婚約をぶち壊す策略
嫌われた。
草上ノキアは、ただそれだけを思っていた。
多少、自分に酔っていたところがあるのを認める。悲劇のヒロインを気取って、一時のロマンスを夢見て、大馬鹿をやらかした。自棄になって衝動的に動いてしまったが、やったことといえば、無理やりキスして、突き飛ばされて、お説教を食らっただけである。しかもその実態は、少年の言うとおり、自分の立場を利用して彼を陥れようとしたのだ。
嫌われない方が難しい。
「ノキアお嬢様。そのお顔……どうされたのですか!?」
呆然としたまま自室に戻り、服を着替える。一晩経って大人状態に戻ったトゥルクがあたふたと動揺しているが、心配するような言葉も右から左に流れていく。
嫌われた。
嫌われた。
彼に――嫌われてしまった。
「う、ぅう」
枯れたはずの涙が次から次に溢れてくる。自分の中にこれほどの感情があったのかと驚きを覚える。いつも斜に構えて、どんな物事でも本気にならずに、一歩引いて生きてきた。そんな自分の中に、これほどの『本気』がまだ残っていたなんて。
その相手があの神童というのだから皮肉である。
「は、はは。馬鹿だなぁ、私」
ずっと気づいていたのに、その本音を直視しようとしなかった。
どうせ自分は恋愛結婚なんて出きっこない。いつかどこかの名家とお見合いして、家のために一生を過ごす。そんな人生だって諦めていた。それならそれで、若いうちくらいは自由を満喫したいって思っていたのだ。
本音を出そうともしないで、自由だなんて笑い草だ。
何年も本気を出すことを忘れていたから、いざそれをやろうとしたら、見事に空回りしてしまった。男を誘惑しようとして逆に説教されるだなんて、本当に恥ずかしい。
――もう、彼は自分のことを見限っただろう。
こんな下品で、世間知らずで、お馬鹿な娘など、誰が見ても御免こうむる。面倒くさい上に重たくて、可愛げのないこんな女、誰が貰ってくれるというのだろう。
ならば、例え政略結婚でも、貰ってくれる男のところにおとなしく嫁ぐべきだ。
例え、どんな風に玩具にされようとも。
「………」
涙は引いた。
心を冷やす。
希望を捨て、感情を凍らせる。
幼い頃からずっとやってきたことだ。全部を得ることは出来ない。ならば、必要な権利だけを主張して、あとはおとなしく従っていく。権利を主張する時は全力で、しかし決定が下った後はその処遇に甘んずる。
面倒は嫌だし、痛いのは論外だ。
つらいことは、少し我慢すれば過ぎてくれる。
その少しが、今回はほんのちょっとだけ長くなるだけの話。
「トゥルク」
「……はい、お嬢様」
「ごめん。心配をかけた。もう大丈夫だから」
安心させるように、ノキアは穏やかに微笑んでみせた。
今は自分の主張は殆ど通らないだろう。けれども、少しでも隙を見せたならその時は――自分の意思を通してみせる。
泣きはらした目を化粧でごまかし、髪の毛をセットして、一度鏡を見る。表情を限りなく削ぎ落とす。感情を限界まで押さえつける。もう、大丈夫だ。
部屋を出て、広間へと向かう。
朝食の席には、おそらく彼もいるだろう。それだけがチクリと心を突き刺したが、それを無視した。自分のやったことに対して羞恥心が再び再熱するが、それも押さえつけた。
朝食の席には、すでに人が揃っていた。
父、草上秀星。婚約者の天知ノリト。天知家の後見人、八重コトヨ。そして、昨夜から泊まっている親類縁者たち。そうした面々がすでに席に付いている。
そして、久能シオン。
その姿を極力見ないようにしながら、ノキアは深く礼をする。
「みなさま、おはようございます。遅くなりまして、申し訳ございません」
「入りなさい。ノキア」
この場における主である秀星がノキアを促す。それに従って、用意されている食膳の前に座る。広間を見渡すと、室内には十人程度の人が集まっていた。
この場における自分の立場は、よく理解している。楚々とした態度で、おとなしくしていること。家主の決定には素直に頷き、異を唱えずに、荒波を立てずに、一歩後を追随する。
大丈夫。私はできる。
大丈夫、だから――
「朝食の席で失礼します」
――諦めかけた心に、さざ波が立った。
ノキアの対面に『彼』は座っている。
痩身の、不健康そうな顔色をした少年だ。この場において、唯一学生服を身に纏っており、どこか場違いな雰囲気を醸し出している。巻き込まれただけの彼は、この場において唯一浮いた存在だった。
親類たちは、なんだこいつは、という顔をしている。
狭い業界なので、直接面識はなくとも、たいてい名前と顔は知れ渡っているものだ。そんな中で、どこの馬の骨とも知らない男が、表に出ている。
こそこそとささやき声が交わされる中で、シオンは堂々とした態度で立っている。
「はじめまして。皆さん」
そのアウェイの場に、彼は爆弾を投下した。
「草上ノキアさんと交際をしております、久能シオンと申します」
※ ※ ※
朝食の場が凍りついた。
参加者たちはあっけにとられ、呆然としている。天知ノリトは怪訝そうに眉をひそめ、八重コトヨは笑いをこらえるように顔を手で隠していた。
草上秀星だけが、平然とした顔でそれを見ている。
止まった場が動き始めるのに、時間はいらなかった。
「どういうことですか、秀星さん」「話が違うではないのか、草上くん」「ちょっと、シオンって、あのシオン・コンセプト?」「ノキア様と付き合っているって本当か?」
口々に交わされる言葉の中、シオンはまっすぐに天知ノリトへと視線を送っている。
それを冷めた瞳で見つめ返したノリトは、上座に座る秀星へと視線をやる。
「これはあなたの差し金ですか、秀星さん」
「人聞きが悪いよ、ノリトくん。私はただ、提案の許可を出しただけだ」
すました顔でそう言いながら、秀星はシオンへと尋ねる。
「さて。シオンくん。先程も二人で話はしたが、今一度確認しよう。君がこの場において、その発言をすることの意味を理解しているかね?」
「はい。もちろんです」
物怖じした様子もなく、堂々とシオンは答える。
「今回の会合の事情も把握しています。草上ノキアさんと、そこの天知ノリトさん。二人の婚約発表の場ということを理解した上で、失礼を承知で、言わせて頂きます」
久能シオンは、幾つもの家を敵に回しながら、たった一人で立ち向かう。
「草上ノキアさんを僕にください」
「………ッ」
ノキアは口元を押さえる。そうしなければ、叫びだしそうだった。枯れたはずの涙がまたもや目尻に浮かんでくる。せっかく化粧で隠したのに、涙によって化粧が崩れてしまう。それを隠すようにノキアは顔を伏せた。
そんなノキアを放ったまま、話は進んでいく。
「それは難しい相談だ」
まず、この場において一番の発言権を持つ秀星が、はっきりと言った。
「なぜなら、ノリトくんとの縁談は半ば決定している話だからだ。この場に集まっている者達はそれに納得しているし、もちろん私もそれに同意している。これは子供の感情でどうにか出来る問題では無いのだよ」
「もちろんそれも承知です。その上で、僕の方から一つ提案をしたい」
「では、それはどんな提案だい?」
秀星が確認するような口調で尋ねる。その様子を見るに、どうやら二人は示し合わせたうえでこのやりとりを行なっているようだった。
他の者達にとっては衝撃だろうが、シオンと秀星の間においては、一度合意がなされた茶番なのだろう。
そんな茶番を、シオンは堂々と演じて見せる。
「そこの天知ノリトさんと、僕。どちらがノキアさんの婚約者として優れているか、勝負をさせてもらえないかと。そう思うのです」
その提案に場が騒然となる。
勝負――すなわち、魔法士の決闘、ウィザードリィ・ゲームを行うということだ。
その提案に対し、天知ノリトが冷めた表情で尋ねる。
「シオン先輩。一ついいですか?」
「何度も言うが、僕はお前の先輩じゃない。どうした?」
「勝負と軽々しく言っていますが、それは僕に何のメリットが有るのですか?」
それは至極まっとうな疑問だろう。勝負というからには勝ち負けがある。この場合、勝った方が婚約者にふさわしく、負けた方はふさわしくないという単純な図式が出来上がる。
ノリトからすると、すでにまとまっている話を覆してまで勝負するメリットがない。
しかし。
「お前にとってメリットはなくても、草上さんにはあるんだよ。天知」
そう、穏やかな瞳でそう言って、シオンは周りを見渡す。
「名前を聞いてお察しの方もいらっしゃるでしょうが、僕はかつて、シオン・コンセプトという名前で活動をしていました。その時に、いくつかの研究で特許を取得しています」
特許を取得した魔法式には製品化されたものもある。その特許料によってシオンは学費の大半をまかなっていた。
そんなシオンの説明に、一体何を言い始めるのかと周囲は怪訝な顔をする。
構わずに、シオンは淡々と主張を続ける。
「その中に軍事企業と独占契約したものがあります。音波への魔力保存術式というのですが、その特殊性から、他の一般企業での利用を認めない契約となっていました」
音波への魔力保存術式――簡単に言うと、『音』という概念に対して、自身の魔力を貯蓄できる術式である。不定形であるというだけでなく、ひとところにとどまることもない波長という現象。それに対して魔力を付随させ、自身の自由に操作することのできる魔法式。
現象への魔力の干渉は術者の力量が問われる技術であり、それをテンプレート的な魔法式に仕上げた例は数少ない。その一つが、シオンの作り上げたものだった。
「この特許ですが、自動化できるというのが売りでした。そこから、自律化させて軍事技術に応用できると思われていたのですが、五年経った今でも、完全な製品化には至っていません。よって、これ以上の独占契約に意味はないと考えられています」
「……君は、そんな失敗した計画を話して何が言いたいのかね?」
草上の縁者の一人が、しびれを切らしたようにそう尋ねる。
それに対して、あくまでシオンは淡々と必要なことを語る。
「この魔法式は自律的な活用が出来ないだけで、自動化はできているのです。つまり、魔法士が使用すれば、魔法の起動の手順を一行程削ることが出来る。要するに――」
「草上エレクトロニクスのサブデバイス技術と、相性が良いということだな」
シオンの主張を補強するように、草上秀星が言葉をかぶせた。
「メインではなく、あくまでサブとして活用することを考えた際、『音』を操れることは非常に高いアドバンテージを持つ。例えば、起動した魔法式を組み直すときに、音声入力での魔法式の組み換えが可能ということだ」
「その通りです。草上さん」
示し合わせたようなスムーズなやりとりで、二人は説明を行う。
「仮に、僕が草上家と縁者になった暁には、この技術をそのまま草上エレクトロニクスは使用できるということになります」
――それこそが、久能シオンが持つ唯一の利点。現在は凋落してしまった少年が他者と張り合えるものがあるとすれば、それは過去の栄光にほかならない。
その過去の栄光を持ってして、シオンは天知ノリトへと立ちはだかる。
「草上家は、叢雲家の分家筋ではありますが、本家の庇護下にあるわけではなく、独自の力を持つ家でもあります。一企業としての影響力を考えた場合、この提案は十分な利点があると思いますが、いかがでしょうか?」
「確かに考慮に値する価値があるだろう」
鷹揚に頷きながら、「しかし」と、草上秀星は一つ釘を刺す。
「本家とのつながりもまた、そう無視できる話ではない。考慮できるというだけで、決定を今ここで覆すほどの利点にはなりえないよ、シオンくん」
「わかっております。だからこそ――勝負といったのです」
ようやく話がここに至ったというように、シオンはノリトを見据える。
「もし、ノリトさんが勝負に勝った場合、今話した特許の使用権だけでなく、他の特許についても希望があれば手放し、草上家に移譲しましょう」
シオンの提案によって、場に衝撃が走る。
口々に動揺を言い表す縁者たちを差し置いて、ノリトは探るような目でシオンを見る。
「貴方は、そこまでしてこの僕を勝負の場に引きずり出したいというわけですか」
「わかりやすくていいだろう?」
にこりともせずに、シオンはノリトに言い返す。
その間髪入れぬ返答に鼻白みながら、ノリトは更に質問をする。
「……貴方が勝った場合はどうするんですか? シオン先輩。」
「草上家と、形式的な縁談を行わせていただきたい。無論、僕はまだ結婚できる年齢ではないので、あくまで『形式的』なわけですが、それはノリトさんの場合でも変わらないでしょう」
つまり、どちらにしろ特許を草上家が手に入れられるよう取り計らうということだ。そしてこれは、シオンとノリトの勝負が成立しないと成されない約束でもある。
そこまで話が進んだところで、くっく、と。こらえきれない笑い声が響いた。
「く、くくく、くはは! いやあ、面白い。面白いのう、シオン坊や」
黙って趨勢を見守っていた八重コトヨだった。
彼女は愉快そうに笑いながら、ここに来て舞台に口を挟んできた。
「一体どんな策を弄してくるものかと思っておったが、なるほど、正攻法で来たか。面白いのう、秀星殿よ。いや、そなたのことじゃ。最初からこれを狙っておったのか?」
「とんでもありません。期待があったのは否定しませんが、狙ってこの展開は難しいです」
対する秀星は、本心の見えない薄ら笑いを浮かべる。そんないつも通りの態度を見て、コトヨはより一層、愉快そうに顔を歪める。
「くっくっく。それで、秀星殿よ。どうするのじゃ?」
「どうする、というのは?」
「見たところ、シオン坊の提案は悪いものではなさそうじゃ。しかし、それは本家の決定を逆らうだけの魅力はあるかね?」
「ありますね。音の魔法式だけでも十分ですが、その上、他の特許についても、考慮次第では移譲してくれるという。草上としては、どちらが勝っても損はない」
「ほう。天知家と親類になることよりも、価値があると?」
「何を言っているのですか、八重殿。元より神咒宗家というのは親類縁者。つまり、叢雲と天知もまた親類でしょう」
薄い笑みのまま、彼は腹の底の見えない穏やかな口調で言う。
「遠縁であれ我々は家族です。つながることによって絆が深まりこそすれ、離れたからといってその絆が切れることはないでしょうに」
「ふ、ふははっ! そう来たか!」
秀星のとぼけたような言い方がよほどツボに入ったのか、コトヨは大げさにお腹を抱えてながら、ケラケラと笑ってみせる。
「くははっ! はっきりわかったぞ。お主、元々この縁談、どうでも良いと思っているな?」
「ご想像にお任せします」
すました顔の秀星を前に、コトヨは楽しげに膝を打った。
「よし、ならばノリトよ。ここまでお膳立てされれば受けるしかないぞ」
「コトヨさん。そんな簡単に」
「おや、不服か?」
コトヨは挑むような視線を向ける。
口調こそ優しげだが、空気が一瞬、張り詰める。
「この儂の決定がまさか不満かい?」
「……いえ。表立って反発するほどではありません」
不承不承といった様子でノリトは頷く。
ちらりと、彼は草上ノキアを見る。ノキアはこの会話の間、ずっと顔を伏せていた。そんな年上の幼馴染の姿を見た後で、彼は久能シオンへと視線を向けた。
「いいでしょう。それでは勝負です。シオン先輩」
腹が決まったのか、彼は泰然とした様子でその男を敵と認めた。
「時代遅れの神童に引導を渡してやりますよ」
対するシオンは、その煽りを真っ向から返す。
「なら僕は、世間知らずの子供に現実を教えてやるよ」
かつての神童と現在の神童の間で、火花が散る。
――勝負はまとまった。
そんな対戦者たちを眺めながら、八重コトヨが最後にぽつりとつぶやいた。
「ふむ。そうなると。当事者が参加せんというのも、寂しい話じゃのう」
「当事者、ですか?」
話がまとまったところで口を挟んだことを怪訝に思ったのか、草上秀星は尋ねる。
それに対して、さも当然と言った様子でコトヨが言う。
「このままではノキア嬢が、ただの商品に成り下がってしまうとは思わんか? いや、まあそれはそれで、花嫁を取り合う愛憎劇じみていて、儂好みではあるが。ふむ」
にたぁ、と。
八重コトヨは、それまでとは毛色の違う、いやらしい笑みを浮かべた。
「よし。ノリトくんと共に儂も参加しよう」
「えっ?」
部屋中で驚愕の声が聞こえる。
それを心地よい音楽のように堪能しながら、コトヨは更に爆弾と落とした。
「そして、シオン坊の方にノキア嬢も参加するんじゃ」
それが勝負の条件となった。




