088)過去と未来 1
約一ヶ月後。
感染症対策施設棟のエントランスを出ると、私は敷地内に整備されている遊歩道を急いだ。
施設の敷地は広く、テニスコートやスケートボード場などが設けられていて、緩やかなアップダウンのある遊歩道が、それらを囲んでいる。
ソラと待ち合わせをしている猫のオブジェがあるのは、もう少し先。
ソラとはあれから何度も、モニター越しに会っていた。だけど、リアルに会うのは初めて。歳の離れた本来のソラにやっと会える。
逸る気持ちでカーブを曲がると、ソラが前を歩いていた。
その後ろ姿を見た途端、ソラと別れた幼少の頃のあの時間へ、私の心が一瞬で巻き戻された。
淋しさを堪えながら見送った後ろ姿。行かないでと、切望した人が目の前にいる。
私の足は勝手に駆け出して行き、ソラの背中にぶつかるようにして抱き付いていた。
「ソラ兄ちゃん。会いたかった」
妹アピールはしたくないけど、気が付いたらそんなことを言っていた。
ソラはゆっくりと振り返り、私を見てにっこりと微笑んだ。
そんな笑顔を見せられたせいで、心が弛んでしまった。
「私ずっと、ソラのこと、思い出せなかった。だけど、過去から戻る直前で分かったの。ソラがどれほど大切な人だったか」
あ、何か、告白しちゃってる。どうしよう。でも、ちゃんと伝えよう。
「ごめんなさい。私、ソラが好き」
ソラは少し目蓋を見開いた。でも直ぐに、目蓋の下の瞳が優しい眼差しに変わった。
「どうして、謝るの?」
「だって、ソラはクリティネのことが……」
俯いて、後退りした私。
「紬生はそうやって、いつも自分の中だけで完結しようとする」
ソラはそう言って、やんわりと私を自分のほうへ引き寄せた。私の横顔が、ソラの肩に当たる。
「僕にとっても紬生は大切な人。ずっと会いたかった」
見上げた私を、ソラが見つめ返してきた。
「クリティネのことは、随分前に吹っ切れてる。僕は紬生をずっと待ってた」
「ソラ……」
私を支えるソラの腕に力が入り、ソラの瞳が私を射貫くような色に変わった。
キスされる。
そう思った時、通知音が鳴り、私もソラも、二人だけの世界から気持ちが逸れてしまった。
「宙香さんの意識が戻ったら、知らせてくれるように頼んであるんだ。その知らせかも」
ソラが急いで端末機を確認した。
ソラと待ち合わせたのも、宙香のいる療養棟へ行くため。
「違った。でも、取り敢えず、向かおう」
自然に手を繋いで、私とソラは歩き始めた。
「紬生に、僕の記憶が無かったことだけど」
「怒ってる?」
「いや。紬生のせいじゃないって、クリティネが謝っていたんだ」
何でクリティネ?
「紬生の記憶を、咄嗟に封印してしまったと、言っていた」
「どういうこと? 何の話?」
「僕も向こうで聞いた時は、いつ、どうしてそんなことをしたのか、意味が分からなかったけど。クリティネも、僕があの人を突き落としたと勘違いしたと考えると、すんなり理解できる」
私にはまだ理解できていない。
「落ちたあの人を、クリティネが救ったこと、話したと思うけど。あの時僕は、紬生のほうへ行こうとして、あの人の傍らに立つクリティネを見た」
そう聞いて、私にも思い当たる節があった。
私には光に見えたモノ。あれがクリティネだったと考えると辻褄が合う。
意識だけのクリティネと初めて会った水呑場で、クリティネは私の額に触れ、『あれは、私』と呟いた。
多分、私の記憶から、代表と自分の姿を見たんだと思う。そして、時空を超えて、代表を助けに行った。
『目撃者』の私の記憶を封印して、代表だけでなく、ソラも守ろうとしたんだ。
何故か、クリティネに怒りの感情は沸かない。ソラとの関係が進んだ今だからなのかな。
私と出会わなければ、クリティネは二人を助けに行けなかった。
因果関係がループしてる。頭が混乱してきた。
巫女王の神託を待つ代表の横で、ショーノさんが言った言葉を思い出す。
『過去で起きることも全て、必然』
なら、未来で起きることも、必然なのかも。
過去と未来は、どちらが先と決まっていなくて、私が思っているよりずっと、影響し合っているのかもしれない。




