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救世主あらわる




「……誰か、いねえかなあ」


土方歳三は帳面を閉じ、ぽつりと呟いた。


「まともなやつ……」


その時だった。


「あのー、いい人がいますよ」


夏バテ養生組の山南敬助が、そっと障子を開けた。


そして、山南が連れてきたのは――なんと、武田観柳斎だった。


観柳斎は、真夏だというのに妙に涼しげな顔で扇子を広げている。


それは大きな紫色の扇子だった。


色とりどりの朝顔が、これでもかというほどぎっしりと描かれている。


「いや、私も隊士たちの不調には心を痛めております」


始まった。


武田節。


暑苦しさが、さらに増した。


「人体とは、実に奥深いものです」


観柳斎は扇子を優雅に動かしながら続ける。


「ですが、意外と簡単でもあるのです」


「ほう。具体的には、どうするんだ?」


土方が尋ねる。


「まず、喉が渇く前に水を飲む。これが肝要でしょう」


観柳斎は真顔で答えた。


「喉の渇きというものは、身体がすでに水を欲している合図。つまり、渇いてからでは一歩遅い」


「……ほう そうなのか」

近藤は素直に感動している。


「次に、暑いからといって冷たいものを一気に摂りすぎぬこと。胃腸を冷やせば食欲が落ちる。夏こそ飯を食わねばならぬ」


「夏を制する秘訣は、暑さに逆らわぬことです。風の通り道を衣服で塞がず、冷たいものを取り過ぎず、朝夕の涼しい刻に身体を動かす。これが古来より伝わる夏の心得なのです。」


「意外だが…まともだな」


土方が呟く。


「そして、最も大切なのが――」


観柳斎は、扇子をぴたりと閉じた。


「無理をしないことです」


「…………」


「暑い盛りに激しい運動をすれば、身体に熱が籠もる。日陰を選び、風の通るところで休み、必要なら仕事を切り上げる。根性で暑さに勝とうなどという考えは、だいたいろくなことになりませぬ」


土方は小さく息を吐いた。


伊東甲子太郎よりまともな事をいっているぞ


「この夏に必要なのは、身体の均衡を管理する者です」


「で、具体的には何をする?」


武田は即答した。


「まず、具合の悪い者と元気な者を分けねばなりません」


「具合の悪い者は、空気の良い涼しいところで休んでもらいましょう」


「水を飲ませる。食べさせる。涼ませる。そして十分に休ませることです」


「元気な者の負担を減らし、生活が崩れぬように努めるのです」


一瞬、沈黙が落ちた。


近藤勇が小さく笑う。


「……なるほど」


こうして――


武田観柳斎は、新選組の衛生係となった。


◇


翌朝。


「諸君」


武田は隊士たちを前に、堂々と立っていた。


「夏の疲労とは、単純に暑さによるものではありません。人間の身体とは、いわば小さな天地であり――」


「先生」


原田左之助が手を挙げた。


「つまり?」


武田は満足そうにうなずいた。


「水を飲みなさい、ということです」


「最初からそう言え!」


原田の叫びが屯所中に響いた。


しかし――。


武田の仕事は、意外なほど細やかだった。


当番をつくり、朝、昼、晩と手洗いの水を替えさせる。


食事の内容も見直す。


また、一日三回、大量の麦茶をつくらせ、冷やしておく。


生水は極力避けさせる。


さらに各隊に一人、健康管理係の補助隊士を任命した。


稽古の合間には休憩を入れる。


顔色の悪い隊士を見つければ、すぐに声をかけることも徹底させた。


「今日は酒は控えなさい」


武田が原田に言う。


「なんでだ?」


「身体の熱を助長します」


「つまり?」


「飲むなということです」


「だから最初からそう言え!」


またしても原田の声が屯所に響いた。


◇


数日後。


「……なんか、楽だな」


原田がぽつりと言った。


「飯も前より食える」


永倉新八も頷く。


「稽古の後、前ほどへばらねぇな」


そこへ武田が現れた。


「当然です。人体とは肉体と精神、その両方の均衡によって――」


「待て」


永倉が手を上げる。


「今日は短く頼む」


「説明なくして理解は――」


「理解はいらねぇ」


原田が笑った。


「効いてるなら、それでいい」


武田は少し黙った。


そして、ふっと笑う。


「……実に実用的ですな」


「お前が言うな」


二人の声が重なった。


◇


ある日のこと。


土方が屯所を見回っていると、武田が若い隊士を相手に話し込んでいた。


「睡眠とは身体を修復する時間であり、夜更かしとは己自身への攻撃で――」


「やってるな」


土方は苦笑する。


寝不足の者は休ませる。


食欲のない者には、食べやすいものを用意する。


暑さの中で無理をさせない。


理屈は回りくどい。


話は長い。


しかし――。


隊士たちの顔色は、確によくなっていた。


近藤が隣で笑う。


「どうだ、武田君は」


土方は腕を組んだまま答えた。


「胡散臭ぇ」


「うん」


「理屈っぽい」


「うん」


「話が長ぇ」


近藤は吹き出した。


「それで?」


土方は、しばらく武田の背中を見ていた。


そして、ぽつりと言った。


「……役に立つ」


近藤は満足そうに笑った。


「それなら、十分だな」


◇


ところでーー


「具合の悪い者を、どこで休ませるか」


それが 次の問題だった。


京の夏は、戦よりも始末が悪い。

朝から照りつける日差しは、屯所の板間まで熱をこもらせ、風が通っても涼しいとは言えなかった。

「……暑い」

沖田総司は布団の上で小さく呟いた。

暑気あたりのあと、やたら暑さに弱くなり、しょっちゅう熱を出す。


隣の部屋ニモ 寝込んでいる男がいた。

篠原泰之進である。

いろいろ 気苦労の多い 真面目な男である。


「暑い……飯を見るだけで暑い……」

夏負けで飯が全然食えていない。

完全に参っていた。


「篠原がいないと、伊東が 役に立たん。」

土方歳三は腕を組み、部屋を覗き込んで眉をひそめた。


さらにその奥には山南敬助。

こちらは無理を重ねたせいか、疲れが一気に出て、静かに横になっている。


「病人が…

土方は屯所を見回した。


「四人、五人……なんだかんだで10人くらい ねているなあ。」


どこか いい養生場所にやっちまいてえなあ。


その言葉を聞いた井上源三郎が振り返った。

「土方さん」

「なんだ」

「その言い方だと、まるで荷物を片付けるみたいですよ」

「……」

土方は少し黙った。

「ま 言い方は悪いが  あいつらも元気になればいいんだし、ウインウインだろ。 」


せっかくですし、養生場所は選びたいですね」

「予算は ねえぞ」

「それを今、考えているところです コスパがよく、涼しくて、飯がうまいところ…」

源三郎は腕を組んだ。


「……難しいですね」


涼しい場所。 壬生寺の御前さまに 相談したらどうかね


夕方。


近藤勇、土方歳三、伊東甲子太郎の三人は、珍しく正装して壬生寺を訪れていた。


すると僧が言った。


「ご縁のある新選組の皆様のお役に立ちたい気持ちはございます」


僧は、少し困ったように続けた。


「ですが、すでに当寺は、境内を新選組にお貸ししているも同然という状況になっております」


「このままでは、寺そのものが新選組の屯所とされるようなことにもなりかねません」


「……」


「申し訳ございませんが、これ以上のことは、当寺ではお受けできません」


近藤は深く頭を下げた。


「常々、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


「京の治安維持のためとはいえ、寺にまでご負担をおかけしていることは承知しております」


そして、少し間を置いて尋ねた。


「それで……病人だけでも、どうしてもお願いすることはできませんでしょうか」


僧はしばらく考えていた。


やがて、ふっと顔を上げる。


「……懇意にしている光縁寺なら、相談してみましょう」


「光縁寺?」


「ええ」


僧は静かに頷いた。


「ただし、静かに養生する場所としてのみです」


「刀や竹刀などは持ち込まず、療養に必要なことだけに限る――それなら、お願いできるかもしれません」


土方が顔を上げた。


「それで十分だ」


「ありがたい」


近藤は、ほっとしたように息を吐いた。


土方も頷いた。


「これで、具合の悪い奴らを安心して休ませられる」


「それで……誰に任せる?」


近藤が考え込む。


土方も腕を組んだ。


「……そうだな」


しばしの沈黙。


そして、近藤がふと顔を上げた。


「そうだ」


「伊東先生にお願いしましょう」



「私ですか?」


伊東甲子太郎が目を丸くした。


近藤は頷いた。


「寺のようなところで、穏やかに隊士を養生させるような仕事は、やはり教養高い御仁でないと務まらないだろう」


「なるほど……」


伊東は少し考えた。


そして、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。


「承知しました」


土方は小さく息を吐いた。


――まあ、大丈夫だろう。


篠原も、寺でゆっくり養生すれば、すぐに元気になるだろう。


半病人とはいえ、山南もいるし


屯所ではなく 光縁寺だ。


 それに、篠原付きの伊東は、まあまあ役に立つ男だ。


こうして伊東甲子太郎には、新たな役目が与えられた。




◇


もっとも。


伊東甲子太郎が、その役目をどう務めるのか。


それは、まだ誰にも分からなかった。


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