085)救い
ソラは私の意思を尊重してくれる初めての人だった。私と会う度、私の欲しい言葉、興味の持てる遊びを提供してくれた。
幼い頃の世界が、明るく自由だと感じていられたのは、ソラの存在があったから。
『ソラ兄ちゃん、ソラ兄ちゃん』と言って、私はいつも付いて回っていた。
私はソラが大好きだった。
「元気でね、紬生。僕、遠い所へ行くから、紬生とは遊べなくなるんだ」
そう言って、車へ向かおうとするソラ。
咄嗟に、ソラの腕を掴んだ私の手。まだ小さい。
「遠い所へ行っちゃうの? つむぎ、ソラ兄ちゃんが遠くへ行っても、ソラ兄ちゃんのこと、ずっと待ってるよ。また、一緒におまじない唱えようね」
私は無理に笑った。覚えてる。
淋しい気持ちを、ソラが必死に隠しているのが分かったから。
去って行くソラの後ろ姿。
覚えてる。私も凄く淋しかった。
ソラが車に乗り、窓を開けた。笑顔で手を振ろうとしたみたい。だけど私を見て、上げかけた片手が途中で止まった。
私が泣いていたから驚いたんだ。
堪えようとすればするほど、次々と、大粒の涙が瞳の奥から押し出されてくるのを、私はどうしようもできなかった。
それでも必死に耐えた。泣き声を出さなかった。声を上げたらソラが困ると思っていた。
子供心に、ソラの覚悟のようなものを感じていたから。
車が走り出した。
「行かないで! ソラ兄ちゃん!」
駆け出した私は直ぐに、豪快に転んだ。覚えてる。
膝も掌も擦りむいて痛かった。だから、声を上げて泣いた。痛いから声を出しても許されると思った。
「紬生」
ソラが戻って来てくれた。
私を立ち上がらせると、ソラは私をぎゅっと抱き締めた。
「いつかまた、一緒におまじない唱えようね」
それが、ソラ兄ちゃんの声を聞いた最後。
「遠い所へ行っても、僕のことを待ってると言ってくれた。唯一生存している身内にも、引き取りを拒まれた僕にとって、僕を求めてくれる存在が、この世にいたということ。それが僕のたった一つの救い。これからも生きていける理由。だから、遠い場所へ行くのに、何も抵抗はありませんと、ソラ君は話してた」
私はソラの救いだった。それなのに私は……。
どうしてあんな大切な日々を忘れていられたんだろう。
自分が許せなかった。
ソラのことを思い出せなかった私は、どれほどソラを落胆させたことか。
私がやるせない気持ちでいる所へ、スピーカーからソラのアナウンスが聞こえてきた。
「そろそろシステムを起動させますが、いいですか?」
「待って!」
叫ぶと同時に、私はモニタールームへと走った。
「ソラ!」
扉を開けるなり、私は思いっ切りソラに抱き付いた。
「ごめんなさい。色々と私。ごめんなさい」
「何が……。どうしたんですか?」
「私、信じてるから。ソラのこと。遠く離れても、ソラのことずっと待ってる。今度は忘れたりしない」
ソラははっとした後で、少し照れたように笑った。
「僕も紬生を待ってる」
ガラス越しに、未来で会いましょうと、手を振るソラを目の中に焼き付けながら、私は未来へ出発した。




