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全知全能の神、全知全能を失い、地上に落ちてのんびり暮らそうと思ってましたが、今度は魔王にやられそうなので、再び全知全能を目指します  作者: 作者名未定


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第9話「王都の師と、唯一の静けさ」

セルが王都を出た理由。

それを、本人の口から聞いた。

聞いて——わしの中に、

小さな石が一つ、落ちた。

名前のない石じゃった。

セルが来てから、三日経った。


三日で、かなり馴染んでおった。


ガルが「セル」と呼び、

ドレンが「セル」と呼び、

エイナが「セル」と呼ぶ。


セルだけが、まだ全員を「さん」付けで呼んでおった。


「抜けん習慣じゃのう」


「すみません」


「謝らんでよい」


「すみません」


「二回目じゃ」


セルが、また口の端を少し動かした。


笑う、までは届かん。

じゃが——三日前より、口の端の動きが、少し大きくなった。


その日の放課後じゃった。


いつものように木陰で昼飯を食うた後、

セルがわしの袖を引いた。


軽く。


「ヴィンさん」


「うん」


「——少し、話せますか」


「うん」


「二人で」


「うん」


エイナが、すぐに察した。


「じゃあ、ガルと先に戻ってる」


「わたし達、邪魔だね」


ガルは不服そうじゃったが、

エイナに引っ張られていった。


井戸端じゃった。


石畳の上に、二人で座った。


夕方には少し早い時間帯。

井戸の水が、少しだけ揺れておった。


セルは膝を抱えて、水面を見ておった。


しばらく、何も言わなかった。


わしは、待った。


待つのは得意じゃ。

一万年、待つことばかりじゃった。


「……王都を出た理由、聞きますか」


やっと、セルが言うた。


「聞く」


「つまらない話かもしれません」


「つまらなければ、途中でやめればよい」


セルが、わずかに頷いた。


「——リオン先生、という人がいました」


「うん」


「十八歳の、若い研究者でした。

 王都魔法院の最年少特別研究員」


「ほう。優秀じゃったんじゃな」


「優秀、というより——変でした」


セルが、小さく息を吐いた。


「魔法院には、体系があります。

 決められた順序で、決められたことを学ぶ。

 研究も——

 『この問いに答えなさい』という問い自体が、

 最初から決められているんです」


「ほう」


「リオン先生は——

 その問いを、疑う人でした」


「……問いを、疑う」


「『なぜ、この問いを解かなければいけないんですか』

 と、会議で言う人だった」


わしは、少し笑うた。


「嫌われそうじゃな」


「嫌われました。

 父からも——それ以外からも」


セルの声が、少しだけ低くなった。


「僕は、リオン先生に教わっていました。

 父が頼んだ家庭教師です。

 ——父は、体系を教えてほしかったんだと思います」


「そうじゃろうな」


「でも、リオン先生は、体系を教えませんでした。


 ……代わりに、

 毎日、僕に一つだけ問いをくれました。


 『なぜ、水は高いところから低いところへ流れるんだと思う?』

 『なぜ、魔力は体に溜まるんだと思う?』

 『なぜ、人は誰かを好きになるんだと思う?』


 ——そんな問いです」


「それは、面白い」


「……楽しかったです」


初めて、セルが「楽しい」と言うた。


過去形じゃったが。


「半年前、事故がありました」


「うん」


「魔法院の奥の書庫で、

 古い魔導書の封印が——解けたんです。


 リオン先生が、調べていた時に。


 本に溜まっておった暴走魔力が、先生を飲み込みました」


わしは、黙った。


水面が、風で波打った。


「亡くなった、のか」


「——わかりません」


「わからん?」


「遺体が——残らなかったので」


「……」


「魔力に飲まれた人間は、

 輪郭が溶けるんです。

 最後まで形を保つのは、

 魔力が強い部分——

 髪とか、爪とか、そういう部分だけ」


セルの声は、淡々としておった。


十歳にも満たぬ子が、

こんな話を淡々とするのは——

それだけ、何度も心の中で繰り返してきたからじゃ。


「父は、

 『リオンの研究は、最初から危険だった』と言いました。


 『問いを持ちすぎた男の、自業自得だ』と」


「……厳しいのう」


「僕は、父と——口を利かなくなりました」


「ほう」


「一ヶ月、無言で過ごしました」


「ほう」


「父が折れました」


「ほう」


「一年だけ、辺境の学院に行くことを許されました。

 条件は、王都の教科書を全部こなすこと。

 あとは——自由に」


わしは、また少し笑うた。


「なかなか、交渉上手じゃな」


「父が折れたのは、交渉ではなく——

 たぶん、母のおかげです」


「お母上は」


「母は、魔法が使えません。

 父が、魔力ゼロの女性と結婚した、というのは

 王都では少し有名な話で」


「……ほう」


一つ、奥が見えた。


この子の父は、魔力至上の場所で、

魔力ゼロの女性を選んだ男じゃ。


息子の前では厳しい顔をしておるが、

根っこの部分は——

たぶん、もっと柔らかい。


じゃが、それは今、セルに言う話ではない。


「——ここに来た理由は、もう一つあります」


セルが、言うた。


「リオン先生が、最後に残した言葉です」


「うん」


「『唯一の静けさが、どこかにある』

 ——そう言って、笑ったんです。

 事故の、前日に」


わしは、顔を動かさんかった。


「唯一の、静けさ」


「意味は、わかりません。

 先生の冗談だったかもしれない。

 でも——

 僕はそれを、

 ずっと、探していました」


セルが、ゆっくりわしを見た。


「三日前、あなたを見て——

 少し、似てると思ったんです」


「わしが、か」


「正確には、あなたの周りが」


「周り?」


「空気の、揺れ方」


わしは、夕方の風を感じた。


葉が揺れる音。

井戸の水が揺れる音。


この子は——

耳がいい。


いや、耳ではなく——

肌が、よい。


全知でなくても、

世界の小さな揺れを、感じ取れる子じゃ。


わしは少し考えて、答えた。


「わしは、静かかもしれん」


「はい」


「静けさ、というのが何なのかは、まだわからんが」


「はい」


「先生の言葉——」


セルが、真っ直ぐにわしを見た。


「『唯一の静けさが、どこかにある』」


わしは、繰り返さんかった。

胸の中でだけ、繰り返した。


唯一の、静けさ。


エイナと、初めて手を繋いだ日のことを思い出した。


入学式の朝。

「一緒に行こう」と言うた、あの手を握った時——

全知のノイズが、ほんの一瞬、消えた。


あの瞬間じゃ。


静かじゃった。


一万年、初めての静けさじゃった。


わしは今日まで、それが何か、わからんかった。

わからんまま、時々思い出しておった。


じゃが——

今、セルの口から、リオンという若者の遺言として、

同じ言葉が出てきた。


偶然とは思えん。


全知が、静かにざわついた。


じゃが、今はまだ、聞かん方がよい。


知らぬままの方が、物語が先に進むこともある。


「——セル」


「はい」


「その先生の研究資料は、残っておるのか」


「一部は。

 父が封印しました。

 でも、僕が書き写したノートが、少しあります」


「持ってきておるか」


「はい」


「見せてもらってよいか」


「……いいんですか」


「先生の問いを、わしも一緒に考えたい」


セルが、しばらく黙った。


瞬きを、何度かした。


「……ありがとうございます」


「礼を言うことではない」


「礼を言うことです」


セルの声が、少しだけ、震えた。


「この一年、

 誰も——リオン先生の話を、聞きませんでした。

 父も、魔法院の人たちも。

 母だけが、頷いてくれました。


 でも、誰も——

 『一緒に考えたい』とは、言いませんでした」


わしは、水面を見た。


波が、また静まった。


「人間は、完了した話を聞きたがる」


「……」


「答えが出た話なら、聞く。

 まだ問いの途中の話は、聞きたがらん」


「なぜでしょう」


「不安じゃからじゃ。

 答えのない話を聞くと、

 自分の中にも答えのない問いがあることを、思い出す」


セルが、ゆっくり頷いた。


「……父は、ずっと、不安だったんですね」


「そうじゃろうな」


「魔力ゼロの母を選んだ時も。

 僕が問いを好きになった時も」


「うん」


「わかりたく——なかったのかもしれません」


「わかっておっても、わからん振りをする方が、楽な時がある」


セルが、長く、息を吐いた。


少しだけ、肩が下がった。


三日分の緊張が、ほんの少し——解けた気がした。


「ヴィンさん」


「うん」


「あなたは、誰ですか」


三度目の質問じゃ。


ゼムも、ノエ——

いや、ドレンも、セルも。


みんな、聞きたがる。


「ヴィンじゃ」


「それは、知っています」


「六歳で、魔力ゼロで、ヴァルディス家を追い出された」


「それも、知っています」


「それ以上は、まだ、わしにもわからん」


「……本当に?」


わしは、少し笑うた。


「本当じゃ。

 わしはまだ、自分が何を目指しておるのかも、わからんのじゃ。

 ただ——

 知らんことを、一つずつ知っていくのは、楽しい」


セルが、わしを見た。


「それが——静けさ、ですか」


「さあ。

 そうかもしれんし、違うかもしれん」


「わからない方が、いい?」


「わからん方が、先がある」


セルが、ゆっくり、頷いた。


そして——

三日で、一番大きく、口の端を動かした。


笑うた、とは言えぬ動きじゃ。

じゃが、その手前にある、何かじゃった。


夜、マルタの家で、本を開いた。


ゼムにもらった古い本。

もう、四分の一まで進んでおる。


竈の火が、揺れた。


わしはページをめくる手を、止めた。


唯一の、静けさ。


リオン、というらしい十八歳の若者は、

どこで、その言葉に辿り着いたんじゃろう。


王都の奥の書庫で、

古い本を読みながら——

何かを、見つけたんじゃろうか。


わしが、まだ手に取っておらん、別の理論書かもしれん。


あるいは。


セルの家庭教師をしておったあの若者も、

時々、エイナのような子に出会うて——

手を繋いだ瞬間の静けさを、

知っておったのかもしれん。


エイナのような子。


違う。


エイナ、じゃ。


あの子は、一人しかおらん。


「唯一」という言葉は、

そういう時に、使うものじゃ。


窓の外、月が出ておった。


わしはまだ、エイナが何者なのか——

全知で確かめてはおらん。


確かめられる。


じゃが、確かめん。


知ってしまえば、答えになる。

答えになれば、それ以上、問えん。


今は、問いのままで、置いておく方がよい。


リオンという若者が、

笑いながら残した言葉の重みを——

わしは、少しだけ、わかった気がした。


翌日、井戸端で、セルがノートを見せてくれた。


薄い、手製のノートじゃった。


字は、丁寧な、若い字じゃった。


「『水は、なぜ流れる』」


と、書いてあった。


一番最初のページに。


セルが、隣で言うた。


「先生が、最初にくれた問いです」


「答えは、書いてないのか」


「書いてないです。先生が『答えは、お前が考えるものだ』って」


「そうか」


「……ヴィンさんは、どう答えますか」


わしは、少し考えた。


一万年、全知で知っておる答えがある。

重力と、分子の挙動と、地形の傾斜と——


じゃが、それは、リオンが求めた答えではない。


「水が流れるのは、

 ——下に、居場所を探しておるからじゃ」


セルが、わしを見た。


「……詩ですか」


「詩ではない。

 わしの、答えじゃ」


セルが、また少し、口の端を動かした。


「面白い答えです」


「面白い問いじゃから」


ガルが、遠くから駆けてきた。


「おーい、また二人で何してんだよ!」


「水の話」


「水?」


「なぜ流れるか」


「低いところに行くからだろ、当たり前じゃん!」


セルが、ガルを見た。


「——ガレンは、良い答えを持っていますね」


「ガレンじゃない、ガル!」


「そうでした」


わしは、笑うた。


セルも、今度は——

ほんの少しだけ、笑った。


本当に、少しだけ、じゃが。


エイナが、後ろから覗き込んだ。


「わたしの答えは、『山があるから』」


「それは面白い」


「面白い?」


「水ではなく、山の話をした」


「うん」


「どうしてじゃ」


エイナが、少し考えた。


「なんとなく。

 流れる方じゃなくて——

 流れさせる方を、先に考えた」


わしは、しばらく、エイナを見た。


この子は、時々——

世界を逆から見る。


普通の人間が、効果から原因を辿るのに対して、

エイナは、原因をそのまま見る目を持っておる。


全知で見れば、理由はわかる。


じゃが——今は、問わん。


問いのまま、置いておく。


風が吹いた。


井戸の水が、少しだけ、揺れた。


セルが、わしを見た。


「……静けさ、って、こういうことですか」


「さあ」


「わからないですか」


「わかっておるかもしれん」


「どっちですか」


わしは、少し笑うた。


「わかっておる、ということに、しておこう」


セルが、頷いた。


今日も、空は、高かった。

お読みいただきありがとうございます。

「唯一の静けさが、どこかにある」。

この言葉が、何を指しているのか——ヴィンはもう、うっすら気づいています。でも、あえて確かめません。

問いのままにしておくことが、物語を前に進める燃料になることもあるからです。

セルが持ってきた、リオン先生の薄いノート。その一ページ目の問いは、これから何度も戻ってくるかもしれません。

「面白い」「続きが気になる」と思ったら、ブックマークと評価をいただけると、エイナがもう一つ、逆から世界を見てくれるかもしれません。

次話、ゼム先生が、セルに気づきます。

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