072)誤解
「こちらへ。付いて来なさい」
寝台を挟んだ壁の向こう側へ消えたクリティネを、私は急いで追った。
天井に星の描かれた部屋を二つ通り過ぎ、壁に蛇の描かれた階段を下りた。
潮を含んだ風が波の音を運んでくる。
「ここは離宮の一つ。海の直ぐ側に建っている」
光の入って来るほうへ、クリティネに誘われるようにして視線を向けた。
深く澄みきった空の色をそのまま映したような瑠璃色の海原が、柱の向こう側にあった。
クリティネの横に並び、私は目を細めた。
「ウザクに神託を授けた時、黄金のオリーブの実を持つためには、私を解き放つ必要があると伝えた」
解き放つ? 巫女王の宿命から?
「クリティネ、それはどういう……」
巫女王の宿命から解き放つという意味だというのであれば、巫女王であることからの離脱を、クリティネ自ら代表へ唆したことになる。
巫女王から離脱する方法……。
巫女王に結婚は許されない。そして、クリティネは子供を産む。
ソラから聞いた話を繋ぎ合わせると、解き放つ方法は一つしか浮かばない。
「約束の十年後、やって来たウザクは、解き放つという言葉を、巫女王という境遇から、私を引き離すことだと解釈していた。巫女王の立場から物理的に距離を置いて、私を、宿命から解放しようと考えたようだ」
海へ視線を投げているクリティネの瞳は、水平線よりも、もっとずっと遠くを見ているようだった。
「どうやってか、町の外れに屋敷を手に入れて、私をそこへ匿おうとした」
事件の起きた屋敷だ。私は緊張した。
「屋敷に行った私は……」
「どうして、屋敷へ行ったの?」
たまらず、話を遮ってしまった。クリティネには行かない選択肢もあったはず。
「私は……。ウザクになら、全てを委ねてもいい。委ねたいと思っていた」
!
予想通りの反応だったのか、私の驚く様を見て、クリティネは少し微笑んだ。
「理屈じゃない。ウザクに助けられた時、この人だと思った」
代表が神託を待っていた御神体の前で、アテンダントの男が言っていた、巫女王を救ってしまったという言葉。
そこから察するに、クリティネは何かのピンチで代表に助けられた。その時に代表を好きになった。
「屋敷に着いて、ウザクに真実を話した」
代表は、クリティネのことを拒否しなかった。
でもそれで良かったの? クリティネは代表と、心を通わせることができたの?
瞳で訴えるように、私はクリティネの横顔を見つめた。
「ウザクは……。私の想いを、受け入れてはくれなかった」
「え?」
クリティネの顔にゆっくりと陰が差した。
「他の何を犠牲にしても、ミチカとミチカの母親は裏切れないと、ウザクは言った」
聞いていた話の展開と違ってきて、やっぱり私の知らない何かがあったと、妙に納得した。
だけど、宙香のお母さんのことを、代表がそれほど大切に想っていたというのは意外だった。
宙香の母親は、私達が中学生の時に亡くなっている。あまり教団にも関わっていなかったから、よく思い出せない。儚げな印象だった。それは覚えがある。
そして、別の疑問も浮かぶ。ソラとソラのお母さんのことは、代表の中で、裏切れない対象ではなかったの?
「他に想う人がいても構わないと、そう伝えた私に……」
クリティネがそんな刹那的に考える人だとは思わず、私は更に動揺した。
「消せない後悔があるからと、ウザクは語った。ソラの母親と結婚するために、ミチカの母親のことを裏切ってしまった。もう二度と、あんな後悔をするようなことはしないと誓っている、と」
宙香の母親と付き合っていたのに、代表はソラの母親と結婚したということ? それを後悔していると?
何か事情があったのは分かる。だけど、ソラの苦しみを知っているだけに、代表の気持ちをすんなりと受け入れるのは難しかった。
「この国の将来と私自身のために、私の想いをウザクに受け入れてもらいたかった。それが叶わないと知った私は、絶望して泣き崩れた」
「クリティネ……」
「ウザクが私の肩を支えていた所へ、ソラが踏み込んで来た」
その様子を見て、ソラは誤解したんだ。




