第三十二話『夏祭り』
夏祭り当日の昼過ぎ。透は自分の部屋でゲームをしていた。
すると、スマホが振動した。透が手に取って確認すると、正司からメッセージが届いていた。
「……え!?」
メッセージの内容に驚いた透は、すぐに支度をして家を飛び出した。
玄関先には正司がひとりで立っていた。
「遅いぞ」正司は腕を組んだ。
「もう来たの?まだ夏祭りの時間には早くないか?」
「全体の最終確認があるから、手伝いも含めて、運営スタッフは十三時集合って言ってただろ?お前、確認してなかったのか?」
「そう…だったっけな。はは……」
「ところで日和は?一緒に来るって言ってなかったか?」
「あいつはなんか、別の準備があるから先に行っててくれだと」
「ふーん」
ふたりが凪ノ神社に着くと、境内にはすでに運営スタッフの大半が集合していた。
『新しい御神木』の前に集められたスタッフたち。その前に立つ忠雄は、なにやら力説している。
「わしは確かに見た!見たんじゃ!」
透たちも集団に近づいて耳を傾けた。
「昨日! 新しい御神木を見に来たわしは、山の上空に鎮座する龍の姿を見たんじゃ! あれは間違いない、『ナギノカミ』じゃ!」
「見られちゃってたのか!」
透は目を丸くして言った。
「研究施設のときも丘の上のときも、大きな雲に覆われていただろう?だから、町の人のほとんどは龍の姿を見ていないそうなんだが……。よりによって、あの人に見られてしまうとはな」
そう話す正司も渋い顔をしていた。
──沙耶は研究施設の職員たちに、今回の件を口外しないよう協力を呼びかけていた。人格者とは言い難いものの、氷室は科学者として職員たちから尊敬を集めていたため、誰も彼女の要請に異を唱えなかった。
そして氷室は、事件の翌日、自ら出頭した。沙耶の話によると、氷室は自分の抱えていた業務を引き継ぎ、最後まで冷静に対応して施設を去ったという──。
「ナギノカミはこの町に舞い降りた!今こそ、信仰心を!」
スタッフの大半はあまり真剣に話を聞いていなかったが、忠雄は熱演を続けた。
すると透たちの後ろから声がした。
「お待たせー!」
透と正司は同時に振り向いた。そこには浴衣姿の日和とハコが立っていた。
「お待たせ」ハコも少し遅れて言った。
日和は自分の浴衣を見せるように、そっと袖を広げた。
「どうかな?」
「もう浴衣着てんの?早くないか?」透は不思議そうな顔をしている。
「開催まで三時間はあるぞ。それにしても日和、やっぱり時間ちょうどに来るんだな!」
正司は腕時計を確認して笑っている。
日和は目を細め、目の前のふたりを睨んだ。「あんたたち……ないわ」
透はこの光景に見覚えがあった。しかし、はっきりとは思い出せない。
日和はため息まじりに言った。
「もぉ……。盆踊りのリハーサルを浴衣でするから、そのまま着て来たの!」
ハコは少し気恥ずかしそうに言った。
「どうせなら一緒に着ようって、私も着て来ちゃった」
「なるほど!似合ってるぞ、ふたりとも!」正司は爽やかに笑った。
透も正司に続く。「うん、どっちも似合ってる!」
「……もう遅い」日和は、呆れたように言った。
夏祭りの最終確認が終わり、日和と正司のリハーサルも無事終わった。そのあとも透たちは、細かな雑務の手伝いをしていた。そして、それらから解放された頃には、すでに開催時間となっていた。
まだ夕日は落ち切っていないが、境内には続々と客が入ってくる。盆踊りは夜まで開始されない。透とハコもまだ担当の時間ではないので、四人は屋台を見て回ることにした。
屋台がずらりと立ち並ぶ通りを、透たちはゆっくりと歩く。
たこ焼きの香ばしい匂い、焼きとうもろこしの焦げた醤油の匂い。金魚すくいの桶に集まる子供たちの笑い声。
「こっちこっち!」
浴衣姿の少女が手を振ると、友人たちが屋台の間をすり抜けて走って来る。行き交う人びとがぶつかりそうになりながらも、うまくかわし、川のような流れができている。
大人も今日だけは子どもに戻ったように、無邪気に笑っていた。この場の誰しもが、純粋に今この瞬間を楽しんでいる。なんだかこの空間が好きだ、と透は思った。
たこ焼きとジュースを買った四人は、『古い御神木』のそばのベンチに腰掛けた。新しい御神木の周りは人だかりができていたので、空いているほうのベンチを選んだ。
ほどよい強さの風が、祭りの熱気で火照った透の体を冷ましてくれた。
「なーんかさ。みんな無事でよかったよね、本当に」
日和は暗くなり始めた空を見上げながら言った。
「そうだな。町の人たちがこうやって祭りを楽しんでくれているのは、見ていてうれしいな」
正司は微笑みながら言った。その後も四人は、祭りの空気を味わいながら談笑し合った。
透は屋台の通りをぼんやりと眺めた。
夕陽はいつの間にか沈み、通りの提灯には灯がともっている。
赤、橙、白──色とりどりの灯りが、まるで宇宙に浮かぶ惑星のように見えた。
「来年もみんなで来ようね、絶対」
ハコは言葉を噛みしめるように、しっかりと言った。
「うん!絶対ね!──それと……これ、洗濯しておいたから」
日和はそう言って、全員になにかを手渡した。
「あ、これ──」
透は日和から手渡されたものをじっと見つめた。
それは、ナギノセーバーの腕章だった。
「私たちの『絆の証』!!」
日和はそう言って自分の腕章を手に巻きつけ、その手を前に突き出した。
正司もハコも、そして透も腕章を手に巻き、日和の手の上に重ねた。
夕暮れが過ぎ、夜の帳が静かに町を包み込む。
境内の中央に人が輪になって集まり、そこから太鼓の音が──ドン、ドン──と響く。音の間隔が次第に狭まり、軽快なリズムに変わると、輪の中心のやぐらがざわめきとともに息づいた。
「さあ、始めるよー!」
誰かの声が響き、盆踊りがゆっくりと動き出す。先ほどまで屋台で買い物をしていた人、ベンチで食事を楽しんでいた人、人の間をすり抜け駆け回っていた子ども。たくさんの人がやぐらのほうへと集まってきた。その中には透とハコの姿もあった。
凪ノ町の盆踊りでは、始まりは、盆踊りチームが舞を披露しながらやぐらをぐるりと一周する。そして、そこからは一般客も自由に参加し、一緒に舞いながらやぐらの周りを回るのだ。
一周目の盆踊りが始まる。透とハコはスマホを手に取り、カメラを起動した。
しかし、透はすぐにスマホを下ろした。やはり、自分の目で直接見たいと思ったのだ。
透が横のハコをちらっと見ると、彼女も同じようにスマホを下ろしていた。
輪の中で舞う日和の浴衣はやぐらの提灯に照らされ、淡いオレンジ色に染まっている。
日和が前に差し出した腕は、肩から肘、手首、そして指先までが一連となり精密な動きで、静かに宙を切っている。
凛とした表情の日和が魅せる舞は、ゆっくりと優雅で、それでいて力強くしなやかだった。
日和はまるで別人のようだったが、その舞から発せられる熱量は凄まじいものだった。周りで舞うチームメンバーたちとの連携も見事で、どこを切り取っても絵になるほど、美しかった。
やぐらの上で太鼓を叩く正司からは、一振り一振りに魂を込めたような力強さを感じられ、バチを振り下ろした途端、空気を振るわせる乾いた音が周囲に響き渡った。
正司の額から流れる汗が、提灯の光を反射してきらきらと光っている。時折発せられる「はっ!」という掛け声が、覇気となって空間を浄化した。
正司は全身全霊の力を込めている。眉尻は上がり、首から筋がはっきりと浮き出ている。しかし、口角は終始上がり、澄んだ心で楽しんでいることが伝わってくる。
盆踊りが一周し終えた頃には、周囲の一般客はすっかり魅了され、拍手と歓声が湧き上がった。
「ここからは、みなさんもご一緒にどうぞ!」
また誰かの声が響いた。
周囲で見ていた人たちは少し躊躇しながらも、ひとり、またひとりと参加していく。
「私たちも行こ!」ハコは透の手を取り、輪の中へと連れて行った。
「俺、こんな難しいの踊れないって……」
透は戸惑いながら言ったが、ハコはお構いなしという様子で、見よう見まねで舞い始めた。
仕方なく、透もぎこちない動きで真似てみた。
すると、これが思っていた以上に楽しい。綺麗に舞えなくても、その輪にいるだけで楽しいのだ。
気づくと透は笑っていた。
透の顔を見てハコも笑う。
日和も正司も笑っている。
全員が『今この瞬間』に集中し、ひとつになっていた。
とても豊かで、純粋な時間が流れた。
夏祭り最後の締めは花火だ。
綻ノ山の麓と研究施設の間の位置に打ち上げ台があり、そこから花火が夜空に舞うのだ。
祭囃子が途切れ、あたりは静寂に包まれた。日和と正司が透たちに合流し、四人は近くの適当な場所に並んで腰を下ろした。
そして、その場の全員が一同に口を閉じ、それぞれの期待を胸に、夜空へと眼差しを向けた。
次の瞬間──ドンッ!──と胸の奥まで響く音が鳴る。
闇を切り裂くように、一筋の火の尾がまっすぐ天へ伸びていく。
そして、上空高く、光の花が開いた。
白と金が入り混じり、その中心に淡い青が滲んだ。
少しの間、誰もが言葉を失い、ただ光に見入っていた。
「綺麗……」
ハコは思わず声を漏らした。
透はそのハコの横顔を見た。夜空を見上げるハコの瞳は、花火の光と混じり合い、より一層美しく輝いていた。
透はしばらくの間、花火よりも、その『瞳の中の星』に心を奪われていた。
花火がすべて打ち上げられ、あたりは再び静寂に包まれた。
「いや〜、花火綺麗だったね〜」
日和は隣にいるはずのハコのほうへ顔を向ける。
しかし、そこにはハコの姿はない。透もいない。
「どうした日和?」
正司も異変に気づいて、日和に声をかけた。
「あれ?ふたりとも、どこ行ったの?」
日和はきょろきょろと見回しながら言った。




