第4章(最終章):ただいま、僕の温かい場所
僕は制服のポケットを探り、まだ返せていない静香の花柄のハンカチに触れた。
「明日も……頑張ろう」と、自分自身に静かに呟いた。
遠ざかっていく校舎をもう一度振り返り、夕焼けの下で小さく微笑むと、僕は駅のホームに向かって力強く歩き出した。
マンションの建物が見えてくると, 僕は歩みを早めた。今朝、食卓に忘れてきたお弁当箱のことを思い出し、思わず一人で苦笑いしてしまった。
玄関のドアを開けると、母の料理の香り——家ならではの炒め物の匂い——が僕を迎え、制服にまとわりついていた春の冷たい空気をかき消してくれた。
「ただいま!」学んだばかりの挨拶を、僕は精一杯口にした。
「おかえり!」台所から母の声が返ってきた。
母の足音が近づき、穏やかな笑顔とともに、慈愛に満ちた母の顔が現れた。「学校はどうだった? 順調だった?」
僕は清潔な床にバッグを置き、食卓の椅子に座った。テーブルの上には、今朝忘れていった僕のお弁当箱が、僕のうっかり加減を笑っているかのようにそこにあった。
母は温かいお茶を差し出し、僕の向かいに座った。そして、僕がすべてを話し始めるのを、辛抱強く聞いてくれた。
閉まったままの引き戸のこと、自己紹介での恥ずかしさ、笑いをこらえていた眼鏡の女子生徒のこと、おむすびをくれた静香のこと、賑やかな大樹のこと、そして僕を泣かせたあのイチゴミルクのこと。
母はあまり口を挟まず、ただ微笑んで頷きながら、学校の廊下では得られなかった安心感を僕に与えてくれた。
父はまだ仕事から帰っていなかったけれど、この部屋はすでに満たされた空気に包まれていた。母が淹れてくれた温かいお茶をすすり、その温もりが体中に広がっていくのを感じた。
外の世界では、日本はまだ僕にとって見知らぬ、難しい場所かもしれない。けれど、このマンションの中で、母の料理の香りと夕方の会話に囲まれている限り、僕は「大丈夫だ」と確信していた。
(完)
この物語を、信州の春風に舞う桜の花びらのように、遠く、遠くへと羽ばたかせてあげたい。
イチゴミルクの甘さ、松本の温かな光、そしてあの日僕を救ってくれた『優しさ』の記憶が、できるだけ多くの人の心に届きますように。
もしこの物語が皆さんの心に触れたなら、自由にシェアしてくれたら嬉しいです。僕が見つけた『小さな奇跡』を、皆さんと分かち合えますように。




