清音のコトタマ
霊子庭園が解ける。
生身に戻ったプレイヤーたちには明確な格付けがされていた。勝者は両足を地につけ悠然と立ち、敗者は地に膝をついて力なくうなだれている。
勝負は均衡していたように見えるが、後半だけを見ると天知側の圧勝だった。
ノキアのそばにトゥルクの姿はない。受けたダメージが甚大だったのか、完全に霊体化して姿を消していた。
「勝負ありましたね。ノキアお姉さん」
天知ノリトはわかりきっていることを敢えて口にする。
ノキアは膝をついたまま、力なくノリトを睨む。彼女は感覚のない右腕を庇うように左手で支えていた。ゲームが終わったにも関わらず、その右腕には未だ感覚が戻らない。
霊子庭園内で霊子体が負った傷は、基本的には生身に影響を及ぼさない。例外として、精神に刻まれるほどの大きな傷は、生身に戻った際に多少の麻痺や擬似的な鬱血として現れることはあるが、通常はすぐに治る軽傷程度だ。
しかし、ノキアの右腕はそんな軽いもののようには見えない。
その症状と似たものをシオンは知っている。――霊子体で負った傷が生身にも影響を及ぼす例。大地のマナを利用し、魂魄そのものに刻みつける現代魔法と一線を画す古き手法。
自然魔法。
二ヶ月前のインハイ予選にて、明星タイガとの決戦でカニングフォークを使用したシオンは、全治一ヶ月半の怪我を負うことになった。
天知ノリトが何をしたかはわからない。
ただ、彼が【言葉】を発した瞬間、覚えのある力の流れを感じたのだった。
「ああ、そっか。ごめんなさい。お姉さんの右手、潰したままでしたね」
「………」
「そんなに睨まないでくださいよ。だって、勝負だったんですから。手加減なんて出来ません。今直してあげますから、そんな顔しないでください」
ノリトはゆっくりとノキアに近づきながら、一言言葉を紡ぐ。
「【その右腕はもう動く】」
その言葉とともに、ノキアは右腕を動かした。
本当に動くようになったことに驚きながら、膝をついたまま、感覚を確かめるように何度かグーパーを繰り返す。
「まあ、せっかく勝ったのに、そんな右腕一つ貰っても仕方ないですからね。忘れていませんよね? 勝負に勝った方は、負けた方に一つ、言い分を聞かせることが出来る」
「……ああ、わかってるさ」
苦々しそうに、ノキアはノリトを睨みつけながら言う。
「二言はない。許嫁にでもなんでもなってやる。――けれど、忘れるんじゃないよ。私は君を認めない。立場上は君を立ててやるが、五年のうちに、こんな縁談、絶対に破談にして――」
「何を言っているんですか? ノキアお姉さん」
恨み言じみたことを言うノキアに対して、きょとんとした顔でノリトが言った。
「別に、許嫁になってもらうことが僕の望みじゃないですよ。それは決定事項です。あなたが勝った時にそれを破談にするのは勝手ですが、僕が勝ったからって、それを認めてもらう必要がどこにあるんです?」
「な、なら、君は一体何を」
「そうですね。何をしましょうか」
ノリトはそう嘯きながら、跪いているノキアの真正面に立つ。
小柄な少年は威圧感とともに見下ろしてくる。そこでようやく、ノキアの表情に敵愾心以外の感情が浮かんだ。得体のしれないものを前に心が萎縮する。その不気味さに身体が竦む。それは全て、天知ノリトという存在に対する恐怖から生まれる感情だった。
くすくす、と。嘲るような笑いが不気味に響く。
「ノキアお姉さんは僕のことを嫌っているようですしね。今更、好感度をあげようとしても仕方ありません。それよりも、あなたには僕のことを認めさせる必要があります」
滔々と語るノリトの表情には笑みが浮かんでいるが、その裏にある真意が読めない。
「今はいいですが、五年後、本当に結婚するときに、あなたが反抗的では示しがつきませんからね。だから、今のうちに『教育』しておくべきだと思うんですよ。僕とあなたの間できちんと上下関係を作っておく必要がある。そう、思いませんか?」
「……き、君は。一体、私に何をさせるつもりだ」
「簡単な事ですよ」
にこりと、ノリトは歳相応の無邪気な笑みを浮かべた。
「あなたはお昼寝が好きでしたよね。だから、睡眠の自由を奪います」
「――え?」
不意のことに、ノキアはぽかんとマヌケな表情を晒す。
そこに、無邪気な悪魔は、絶望を叩き込む。
「【僕が許可しない限り、草上ノキアの睡眠を禁じる】」
「なっ!?」
驚愕を口にしようとした途端、ノキアの全身に謎の圧力がかかった。
次元の違う存在からの強制力が襲いかかる。彼女は自分の身に、先ほどノリトが口にした通りのことが起きたのだと悟った。
ことここに至れば、部外者であるシオンにも事情は察しがついた。
アレは言霊だ。
最古のオーバークラフト。そして現在において最も身近なカニングフォーク。
口にしたことを現実とするおまじない。
もとより呪術とは人の認識に作用するものであり、呪文はそれをわかりやすくしたものにほかならない。言霊というのはその最もシンプルな形式である。無意識に働きかける暗示はもちろんのこと、魔力を通して実現すればそれは立派な魔法である。
言霊使い。
しかし現代において、マナを利用して現実を改変する言霊の使い手などありえない!
「おっと、【みんな、そこから動くな】」
目の前の出来事に思わず身体が動きそうになったシオンは、その【一言】で停止を余儀なくされた。見ると、この場にいるすべての人間にその言霊はかけられたらしい。
一歩早く飛び出しかけていたミラが、顔を歪ませてノリトを睨みつけている。どうやら、ノキアへの命令があった直後に、激高して飛び出そうとしたらしい。
「う、ぐ、ぐぅうう」
この場にいる誰よりも、ミラは怒りを抱いていた。しかし、為す術もなく言葉の圧力に拘束され、せめて視線だけでも相手を射殺さんばかりに睨みつけている。
「せっかくいいところなんですから、邪魔しないでくださいよ。無粋ですね」
そんなミラを冷めた目で見たノリトは、興味を失ったようにノキアへと視線を戻す。
「そうですね。まったく眠らない、と言うと虐待になりますし、『二十三時から五時までの六時間』だけは睡眠を認めましょう。それ以外は、一切の睡眠を認めません」
「……あ、……え」
「いつまで呆けてるんです? そんなにお昼寝を禁じられたのがショックだったですか?」
呆然としているノキアは、ノリトに話しかけられてようやく状況を理解した。
ノキアの表情に、悔しさと怒りがふつふつと湧いてくる。ギリギリと歯を食いしばりながら、彼女はノリトを見上げる。本当は立ち上がって胸ぐらを掴みかかりたいが、全体にかけられた言霊の影響で体を動かすことが叶わない。
唯一自由になる頭を動かして、視線だけでも負けないようにと敵愾心を向ける。
それを、ノリトはせせら笑いながら受ける。
「ふふ、いい目ですね、お姉さん。そういう勝ち気な所、すごく好みですよ。いつもは諦観混じりの冷めた目をしながら、実は自尊心を守るので精一杯。あなたのそんないじらしい所が、僕は大好きなんです。だからこそ――まだ余裕があるのは気に食わない」
ノリトはノキアの頬を撫でる。肌の感触を味わうかのようなその手つきに、ノキアは不快感を露わにするが、その表情の一つ一つが彼の嗜虐心を刺激していた。心底愉快そうにするノリトは、気まぐれから更にノキアを辱める。
「怒った顔も素敵だけど、でも僕としては、笑ってほしいですね。ねえ、ノキアお姉さん。笑ってくださいよ。ニッコリと優しく笑いかけてくださいよ。ねえ」
「そん、なの」
「【笑え】」
唐突に、言霊が掛けられた。
ノキアの敵意に満ちた顔から表情が消えた。そして、すぐにその顔面には笑みが浮かぶ。無理やり笑おうとするためか、それは苦笑いに近い。本当は怒鳴り散らしたいのに、無理に笑い顔をさせられたその姿は、どこか媚びへつらっているようにも見えた。
そんなノキアの様子がお気に召したのか、ノリトは大きな笑い声を上げた。
「あは、あはは! 笑った! いい笑顔ですよ、お姉さん。媚びたみたいで素敵です。ねえ、嫌な相手に笑いかけるのって、どんな気分ですか?」
「……っ、く、ぅ」
ノリトの嘲笑に、ノキアはうめき声をあげる。表情は相変わらず歪んだ笑みであるが、そこには言葉にならない悔しさが滲んでいる。
彼女の目尻に、かすかに光るものがあった。
それでも笑みを消すことが出来ず、泣き笑いの表情になってしまう。
それを隠すように、とうとうノキアは顔を伏せてしまった。
「く、はは。あはは!」
そんなノキアの様子が可笑しいのか、ノリトの嘲笑は続く。
癇に障る嘲笑い声が、延々と響くかと、そう思われた時だった。
バキンッ、と。
ガラスが割れるような音がした。
「ノキちゃんに――酷いこと、するなぁっ!!」
七塚ミラが憤然とした様子で七つの鏡を召喚していた。その内の一枚は、砕け散るところだった。一枚の鏡を代償として、ミラは言霊の拘束を解いた。
残る六枚の鏡が周囲を円環する。
怒りに我を忘れて立ったミラは、吠えながら六枚の鏡を従えてノリトに襲いかかる。
笑うのを止めたノリトは、そちらに目を向けて【一言】。
「【跪け】」
ミラはその場で強大な重力でも受けたかのように、地面に身体をたたきつけられた。
突然のことに目を白黒させながらも、ミラは憤死しかねないほどの形相でノリトを睨む。
その時、六枚の鏡に微かにヒビが入り、ミラの身体の拘束がわずかに弱まった。
七塚ミラの『鏡』の因子のパッシブスキルが発動したのだ。『鏡に映った貴方は私』。自身に影響する一定ランク以下の攻撃を、物理・魔法問わず七割減し、三割を相手に返すというスキルだ。それは言霊であろうと例外ではなく、平等に反射させる。
「ん?」
ノリトは、かすかに自身の身体に強制力がかかるのを感じて驚く。
その隙を逃さずに、ミラは噛み付かんばかりの勢いで身体を跳ねさせた。
――しかし、その攻撃行動は二体の鬼に阻まれた。
今度は物理的に地面へと押さえつけられる。赤鬼には刃物を突きつけられ、青鬼からは腕力で押さえつけられる。ニ体の鬼を制御する石鎚ホウキは、術を使うのもしんどそうだが、しっかりと主人を守る使命を全うしていた。
このままでは、ミラはやられてしまうだろう。
その時――肉が爆ぜる嫌な音が辺りに響いた。
「ぐ、ぅあ」
シオンは抑えきれないうめき声をあげる。彼の右の小指が、まるで爆発にでも巻き込まれたかのように粉々に砕け散っていた。
一瞬だけ、龍脈に接続してマナを取り込み、カニングフォークを使った。
全身を拘束する力を払うには、同系統のカニングフォークで浄化するしかない。大地の魔力であるマナを取り込むことは毒物を身体に入れることに等しい荒業だ。その制御をギリギリまで成功させ、溢れた力を全て小指の破壊という形で成し遂げていた。
破壊された小指から、だらだらと血が流れる。
痛みを必死でこらえながら、シオンは叫ぶ。
「ミラ! 一旦消えろ」
「え……でも、シオン!」
「いいからそいつには手を出すな。そのままじゃ、お前がやられる。霊子庭園ならともかく、現実界でそれはまずい」
「待って! ダメ、だって、こんなの絶対おかし――」
バディ権限を使ってデバイスから命令を送り、ミラを強制的に霊体化させる。
後に残ったシオンは、やり場のない怒りを覚えながらノリトを見据える。
その様子に、ノリトは意外なものを見る目を向ける。
「驚きました。シオン先輩って、こういう時に怒ったりする人だったんですね。もっと冷めていると思ったので意外です」
「……何度も言うが、僕はお前の先輩じゃない。先輩なんて呼ばれる筋合いはないし、それに、別にお前に対して怒る立場じゃない。だがな、天知」
シオンは敢えて、ノキアのことを見ないようにしながら淡々と言う。
「言い分を聞かせるのは一つだけのはずだ。お前の言葉にどんな力があるかは知らないが、ここで強権を振るうなら、ルールには従え」
「へえ。そう来ますか。なるほど」
興味深そうに、ノリトはニヤニヤと笑ってみせる。
「確かに、シオン先輩の言う通りです。僕としたことがうっかりしていました。そのために右腕を戻してあげたというのに。いや、これは一本取られました。いいでしょう」
殊勝な態度を取るノリトは、ノキアを見下ろして【一言】。
「【もう笑うのをやめていい】」
ノキアに対する『笑え』という命令を取り消したノリトは、シオンに向けてアピールするように手を広げて見せる。
「これでいいでしょう?」
シオンは緊張を保ったまま血が流れる右手を押さえる。痛みと苛立ちで立ち眩みが思想になりながら、油断なく言霊を使う化け物を見据える。
期待した反応を得られなかったのが不満なのか、ノリトは小さく嘆息を漏らして肩をすくめた。その後、動こうとしないノキアを不思議そうに見やる。
せっかく命令が解かれたというのに、彼女は顔を伏せたまま微動だにしない。
ノリトは「ああ」と頷いた。
「そっか。ごめんなさい。【もう動いていい】ですよ。いやあ、全体に掛けるときはもう少し気をつけなきゃとは思っているんですが、忘れがちですね」
身体にかけられた拘束が解かれた瞬間、ノキアは脇目もふらずにその場から逃げ出した。懸命に顔を隠して一目散に逃げ出す彼女を追いかける者は一人も居なかった。
その姿を見送った後、ノリトはマイペースに草上秀星の方を向く。
「それでは夕ごはんにしたいんですけれど、どうします? みんなで食べますか?」
「いや。ノキアがあの調子だ。悪いけれど、部屋を用意させるから、そこで摂ってくれ」
「分かりました。それじゃあ、先にお風呂いただきますね」
いい汗をかいた、と呟きながら、ノリトは歩き始める。
そんな主に対して、血まみれの従者が苦々しそうに口を挟む。
「どうでもいいが、そろそろ休んでもいいか? さすがにしんどいんだが」
「ああ、ホウキさん、まだ居たんですか。血だらけで汚いんで、早く消えてください」
「はっ。相変わらず辛辣だな、俺のご主人様は。男ってだけでも気に食わねぇのに、ドSとはたちが悪い。せめて可愛い小娘ならなぁ。……なあ、ノリトよ。提案なんだが、面だけは綺麗なんだし、いっそ股間のもん取りやがれ」
「その時は貴方のものも取りますがいいですか?」
「よかねーよ。マジで解脱しちまうわ」
掛け合いを続けながら、ノリトとホウキは去っていく。
あとに残されたのはシオンと秀星、そして、八重コトヨだった。
八重コトヨは、ニヤニヤと笑いながらシオンに声かける。
「右手、痛そうじゃのう、シオン坊」
シオンは右手を隠すようにしてそっぽを向く。
その姿が可笑しかったのか、ケラケラとコトヨは笑い声を上げた。
「やあ、しかし面白い力を使いおる。悪竜の類を取り込んでおるんじゃな。まあ、使いこなすには程遠いようじゃが」
「取り憑かれているだけですよ。僕の手柄じゃない」
「ほう。謙遜は殊勝なことじゃが、いささか過小評価じゃのう」
ひとりごちるコトヨを無視して、シオンはちらりと秀星へと視線を向ける。
草上ノキアの父親は、平然とした顔をしてその場に立っていた。
「……いいんですか。これで」
「良いか悪いかという話は、この際問題にならない。これが結果だよ」
真意の読めない表情で、秀星はじっと、ノキアが去って行った方を見ている。
「覆せなかった時点で、あの子の負けだ」
例えそこに、どんな思いがあろうとも、シオンが踏み込んで良い話ではない。そんな資格はないし、そもそも理由がない。
やり場のない感情を持て余しながら、シオンは手の応急処置をするために部屋へと戻った。




