近藤勇 また ウナギ
それから、しばらくして。
屯所の様子は、少しずつ変わっていた。
腹を下す者は減った。
暑さで倒れる者もいなくなった。
朝の水は新しく汲み替えられ、麦茶はいつでも飲めるようになった。
稽古の合間には休憩が入り、顔色の悪い者を見つければ、すぐに休ませる。
「ずいぶん、落ち着いたな」
井上が屯所を見回しながら言った。
「ああ」
土方も、珍しく満足そうだった。
「武田の奴、使えるじゃねぇか」
その時――
「土方さん!」
廊下の向こうから、山崎烝が駆けてきた。
「何だ!」
「近藤さんが、また腹を下しているようです」
「…………」
「一つしかない屯所の内便所を、ずっと独占しています」
土方の顔が引きつった。
「何を食った!」
「鰻です!」
「またか!」
「ええ」
山崎は、少し困ったように続けた。
「朝は小姓の市村鉄之助に奢ってやると、京の鰻屋へ。昼は原田さんと庶民の店で鰻を。夜は会津の後藤殿と祇園で高級鰻重を……」
「まさか」
「それぞれ一人前ずつではありますが」
「あの、すっとこどっこいやろう!!」
土方は頭を抱えた。
◇
近藤の部屋。
奥から、情けない声が響いている。
「としぃ……腹が痛いよおおお。医者呼んでくれぇ」
「貴様は、もう何も食うな!」
「だって鰻が……」
「知るか!」
土方は源三郎を振り返った。
「おい、源さん。局長も光縁寺へ連れていけ」
「光縁寺?」
「伊東が、みっちり講義してくれるだろう。近藤の腹と鰻についてな」
「おい!」
近藤の声が飛んできた。
「俺は、ああいう講義が苦手なんだ! 学問所に行くと腹が下る体質なのは、知ってるだろう!」
「知るか!」
「うう……それより、医者を呼んでくれぇ……」
屯所中に、土方の怒声が響き渡った。
◇
その横で、武田は静かに帳面を開いた。
「では、隊士たちの食事量の適正について――」
「武田!」
土方が振り返った。
「おまえ、それ、俺じゃなく近藤の枕元で講義してこい」
「……局長にですか?」
「ああ。伊東に負けねぇくらい、みっちりとな」
土方は念を押した。
「その適正とやらを、詳しく、細かく、たっぷりとだぞ」
「……承知しました」
武田は素直に帳面を閉じた。
◇
少し離れたところでは、斎藤が腹巻きをきゅっと締め直している。
その隣では、永倉が酒樽をじっと見つめていた。
「……観柳斎のやつ、酒は控えろって言うんだよなあ」
原田が声をかける。
「言ってたな」
「でも、控えればいいんだろう」
「んだな」
永倉は酒樽から目を離した。
「俺ら、大人だしな」
◇
一方。
近藤の部屋から、また情けない声が響いた。
「としぃ! 鰻は身体にいいんだ。この腹は、鰻のせいじゃない!」
土方は、近藤の部屋の前で頭を抱えた。
「貴様は今日から水と粥だけだ!」
屯所中に、土方の怒号が響き渡る
井上源三郎は、その様子を眺めながら思った。
――衛生係。
どこまで管理すべきなのか。
それは、なかなか悩ましい問題であった。
◇ おしまい




