感情の少女と理性の男
そのまま飛び出てしまったので、身なりは酷いものだったが、最低限、顔を洗い寝癖を整えて、シオンは目的の部屋に向かった。
目的の場所は昨夜のうちに聞いていた。広い屋敷の奥まったところにある書斎兼自室が、その男の寝床らしい。
朝食は七時半と聞いていたので、六時半の今ならば、起きていることだろう。
シオンは扉をノックする。
中から反応が帰ってきたので、引き戸を引いて中に入る。
「おはようございます。草上さん」
「ああ。おはよう。シオンくん」
座椅子に座った草上秀星が、シオンの方を振り返りながら言った。
和服の部屋着は彼の居住まいにとても良く似合っている。机に向かっている姿を見れば、書生のように見間違えそうなくらいだ。
彼はシオンに座布団を勧めて向かい合った。
穏やかで曇りない瞳を向けながら、秀星は尋ねる。
「さて。こんな朝早くにどういった要件かな」
「一つ、尋ねたいことがあります」
これはおそらく、余計なことなのだろう。
どの家にも、その家のルールというものがある。虐待のような過剰なものでない限り、それを間違っていると断ずるのはただのエゴでしかない。
何よりシオン自身、あまり普通の家庭で育ったとは言い難いので、彼にとっての常識が非常識の可能性は高い。それをシオンは重々承知している。
それでも、確認しておきたい。
「草上さんは、娘さん……ノキアさんのことを、どう思っているのですか?」
「随分と婉曲な表現をするね。それでは質問の意図がわからないよ」
「では、言い方を変えます」
この時点で、シオンは草上秀星という人物への認識を改める。
今の彼は、草上家の当主としての態度で接している。だからこそ、クラスメイトの父親ではなく、大人の男性として認識をし直した。
「あなたは、ノキアさんを父親として愛していますか」
「もちろんだよ。シオンくん」
草上秀星は目を閉じる。
そこには、一瞬だけ父親としての表情が浮かんだ。
「ノキアは一人娘だ。それを父親として愛さずに居られるかい?」
「……しかし、今回の縁談をノキアさんは嫌がっている」
「では逆に尋ねるけれども、嫌がっているからといって、それを全て認めてやるのは正しいことかい? 言い分を全て認めることが、愛といえるかね?」
秀星の堂々とした様子は、自身の言に偽りがないからこその態度だ。
昨日から、それにずっと違和感があった。
「それが最終的に良いことだと信じているから、縁談に賛同している、ということですか?」
「さて。それはわからない。例え第三者がそれを良いと思ったところで、当事者がそこから何かを見出さない限り、結果は悪い方に流れるだろう。良いか悪いかは当人次第だ」
あっさりと、彼は手のひらを返してみせる。
これだ。
この他人事のような態度が、昨日からずっとひっかかっていた。彼はずっと、場の状況に対して能動的でない。自身の主張というのがないかのようだった。
しかし、視点を変えてみる。
もし彼が、最初から自分の意見を変えていないとすれば。
「――あなたは理性的なんですね」
まるで自分の鏡を見ているような気分だった。
それも、数段性能が上の虚像を映す鏡だ。理性的であろうとするシオンにとって、草上秀星の理性を重んじる価値観は理想的な姿だ。だからこそ、彼が何を考えているのか予測がつく。
草上秀星はゆるりと答える。
「私には立場がある。今でこそ草上の実権を握っているが、婿養子として入ったばかりの頃は権限など何もなかった。故に、権力の恐ろしさというのは身にしみている」
「だから、どっちつかずの態度を取り続けている、と言うわけですか?」
「君には、私が優柔不断に見えるかい?」
「……いえ。今のは言葉が違いました」
シオンは素直に失言を認める。やはり、草上秀星は自分の主義に信念を持っている。
権威など持てず、主張は容易に認められない。
そんな立場から、彼は一企業をトップ企業にまで成長させて、家の実権を握るほどにまでなった。生半可なことでは出来ない所業だ。
そんな彼の主義は、利益主義だ。
それは、利のために何もかもを捨てる、というものではない。
全ての条件から得られるものが多いものを選ぶ。それが即物的なものであれ、感情的なものであれ、彼は常に公平に選ぶ。私情さえも数値的に見て、そこに余計な肩入れをしない。
「あなたは、自分が納得できるなら、例え悪い状況になっても構わないんですね」
「究極的に言えばその通りだよ。けれど、悪い状況を受け入れる時には、その納得には余程の利がないといけない」
秀星は淡々と、自身の主義を主張する。
「チャンスは平等に与えられるべきだと私は思う。だから、私が認めた決定であっても、ノキアにはそれに抗うチャンスを与えた。そのチャンスをものに出来た時は、私は父親として肩入れしよう。けれど、チャンスをものに出来ないのならば、私は今の立場を崩さない」
なぜなら、自分の未来は自分でつかむものだから。
草上秀星の言葉にシオンは黙りこむ。
おそらく、この親子の関係は歪だ。
この関係はノキアが幼い頃から続いてきたのだろう。良家の娘としての立場を強いられる度に、ノキアはそれから逃れるための抵抗をしたという。おそらく、秀星はそのチャンスを与えてきたのだろう。そんな親子の勝負がずっと続いたのだ。
この親子関係をおかしなものだとは思うが、しかしそれを主張したところでどうにかなる問題ではない。ここは草上家だ。ならば、草上家のルールでないと、話し合いにならない。
草上秀星のことはよくわかった。
ならば、それを前提として話を進めるべきだ。
「分かりました。朝早くから変なことを言って申し訳ありません。これで本題に入れます」
「ふむ。本題かい」
「朝食まで時間がないので、単刀直入に言います」
シオンは真正面から草上秀星の顔を見据える。
その真意がどうであれ、自分がこれからすることの意味を考える。
この一言によって、おそらく色んなものが変わってしまうだろう。得るものと、失うもの。その責任を取れるかどうかはともかく、義理は通さなければならないだろう。
これまでは巻き込まれる立場だった。だからこそシオンは明確な一線を引いていた。巻き込まれる分にはいいが、自分から当事者として関わるつもりはないし、またその資格はないと考えていた。
その一線を、今踏み越える覚悟を決める。
ふぅ、と。息を吐いて。
まっすぐに、シオンは言った。
「お嬢さんを僕にください」




