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■第5話:暴走する空間除菌と、書き換えられるシナプス

「……洗脳用アイアンメイデン、か。冗談ではない」

密室を支配する絶望の空気を切り裂くように、氷室司が冷たく吐き捨てた。

彼は乱れた銀縁眼鏡のブリッジを中指で強く押し上げ、手元のタブレットを憎々しげに叩く。そのタイピング音は、まるで自分自身の恐怖を打ち消そうとするかのように激しかった。

「私は科学とデータのみを信じる。どれほど恐ろしいシステムであろうと、物理法則と論理の枠内に存在する以上、必ず『限界値バグ』があるはずです。一国の政府が、国民の脳を完全にハッキングして一元管理する? そんな途方もない処理を、どうやって維持していると言うんですか!」

氷室の指先が閃き、壁面の巨大モニターに、複雑な化学式と神経細胞ニューロンの拡大図が展開された。

「見てください。これが特許データベースから抽出した、例の『スマートダスト』の推定構造モデルです。ナノサイズのダストが呼吸器から血流に乗り、血液脳関門を突破してアセチルコリン受容体に結合する……。そこまでは御子柴さんの仮説通りです。しかし、問題はその先だ」

「軍事的な観点から言わせてもらおう」

轟大吾が、長机に両手を突き、分厚い肩を怒らせながらモニターを睨みつけた。

「一千万人の人間を同時に遠隔操作するなど、通信インフラの観点から見て不可能だ。対象が多すぎる。もし中央サーバーから一人一人の脳に『従順になれ』という信号を送り続けているとしたら、どれだけ強固な通信網を持っていようが、数日でトラフィックがパンクする。大規模なジャミングやシステムダウンが起きないのは、兵器として明らかに不自然だ」

「その通りです、轟さん」

氷室は、少しだけ安堵したような表情を浮かべた。自らの論理で、オカルトじみた陰謀論を打破できると確信したからだ。

「中央集権型のコントロールシステムには、必ずサーバーの『処理限界』というボトルネックが存在する。だから私は、この洗脳計画自体が、一部のテストケースを除いて、すぐに破綻すると結論づけ――……」

氷室の言葉が、ふいに途切れた。

タブレットの画面に表示された、スマートダストの「とある挙動データ」を見つめたまま、彼の目が大きく見開かれる。

「……ひ、氷室さん? どうしたんですか……?」

七海悠太が、氷室の異変に気づき、おずおずと声をかけた。

「……あり得ない……。自己、複製……?」

「なんだと?」御子柴健が目を細める。

氷室は震える手でモニターの画面をスワイプし、スマートダストが脳内で引き起こす化学変化のシミュレーション動画を再生した。

「このナノマシン……ただ受容体に結合して外部からの信号を受信するだけの『アンテナ』じゃない。……人間の脳が発する生体電流と、アミノ酸をリソース(栄養)にして……自分自身を増殖させている……ッ!」

「増殖……って、まるでウイルスじゃないですか!」七海の顔から血の気が引く。

「それだけじゃありません」氷室の声が裏返った。「増殖したナノマシンは、脳内から肺胞へと逆流し……呼気とともに、体外へ排出される構造になっている……。これは、受信機じゃない……。人間の肉体そのものを……」

「『ルーター(中継機)』に変えてしまう、というわけね」

烏丸玲奈が、ふふっ、と甘い吐息を漏らした。

彼女は両手を胸の前で組み合わせ、まるで神聖な儀式を眺めるようにモニターを見上げている。

「素晴らしいわ……。中央集権型のシステムがパンクするなら、端末同士を繋げて分散処理させればいい。個々の脳をネットワークの『ノード』にして、巨大な群体意識ハイブマインドを作り上げるのね。まるで、一つの意思を持った巨大な粘菌のように。……個人の魂なんて、あっという間にシステム全体へと溶けて消えてしまうわ」

「オカルトの次元じゃねえぞ、これは!」

轟がパイプ椅子を蹴り倒して立ち上がった。

生物兵器バイオウェポンの定石だ! 最初の標的クラスターを感染源とし、そこから二次感染、三次感染へと爆発的に被害を拡大させる。だが、これは単なるウイルスじゃない。宿主の思考を書き換えた上で、周囲の人間を『洗脳』するためのエアロゾルを吐き出させる、歩く散布兵器だ!」

「ククク……ハハハハハ!!」

御子柴が、狂ったように笑い出した。彼は両手を広げ、天を仰ぐ。

「繋がった! 全てのパズルが完璧に組み上がったぜ!!」

御子柴は机に身を乗り出し、氷室、轟、烏丸、そして怯える七海を順番に指差した。

「なぜ政府が、わざわざ『企業トップ』を最初のターゲットに選んだのか。なぜ『テレワークブース』という密室に彼らを閉じ込めて、超高濃度のダストを吸わせたのか! それはな、経営者を『マインドコントロールの親機マスターノード』にするためだ!!」

「親機……!?」

「そうだ! いいか七海、よく想像してみろ! 煙草という防壁を奪われ、アイアンメイデンの中で完全に脳を書き換えられた、お前のおじさんをだ! 従順な笑顔を浮かべたおじさんは、その後どこへ行く?」

「ど、どこって……自分の会社に、戻って……」

七海は震える声で答えた。

「その通りだ! おじさんは会社に戻り、朝礼を開き、会議室に社員を集め、密室の中で熱心に語りかけるだろう! 『これからは政府の方針に従い、クリーンでホワイトな経営をしよう』とな! だが、そのおじさんの肺からは、言葉と一緒に何が吐き出されている!?」

「あ……ああ……ッ!!」

七海が、喉の奥からヒュッと息を呑んだ。

「おじさんの呼気には、脳内で増殖した『洗脳用スマートダスト』がたっぷり含まれている! それを、密室に集められた社員たちが全員で吸い込むんだよ! 空間除菌システムなんて、もうオフィスに置く必要はねえ! 書き換えられた経営者自身が、最強の『歩く空間除菌システム』となって、自分の会社の従業員全員のシナプスを直接書き換えていくんだ!!」

「無血開城だ……!」轟が絶望的な声で唸った。「軍隊も、警察も、強制的な法律も必要ない。組織のトップを『送信塔』に作り変えるだけで、日本の全企業、数千万人の労働者が、毎日の業務の中で互いに洗脳電波を吐き出し、吸い込み合い……完璧な奴隷のネットワークが自律的に完成する!」

巨大モニターには、一つの赤い点(経営者)が、周囲の青い点(従業員)を次々と赤く染め上げ、それが日本地図全体を真っ赤に覆い尽くしていくシミュレーション画像が、残酷なまでに鮮明に映し出されていた。

「これこそが、国策の裏側に隠された真の目的だ」

御子柴は、冷や汗を流す氷室の肩をポンと叩いた。

「健康経営、受動喫煙防止、コンプライアンス……。そんな綺麗事を並べて、奴らは人間という『有機体』を、国家の都合の良いように動く『生体ルーター』に改造しやがった。日本中のオフィスが、今この瞬間も、終わりのない洗脳空間へと変貌し続けているんだよ!!」

七海は両手で髪を掻きむしり、瞳孔を極限まで開いて、窓のない地下室の天井に向かって絶叫した。

「な、何だって言うんだァァァーーーッ!?」

密室の蛍光灯が、彼らの恐怖に呼応するように、ジジッ……と不吉な音を立てて明滅した。

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