第五章「完成品」
ティーガーⅡの箱を開けた美琴は、その大きさに思わず息を呑んだ。
最初に作ったプラモデルとも。 夏休みに完成させた旧キットとも違う。
箱いっぱいに詰め込まれたパーツ。 ずっしりとした車体。 説明書に描かれた完成見本。
その全てが圧倒的だった。
「これを……私が作るんだ。」
思わず小さく呟く。
文化祭まで二ヶ月。
今までで一番大きなプラモデル。 そして初めて、自分で選んだプラモデルだった。
ふと周りを見る。
涼介はもうランナーを広げていた。
説明書を開き、迷いなくパーツを切り始めている。
康太は腕を組みながら説明書を睨んでいた。
組み立てる前から、何か考えているらしい。
アカネは獅龍凰を手に、西田先生へ話しかけている。
折れた腕をどう直すのか。 そんな話をしているのだろう。
誰も同じ事をしていない。
その光景を見て、美琴は少しだけ笑った。
ああ。
この感じ。
前にも見た事がある。
完成したプラモデルを眺める時と同じだ。
涼介は細かい部分を見る。
康太は全体の雰囲気を見る。
アカネは格好良いかどうかを見る。
正しい見方なんて無かった。
だったら。
作り方も同じなのかもしれない。
美琴は改めてティーガーⅡの箱を見た。
自分は、この戦車をどう作りたいんだろう。
格好良く?
綺麗に?
戦車らしく?
違う気がした。
気になる。
ずっと気になっていた。
初めて岩崎模型店へ行った日から。
だったらまず――
知りたい。
この戦車の事を。
どうして王様と呼ばれたのか。
どうしてこんな姿をしているのか。
どんな場所を走ったのか。
何を背負っていたのか。
「よし。」
美琴は立ち上がった。
鞄を肩へ掛ける。
「ん?」
アカネが顔を上げる。
「どうしたの?」
「ちょっと図書室。」
美琴は笑った。
「この戦車の事、調べてくる。」
図書室は静かだった。
夕方の光が窓から差し込み、本棚をオレンジ色に染めている。
美琴は戦車の図鑑を探した。
軍事資料。
世界史の本。
戦争の写真集。
気になるものを片っ端から机へ積み上げる。
そして。
ようやく見つけた。
ティーガーⅡ。
別名、キングタイガー。
戦車の王様。
美琴はページをめくる。
強力な装甲。
長距離から敵を撃ち抜く主砲。
当時最強と呼ばれた重戦車。
確かに王様だった。
だけど。
読み進めるうちに、美琴は少しだけ眉をひそめた。
重すぎる車体。
故障の多さ。
不足する燃料。
思うように動けなかった現実。
理想と現実。
その差は思っていた以上に大きかった。
そして。
最後のページで手が止まる。
そこには、一枚の写真が載っていた。
撃破されたティーガーⅡ。
履帯は外れ。
装甲には砲撃の跡。
砲塔は歪み。
王様だったはずの戦車は、静かに地面へ横たわっていた。
美琴はしばらくその写真から目を離せなかった。
不思議だった。
格好悪いはずなのに。
壊れているはずなのに。
なぜか目を奪われる。
王様として生まれて。
王様になりきれなかった戦車。
その姿が少しだけ悲しく見えた。
だからだろうか。
美琴はもうティーガーⅡの虜になっていた。
この戦車が歩いた時間ごと。
傷も。
汚れも。
失敗も。
全部含めた姿に惹かれていた。
美琴はそっと写真へ手を置く。
「この戦車にも、物語があったんだね。」
窓の外を見る。
いつの間にか夕日が沈み始めていた。
文化祭まで二ヶ月。
ティーガーⅡを作る前に。
まずは、この王様の事をもっと知ろう。
そんな事を考えながら、美琴は次の資料を開いた。
次の日。
部室へ向かう美琴の手には、一枚の拡大コピーがあった。
撃破されたティーガーⅡ。
昨日、図書室で見つけた写真だった。
履帯は外れ、装甲には無数の傷が刻まれている。 王様と呼ばれた戦車は、静かに地面へ横たわっていた。
気付けばコピー機の前に立っていた。 どうしても手元に置いておきたかったのだ。
部室の扉を開ける。
いつものように、誰もが自分の作業をしていた。
その中で、西田先生だけが美琴の手にした紙へ目を向ける。
「お、キングタイガーか。」
美琴は頷いた。
「はい。」
そして少しだけ写真を見つめる。
「かっこよかったです。」
西田先生が笑う。
「だろ?」
「でも……」
美琴は言葉を続けた。
「強い戦車だった事も分かりました。でも、それだけじゃなかったんです。」
コピーした写真へ視線を落とす。
「故障も多かったし、重すぎて動けなくなる事もあったみたいで。」
少しだけ間を置く。
「この子にも、色んな物語があったんだなって思いました。」
西田先生は黙って聞いていた。
それから美琴の机の上に置かれた過去の作品へ目を向ける。
「萩尾。」
「はい。」
「お前の作品、今まで全部見てるぞ。」
思わぬ言葉に美琴は目を丸くした。
「え?」
「最初のプラモは、作り方を覚えたプラモだった。」
西田先生は指を一本立てる。
「旧キットは技術を覚えたプラモだ。」
そしてティーガーⅡの箱へ視線を向けた。
「じゃあ次は何を覚えた?」
美琴は少し考える。
昨日読んだ資料。 コピーした写真。 王様と呼ばれながら、最後は地面に横たわっていた戦車。
自然と答えが口から出た。
「ティーガーⅡの事……ですか?」
「たぶんな。」
西田先生は笑った。
「だったら、その感情を作品に乗せろ。」
美琴は箱を見る。
自分が知った事。
感じた事。
ティーガーⅡという戦車が歩いた時間。
それを模型にする。
そんな作り方もあるのかもしれない。
「はい!」
美琴は大きく頷いた。
「そのために、まだ知らない技術も教えてください!」
西田先生は苦笑する。
「まぁ俺だけじゃ無理だな。」
そう言って部室の奥へ顎を向けた。
そこでは涼介が説明書を広げ、黙々と作業を進めている。
「湊と一緒に頑張れ。」
美琴は思わず笑った。
「はい!」
その声に、涼介が説明書から目を離さずに言う。
「聞こえてるぞ。」
部室に小さな笑いが広がる。
文化祭まで、あと二ヶ月。
ティーガーⅡ作りが、本当の意味で始まろうとしていた。
美琴は箱の中のティーガーⅡを見つめた。
私の感情を作品に乗せる。
西田先生は簡単に言った。
だけど。
正直、よく分からない。
写真を見て感じた事はある。
強そうだと思った。
悲しいとも思った。
格好良いとも思った。
でも。
それを模型でどう表現するのかは分からなかった。
美琴は小さく息を吐く。
分からないなら。
とりあえず作ろう。
夏休みの旧キットもそうだった。
手を動かしているうちに見えてくる事もある。
美琴はニッパーを手に取った。
それから一ヶ月。
初めての戦車モデルは、決して順調とは言えなかった。
複雑な履帯。
ピンセットで接着するような細かいパーツ。
内部まで再現されたエンジン。
パテで表現する独特なコーティング。
西田先生に教わりながら。
時には失敗しながら。
少しずつ。
本当に少しずつ。
ティーガーⅡは形になっていった。
そして――
「できた……。」
美琴は思わず息を吐いた。
机の上には完成したティーガーⅡ。
今まで作ったどの作品よりも大きい。
細かい。
そして格好良かった。
なのに。
「違う。」
美琴は写真へ視線を向ける。
コピーした撃破車両。
傷だらけの王様。
机の上のティーガーⅡを見る。
綺麗だった。
箱絵のまま。
完成見本のまま。
でも。
自分が作りたかったのは――
これじゃない。
形になったティーガーⅡを見つめていた美琴へ、康太が声を掛けた。
「お、美琴。もうできたのか。」
机の上の戦車を見て目を丸くする。
「すげぇじゃん。ちゃんとティーガーⅡになってる。」
美琴は苦笑した。
「うん。でも……なんか違うんだ。」
そう言ってコピーした写真を見る。
撃破されたティーガーⅡ。
自分が作った模型。
何度見比べても違った。
「十分すごいと思うけどな。」
康太は肩をすくめる。
「プラモ始めて三ヶ月だろ?」
そして笑った。
「まぁ、大事な作品なんだろ。後悔だけはするなよ。」
「うん。」
美琴は小さく頷いた。
その様子を見ていた涼介が口を開く。
「その写真。」
「え?」
「なんでコピーしてきたんだ?」
突然の質問に美琴は少し戸惑う。
「なんでって……。」
改めて写真を見る。
どうしてだろう。
気付いたらコピーしていた。
ずっと机の上に置いていた。
「気になったから……かな。」
涼介は小さく頷く。
「旧キットの時、俺が聞いた事覚えてるか?」
美琴は顔を上げる。
「どう…作りたいか?」
「そう。」
涼介は完成したティーガーⅡを見る。
「キットはメーカーが用意した土台だ。」
そして箱絵を指差した。
「最初のお前は、たぶん箱絵に惹かれてそれを選んだ。」
今度は写真を見る。
「でも今のお前は違う。」
静かな声だった。
「その写真に惹かれたんだろ?」
美琴は写真を見る。
履帯の外れた車体。
歪んだ砲塔。
傷だらけの王様。
そして小さく頷いた。
「……うん。」
涼介は笑う。
「なら答えは出てるんじゃないか。」
そう言って自分の机へ戻る。
「文化祭まであと一ヶ月。」
ニッパーを手に取りながら続けた。
「お互い、悔いのない作品作りをしようぜ。」
美琴は考える。
「……答えは出てる。」
あぁ、そうか。
この子の物語を知った時から。
この写真をコピーしたその瞬間から。
私が作りたい王様は、ずっとここにいた。
美琴は写真を見る。
外れた履帯。
傷だらけの装甲。
歪んだ砲塔。
もう動く事のない王様。
綺麗に作るだけが模型じゃない。
箱絵通りに塗るだけが模型じゃない。
私が作りたいのは――
この光景だ。
完成したティーガーⅡを見る。
ふと笑みが零れた。
前にもこんな事があった。
「完成形をイメージしろ。見えない所は想像だ。」
涼介の言葉が蘇る。
それだけじゃない。
「私は作ったプラモデル壊したりなんかしないもん!」
「……するよ。」
あの時は信じられなかった。
せっかく作った作品を壊すなんて。
絶対にしないと思っていた。
でも。
今なら分かる。
美琴は深く息を吸った。
そして。
綺麗に作り上げたティーガーⅡの砲塔へ手を伸ばす。
少しだけ躊躇う。
ほんの少しだけ。
だけど。
次の瞬間。
砲塔は写真と同じ方向へゆっくりと曲げられた。
「ちょ、ちょっと!ミコ!!なにやってんの!?」
アカネが目を丸くして大声を上げた。
「せっかく完成したのに!!」
心配そうに美琴の顔を覗き込む。
「アカネちゃん。大丈夫だよ。まだ完成じゃなかったんだ。」
「私が作りたかったのは……これだったんだよ。」
美琴にもう迷いはなかった。
「え〜…まぁミコがいいならいいけどさ…」
アカネは首を傾げる。
そのやり取りを見て涼介は小さく笑った。
綺麗な車体。
曲がった砲塔。
これから――
この子に傷を付ける。
写真の中のティーガーⅡと同じように。
美琴は小さく呟いた。
「ごめんね。」
そして少しだけ笑う。
「でも、絶対に格好良くするから。」
砲撃の跡。
剥がれた装甲。
錆びた塗装。
どうやって表現すればいいんだろう。
そう思って西田先生へ相談すると、美琴は驚いた。
その全てに名前があったからだ。
ウェザリング。
チッピング。
ダメージ加工。
やっぱり模型ってすごい。
色んな人の"作りたい"が積み重なって、今の模型技術があるんだ。
美琴はふと入部届を書いた日の事を思い出した。
運動が得意なわけでもない。
音楽に興味もない。
特別やりたい事もなかった。
けれど。
「どうせやるなら、本気でやりたいんです。」
あの日、自分はそう言った。
そして今。
目の前には作りたいものがある。
知りたい事がある。
夢中になれる時間がある。
ここでなら。
私は本気で取り組める。
美琴は思わず呟いた。
「先生、ありがとうございます。」
「あぁ?」
西田先生は首を傾げる。
「まだ説明終わってないぞ。」
美琴は思わず笑った。
「いえ、何でもありません。」
そして身を乗り出す。
「もっといろんな事、教えてください!」
文化祭まで、あと一ヶ月。
ティーガーⅡはまだ完成していなかった。




