■第6話:国策の裏側、特定機関による洗脳実験
「……人間の肉体が、歩く洗脳用ルーター……」
第4会議室の冷たい長机に突っ伏したまま、七海悠太がうわ言のように繰り返した。
巨大モニターが放つ無機質な光が、絶望に沈む5人の顔に濃い影を落としている。だが、氷室司だけは違った。彼は蒼白な顔のまま、何かに取り憑かれたようにタブレットを操作し続けていた。
「おかしい。どう考えてもおかしい……!」
氷室の指先が高速でタップされ、画面上に無数の企業ロゴや資金の流れを示すチャート図が現れる。
「仮に日本全土を『洗脳ネットワーク』で覆い尽くしたとして、一体誰が得をするんです? 国民全員が自己判断能力を失った従順な働き蜂になれば、確かに反乱は起きない。しかし、イノベーションも消費意欲も消滅し、国家の経済は確実に死を迎える。政府が自国の首を絞めるような真似をするはずがない!」
「つまり、この計画の『真のスポンサー』は日本政府じゃないってことだ」
轟大吾が、重い腰を上げて長机の前に立った。
「サイバーテロの基本だ。誰かのPCをハッキングして乗っ取る時、ただ画面を真っ暗にして嫌がらせをするだけの奴は三流の愉快犯だ。本当に恐ろしいハッカーは、乗っ取ったPCに気づかれないようにバックグラウンドで計算処理をさせたり、仮想通貨のマイニング(発掘)をさせたりする。……いわゆる『ボットネット』の構築だ」
「ボットネット……乗っ取った端末の集合体、ですか」氷室が眉をひそめる。
「ああ。もしこの『スマートダスト』が、単なる洗脳兵器ではなく、人間の脳を遠隔操作可能な『生体端末』に作り変えるものだとしたら? 日本国民一億人の脳を繋ぎ合わせた、とてつもない演算能力を持つ巨大なネットワーク……そのリソースを『利用』しようとしている奴らがいるはずだ」
氷室はハッとして、自らが展開していたチャート図の一部を拡大した。
「……日本環境浄化機構への、海外からの出資金の動きです。ダミー会社をいくつも経由していますが、最終的な資金の出所は……スイスに本部を置く、とある非政府組織(NGO)。『全地球的・知能最適化委員会』……通称、GIC(Global Intelligence Committee)!」
「GICだと?」御子柴健が、無精髭を撫でる手を止めた。「表向きは、次世代AIの倫理規定や、デジタル格差の是正を謳っている国際的な学術機関じゃねえか」
「しかし、その実態は巨大多国籍企業と特定国家の諜報機関が癒着したシンクタンクです」氷室の声が震える。「彼らが……日本政府の裏で糸を引いて、この洗脳インフラに資金を提供していた……!?」
烏丸玲奈が、会議室の片隅で、ふふっ……と妖しく微笑んだ。
彼女は両腕で自分自身を抱きしめるようにしながら、恍惚とした表情を浮かべる。
「美しいわね……。人間の脳は、たった20ワットのエネルギーで、最新鋭のスーパーコンピューターすら凌駕する情報処理を行っているの。でも、そこに『自我』や『感情』というノイズがあるせいで、常にエラーを起こしてしまう」
烏丸の冷たい視線が、モニターの資金チャートに向けられた。
「GICにとって、日本という島国は、海で隔てられた理想的な『実験場』だったのよ。自我を剥奪され、システムに完全に従属した一億個の『有機CPU』。……彼らはね、日本国民全員の脳の空き容量を繋ぎ合わせて、神をも超える『究極のAI』を稼働させるための、巨大な生体サーバーファームを作ろうとしているのよ」
「人間を……CPUの部品にするって言うのか……!」
轟が、ギリッと奥歯を噛み鳴らした。「だから、まずは『経営者』という最も処理能力が高く、かつネットワークの『ハブ』になり得る人間をターゲットにしたのか! 奴らを親機として感染を広げれば、日本中の企業という組織の構造そのものが、強力な演算処理回路に書き換わる!」
「その通りだ!!」
御子柴が、パイプ椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。彼の瞳には、狂気的な真実を暴き出した興奮の炎が燃え盛っている。
「氷室! お前がさっき言った『最近の経営者は、従順に政府の方針に従ってばかりで、成長曲線がフラットになった』ってデータ! あれの本当の意味が分かったぜ!!」
御子柴は巨大モニターの前に立ち、画面に映る『洗脳された経営者たちのデータ』を指差した。
「奴らは大人しくなったんじゃない! 表面上は今まで通り仕事をしているように見せかけて……その脳のワーキングメモリの『99パーセント』を、GICの巨大なバックグラウンド処理に強制的に奪われているんだよ!!」
「ワー、ワーキングメモリを……奪われる……?」
七海が、机に突っ伏したまま、血走った目で御子柴を見上げた。
「そうだ!! お前のおじさんも、街行くサラリーマンも! 会社のデスクに座ってパソコンを眺めている間、奴らの脳髄は無意識の領域で、GICが命じた『次世代兵器の弾道計算』や『世界経済の予測モデル』を延々と解かされ続けているんだ! 思考能力が低下したんじゃない、脳の処理能力を根こそぎ他人に搾取されているんだよ!!」
「……っ!!」氷室が絶句し、タブレットを取り落としそうになる。
御子柴の容赦ない言葉の弾丸が、密室空間を完全に支配した。
「煙草を吸う経営者は頭が悪い、だと? 冗談じゃねえ!! 煙草の結界でGICのネットワークへの接続を拒否し、自分の頭で思考し続けている『本物の天才たち』を、不良品のCPUとして市場から物理的に排除するための、恐るべきプロパガンダだったんだ!!」
「な……」
七海は、自分の頭を抱え込んだまま、ガクガクと全身の震えを止めることができなかった。
平和に見える日本のオフィス街。そこでは今この瞬間も、何千万という人間が、見えない巨大なサーバーに脳髄を直結され、自我のない生体部品として計算処理を強いられている。
「俺たちの国は……俺たちの脳みそは……得体の知れない組織の、巨大なパソコンのパーツにされちまったって言うのか……!!」
逃げ場のない地下の会議室に、七海の魂を引き裂くような叫びが轟いた。
「な、何だって言うんだァァァーーーッ!?」
空気清浄機が、誰かの浅い呼吸を吸い込むように、わずかにその駆動音を高くした。




