096)今はまだ……
西暦二○四七年、二月。
ソラから退院できると聞けたのは、宙香が起訴されてから三ヶ月が過ぎた頃だった。
宙香は代表とソラに対する殺人未遂罪で起訴されている。宙香が反省していることと、代表とソラのほうに、宙香への処罰感情が無いなどの理由で、おそらく執行猶予が付くだろうというのが、弁護士の見立て。
私とソラは、封鎖された教団の教会本部の建物へ向かって歩いている。ソラが退院したその足でここへ来ていた。
門の遠くに見える建物には生気が無く、時が止まっているように感じる。快晴の空を背景にして余計に虚しく見えた。
「あの人は、どうしてる?」
「代表なら、どこかの支部で暮らしてるって。波江野さんが寄り添ってくれてるみたい」
宙香の起こした事件は、教祖の身内のスキャンダルとして、過剰なほど事実をねじ曲げられて報じられた。
そして事件直後、詩葉さんと館谷さんが教団を脱退した。あの二人はいつの間にか結婚していて、舘谷さんを教祖とする新しい宗教団体を作ったらしい。
舘谷さんは『牡牛跳び』で怪我を負った。昏睡状態だった時に神託を授かったと言い、自分こそが神の声を広める者だと宣言したという。
代表は教団を存続するつもりが無いのを明らかにしていて、多数の信者がそちらへ流れていた。教団は事実上、瓦解状態になっている。
「あの人が痛手を受けてると思うと、少し嬉しく感じる僕って、小さい人間かな」
ソラの傷は深くて、一時、生死の境を彷徨っていた。それなのに、代表は一度もソラの見舞いに来なかった。
瀕死のソラを、必死に抱き締めていた代表の姿を見ているだけに、代表の心が私には掴めない。
「私は、クリティネや宙香にとっての代表を、憎む気にはなれないけど。ソラに対しての代表の行いは、これからも許せない」
嫌悪感が伝わるように、私は顔をしかめた。
「あの人自身、父親に捨てられた人みたいだから。きっと、愛し方が分からなかったんだよ」
ソラはケロッとしている。
「だとしても。父親のいないことが、子供を愛せない理由にはならない。やっぱり許せない」
「僕は……。じゃあ、許そうと思う」
「じゃあって……」
「紬生が、僕の憤りを分かってくれてるなら、もういいかな。もうあの人に拘らずに、前を向ける。紬生のお陰で、あの人を許せる。ありがとう」
ソラの眼差しは温かかった。
「紬生のほうは? 実家へ戻るつもりはないの?」
私は実家へは戻らず、一人暮らしを始めていた。
教会本部の裏口を開けようとしていた私は、ママへ思いを馳せた。
あの事件の後、しばらくして実家へ帰った私を出迎えたのは、痩せ細ったママだった。
ママは私の前に跪き、私を神か何かのように崇め立てた。
私に、魂の格が違うと言われたのが、ママにとって、それまでの認知を揺るがす程のショックだったことを、そこで私は初めて知った。
娘の尊厳より自分の信仰を優先していた人が、別人のように変わり果てている。
私こそ、大きな打撃を受けた気分だった。
私は何も言わずに、自分の胸の中でママを抱いて、ママの存在を包み込んだ。
ママ自身、お祖母ちゃんの信仰の影響を強く受けて育ってきた。その価値観の中でしか生きられない人。信仰を否定されるのは、ママにしたら、自分の人生を否定されるのと同じ。教団が封鎖されて、行き場の無くなった信仰心を抱えたまま混乱してるんだ。過度に私を崇めることで心の平安を保っている。
「今はまだ、少し距離を置きたいんだ」
振り返りながら言った私に、ソラは優しい笑みを見せて頷いた。
ソラには、私とママの関係性を詳しく話せないでいる。だけど、察してくれているみたい。
家に帰っていない私の境遇を知り、いつか、こんなことを言ってくれた。
「紬生は既に、お母さんが受け取り切れないくらいの、許しを与えてきたと思う」
この先は、ママが背負う問題だと言われた気がした。
拗れてしまった私とママとの関係は、迷宮の中を彷徨っているようなもの。出口が必ずあるとも限らない。
だから、私は私の道を行く。進む先に素晴らしい景色が見付かると信じて。
その途中で、ママとはいつか、折り合いを付けられるかもしれない。だけどそれを、人生の目的にはしない。行く先で、たまたま答えが見付かったなら、それはそれでいいと思っている。




