虚偽を暴く言の葉
「はぁ。おい、扱いが酷いぜ、クソガキ」
石鎚ホウキは、白い雲に乗って空中に浮かんでいた。
蘇った彼の姿は瀕死の有り様だった。トゥルクから受けた傷は致命傷だったはずだが、胸に穴が空いた状態でありながら、どういうわけか彼は生きていた。
「純粋に凌ぎ負けたんだから素直に負けを認めろよ。たく、死にかけで呼び戻される身にもなってみやがれ」
「お言葉ですが、ホウキさん。あなたの本来の戦い方は、近接戦ではなく使役戦でしょう。全力を出さずに敗北して、納得できると思いますか?」
「あー、はいはい。わーったわーった。まったく、負けず嫌いなんだから」
彼はそう言うと、左腕に巻いていた経典を広げる。
「もう手抜きはしねぇよ。――『當願衆生・十方一切』」
「ぐ、させない!」
トゥルクは錫杖が身体に刺さったまま跳び上がると、まだ残っているスパイダーウェブを蹴りあげ、加速してホウキに迫る。
「――『邪魔外道・魍魎鬼神・毒獣毒龍・毒蟲之類』――」
それは九条錫杖の七条目『邪類遠離條』。
鬼神や外道、害毒にすらも菩提心を抱かせるありがたい御経である。
錫杖経を唱えながら、ホウキは雲に乗ったままトゥルクの攻撃をかいくぐる。そして経典を大きくはためかせると、二つの名前を叫ぶ。
「征け。『善童鬼』『妙童鬼』」
トゥルクが第二撃を加えようとした瞬間、ホウキの目の前に二対の鬼が現れる。
それらは、姿形こそ人の形をしているが、本質は異なる怪異。肉体を異形へと作り変え、人を喰らい、人に仇なす鬼神である。
赤い鬼と青い鬼。
剛健な赤い鬼は手に鉄斧を持ち、痩身の青い鬼は水瓶を抱えてホウキのそばに立つ。
赤い鬼の鉄斧がトゥルクの鉤爪を弾き飛ばす。
続けて、青い鬼が水瓶の中の水を振るうと、それらは礫となってトゥルクを襲う。
「ぐ、がは」
地面に叩き落とされたトゥルクは、呻きながらすぐに立ち上がろうとする。
「そら、出番だぞ。管狐」
立ち上がりざま、トゥルクの胸元を閃光のような刃が貫いていった。
一本の鋭い刃は、トゥルクの身体を突き抜けた後、地面に突き刺さってすぐにその姿を狐の姿に変える。
「――ごぼっ」
トゥルクの口元から血が溢れる。
よろける彼女に立て続けに攻撃が加えられる。それは幾迅もの風だった。ホウキの周囲から発生した風は、意思を持って襲いかかる。
「伊綱に野鎌、刻んで砕きな」
身体を武具に変えた鎌鼬が、四方からトゥルクの身体を切り刻む。
防御など間に合わない。あまりにも物量に差がありすぎるので、耐久のステータスを上げて耐えることしか出来なかった。
このままではやられる。
そう覚悟した所に、バディからの支援が入った。
「トゥルク! 『治癒術式』!」
ノキアは魔力を直接送り込むことで、傷ついたトゥルクに即興の回復魔法をかける。
続けて彼女はメインデバイスの魔力を通すと、右手を伸ばして攻撃のための魔法を放とうとする。その洗練されたスムーズな動きは、学校の実技試験ならば満点を取れる出来だった。
しかし――これは実戦であり、不測の事態はいつでも起こり得る。
「バース――」
「【その右腕は、動かない】」
ノリトが厳かに発言した。
それとともに、突如としてノキアの腕の感覚が消失した。力なくだらりと落ちた右腕は、どれほど力を入れても持ち上げることができない。
「させませんよ、ノキアお姉さん」
悠然と立つ天知ノリトはにこりと笑いながらそう言う。
「く、ノリトくん!」
感覚のない右腕を無視して、ノキアは一歩を踏みだそうとする。
そこに赤い鬼が降ってきた。
鉄斧を振り下ろそうとする赤い鬼の姿に、ノキアはすぐに反応できない。ノキアが遅いのではなく赤鬼の動きが素早いのだ。その動きはファントムに匹敵する性能であった・
なすすべもなく打ち倒されるかと、そう思った時だった。
「はあぁああああああああああああああ!」
猛攻を受けていたトゥルクが、全てのステータスを筋力値に振り切って地面を叩き割る。その衝撃で、襲い来る使い魔たちを弾き飛ばした。
続けて、彼女は一つのスキル名を叫ぶ。
「――『キャスリング』!」
自身と主人の立ち位置を入れ替えるパッシブスキル。
ノキアとトゥルクの立ち位置が変わる。赤い鬼の前に現れたトゥルクは満身創痍の状態であるが、かろうじて手に同じ鉄斧を創り出して応戦する。
トゥルクが居た場所に現れたノキアは、すぐさま安全圏に退避して魔力で網の結界を張る。その間も右腕には全く感覚がなく、魔力も全く通らない。右腕の手首にデバイスを巻いている関係上、メインデバイスでの魔法行使はほとんど封じられたようなものだ。
トゥルクへと指示を出そうとするが、もはやそう言った場面ではなくなっていた。
状況は絶望的だった。
トゥルクが赤い鬼を弾き飛ばしたかと思えば、後ろからは青い鬼が迫る。
それだけではない。どこから湧いてきたのか、鎌鼬や管狐、それに天狗と言った様々な怪異たちが、トゥルクへと猛攻を行なっている。
恐るべきは、その使い魔の数である。
使い魔等を使役するファントムというのは例がないわけではないが、それにしてもこの数は異常だった。なにせ、一体一体が低ランクのファントムと同等の情報密度を持っているのだ。本来ならば、魔力を供給する側である魔法士の負担がとんでもないはずである。
それにもかかわらず、天知ノリトと石鎚ホウキのバディは平然とした顔で使役している。
消費さえ考えなければ、集団戦が行えるメリットは語るまでもないだろう。
もともとトゥルクは多数対一での戦いを想定されたファントムであるため、本来であればこういった戦闘はむしろ得意なはずだった。しかし今は傷が深く、万全のコンディションでは無いせいで防戦を余儀なくされている。
息をつく間もなく、体勢を立て直す隙もない。
ただ嬲られるだけのトゥルクにできることは、耐久のステータスを上げて必死に堪えることだけだった。
しかし、彼女の目はまだ死んでいない。
絶え間ない攻撃。少しでも集中を切らせれば、その瞬間に霊子体を維持できなくなるだろう。そんなジリ貧の状態で、それでもトゥルクは一瞬に賭けていた。
複数の使い魔が入り乱れ、交互に攻撃してくるからこそ生まれる、一瞬の隙。本来ならば問題にもならない空白の瞬間に、トゥルクはとっておきの切り札を開放した。
「――『スウィンドル』!」
一体どこにそれだけの魔力が残っていたのか、トゥルクの全身から魔力の奔流が起きた。
ある条件を満たしたパッシブスキルの発動は、詰まった盤面をひっくり返す奇策である。
次の瞬間。
トゥルクを襲っていた使い魔たちが、一斉に全身から血を吹き出した。
その傷の一つ一つは、トゥルクが負ったものと全く同じだった。
「『ステイルメイト』。行き詰まりです、破戒僧」
それこそは『十字架』のパッシブスキル。
これまで蓄積されたダメージを全て相手にも与える、彼女の第七番目のパッシブスキル。
――もし今すぐにトゥルクのステータスを見れば、その変化に驚くことになるだろう。
彼女は普段、因子六つのミドルランクとして紹介されている。
しかし、今の彼女は、因子七つのハイランクになっていた。
因子『騎士』『傭兵』『騎兵』『天衣無縫』『冠ミトラ』『十字架』『プレイヤー』
彼女が公開情報で持っていた六つ目の因子である『虚偽』の因子。
先ほどの『スィンドル』というパッシブスキルは、ある二つの因子を隠すという効果を持っている。それは任意に開放が可能で、現在は以下の二つの因子が表に出ていた。
『十字架』と『プレイヤー』
トゥルクのファントムとしての原始は、世の中を偽り続けたとあるチェスの逸話を元にしている。それを再現した結果、本性を隠すというパッシブスキルへと昇華されていたのだ。
ミドルランクとハイランクの差は大きい。
ファントムは所有因子が七つを超えると、とたんに制御が難しくなると言われている。因子同士のバランスをとるのが難しく、下手をすると暴走しかねないのだ。故に、それを扱えることは生半可な実力でないことを意味する。
全力を開放したトゥルクに、ホウキが操る使い魔たちが襲いかかる。
四方八方から同時に襲い掛かってくる無数の使い魔たちを、トゥルクは泰然と見据える。
「『プロモーション』――『クイーン』!」
唱えるは、女王の名。
自身の体力が一割以下になった時にのみ可能となる、最強のコマへの昇格。
制限時間内において、顕在性と神秘性以外の全ステータスをAランクにするという、奥の手中の奥の手である。
膨大な情報圧が辺り一帯を席巻する。
魔力の奔流は嵐のように吹き荒れ、チェス人形の神霊が持つ情報密度を見せつけていた。
「――邪魔です」
トゥルクはそのまま腕を一振りするだけで、襲いかかる使い魔たちをいっぺんになぎ払う。ホウキの使い魔たちは立て続けに霊子の塵となって消滅していった。
その姿は、まさしく天衣無縫に盤上を駆け巡る女王のものであった。
今のトゥルクであれば、たとえ相手が竜の神霊であろうと対等に戦えるであろう。
最も、この最強状態には時間制限がある。残された一割の体力がなくなるまでの限られた時間で勝負を決める必要がある。
圧倒的な力を見せつけたトゥルクは、地面を蹴り上げて上空に飛び上がると、雲の上に座する石鎚ホウキへと迫る。
彼女はぐっと手を握る。そこに握られているのはポーンのコマ。
これまで、ステータスを変動させる度に、様々な武器へと変化させてきた唯一無二の武装。
同時に『天衣無縫』の因子を元にしたアクティブスキルを発動させる。
「『エイトクイーン』!」
ポーンのコマが姿を変える。
空中に、トゥルクに従うように八つの武器が現れた。
大剣、大刀、大斧、大槍、大弓、大槌、大鎌、大爪。
彼女の持つ武具の内、特に巨大で強大なものを連続召喚して一斉に打ち込む大技である。その一つ一つが必殺のものであり、並のファントムならば触れただけで粉微塵になるだろう。
振り下ろされる巨大武器の嵐に、さしものホウキも無事では済まない。
そう、思われた。
「そんなハリボテをいくら掲げても無駄さ。人形の娘さん」
ホウキは向かってくる脅威を冷めた目で見下ろしながら、一枚の呪符を取り出す。
召喚符。これまで幾体もの使い魔を召喚してきながら、なお最後まで取っておいた切り札となる一齣を、彼はここで指してきた。
「出番だぜ。『葛城の主』」
大量の武器が迫る瞬間、ホウキが召喚したのは一人の使い魔だった。
それは小柄な人影だった。
神事に用いる青摺の衣を纏い、顔は白い布で隠してある。
服の間からかすかに見える手足は枯れ木のように細く、全く生気を感じない。亡霊か幽鬼と言われてもおかしくないほどに、その存在感は希薄だ。
その人影は、不自然なまでにゆったりと、意識の間を縫うようにして、攻撃中のトゥルクの目の前へと浮遊した。
時が止まったような気がした。
巨大な武器が嵐のように今にもホウキへと迫っているのに、その小柄な使い魔だけは、時の狭間を行き来しているような不気味さがあった。
白い布に隠された顔を、ヌッと、トゥルクの顔面へと近づける。
そして、一言。
たった【一言】で、全てを切り崩した。
「【お前は子供だ】」
「な――ん」
ギョッと、トゥルクの表情が驚愕に染まる。
その唇が何かを必死で紡ごうとするが――結局、それはなされなかった。
彼女の身体が、急に小さく縮んだ。
ぴっちりと着こなしていたスーツのみをそのままにして、身体の大きさが十歳未満の幼子のものに変わる。それとともに、全身を包んでいた情報密度が一気に霧散する。差し向けていた巨大武具たちは、制御を失い、たやすく崩れ落ちて破壊される。
トゥルクの小さな身体が中を舞う。
そこに、再び現れた二体の鬼が刃を向けてきた。
その幼い身体が切り刻まれる寸前において、彼女は主人に対して謝罪の言葉を残した。
「あ、ぁ――申し訳、ございません。お嬢様」
柔らかい肉に刃が突き立てられる。
傷口からあふれる血しぶきは、霊子の粒子となって輝きとともに消滅していく。
そして、デイム・トゥルクは敗北した。
「さて」
消滅の様子を眺めてから、天知ノリトは静かに対戦相手へと視線をやる。
そこには自身のファントムの消滅を見送る少女の姿があった。
彼女は右腕を力なくだらりと下げ、膝をついて呆然としている。その瞳にはもはや戦意はなく、すがるように宙を見ている。
ここに勝敗は決した。




