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廃嫡錬金術師の魔石国家  作者: 阿鼻恭介
第三章 崩落と廃嫡
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12/36

第12話 鉱山へ走る

この作品は完結まで7日間で1日5〜6話投稿します。

3日目(7/22)2話目です。

 雨は、三日を待たなかった。


 避難経路確認会を開いた翌日の夜から降り始めた雨は、夜明けを迎えても弱まらなかった。


 屋敷の窓を打つ雨粒は時間とともに大きくなり、庭の石畳には濁った水が流れている。


 遠くの山は厚い雨雲に覆われ、頂上どころか中腹さえ見えなかった。


 レオンハルトは夜明け前から結晶工房へ入り、鉱山へ運ぶ道具を確認していた。


 予備の魔石灯。


 包帯。


 薄い毛布。


 水筒。


 担架を作るための布と木棒。


 坑道図の写し。


 避難基準を記した紙。


 雨が三日続いた場合、坑口で避難準備を始める予定だった。


 だが、今回は雨の強まり方が早すぎる。


 昨夜のうちに鉱山へ送った確認役からも、まだ報告が戻っていなかった。


「レオンハルト様」


 工房の扉が開き、アルノルトが入ってきた。


 外套の肩から雨水が滴っている。


「鉱山から使いが来ました」


「状況は?」


「第三運搬路の排水溝が溢れました。北壁だけでなく、床の亀裂からも水が出ているそうです」


 レオンハルトの手が止まる。


「支柱は?」


「二本が大きく傾き、周辺区画の一班は自主的に退避しました」


「一班だけですか?」


「主力坑道では直接の異常が確認されていないとして、鉱山長が作業を続けさせています」


 レオンハルトは机の上へ広げた坑道図を見た。


 第三運搬路から主力坑道へ伸びる青い線。


 地下水の流れを示したものだ。


 地図上では離れていても、岩盤内部では同じ脆い層でつながっている。


「父上への報告は?」


「早朝、鉱山事務所から報告書が届きました」


「父上は何と?」


「第三運搬路周辺の退避と、主力坑道の監視強化を命じました。全面停止までは認めておられません」


 父は報告を読んだ。


 その上で、採掘を続けると判断したのだ。


 レオンハルトは鞄を閉じた。


「鉱山へ行きます」


「坑口までです」


 アルノルトが強く言う。


「約束をお忘れではないでしょうな」


「覚えています。中へ入るのは、連絡が途絶えた場合か、取り残された方がいると分かった場合だけです」


 その時、廊下を走る足音が聞こえた。


 工房へ飛び込んできたのは、泥だらけの鉱夫だった。


「若様!」


「どうしたんですか」


 男は肩で息をしながら、濡れた帽子を握り締める。


「オットー親方からです。主坑道の排水溝にも砂が混じり始めました。天井から小石が続けて落ち、支柱の軋む音も増えています」


「退避基準が三つ重なっています」


 レオンハルトが言うと、男は何度も頷いた。


「親方と班長たちは退避を訴えました。ですが鉱山長は、伯爵様の命令は監視強化までだと……」


「まだ作業を続けているのですか」


「雨季へ入れば、しばらく鉱石を運び出せなくなります。今日が最後の搬出日になるかもしれないから、露出した高品質鉱脈だけでも掘れと」


 ブルクハルトが強行する理由は分かった。


 だが、それで危険が消えるわけではない。


「連絡役は戻りましたか?」


「一人が戻っていません」


 アルノルトの顔が険しくなる。


 連絡が途絶え、内部には人が残っている。


 レオンハルトが坑道へ入る条件は、既に満たされていた。


「行きましょう」


          ◇


 鉱山へ続く道は、ところどころ川のようになっていた。


 跡取り教育で身につけた乗馬を使い、レオンハルトとアルノルトは麓まで馬で向かった。


 それより先は道がぬかるみ、馬を進ませる方が危険だったため、近くの小屋へ預けて歩いた。


 雨水が靴の中へ入り、外套はすぐに重くなる。


 山へ近づくほど、地面の下から低い音が響いてきた。


 雷ではない。


 雨音とも違う。


 岩と岩が押し合い、山の奥でゆっくり動いている音だった。


 坑口へ着くと、鉱夫の家族たちが不安そうに集まっていた。


 入口横の排水溝からは、茶色く濁った水が激しく流れ出している。


 追加された二台のポンプも動いていたが、水量へ追いついていない。


「若様!」


 坑口の見張り役が駆け寄ってきた。


「中の人数は?」


「朝の入坑が百二十六名です。既に三十八名が退避しました」


「残り八十八名……」


「第三運搬路と周辺支道の班は戻っております。ただ、主力坑道と深部の作業班がまだです」


「オットーは?」


「中で退避を呼びかけながら、人数を確認しています」


「連絡役は?」


「二人入りました。一人は戻りましたが、もう一人はまだです」


 アルノルトが鞄を下ろした。


「予備の魔石灯を配りなさい。退避した者は班ごとに人数を確認。負傷者は倉庫へ運び、濡れた服を替えさせるのです」


 見張り役が動き出す。


 その時、鉱山事務所からブルクハルトが出てきた。


 雨避けの外套を着ているが、坑道へ入る支度ではない。


「何をしておられるのですか」


「即時退避基準が成立しています」


 レオンハルトは避難基準の紙を示した。


「僕に採掘計画を変更する権限はありません。ですが、一般安全教育で定めた危険兆候が重なっています。鉱夫の方々へ、退避するよう伝えます」


「伯爵様の命令は、主力坑道の監視強化です」


「報告した時より状況が悪化しています」


「高品質鉱脈が露出したばかりなのです。今日中に運び出さなければ、浸水で失われる可能性がある」


「鉱石は失っても掘り直せます。命は戻りません」


「鉱夫の生活も、採掘量に支えられているのです」


「死んだ鉱夫へ賃金は払えません」


 ブルクハルトの顔が強張った。


「これは鉱山長である私の判断です」


「では、ご自分で中を確認してください」


 レオンハルトは坑口を指した。


「今の主力坑道へ入り、作業を続けられると鉱夫たちへ直接伝えてください」


「私は全体の指揮を執る立場です」


「だから、ご自分は入らないのですか」


「若様。言葉が過ぎます」


「中では連絡役が戻らず、八十八人が残っています」


 レオンハルトは魔石灯を腰へつけた。


「僕は入ります」


「鉱山管理から外された方を、勝手に入坑させることはできません」


「緊急時の人命救助です」


 アルノルトがブルクハルトへ向き直った。


「私は伯爵家の錬金技術顧問として、坑道内部の緊急安全確認を宣言します。レオンハルト様には、岩盤状態を確認する技術があります」


「それでも――」


「私も同行します」


 坑口脇から、一人の騎士が進み出た。


 二十代後半の、生真面目そうな男だった。


「クラウス・アードラーと申します。雨天による混乱へ備え、騎士団から坑口警備の増員として派遣されました」


「騎士が鉱山管理へ口を出すのか」


 ブルクハルトが睨む。


「伯爵家のご子息と技術顧問が救助のため坑道へ入る以上、警護するのは騎士の役目です」


 クラウスは淡々と答えた。


「人命へ明確な危険が迫っている状況で、それを妨害することも騎士の職務ではありません」


 ブルクハルトは口を閉じた。


 レオンハルトは坑口の見張り役へ尋ねる。


「内部の構造を確認します。主力坑道の途中から南支道と旧運搬路が分かれ、その先が最深部ですね」


「はい。第三運搬路は閉鎖済みです。旧運搬路は今のところ使えます」


「ディートリヒはどこですか」


 見張り役がブルクハルトへ視線を向ける。


「最深部です」


 ブルクハルトが渋々答えた。


「なぜ弟が中に?」


「排水路案の測量です」


「爆破石も持ち込んでいるのですか」


「設置位置を確認するための試作品を一つだけです。使用許可は出しておりません」


「父上は、測量と排水先の確認後に再検討すると言いました」


「ですから測量です」


「この雨の中、最深部へ爆破石を持ち込むこと自体が危険です」


「ディートリヒ様が、後継者候補として現場を確認すると押し切られました」


 ブルクハルトは、完全に許可したわけではないと言いたいのだろう。


 だが、護衛と作業員をつけて最深部へ入れた時点で、止めなかった責任は消えない。


「すぐに連れ戻します」


 レオンハルトは坑道へ足を向けた。


          ◇


 坑道内は、以前とは別の場所のようになっていた。


 排水溝から溢れた水が通路へ広がり、足首まで浸かる場所もある。


 壁を流れる水が魔石灯の光を反射し、岩肌の影を不規則に揺らしていた。


 クラウスは通常の盾を左腕へ構え、先頭を進む。


 レオンハルトが中央。


 アルノルトが後方を確認する。


「前方から人が来ます」


 クラウスが声を上げた。


 暗闇の奥から、鉱夫たちが現れた。


 オットーが先頭に立ち、後ろには二十人ほどが続いている。


「若様!」


「親方、人数は?」


「第一採掘班は全員おります。第二班は三人が道具を取りに戻り、それを捜す監督も残っています」


「なぜ道具を?」


「借金をして買った物です。置いていけば、壊れるか流される。そう考えたのでしょう」


 生活がかかっている。


 避難基準を教えても、すべてを捨てて逃げることをためらう者はいる。


「第三班は?」


「旧運搬路から退避中です。主力坑道の中段には、まだ四十人近く残っています」


「最深部は?」


「ディートリヒ様、護衛三人、ブルクハルト直属の作業班九人です」


 レオンハルトは予備の魔石灯をオットーへ渡した。


「この方々を地上へ。退避人数を班ごとに確認してください」


「若様は?」


「残っている人を呼び戻します」


「儂も行きます」


「親方は道を知っています。だから、皆さんを外へ連れていってください」


 オットーは険しい顔でレオンハルトを見る。


「必ず戻ってください」


「はい」


 オットーたちと別れ、さらに奥へ進む。


 主力坑道の途中で、南支道と旧運搬路が左右へ分かれていた。


 南支道からは、道具を取りに戻った鉱夫たちを捜す声が聞こえる。


 旧運搬路の壁へ打たれた反射片が、魔石灯の光を返していた。


 レオンハルトが以前設置した避難目印だ。


 その一つが僅かに傾いている。


「床が動いています」


 レオンハルトは壁へ触れた。


 《結晶創造》を使う。


 地下水が以前より速く流れていた。


 水を含んだ粘土層が押し出され、上の岩盤を支える力を失い始めている。


 亀裂は主力坑道だけでなく、旧運搬路側にも広がっていた。


「避難路も長くは持ちません」


「どの程度です?」


 アルノルトが尋ねる。


「正確には分かりません。爆破のような強い振動がなければ、まだ時間は――」


 遠くで岩が割れる音がした。


 爆発ではない。


 水を含んだ岩盤が、自重に耐え切れず崩れ始めた音だった。


 天井から小石が一斉に落ちる。


 クラウスが盾を上げ、レオンハルトとアルノルトの頭上を守る。


「走ってください!」


          ◇


 主力坑道の中段では、鉱夫たちが立ち尽くしていた。


 ブルクハルト直属の監督が作業を続けるよう叫んでいる。


 だが、天井から細かな砂が絶えず落ち、つるはしを振る者はいなかった。


「全員、地上へ退避してください!」


 レオンハルトの声が坑道へ響く。


 監督が振り返った。


「若様に命令権はありません!」


「命令ではありません。即時退避基準が成立しています!」


「まだ主力坑道は持っております!」


 その直後、坑道の奥で岩が砕けた。


 人の頭ほどの石が落下し、無人の荷車を直撃する。


 木製の荷台が砕け、積まれていた鉱石が床へ散らばった。


 鉱夫たちが悲鳴を上げる。


「大きな落石は、一つでも即時退避です!」


 先日の確認会へ参加していた班長が声を上げた。


「第三班、人数を数えろ!」


「第四班は負傷者を先に!」


 班長たちが動き始める。


 監督が止めようとした。


「勝手なことをするな! 鉱山長の命令を――」


「これ以上妨害するなら、人命を危険にさらしたとして拘束します」


 クラウスが監督の前へ立った。


「騎士が鉱山へ口を出すのか」


「落石を見ても安全だと言うなら、あなたがここへ残りなさい」


 監督は口を閉じた。


 鉱夫たちが旧運搬路へ向かって動き始める。


 アルノルトはその場へ残り、班長たちと人数確認を始めた。


「私はここで退避を補助します」


「先生」


「最深部へ行くのでしょう」


「はい」


「ディートリヒ様が爆破石を使用した場面を、私は見ておりません」


 アルノルトは低い声で言った。


「だから、見たことと聞いたことを分けて記録します。あなたも同じようにしなさい」


「分かりました」


「クラウス殿。レオンハルト様をお願いします」


「必ず連れ戻します」


 クラウスとレオンハルトは、退避する人の流れに逆らって最深部へ走った。


          ◇


 最深部へ近づくほど、坑道は荒れていた。


 壁には新しい亀裂が走り、足元を濁った水が流れている。


 魔石灯が揺れるたび、影が生き物のように動いた。


「ディート!」


 レオンハルトは声を張り上げた。


 返事はない。


 代わりに、金属を岩へ打ち込む音が聞こえた。


 曲がり角を抜けると、広い採掘跡へ出た。


 ディートリヒがいた。


 護衛三人。


 ブルクハルト直属の作業員九人。


 作業員たちは不安そうな表情を浮かべていたが、後継者候補であるディートリヒの命令へ逆らえず、その場に残っている。


 中央の岩壁には、黒い外殻を持つ新型爆破石が取りつけられていた。


 そこから伸びた起爆導線を、ディートリヒが手にしている。


「何をしているんだ!」


 レオンハルトが駆け寄った。


 ディートリヒが振り返る。


「兄上こそ、なぜここへ?」


「全員退避だ。崩落が始まっている」


「まだ使っていません」


 ディートリヒは爆破石を示した。


「測量結果が出る前に、少しだけ試すつもりでした。小さな穴を開けて、水がどちらへ流れるか確認します」


「それは測量じゃない。爆破だ」


「出力は抑えています」


「地上へ抜ける方向も、距離も、排水先も分かっていない」


「少し穴を開ければ分かります」


「爆破した後に分かっても遅い!」


 レオンハルトは壁へ手を置いた。


 《結晶創造》を通して、岩盤内部を見る。


 爆破石が設置された先には、地上へ通じる空間などない。


 水を含んだ脆い層。


 その奥に、採掘で残された大きな空洞。


 爆破すれば、水を外へ逃がすどころか、空洞を支える岩を壊すことになる。


「この先は外じゃない」


「地図では外壁に近いです」


「間に空洞がある。その周りの岩も水で弱っている」


「兄上にしか見えない話でしょう」


「だから確かめるまで使うなと言っているんだ!」


 ディートリヒの顔が歪む。


「このまま戻れば、父上に何もできなかったと思われます」


「今は成果の話をしている場合じゃない」


「排水路を作れば採掘を止めずに済みます。水が抜ければ危険もなくなる!」


「抜けない。山の中の水を、この場所へ呼び込むだけだ」


 作業員たちがざわめく。


 一人が恐る恐る口を開いた。


「ディートリヒ様……やはり、退避した方がよいのでは」


「黙ってください」


「ですが、天井から砂が……」


「僕が責任を取ります」


「責任を取っても、死んだ人は戻らない!」


 レオンハルトは爆破石へ近づいた。


「導線を外せ。全員で戻るんだ」


「触らないでください!」


 ディートリヒが導線を握り締める。


「兄上は、僕の成功が怖いだけです」


「違う!」


「僕は王都で認められた。兄上より優れた錬金術師です!」


 地面の下から、低く重い音が響いた。


 壁の亀裂から、濁った水が細い筋となって流れ出す。


 天井から小石が落ち、クラウスの盾を叩いた。


「ディートリヒ様」


 クラウスが一歩前へ出る。


「騎士として命じます。導線を手放し、退避してください」


「下級騎士が僕へ命令するのですか」


「人命へ差し迫った危険があります」


「僕はベルクシュタイン家の後継者候補です」


「だからこそ、作業員の命へ責任を持つべきです」


 ディートリヒは答えなかった。


 導線を持つ手だけが、震えている。


 レオンハルトは弟へ手を伸ばした。


「ディート。一緒に戻ろう」


「……嫌です」


「父上に怒られても、僕も説明する」


「兄上に庇われたくありません」


 ディートリヒは起爆導線を胸元へ引き寄せた。


 その先にある爆破石の術式が、淡く赤い光を帯びる。


 まだ起爆は始まっていない。


 今なら止められる。


「ディートリヒ!」


 レオンハルトが踏み出した瞬間。


 山の奥から、今までで最も大きな破砕音が響いた。


 地面が激しく揺れ、天井の亀裂が一気に広がる。


 作業員たちが悲鳴を上げた。


 ディートリヒの指が、導線へ魔力を流す起動部へ触れた。


 赤い光が、導線の端にともった。

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