092)父と子
「誰も入って来るなって、言ったでしょ!」
扉を開けると、間髪入れずに宙香のヒステリックな声が聞こえてきた。
扉を開けると、間髪入れずに宙香の入口正面は牡牛の頭部が飾られた壁になっていて、宙香の姿は確認できない。至聖所はこの壁の向こう側。
ソラと私は、さっと部屋の中へ入って扉を閉めた。灯油の臭いに鼻を刺激される。
壁を右手へ回り込むと、代表専用の至聖所は、天窓から差し込む光で柔らかい明るさに満ちていた。
二十畳ほどの広さがある至聖所の真ん中で、代表を椅子に座らせ、その後ろでこちらを向いて立っている宙香と目が合った。
もう立ち上がってる。
今そこじゃないとは思いながら感動した私も、宙香の左手に握られた刃物を見て、顔が強張った。包丁にしては細い刀身で、長さが二十センチはある。
「あなた達……」
予想と違う者が現れたからか、宙香は唖然とした。
顔を上げた代表が、ソラを見て目蓋を見開いた後、ごくりと唾を飲み込むのが私にも分かった。
「ソラ。あなた、よくも私の前に顔を出せたわね」
表情を険しくさせた宙香へ、ソラは穏やかに声をかけた。
「宙香さん。あの時は、本当にすみませんでした」
宙香は鼻で笑った。
「わざわざ謝りに来たの? だったら、帰って。あなたを許すつもりなんて無いし、今、あなたの相手をしている暇も無いから」
「そのようですね」
どうなるかハラハラしている私の横で、ソラはどこまでも冷静だった。
「それで、宙香さんは何がしたいのですか?」
聞かれた宙香は、不気味なくらいの真顔になった。もうそれしか方法がないと、覚悟を決めてしまった者の顔に見える。
「こんなキモい人が作った教団なんて、無くなればいい。代表が、終わらせられないって言うから、私が、教団を代表と一緒に片付けてあげるの」
「そうですか。僕達のことは気にせずに、続けてくれていいですよ」
「何ですって?」
「どうぞ」
どうぞ、その人を刺すなら刺してくださいと言わんばかりに、ソラは手を差し出した。
「ソ、ソラ……」
私はたまらず、ソラの腕を掴んだ。
「あ、でも。その前に一つだけいいですか?」
ソラはつかつかと代表の前まで歩み寄って行った。
「ちょ、ちょっと! こっちへ来ないで!」
宙香はぎょっとして、刃先をソラへ向けた。
「少し待っていてください。僕もこの人に、言いたいことがあるんです」
ソラの表情は見えないけれど、代表が硬い顔付きで、ソラを見上げた。
「僕は一生、あなたを許しません。難病を患った娘のために、僕と母さんを捨てたあなたを……」
「天、お前……」
代表の顔色が変わった。
「何よそれ」
宙香が濁った太い声を響かせた。
「難病を患った娘って……。ソラと、ソラの母親を捨てたって……」
宙香は幼い頃、免疫系の病気で長い間入院していた。
「望みを叶えてもらったのですから、クリティネの所へお礼を言いに行くのが筋じゃないですか? ってこれ、前にも言いましたよね? いつ行くんですか?」
「お前には関係ない」
代表は掠れた声で、やっとのように返事をした。
「ちょっと! 勝手に話さないで。私に分かるように話して!」
気分を荒らげた宙香がそう言いながら、刃物を持った手を上下させるから、私は気が気で無い。
「本当に、僕には関係無いと思ってるんですか」
それまでの柔和さを吹き飛ばすように、ソラが冷たく言い放った。
場に緊張感が漂う。宙香も口を噤んだほどだった。




