チェス人形は夜風に語る
霊子生体ファントム。
逸話や伝承を元に、霊的な存在が実体を持って顕現したもののことを指す。
例えば、シオンのバディである七塚ミラは『鏡』の因子を持つ神霊だ。元々は、『カール・セプトの鏡回廊』という霊子災害だったものが、ファントムとして顕現した姿である。
ミラの場合は、元となった霊子災害がそのまま顕現しているが、本来ファントムは複数の因子を持って発生するので、いくつかの人格や精神が統合されることが多い。有名な逸話を下地としたファントムほど、現実の事実よりも逸話としての虚構の面が強くなる。
ノキアのバディであるデイム・トゥルク。
彼女はチェスをモチーフにしたファントムであるが、その原始が何なのかまでは把握していなかった。
「わたくしの原始は『ターク』と言います。『トルコ人』という意味で、十八世紀後半に作られた、チェスを打つオートマタの名称です」
部屋に戻る途中。少し夜風に当たるために、シオンとトゥルクは軒下に並んで座っていた。
ピンクのパーカーのウサ耳が揺れる。幼い身体でバランスが取れないのか、ふらふらと身体を揺らしながら、トゥルクは自らの出自を語り始めた。
「自ら思考してチェスを指すオートマトン、という触れ込みでタークは紹介されました。その自動人形は、ナイトツアーと呼ばれるチェスのパズルを容易く解き、また、著名なチェスのプレイヤーたちをあっさりと倒していきました。その評判はすさまじいものでした」
「……十八世紀後半と言うと、人工知能なんて」
「はい、そのとおりです。当時、オートマトンの技術はかなりの水準でしたが、コンピュータのない時代ですから、人工知能の技術などあるはずもありません」
つまり、イカサマである。
「タークには、人形の土台の中に人が入れるような隙間があったのです。一見すると、機械仕掛で隙間などは見当たらないのですが、視覚のトリックが使われていて、小柄な人間一人分の隙間が用意されていました」
「トゥルクさんの人格は、その中に入っていた子供、っていうことですか」
「はい。入ったことのある一人に過ぎませんが、確かにタークを操作したことがあります」
トゥルクは遠くを見るように夜空を見上げる。
その瞳は、外見の幼さとは裏腹に、大人びた懐古の念に満ちている。
チェス指し自律人形『トルコ人』。
ハンガリーの宮廷官吏にして発明家だったヴォルフガング・フォン・ケンペレンが作製した奇術人形。彼は当時の女王マリア・テレジアを喜ばせるためにこのチェス人形を作成したとされている。人間相手にチェスを指すオートマトンという触れ込みのその人形は、あまりにも強かったため、中に人が隠れているのではないかと疑われ続けたが、明確な証明を誰もすることができなかった。その秘密は、公開から八七年後に明かされるまで隠され続けた。
世の中を半世紀以上も欺き続けたその逸話を、トゥルクは冠しているのだ。
「最も、わたくしの元となった人格は、ケンペレン氏に拾われたただの孤児だったので、チェスなんてからっきしだったんですよ。わたくしが入っていたのは調整の時くらいで、指示された通りに中で操作していただけです。チェスの強さはわたくしのものではありません」
「過去のこと、覚えているんですか?」
「微かに、ですけれどね。そもそもわたくしは十二歳で生涯を終えているので、それほど多くの思い出があるわけではありません。人格がわたくしであるだけで、記憶自体は、他のタークの操縦者のものも引き継いでいるみたいです」
「十二歳って……早死にだったんですね」
「病気だったんです。治療に全力を注いでもらったんですが、勝てませんでした」
寂しげな視線を地に向け、彼女は小さくぼやいた。
「だからまあ、……『あたし』は強くなりたかった」
微かに、元の『彼女』を見せながら。
奇術人形の名前を関した少女は静かに後悔を語る。
「何もできなかったんです。ただただ、無駄死にでした。せっかく良くしてもらったのに、あたしはご主人様に十分な恩返しができなかった。それが心残りで、悔しくて」
故に、ファントムとして発生した彼女は大人の姿になったのだろう。
その本質を偽り、自身が願った強い大人の姿。
主君を守り、主君のために戦う。自律人形として今度こそ誉れを得たいと。
「つまらない話をしてしまいました」
ウサ耳を揺らしながら、彼女は顔を上げる。
十歳の少女は、寂しさを隠し、大人のような表情を浮かべてシオンに向き直る。
「愚痴を聞かせてしまい、申し訳ありません。少し、ナイーブになってしまいまして」
「いえ。僕の方こそすみません。なんか、秘密を聞いてしまって」
ファントムの情報は戦略上重要なものだ。特に、原始となる逸話や当人の来歴までバレてしまうのは、戦術を見破られるに等しい。
それでも、トゥルクは話したかったのだろう。
一度生涯を終えているとはいえ、彼女もまた、一人の人格を持つ存在なのだから。
「主人のために全力で戦うのがわたくしの望みですが、今日の勝負では惨敗してしまって目も当てられません。我ながら情けない限りです」
「いや、しかしあれは天知の力が常識外ですし、仕方ないですよ」
「そんなことはありませんよ、久能様」
シオンの言葉に、トゥルクは少女らしからぬ優しげな微笑みを浮かべる。
「仕方がない、なんていうことはないんです。ノキアお嬢様は必死でしたし、わたくしも全力で当たりました。全力で負けたことを仕方ないで済ませるのは、いけないことなんです」
トゥルクの言葉に、シオンはハッとする。
やってしまった、とバツが悪い思いを抱いて目をそらす。これと全く同じ間違いを、彼はニヶ月前も犯したばかりだった。
――わたしは、悔しいよ。
バディである少女の泣き顔が思い浮かぶ。
圧倒的な実力差のある相手に負けた時に、仕方なかったとシオンは慰めた。それに対して、ミラは涙ながらに反論したのだった。そんな言葉で片付けるなと。
嫌なことを思い出しながら、シオンは取り繕うようにトゥルクに問いを投げる。
「その姿は元に戻りそうですか?」
「ええ。元々『虚偽』の因子で隠していたものなので、因子が元の通り活性化すれば大人の姿になれます。どうやら、最後に石鎚ホウキの使い魔に食らった言霊は、あなたの因子崩しと同様の効果があるようです。それも、戦闘後にも引きずるくらいですから、相当なものでしょう。リベンジの際には注意しなければなりません」
ファントムは、自身の持つ因子によって活動を行なっている。その因子がダメージを受けると不活性状態となり、ファントムはその機能を十全に発揮できなくなる。シオンはその仕組を利用して、ファントムの因子を一時的に不活性化する魔法式を作っていた。石鎚ホウキはそれと似た手段を持っているようだ。
ホウキに対して対抗心を燃やすトゥルクに、シオンは尋ねる。
「再戦の意志はあるんですね」
「もちろんですよ。ただ、お嬢様が望めばの話ですが」
勢い込んで言った後、トゥルクは冷静になってそう付け加える。
そんな彼女は、少しだけ、期待するような視線を向ける。
「久能様は、その……いえ」
ゆるりと、トゥルクは首を横に振った。
「これはわたくしが言うべきことではありませんね。元より、貴方は理性的な人だ。貴方の感情を揺さぶるには、理由が必要になります」
「……薄情だと思いますか?」
「酷薄ですね。よりたちが悪いです」
思った以上に辛辣な言葉が帰ってきた。
手厳しい言葉とは裏腹に、トゥルクはどこかイタズラっぽい表情を浮かべている。
「はじめは、久能様には人としての情がないのではと思ったくらいです。失礼ながら、お嬢様が特別視していなければ、貴方に関心を向けようとは思いもしなかったでしょう」
「随分と、はっきり言ってくれますね」
苦笑しながら、シオンはその評価を受け止める。
そんなシオンにトゥルクは穏やかに微笑みかける。
「けれど、話をした今ならわかります。貴方のそれは責任感からくるものです。残酷ではあっても非道ではない。だからきっと、お嬢様は貴方を好意的に見ているのでしょう」
「……別に、僕はそんなつもりは」
シオンは目を伏せる。
自分はただ、自信がないだけだ。
シオンは本当の才人を知っている。
才能に溢れ、能力に満ちた存在をずっと間近で見てきたからこそ、自分にも同等の評価が下っていることに納得がいかないのだ。
自分には『彼女』ほどの凄さはない。
同じ神童という評価をくだされながらも、相方だった『彼女』は、自分とは違って本物の神童だった。シオンはただ、その光に導かれて不相応な成長ができただけなのだ。
「僕は、自分にできることしか出来ないですよ」
かろうじてそれだけを、シオンは言った。
それを受けて、トゥルクは小さく頷く。
「はい。わかっております。――ですが、それでも」
言いながら、トゥルクは目を伏せる。
それは祈りの姿に似ていた。
「もし、ノキアお嬢様が貴方を頼った時、できることで良いので、あの方の味方をして欲しいと、そうわたくしは願います」
奇術人形の神霊は、最後まで自身の主のために祈りを捧げるのだった。




