第六章「模型」
文化祭まで残り一ヶ月を切った。
綺麗に作り上げたティーガーⅡの砲塔を曲げた日から、美琴の手は止まらなかった。
装甲に刻まれた傷。
剥がれた塗装。
錆び付いた金属。
写真の中の王様へ近付くために、西田先生から新しい技術を教わっていく。
ウェザリング。
チッピング。
ダメージ加工。
教わった事を試しては直し。
試してはまた直す。
少しずつ。
少しずつ。
ティーガーⅡは写真の姿へ近付いていった。
それでも。
「……違う。」
美琴は机の上の作品を見つめる。
写真と見比べる。
何度見ても上手く出来ていると思う。
けれど。
どこか違う。
何かが足りない。
美琴はティーガーⅡを抱えて西田先生の元へ向かった。
「先生。」
「ん?」
「これ、写真と比べてどう思いますか?」
西田先生は写真と作品を見比べる。
しばらく眺めた後、素直に言った。
「上手く出来てるんじゃないか?」
「写真とも、あんまり変わらんと思うぞ。」
美琴は首を横に振った。
「……でも、足りないんです。」
「私は写真と同じように作れば、先生の言った"感情を乗せる"が出来ると思ってました。」
西田先生は少しだけ目を細めた。
「……ほう。」
「違うんですか?」
美琴は思わず身を乗り出す。
「先生が言った感情を乗せるって、どういう事なんですか?」
すると。
西田先生はあっさりと言った。
「そんなもん、俺にも分からん。」
「えぇっ!?」
思わず声が裏返る。
西田先生は平然としていた。
「これはお前の作品だ。」
そう言ってティーガーⅡを指差す。
「お前がまだ感情が乗ってないと思うなら、乗ってないんだろう。」
「……。」
「だったら、もっといじれ。」
「自分が納得出来た時しか、プラモは完成しないよ。」
西田先生は笑った。
美琴は写真を見つめながら考える。
私がこの写真を見て思った事。
王様だった戦車。
誰よりも強かったはずの戦車。
それなのに。
最後は静かに地面へ横たわっている。
悲しい。
私はそう思った。
でも。
悲しさを模型で表現するって、どういう事なんだろう。
美琴は思いつく限りの事を試した。
雨風にさらされたような汚れを加える。
履帯を外してみる。
土台を作り、ぬかるみに沈みかけた姿を再現する。
兵士の人形を置く。
敬礼させる。
作っては眺める。
また直す。
何度も。
何度も。
そうしているうちに、机の上のティーガーⅡは少しずつ変わっていった。
気付けば。
それは写真の再現ではなくなっていた。
そこには美琴が想像した景色があった。
王様だった戦車。
その最後を見送る兵士達。
雨に濡れた大地。
静かに止まった時間。
写真には写っていなかった物語。
だけど。
私には確かにそう見えた。
「もうジオラマだな。」
後ろから西田先生の声がした。
美琴は振り返る。
「ジオラマ?」
「あぁ。」
西田先生は頷いた。
「お前、もう写真を真似してないだろ。」
そう言われて、改めて作品を見る。
確かにそうだった。
最初は写真と同じものを作ろうとしていた。
でも今は違う。
この景色は。
この王様は。
私が見たかったティーガーⅡだった。
「……あ。」
その瞬間。
胸の奥で何かがストンと落ちた。
ずっと探していたもの。
足りないと思っていたもの。
それがようやく分かった気がした。
写真を真似したかったんじゃない。
この戦車に感じた気持ちを形にしたかったんだ。
美琴は思わず笑う。
「先生。」
「ん?」
「完成しました。」
西田先生は作品を見て、小さく笑った。
「あぁ。」
「やっと完成したな。」
美琴は完成したティーガーⅡを抱えた。
その時だった。
部室の奥で、涼介が難しい顔で零戦を見つめているのが目に入った。
文化祭まで残り一週間。
涼介は完成間近の零戦を見つめていた。
形にはなっている。
塗装も悪くない。
今まで作った作品の中でも、間違いなく最高傑作だった。
それでも。
「……違う。」
小さく呟く。
これじゃ届かない。
西田先生の作品を見続けてきた自分だから分かる。
まだ足りない。
決定的に何かが足りない。
頭では分かっているのに、その答えが見つからない。
机へ肘を付き、額を押さえる。
時間だけが過ぎていく。
文化祭はもう目前だった。
その時だった。
「涼介くん。」
後ろから声がした。
振り返ると、美琴が立っていた。
両手には完成したティーガーⅡ。
少し緊張したような顔をしている。
「……私のティーガーⅡ、できたんだ。」
涼介は視線だけ向ける。
「あぁ。」
「上手くできたんだろ。」
「文化祭でちゃんと見る。」
そう言って再び零戦へ目を戻した。
今は他人の作品を見ている余裕なんてなかった。
すると。
「違う!」
部室へ大きな声が響いた。
思わず顔を上げる。
美琴が真っ直ぐこちらを見ていた。
「私は今、涼介くんに見てほしい!」
その声に涼介は目を丸くする。
美琴がこんな風に感情をぶつけてくる事は珍しかった。
「……私。」
少しだけ照れ臭そうに視線を逸らす。
それでも言葉を続けた。
「涼介くんにたくさん教えてもらったから。」
「だから、一番最初に見てほしい。」
涼介はしばらく黙っていた。
そして小さく息を吐く。
「……分かった。」
椅子から立ち上がった。
「見せてくれ。」
美琴は嬉しそうに頷いた。
机の上へティーガーⅡを置く。
その瞬間。
涼介は言葉を失った。
撃破されたティーガーⅡ。
曲がった砲塔。
傷だらけの装甲。
雨に濡れた大地。
朽ちた戦車を悲しく見送る兵士。
美琴だけの景色が、机の上へ切り取られていた。
完成見本とは全く違う。
あの写真とも違う。
なのに。
目が離せなかった。
「……。」
西田先生から教わった技術は使われている。
ウェザリング。
チッピング。
ダメージ加工。
どれも知っている技術だった。
でも。
これは先生の作品じゃない。
美琴の作品だった。
「……美琴。」
「うん?」
美琴が不安そうに顔を上げる。
涼介は少しだけ笑った。
「お前、すごいな。」
「え?」
「模型作り、向いてるよ。」
そう言って美琴の頭へ手を置く。
美琴の顔が一気に明るくなった。
「……ありがとう!」
その笑顔を見ながら、涼介は再びティーガーⅡへ目を向ける。
先生はこんな作品を作らない。
でも。
先生が教えた技術がなければ、この作品も生まれなかった。
不思議な感覚だった。
その後。
涼介は自然と他の作品にも目を向けた。
アカネの獅龍凰。
磨き込まれた輝羅鋼。
鏡のような光沢。
誰が見ても格好良いと思える存在感。
康太のステイメン。
細部まで計算された工作。
見せ方まで含めて完成された一体。
そして棚に並ぶ、歴代部員達の作品。
戦車。
飛行機。
戦艦。
ガンプラ。
車。
作った人間は違う。
使われている技術も違う。
でも。
どの作品にも共通しているものがあった。
作った人間の「好き」が詰まっていた。
好きだから磨いた。
好きだから調べた。
好きだから作り込んだ。
その熱量だけは、どの作品にも負けないくらい込められていた。
涼介はゆっくりと目を閉じる。
先生の作品を超えたい。
ずっとそう思っていた。
だから先生だけを見ていた。
先生の真似をした。
先生の技術を学んだ。
先生の背中を追い続けた。
でも。
それだけじゃ足りなかった。
「……そうか。」
小さく呟く。
模型はもっと自由なんだ。
もっと広い。
先生が守った模型部には。
先生一人じゃ作れない作品が並んでいる。
先生が守ったからこそ生まれた作品がある。
その瞬間。
涼介の中で何かが繋がった。
思わず笑みが零れる。
「俺は先生の影だけを追っていた。」
誰にも聞こえない声で呟く。
「足りないはずだ。」
模型技術の師匠は西田先生だった。
でも。
それだけじゃない。
美琴から学んだ事がある。
アカネから学んだ事がある。
康太から学んだ事がある。
歴代部員達から学んだ事がある。
先生が守り続けた模型部そのものが、俺の師匠だった。
涼介は完成間近の零戦を見る。
もう迷いは無かった。
皆の「好き」を取り入れる。
皆の技術を取り入れる。
そして――
必ず先生を超える。
文化祭まで残り一週間。
零戦作りは、最後の仕上げへ入ろうとしていた。
…そしてついにその時はやってきた。
文化祭当日。
美琴達は、自分達の作品が並ぶ教室で開場を待っていた。
「……康太。」
アカネが不安そうに口を開く。
「……なんだ。」
「……うちの弟、これ見て喜んでくれるかな……?」
獅龍凰へ視線を向けながら呟く。
康太は笑った。
「絶対に喜ぶよ。」
そして続ける。
「約束する。」
アカネは何も言わなかった。
ただ少しだけ安心したように笑った。
「……始まるぞ。」
涼介がそう言った次の瞬間。
文化祭開催のチャイムが校内へ鳴り響いた。
数分後。
美琴達の教室には、次々と人が流れ込んできた。
小学生。
中学生。
他校の生徒。
そして大人達。
その中には京子の姿もあった。
「ガキ共〜。あんた達の作品、見に来たよ〜。」
初めて京子に見せる自分の作品。
それだけじゃない。
部員以外の誰かに見てもらう事だって初めてだった。
四人は、それぞれの思いを胸に来場者達を眺める。
たくさんの人達が作品を見ていく。
感心したように足を止める人。
スマホを取り出して写真を撮る人。
特に涼介の零戦は人気だった。
気付けば、その前には何人もの人だかりができている。
そして。
初心者教室も始まった。
「お姉ちゃ〜ん! ここどうやって作るの〜?」
「できたー!」
「お兄ちゃん! もっと教えて!」
子供達の声が飛び交う。
康太もアカネも忙しそうに走り回っていた。
そんな中。
端の席で一人の女の子がニッパーを握ったまま困っていた。
美琴はその子の前へ腰を下ろす。
「どうしたの?」
女の子は不安そうに答えた。
「どうしたらいいか分かんない……。」
そして小さな声で続ける。
「切るの怖い……。」
美琴は思わず小さく笑った。
少し前まで。
自分も同じだったから。
「大丈夫だよ。」
優しく声を掛ける。
「ほら。この部分に刃を当ててみて。」
「……こう?」
「そうそう。」
美琴は頷く。
「そのまま握ってみて。」
女の子は恐る恐るニッパーを握った。
――パチッ。
小さな音が鳴る。
「あっ……。」
女の子の目が少しだけ輝いた。
「……わぁ。」
そして小さく笑う。
「気持ちいい。」
「……でしょ?」
美琴も笑った。
「気持ちいいよね。」
女の子は何度も頷く。
「じゃあ次は一緒に説明書を見ながら組み立ててみようか。」
「うん!」
パチッ。
カチッ。
パチッ。
少しずつ形になっていく。
ただのプラスチックの板だったものが。
腕になり。
足になり。
顔になる。
バラバラだったパーツが、一つの形になっていく。
失敗してもやり直せる。
少しずつ完成へ近付いていく。
私の大好きなプラモデル。
この子も好きになってくれたらいいな。
「……できた。」
女の子は完成したプラモデルを両手で持ちながら見つめていた。
何度も。
何度も。
嬉しそうに。
美琴はその姿を見ながら尋ねる。
「楽しかった?」
女の子は顔を上げた。
そして。
「うん!!」
満面の笑みでそう答えた。
その笑顔を見て。
美琴も少しだけ笑った。
模型部の展示をひとしきり見た後、西田と京子はあのプレハブ小屋で話していた。
「すごかったなぁ…、あの子たちの作品。」
「…あぁ、どれも本気で作ってたな。」
「研二、あんた、負けたんじゃないの?」
「……フッ、どうだかな……。」
「……ここも、アタシたちの思い出じゃなくなるんだね。」
「あいつらが守ってくれるさ。もうあいつらの部室だ。」
「アタシも模型店ちゃんと守らないとなぁ。お父さんも今はなかなか店に出れないし…」
「京子、この部室はもうあいつらに託した。…俺にも……岩崎模型店を、守らせてくれないか。」
「……えっ。」
その頃、校舎では模型部の4人で会場の片付けをやっていた。
文化祭は大盛況。
初心者教室は最後まで人が途切れる事なく続き、展示スペースにも多くの生徒が足を止めていた。
模型部の名前を知らなかった生徒達まで作品を見に来ていた。
そして今。
展示台を運び。
パネルを外し。
作品を箱へ戻していく。
長かった文化祭も、ようやく終わろうとしていた。
「終わったな……。」
康太がぽつりと呟く。
「……あぁ。」
涼介も頷く。
どこか気の抜けた返事だった。
美琴は箱へティーガーⅡをしまいながら笑う。
「でも楽しかったね。」
「まぁね。」
アカネも珍しく素直に頷いた。
少しだけ沈黙が流れる。
達成感。
安心感。
そして少しだけ寂しさ。
文化祭が終わったのだと実感する。
「来年。」
康太が言った。
「部員増えるかな。」
「増えるよ!」
美琴が即答する。
「だってあんなに人来てたもん。」
「まぁ、何人かは入るんじゃないか。」
涼介も言う。
アカネは笑った。
「入らなかったら勧誘すればいいだけでしょ。」
「それもそうだな。」
康太も笑う。
そして。
誰からともなく口を開いた。
「……それで。」
「ん?」
「次、何作る?」
一瞬だけ全員が固まる。
そして。
「俺は決まってる。」
涼介が言う。
「えっ、なに?」
「秘密だ。」
「なんだそれ!」
アカネが笑う。
「アタシは獅龍凰の隣に並べるやつ。」
「またSD?」
「またSD。」
「アカネちゃんらしいね。」
「ミコは?」
美琴は少し考える。
そして笑った。
「まだ決めてない。」
「でも。」
「また作りたい。」
その言葉に全員が頷いた。
最初は“おもちゃ作り”だと思っていた。
けれど――
切って。 削って。 塗って。 失敗して。 また直して。
少しずつ、自分の手で形になっていく。
シンナー臭い放課後のプレハブで始まった物語。
ーPlus+ticー




