090)予感
療養棟に戻ってみると、先程とは何かが違うと感じた。慌ただしく動くスタッフの姿が目に付く。
宙香の病室を覗いた私とソラは、困惑して顔を見合わせた。ベッドには誰もいなかったからだ。
「鷹月さん!」
ソラを見た女性スタッフが、廊下の先のほうから緊迫した様子で走って来る。宙香を担当している加上さんだ。
「宙香さんに何かあったんですか? 彼女はどこにいるんです?」
「それが分からないのよ!」
五十代くらいで、さっきはベテランの落ち着きを見せていた加上さんが、顔色を変えている。
「いなくなったということですか?」
「お二人が帰った直後にね、意識が戻ったみたいなの。私が気付いた時には、ベッドの上で上半身を起こしていて、びっくりしたわよ」
気分はいかがですか? ご自分の名前を言えますか? と声をかけたと言う。
「宙香さんは何と答えました?」
「直ぐに帰るから、預けた荷物を返して、とおっしゃって。現状を理解されてると思ったわ」
「目覚めたばかりで家に帰るなんて、いくら何でも無茶だ」
「そうなのよ。だから、まずは歩行のリハビリから始めましょうと説得したの」
宙香は了承したと言う。
加上さんは着替えを手伝い、家に連絡したいと言う宙香へモバイルを返却し、リハビリの予約を入れにスタッフステーションへ移動した。
「スタッフステーションで何やかんや用事を済ませている時に、鷹月さんのことを思い出して連絡したの。戻ったら、宙香さんがいなくなっていて……」
「宙香さんから目を離して、どのくらい経っていますか?」
「三十分くらいかしら……」
自信無さげに言ってから、加上さんは時計を見た。
「いや、もう少し……。かれこれ、四、五十分は経ってると思う」
「そんなに……」
私とソラが、宙香に会いに来たのが約一時間前。ショーノさんのカフェから病室まで十分くらいだから、加上さんの時間の読みはそんなに間違っていないと思った。
「今、スタッフ総出で探していて、監視カメラも確認してもらってるとこなの」
「加上さん!」
男性スタッフの声がした。
「監視カメラに映ってたのかも!」
加上さんの後に続いて、私とソラは男性スタッフのほうへ急いだ。
「三十分ほど前に、電動車椅子でエントランスを出て行くのが確認できました」
「その後の足取りは? 外部のカメラには映ってませんか?」
ソラが質問した。
「タクシーを先に呼んであったみたいです。運転手に抱き抱えられるようにして乗り込んで、走り去って行きました」
手元のタブレットを操作しながら、男性スタッフが言った。
「家に帰ったのかしら。ご家族へ連絡するわ」
きびきびと、加上さんがデスクへ向かう。
「宙香は教団本部内で暮らしてる。戻る場所はあそこしかないはず」
「僕達も行こう」
無理矢理未来へ戻られた宙香が、ソラに対して、文句の一つも浴びせずに帰るなんて有り得ない。
きっと、目的は帰ることじゃない。代表に会うために、目覚めたばかりの宙香は教団本部へ向かってる。
代表のことを誤解したままの宙香。やっぱり嫌な予感がする。
隣りでハンドルを握るソラも、硬い横顔で前方を見据えていた。




