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82/82

082)約束

 ソラを一人にしておきたくなくて、私はうだうだとラウンジに居続けていた。


 ホテルに帰って来たのが日の落ちた頃だったから、今は真夜中に近い。


 ソラも部屋に戻れと言わないし、会話が弾んでいる訳でもないのに、同じ空間を共有する時間が流れている。


 活けられた花に触れたり、匂いを確かめたりしながら、私はソラの様子に気を配っていた。


 さっきからソラは、ご近所から仕入れた野菜の処理をしている。それは明日の朝食に出されるはず。


「疲れていないようでしたら、とっておきの場所へ案内しますよ」


 野菜の下処理を終えたソラはそう言って、私を事務所へいざなった。


 部屋の隅で備品の入っている箱を幾つか退かし、最後に姿見を移動させると、小さなドアが現れた。肩幅程度で、ソラは屈まないと通れそうにない。


「ここへ入るお客様は、きっと紬生つむぎさんが初めてでしょうね。私の前任者達も、全く使っていなかったみたいで、私が初めて入った時は、砂と埃にまみれてました」


「何があるの?」


「後のお楽しみです」


 得意気に唇の端を上げて、ソラは扉の奥へ消えた。


 その普通な態度に安心する。さっきの話を気にしているのは、私だけなのかもしれない。


 ドアの先は人が一人入れるかどうかの、部屋とも呼べない空間だった。木製の梯子が上へ向かって垂直に伸びている。


 薄明かりの中、三メートルほど上を登っているソラを見上げ、私も梯子へ手をかけた。


 どのくらい登っただろう。下を覗くと、事務所の灯りがすごく遠くに見えて、急に怖くなった。


「もう少しですから」


 仰ぎ見ると、四角くぽっかりと空いた穴から、こちらを見ている様子のソラのシルエットが見えた。


 息を切らして穴から出た私は、空を見上げて声を上げた。


 漆黒に浮かぶ天の川の帯が、とにかく圧倒的で、こちらに迫ってくるように感じる。


 手を伸ばしたら触れられそう。


 星空って、天の川って、こんなに奥行きがあったんだ。厚みを感じるから宇宙の重みや存在感も伝わってくる。


 宇宙は遠くなんかじゃなくて、宇宙はもっと、ずっと身近な場所だったんだ。


「一人の時は、よくこの屋上に来るんです」


 地上の建物は平屋だから、道からはそんなに高い場所ではないけど、周りも似たような高さの民家ばかりで、空は広く開けている。


 未来では街の灯りで、ここまでの星空は見えない。


「たまに、波の音も聞こえてきますよ」


「本当に、とっておきの場所だね」


「ほら、あそこ。地平線の少し上、南十字星が見えます。未来のクレタ島や、日本の本州では、見るのは難しい星なんです。歳差運動という、地軸の傾きの影響で、北極星も……」


 アテンダントスイッチの入ったソラの解説を耳へ入れながら、私は天の川を背景にして佇む、下弦の月を眺めていた。


 もう、あんなに月が欠けている。


 次の新月には未来から迎えの人が来てしまう。多分、直ぐに旅立つことになる。


 未来へ帰ったら、私はソラの犯した罪と向き合う。


 私の知る限りでは、代表が転落したことは事件にもなっていない。けれど、ソラの罪を知っている私を、ソラは避けると思う。


 それでも私はソラに寄り添いたい。


「紬生さん。誕生日おめでとう」


 え?


「未来の今日は、紬生さんの誕生日ですよ」


 本当だ。


 私の生年月日は情報としてソラに渡っているから、ソラが知っていても不思議ではない。


 この際だ。厚かましいと思われるのを承知で言ってみよう。


「ねぇ、ソラ。誕生日プレゼントもらってもいい?」


 ソラは真面目な動揺を見せた。


「プレゼントと言っても、こちらの物は未来へ持ち帰れませんし……」


「そうじゃない」


 私は立ちはだかるようにして、ソラと向き合った。


「私が未来へ戻った時、未来でソラに出迎えて欲しい」


 私の真剣な気持ちが伝わったようで、ソラも表情を引き締めた。


「いいですよ」


 ソラは挑むように答えた。


「紬生さんからは逃げません」


 私の真意を汲み取ってくれている。


「約束しよう」


 私が差し出した小指と、ソラの小指が重なった。

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