041)牡牛を……
私達未来人が、準備運動もそっちのけで勝手なことを話している内に、観覧席のほうが更に騒がしくなった。
パロス島の王子が到着したようだ。
当然、訓練場へ現れるのだろうと、王子を待ち構えた。
「来たわ! あれよ」
明日美が観覧席を見て叫んだ。特別に設けられた席へ、悠然と腰を下ろした王子に向けて、憎々しげに視線を投げている。
「何だ、見学だけ? 訓練しないのね」
詩葉さんがつまらなそうに呟いた。
「初日なので、見学だけにしたのでしょう」
と、ソラ。
王子は私より少し若い感じ。肩までの黒い髪の毛はもじゃもじゃぐるぐるで、眉毛が太く、目がぎょろっとしている。
この時代の美的感覚は分からないけど、はっきり言って、美しい顔立ちでは無い。
「何だか、ほら。ゼウス神を若くした感じね」
ゼウス神と言えば顎髭の印象が強い。その髭を蓄えていないのに、詩葉さんの例えがしっくりくるのは、難しい顔をしているからかも。何か気に入らないことでもあるのだろうか。
「そろそろ、始めますよ。王子のことは忘れてください」
ソラが手を叩いた。
「明日美さん、波江野さん。それに、紬生さん。今日は牡牛との訓練ですよ。大丈夫ですか」
そう。昨日、ソラの切なそうな後ろ姿を見たら、ポジティブな話題をしないと気が休まらなかった。
私が次の儀式に挑戦したいと告げると、ソラは明るい笑顔を見せた。では、明日から牡牛との訓練に入りましょうということになった。
でも、こんな大勢の観覧者がいるのは想定外。顔が強ばる。
「儀式では、今日以上の人達に見られるわけですから、慣れておくのも、いい経験だと思いますよ」
やんわりと言うソラに、私は弱々しく頷いた。
成り行きだったかもしれないけど、自分で決めたことを、やっぱり出来ませんと言って取り止めにしたくない。
私は大きく息を吐いた。
これから初めて、牡牛との訓練を迎える。
牡牛が登場するであろう扉を、私は凝視した。できることなら、視線の強さで牡牛を怯ませてやりたいと思った。
信者達とソラは柵の向こう側で、広場に一人降り立った私を見守っている。観覧席の人々が、期待の眼差しを向けているのも感じていた。
見られていることと、やがて向き合う牡牛を想像すると、人生で一番と言ってもいいくらいに緊張が高まっている。
さっき、波江野さんと明日美は成功させた。次は私の番。
合図の音が鳴り、扉が開け放たれた。
走り出て来た牡牛は、すぐに立ち止まり、空へ向かって、おぅおぅと何度も低い声で鳴いている。まるで、私の存在など、毛ほども気にかけていない様子だ。
同じ空間で対面すると、思っていた以上に大きい。隆々と肉付いた首から肩、上半身が艶を放ちながら、威圧感を漂わせている。
仁王立ちしている私に、やっと気が付いたという感じの牡牛だったのに、その後は迷わず駆け向かって来た。
早い! ダメだ!
そう感じてしまった私の身体は、固まって動かなくなった。
考える間も与えられず、容赦の無い牡牛の一突きが私を襲い、身体が弾き飛ばされた。
覚えているのは宙を浮いている感覚と、迫り来る柵板の木目。
私の名前を呼ぶソラと、何人かの入り交じった声を聞きながら、私の意識は私の身体から離れていった。




