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第二十五話『恨んでない?』

昼過ぎに理人がやって来たのは、凪ノ町の外れ、海岸線から少し離れた丘の上だった。


一本しかない細い道を歩いていると、丘の両端から町と海を見下ろすことができた。


そして、道は一軒の古い建物の前で途切れていた。建物は二階建ての白い洋館で、家の前には家庭菜園用の庭が広がっていた。この洋館は、氷室が夫婦で住んでいた家で、今は氷室ひとりで住んでいるらしい。


庭には色とりどりの花が咲き、どれも丁寧に手入れされているのがひと目でわかった。氷室がこんなに花を大事にしているとは知らなかった理人には意外な光景だった。これも『亡き奥さん』の影響なのだろうか。


庭に咲く花々を横目に玄関前にやってきた理人は、インターホンのボタンを押した。


しかし、反応がない。もう一度ボタンを押すが、やはり同じだ。


不思議に思った理人は、建物の裏手に回ってみた。すると、そこにはラベンダー畑が広がっていた。時期を過ぎたラベンダーは、そのほとんどが色褪せていた。けれど風に乗って、かすかに甘い香りがまだ残っている。畑の奥に人影が見え、理人は近づいて声をかけた。


「あのー、すみません。氷室教授はご在宅ではないのでしょうか?」


理人が声をかけたのは、麻の作業着に身を包んだ六十歳前後の男性だ。日焼けした肌に深いシワが刻まれている。彼は畑に落ちたラベンダーを拾い集めているところだった。


「あぁ。先生のお客さん?私はただの庭師なんで詳しいことはわからないけどねぇ。ここ数日家には帰っていないみたいだね」


「数日も?最後に会ったときに、なにか話していませんでしたか?」


「んー。あー、そういえば。もうじき、また東京へ戻るとか言ってたね。なんでも、いろいろと片づくからとか」


「片づく?そう言っていたんですか!?」


「ええ。珍しくうれしそうに話してたよ──」


そのとき、理人のポケットのスマホが鳴った。


「ちょっと失礼」理人は庭師の男性に断ってから、スマホの画面を確認した。


知らない番号からの着信だったが、理人は応答した。


「はい」


「もしもし、白凪さん?私です、真壁です!」


電話の声の主は、研究施設で透たちを案内した沙耶だった。


「ま、真壁さん……?」予想外の人物からの電話に理人は驚いた。


「僕に電話しちゃまずいんじゃないですか?」


「それどころではないんです!先生が──」沙耶はそこで口をつぐんだ。


氷室の秘書的存在の沙耶が、施設を追い出された理人に電話をかけてくる。その異常さに、緊急事態だと理人はすぐに察した。


「教授がどうかしたんですか?」


「……施設にずっと顔を出していなくて。で、電話も出ないし。それで、私気になって、所長室に入ってみたんですが……と、とにかくこっちに来てもらえませんか?」


普段はしっかりとした口調の沙耶だが、電話の声はかなりたどたどしい。よほど焦っているのが伝わってきた。


「わかりました。すぐに向かいます!」


電話を切った理人は、不思議そうな視線を向けている庭師の男性に、「お手数おかけしました。失礼します」と短く伝え、踵を返した。


綻ノ山の北の麓には、山から流れ出た清流が町へと続く河原がある。水深は浅く、平たい石がいくつも並んでおり、夏の間は子どもたちの笑い声が響く。


理人が氷室宅へ向かったその日、透たち四人は電車に乗って、その河原に遊びに来ていた。


迷い人の再発により、『夏休みの思い出づくり』は何度も見送られてしまっていた。そのため、ドライバーの理人が不在の今日だけは、ナギノセーバーの活動をお休みし、夏休み最後の四人だけの思い出づくりをしようとなったのだ。


正司は率先してテントを張っている。


「テント張りは意外と体力がいるからな!ハコ!次のペグを!」


「あ、はい!」


正司の後ろをついて回っているハコは、手に持っている麻袋からペグを一本差し出す。


カンカンカンッ!正司は軽快なハンマー捌きで、素早くペグを打つ。


「よしっ!ハコ、次のペグを!」


「はい!」ハコが新しいペグを渡す。


ふたりはまるで、師匠と弟子のようだ。なんだかんだで、いいコンビなのだ。


『師弟コンビ』とテントを挟み、反対側のペグを打つ透。その肩を日和が、ぽんと叩いた。


「透、ちょっといい?」


透は頷き、「正司、ハコ。あと、頼んだ」とコンビに伝えた。


そして、日和と一緒に持ち場を離れた。


テントから少し離れた木陰に透と日和は入った。そして横並びで地面に座り、川を見ながら話した。


「あのさ……前に言った、『東京に行く話』って覚えてる?」


「…うん。覚えてる……」


透は日和がこの話をすると、想像していた。あのときの自分の軽率な発言は、きっと日和を傷つけた。


そのため、タイミングを見て、ちゃんと謝ったほうがいいと考えていた。


「俺さ、あのとき──」


「私、やっぱ絵、続けようかなって思う」


日和の言葉が、透の言葉に被さった。


「続けるのか?」透は日和の横顔を見た。


「うん」


日和の横顔は多少の不安を見せたが、穏やかだった。


川の表面に反射した光が、不規則に揺れている。透はその光を眺めながら、日和にかける言葉を慎重に選んだ。しかし、彼女に励ましの言葉はもう必要ないようだ。日和は勢いよく立ち上がると、


「話したかったのはそんだけ!ありがとね!いろいろ相談乗ってもらって。じゃあ、テント戻ろっ!」


と言って、透に笑顔を向けた。


「──よーし、完成だな!テントついでに、タープまで設置できたぞ!」


正司がハンマーを持った手で額の汗を拭った。


「わーい!ふたりともありがと!じゃ、川行こー!」


日和はそう言い終わる前に、ひとり先に川へ駆け出していた。


「おい河原で走ると転ぶぞ!」正司も日和に続いて川へ向かった。


「ハコは?行かないの?」


透はテント前に設置された、タープの日陰にいるハコに確認した。


「うん。私はちょっと日陰で涼んでる」


「じゃあ、俺もちょっと休んでからにしよう」


川の水をかけ合って遊ぶ日和と正司を横目に、透とハコはタープ内の折りたたみ椅子に横並びで座り、のんびりと過ごしていた。


「疲れてる?もしかして、磁場の影響?」


透は思い切ってハコに聞いてみた。先ほどから、ハコが少し無理をして元気に振舞っているように感じていたからだ。


「疲れてるわけじゃないんだけど……自分でもよくわからない。脳波も定期的に測ってもらってるけど、特に問題ないみたいだし。そういえば、透もうちで測ってるんだよね?どう?」


「俺も特に問題なし。むしろ元気すぎて気味悪いくらいだな」


透がははっと笑うと、ふふっとハコも笑った。


ハコの表情に柔らかさが戻ったことを透は安心した。


しかし、笑顔を見せたそばから、ハコは視線を足元に落とした。透も釣られるように足元を見た。


そして、ハコはささやくように言った。


「……透、ひとつ聞いてもいい?」


「いいけど……なに?」


「私がこの町に来たこと……恨んでない?」


透は驚いてハコへ顔を向けた。


「恨むって……なんで俺が恨むんだよ?」


「だって……私がこの町に来なければ、透が記憶を受信することも、日和や正司に影響することもなかった……迷い人だって……」


「ハコ……」


「こうしてみんなと一緒に遊ぶ資格、私にあるのかなって……」


透はそのハコの問いにすぐには答えず、川のほうを見た。日和と正司の川遊びは、いつの間にか釣りに転じていた。


透は川へ顔を向けたまま、静かに語り始めた。


「──俺さ、高一の途中からクラスで浮いてて。正直、誰とも関わらなくなってた。それは、ハコを思い出してモヤモヤしたってのもある」


「やっぱり……」


「でもさ。今だからわかるけど、どのみち俺はひとりになってたんだと思う。中学あたりから、周りとの『ズレ』を感じてたんだ」


「ズレ?」


「そう。自分だけが周りと違うところにいるような感覚。だから中学に入ってからは、周りに合わせようと必死だった」


ハコはまばたきも忘れ、透の横顔を見つめている。


「作り笑顔で誤魔化してきたけど、無理だった。流行りのモノで盛り上がる輪の中にいても、面白いって感じない。俺だけバグってんのかって思った。もういっそのこと、誰もいない惑星にでも飛んでいけたらって……そう思ってた」


「だからさ、ハコのことを思い出したときはうれしかった!俺にも仲間がいたって!──たとえそれが別の世界の話でも──。御神木のそばで実際にハコの顔を見たとき、なんかこう……胸の奥がムズムズしてきて、楽しいって思えた!そしたら、正司や日和にもまた会いたいって思えるようになったんだ!」


「恨むどころか、こうしてみんなと一緒の時間を過ごせていることを感謝してる」


透はハコへ顔を向けた。すると、ハコと目が合い、お互い恥ずかしくなって目を逸らした。


「──ありがとう。そう言ってもらえて…うれしい」


ハコの瞳にじんわりと涙が溜まり、涙に反射した光がきらきらと揺れていた。


透とハコはしばらくの間、自然の音に耳を傾けていた。


「おーい!食料が調達できたぞ!」


正司がうれしそうにバケツを抱えてテントに戻ってきた。


「すごいな!釣れたのか!」透は立ち上がった。


すると正司の背中越しに、日和がひょこっと顔を出した。


「私のほうが多く釣ったんだから、私に感謝してー」


「たった一匹差だろうが」正司は呆れ気味に言った。


「それでも私の勝ちだもん!」


「魚食えるぞ、ハコ」透はハコへ顔を向けた。


しかし、ハコは眉をひそめ、こめかみのあたりを抑えていた。


「だ、大丈夫か!?」


透はすぐに身を乗り出した。


「……大丈夫。軽い頭痛がしただけ」


──そのときだった。透の頭に、また『あの声』が響いた。


《迎えにきて──》


透はハコの顔を見る。すると、顔を上げたハコとちょうど目が合った。


「もしかして、透も『声』を感じてる?」


「え……ってことはハコも?」


「ふたりとも、どうしたんだ!?」


透とハコの様子に異変を感じた正司はバケツを持ったまま、一気に駆け寄って来た。日和もあとから駆けてくる。


(正司と日和は『声』を感じない…のか?)


ふたりの様子から透はそう察した。


すると突然、ハコが立ち上がった。


「感じる……こっち!」


ハコはタープから飛び出し、山道のほうへと駆け出した。


透には声はもう届いていない。これはハコにしかわからない感覚なのだろう。透も急いでハコのあとを追う。


「ハコっ!透っ!」


正司はふたりを大声で呼び止めようとしたが、そのまま走り去って行く。


「なになに?なんなの!?」日和はその場で、あたふたしていた。


山道に出たハコは、すぐに道から外れ、草木をかき分けて進んでいく。華奢な体からは想像できないほど、野生的な動きだった。


(感覚だけを頼りに進んでるんだ……)


後ろからハコの様子を見た透はそう感じた。


透もハコのあとに続いた。しばらく草むらを進むと、突然、少し開けた道に出た。


「あれ…?ここって……」透はこの道を知っている。


そこは、並行世界で透がハコに教えた『お気に入りの場所』へと続く登山道だった。


「まさかこの道に出るとは……」


透は足を止め、周りを見回した。どこか懐かしい感覚がしていた。


「あ……ハコ!」


透が足を止めた一瞬の間にも、ハコはなにかに突き動かされるように、登山道を駆け上がっている。透も慌ててあとを追う。彼女の小さな体のどこにこれだけのパワーがあるのだろう?透はそう感じずにはいられなかった。


登山道を突き進むふたりは、ついにはお気に入りの場所の前までやって来た。しかし、ハコはそのまま通り過ぎてしまう。それを見た透は、ほんの少しだけ胸がきゅっとした。


一体、どのくらい進んだのだろう?透は肩で息をしていた。ハコのほうからも、ぜーぜーと激しい呼吸音が聞こえる。


「さすがに一旦休憩しないか?」と透がハコに声をかけようとしたとき、ハコの足がぴたりと止まった。


ハコに追いついた透は横に並んだ。目の前は開けていて、少し奥に白い真新しい建物が見えた。建物の壁には排気口や、よくわからない操作盤のようなものが付いている。


「あ…れ?あの建物って……研究施設!?」荒い息を抑えながら、透はハコに言った。


「そ…そう……みたい」ハコの息は透よりもさらに荒い。


ふたりは、研究施設のある山の中腹まで辿り着いていた。ただし登山道が導いたのは、施設の正面ではなく裏側だった。


ふたりは施設をぐるりと回り、正面入口に来た。すると、後ろから声がした。


「葉子!透くん!」


ふたりが振り返ると、理人が目を丸くして立っていた──。

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