敷のメイド長となり、エルザは副メイドとして働き始めた。
◇
夕方。
レオンハルトが作業部屋で七個目の光結晶を調整していると、扉が三度叩かれた。
「レオンハルト様。夕食のお時間です」
エルザの声だった。
「あと少しで安定します」
「ヒルデガルト様から、必ずお連れするように言われています」
「結晶の外層だけ整えたら――」
扉が開いた。
エルザの後ろに、ヒルデガルトが立っている。
「保存できる状態まで、あと何分ですか」
「五分です」
「では五分待ちます」
「よいのですか」
「途中で止めて失敗させることが目的ではありません」
ヒルデガルトは壁際へ立った。
腕を組み、静かにレオンハルトを見守る。
レオンハルトは急いで結晶内部を整えた。
焦って構造を崩さないよう、一層ずつ魔力の流れを固定する。
やがて、光が安定した。
「終わりました」
「記録は?」
「食事のあとに書きます」
「よろしい」
ヒルデガルトは頷いた。
エルザが、机の上の紙を一か所へ集めようと手を伸ばす。
「待ってください」
レオンハルトが止めた。
「その紙は、加工時間の記録です。右の紙は原料の違い。左は失敗した構造です」
エルザは手を止め、紙の位置を見比べた。
「分かりました」
彼女は近くにあった木片を三つ取り、それぞれの紙の上へ置いた。
「これは?」
「混ざらないように、印代わりです。食事のあとで、見出しを書いてもよろしいですか」
レオンハルトは少し驚いた。
「覚えられたのですか」
「今、教えていただいた三つだけですから」
「それでも十分です」
「レオンハルト様」
ヒルデガルトが呼ぶ。
「はい。食堂へ行きます」
レオンハルトは椅子から立ち上がった。
作業部屋を出る前に振り返る。
机の上には七個の光結晶。
分類された記録用紙。
床からは釘も鉱石の欠片もなくなっている。
窓際の布は片づけられ、試験中の結晶は石皿の上へ移されていた。
昨日までと同じ古びた部屋だった。
だが、どこに何があり、誰が何をするのかが少しずつ整い始めている。
結晶を作るだけでは、暮らしは成り立たない。
人が安全に働き、食事を取り、眠り、翌日も同じ仕事を続けられる場所が必要だ。
レオンハルトは、ヒルデガルトの背中を見ながら、そのことを理解し始めていた。
荒れ果てていた管理屋敷に、初めて役割と秩序が生まれた。
そして、その片隅では、後に数え切れない魔石の試験結果を記録する少女が、散らばっていた紙へ一枚ずつ見出しを書き始めていた。
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