091)覚悟
教会本部のエントランスホールを足早に抜けると、狼狽えた様子の波江野さんが目に飛び込んできた。通路の奥から血相を変えて走って来る。
その様子を見ただけで気持ちが騒ぐ。
「あっ! 大友さん! ……と、ソラ? どうして……」
社務所へ入ろうとした所で私達に気付き、波江野さんはそう言って足を止めた。
「そうだ、君達のほうがいい。と、とにかく来てくれ。大変なんだ!」
私とソラが一緒にいるところを見て混乱したのも束の間、そんなことは後回しだと言わんばかりに、早口で捲し立てた。
「宙香は戻ってるんですか?」
「その宙香さんが!」
辺りに波江野さんの声が反響した。
自分の声の大きさに驚いたのか、波江野さんは小声になった。
「……今、代表と一緒に立て籠ってるんだよ」
私とソラは互いに目を合わせた。嫌な予感が的中してしまった。
急いで乗り込んだエレベーターの中で、波江野さんが五階のボタンを押した。五階には代表専用の至聖所がある。
「車椅子に乗った宙香さんが、至聖所に入って来たと思ったら、突然、灯油を撒き始めたんだ。丁度、そこにいた私や詩葉さんは、出て行くように言われて……」
波江野さんの額に汗が浮かんでいる。
「鍵はかかっているんですか」
ソラの口調は落ち着いていた。この六年、いろんな事を想定してきたのかもしれない。
「鍵は元々付いてないけど。入って来たら、火を点けるって言ってるんだよ」
波江野さんは大きく息を吐いて顔を歪ませた。
「警察を呼ぶようなことにならなきゃいいけど。君達には何とか、宙香さんを説得して欲しい」
「やってみます」
決意の漲った表情でソラが答え、私も頷いた。
五階のエレベーターホールには、詩葉さん、在斗、舘谷さん、そして明日美のクレタ島メンバーが集まっていた。
「あれ?! ソラ? ソラって教団の信者だったの?」
ソラを見た明日美が、甲高い声で場違いな質問をした。
「違いますが、関係者みたいなもんです」
「過去で、何があったんですか」
在斗が私とソラへ詰め寄ってきた。
「中がどうなってるのか。代表が、ご無事なのかも分からないの」
詩葉さんが訴えてくる。
「皆さんは念のために、消火器を集めておいてください」
「消火器なんて、使い方が分からないよ」
ソラの指示を聞いて、明日美がぼやいた。
「だったら、バケツに水を汲んで来てください」
アテンダント業務の延長のように、ソラはテキパキと号令を出し、皆と一緒に水を汲みに行こうとした詩葉さんを呼び止めた。
「呼び掛けたら、答えてくれるんですか?」
ソラの問いに、詩葉さんは首をぶるぶると振った。
「ダメよ、刺激しちゃ。火を点けるって言うのは、きっと本気よ。だって……」
詩葉さんは声を潜め、一度口を噤む素振りを見せたけど、もう話すと心に決めているように見えた。
「代表から口止めされてたんだけど。私見てしまったの。昔、四階の階段ホールから、あの子が代表を突き落とすところを。あの子が中学生くらいの頃よ」
私とソラは息を呑んだ。
「しかし女の子に、大人を突き落とすなんて無理でしょう」
今までに散々考えてきたことなのか、ソラも食い下がった。
「当時、あそこの手摺の手前には、棚が置いてあったのよ。あの子は代表に、棚の向こう側に落とした物を拾ってと頼んだみたいだった。代表が棚の上に乗って、手摺と棚の間に手を伸ばそうとした途端、あの子は代表の身体を押したのよ。代表は吹き抜けの下へ落ちたけど、奇跡的に助かったの」
詩葉さんの話が終るのを待たずに、ソラの覚悟が決まったのが見て取れた。
「紬生、行こう。中へ入るよ」
詩葉さんが止めるのも聞かずに、ソラは私の手を引いて、宙香が立て籠っている部屋の扉を開けた。




