第8話「転入生と、問いの深さ」
学院に新しい顔が来た。
王都から。
魔力の測定値が、この村の最高記録を塗り替えたという。
まあ——
記録というのは、塗り替えられるためにあるものじゃ。
月曜の朝、ゼムが授業を止めた。
珍しいことじゃった。
ゼムが何かを途中で止めるのは、滅多にない。
「今日から新しい生徒が来る。
紹介する」
扉が開いた。
男の子じゃった。
わしと同い年くらいか、少し上か。
髪は銀。目は灰色。
背筋が真っ直ぐで、歩き方に癖がない。
こういう歩き方をする子供は——
人に見られることに、慣れておる。
「セルと申します。
王都から参りました。
父は王都魔法院の副院長です。
よろしくお願いします」
声が通った。
教室の端まで、よく届く。
周りがざわついた。
「……王都魔法院」
「副院長の子が、なんでこんな村の」
「魔力がすごいって聞いたぞ」
「測定値の記録が——」
ゼムが手を上げた。
静かになった。
「セル。席はそこだ」
ゼムが指したのは——わしの隣じゃった。
セルがわしを見た。
一秒。
「……ヴィンさん、ですね」
「そうじゃ」
「よろしく」
「うん」
短かった。
じゃが——目が一瞬動いた。
値踏みするような目じゃ。
わしは気にせんかった。
値踏みというのは、よくあることじゃ。
一万年、そればかりじゃった。
「……本当に、魔力が——」
「ゼロじゃ。測ったからわかる」
「……そうですか」
それ以上、何も言わなかった。
ゼムの授業が始まった。
セルの魔法陣は——綺麗じゃった。
精度が高い。
エイナとは別の方向で、完璧に近い。
エイナは直感型じゃ。
セルは計算型じゃ。
どちらが上、という話ではない。
ただ——性質の話じゃ。
「……すごい」
ガルが小声で言うた。
「あの精度。練習量が尋常じゃない」
「そうじゃな」
「お前、感心してるじゃん」
「本物じゃから」
ガルが目を丸くした。
「お前に本物って言われたら——本物なんだろうな」
「そうとも限らん」
「どっちだよ」
昼食は、また木陰じゃった。
エイナとガルとわし。
それにドレンが端の方に座るようになっておった。
相変わらず少し離れておるが——来ておる。
「セル、すごかったね」
エイナが言うた。
「そうじゃな」
「ヴィンが素直に褒めるの、珍しい」
「本物には、本物と言う」
「……怖くない? ちょっと」
わしは少し考えた。
怖い——とは、どういうことじゃろう。
一万年、恐怖という感情を持った者を見てきた。
あれは何かを失うことへの反応じゃ。
何も失わないと思っておる者には、怖くない。
エイナが感じたのは——
おそらく「この人は何かを決めておる」というものじゃろう。
決意がある人間は、確かに少し怖い。
「怖い、というより——目的がある顔じゃ」
「目的?」
「王都から、この村の学院に来ておる。
何か理由があるはずじゃ」
「そういや、なんでかな」
「さあ」
わしは知っておった。
全知でわかっておった。
じゃが——それは本人が話すまで、知らんふりをしておく方がよい。
昼過ぎ、セルが来た。
一人じゃった。
ドレンの時と同じ来方じゃった。来方だけじゃが。
「少し、話せますか」
「うん」
エイナとガルとドレンが、また少し遠ざかった。
セルがわしの向かいに座った。
腰の下ろし方が丁寧じゃ。
この子は礼儀を——体に叩き込まれておる。
「なぜここに来た」
わしが聞うた。
セルが、わずかに目を見開いた。
「……聞かれると思っていなかった」
「そっちが話しかけてきたのに」
「……そうですね」
セルが、少し間を置いた。
「調べたいことがあって」
「何を」
「魔法陣の——原理を」
「ほう」
「王都では、結果だけを教わります。
これを描けば、こうなる。
理由は問わなくていい、と」
「それで物足りなかったんじゃな」
セルが、わしを見た。
「父から、ドレンとの件を聞きました」
「ほう。随分早いのう」
「王都魔法院は情報が早いので」
「なるほど」
「魔力ゼロで——炎の中に一歩踏み込んだと」
「踏み込んだんじゃない。
当たらない場所に立っただけじゃ」
セルが、少し黙った。
「……その知識を、どこで」
「旅の途中で」
「——その答え、ドレンにも言いましたか」
「言うた」
「飽きないんですか」
「飽きん。本当のことじゃから」
セルが、口を一文字に結んだ。
何かを——堪えておる顔じゃ。
怒りではない。
「……笑いそうになった」
「笑えばよい」
「王都では笑わないように言われて育ったので」
「大変じゃったのう」
セルが——ほんの少し、口の端を動かした。
「魔法陣の原理を——教えてもらえますか」
「教えるのは得意ではない」
「では、一緒に考えてもらえますか」
わしは少し考えた。
この子は利口じゃ。
「教えてくれ」ではなく——「一緒に」と言うた。
対等に、という意味じゃろう。
王都の副院長の子が、魔力ゼロの六歳に。
わしはゼムにもらった古い本を取り出した。
「これが、今読んでおるものじゃ」
セルが目を見開いた。
「——それは」
「知っておるか」
「魔法院に同じ本があります。
門外不出の……」
「ゼム先生にもらった」
セルが、黙った。
長い沈黙じゃった。
「……ゼム先生が、持っていたんですか」
「うん」
「……ゼム先生は——若い頃、魔法院にいた人です。
魔力を失う前は、院長候補だったと父が言っていました」
わしは本を閉じた。
夕方の風が吹いた。
「一つ聞いてよいか」
「はい」
「王都の魔法理論と——この本の理論は、どこが違うと思う」
セルが、少し考えた。
「……王都の理論は、体系が整っています。
その本は——もっと、問いが多い」
「そうじゃ」
「問いが多い理論は、実用的ではないと習いました」
「そうかもしれん」
「……でも——ドレンとの件は、問いから出た答えでしたよね」
「そうじゃ」
セルが、また黙った。
「整った理論と、問いの多い理論。
どちらが正しいんですか」
「どちらも正しい」
「……では、どちらが深い?」
わしは少し考えた。
「問いの多い方が、深いかもしれん。
整った方が、使いやすいかもしれん。
深さと使いやすさは——別の話じゃ」
セルが、ゆっくり頷いた。
「……王都では、そういうことを教わりませんでした」
「そうじゃろうな」
「なぜですか」
「教えられる人間が——いなかったんじゃろう」
セルが、わしを見た。
「……あなたは、本当に六歳ですか」
「そうじゃ。測ったからわかる」
「魔力の話ではなく」
「そうじゃよ。六歳じゃ」
セルが、またわずかに口の端を動かした。
「……また笑いそうになった」
「笑えばよいのに」
「習慣というのは、なかなか抜けないものです」
「まあ——そのうち、抜けるかもしれん」
ガルが遠くから走ってきた。
「おーい! 何してるんだよ!」
「話しておった」
「何の話?」
「深さと使いやすさの話じゃ」
ガルが、セルを見た。
セルが、ガルを見た。
「……ガル。セルじゃ」
「ガレンです。ガレン・ゴーズ・ファーン」
「堅っ!」
ガルが笑うた。
セルが、少し固まった。
「……ガルで、いいですか」
「あ? ま、まあ……いいですけど」
「ガル」
「な、なんですか」
「よろしく」
ガルが、わしを見た。
「なんかすごい速さで打ち解けたな」
「そうか?」
「名前で呼んだじゃないですか」
「もしかして、ガルも呼ばれたかったのか」
「違います!!」
エイナが歩いてきた。
セルが、わしを見た。
「……エイナさん、ですね」
「うん。エイナです。よろしく」
エイナが、自然に笑うた。
セルが——少し、目を細めた。
全知が動いた。
セルがエイナを見た瞬間の——何かが、わずかに揺れた。
わしはわざと、全知を引っ込めた。
知らなくていい。
本人が言うまで——知らんふりをしておく方が、ずっとよい。
「ヴィン」
エイナが言うた。
「なに」
「さっきから何考えてるの」
「何も」
「嘘」
「……まあ、少しな」
エイナが、ふふと笑うた。
「また哲学してた」
「しとらん」
「してたよ」
夕方、帰り道じゃった。
エイナとガルとセルが少し前を歩いておった。
三人の声が聞こえる。
ガルが何か言うた。
セルが、また口の端を動かした。
笑えるようになるかもしれん。
時間が少しあれば。
ドレンが、わしの隣に来た。
「……なんか増えたな」
「そうじゃな」
「お前、あいつとも仲良くなるのか」
「なるかどうかはわからん」
「でも——話しておったじゃないか」
「話は、するのう」
ドレンが、少し黙った。
「……俺も、話しかけていいか」
「そりゃ、もちろんじゃ」
「……そうか」
ドレンが、また少し赤くなった。
夕陽が、石畳を長く照らしておった。
仲間というのは——
最初から仲間ではなかったのに、
気づいたら仲間になっておる。
そういう過程のことを、いうんじゃろうか。
一万年、わしはその過程を上から眺めておった。
今は——その中に、おる。
知らなかったことが、また一つ増えた。
悪くない。
お読みいただきありがとうございます。
「教えてくれ」ではなく「一緒に考えてくれ」
——その一言で、セルという子供の骨格が見えた気がします。
王都の副院長の子が、なぜこの村の学院に来たのか。まだ話していません。
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次話、セルが王都を出た理由を、話し始めます。




