第二十四話『ラベンダーの栞』
その日の夜、理人はハコの部屋の扉をノックした。
「葉子、ちょっといいかい?念のため、もう一度脳波だけ測って──」
理人が扉を開けると、ハコはベッドの上で、すーっと静かに寝息を立てていた。穏やかな娘の寝顔を見ていると、理人は心が安らいだ。
よく見ると、ハコは胸に本を抱えたまま眠っている。理人はそっと本を腕から抜き取り、机の上に置いた。
「この本、どこかで見た気が……」本の表紙を見た理人はつぶやいた。
理人が自分の寝室に入ると、窓の白いカーテンがふわっと揺れた。窓を閉めた理人の目に、月明かりに照らされたテーブルの写真立てが入った。
理人はおもむろにそれを手に取り、中の写真を見つめた。
写真にはひとりの白衣姿の若い女性。研究室で撮られたもののようだ。長い銀髪に、深い濃紺の瞳。それはまるで、ハコがそのまま大人になった姿のようだった。
理人は写真の女性に静かに語りかけた。
「あの子もだいぶ大きくなったよ。友達もできて楽しくやっている──」
「今やこの町の人たちを救うヒーローさ。気づかないうちにどんどん成長しているよ。一緒に暮らしていながら、娘の成長にすぐに気づけないなんてね……」
写真の女性は静かに聞いている。
「──あのときだって、僕は自分の研究が面白くて仕方なかった。幼い葉子がどんどん追い込まれていることに気づきもしなかった。だから──あの子はあっちの世界に行ってしまった。僕のせいだよ」
「認めるよ。君の言った通り僕は筋金入りの科学オタクさ。科学ならどんなことだってできる可能性を秘めている。──でもね」
「『あの子を守りたい』という純粋な気持ちは、そんな科学の力をも超える。ようやくそれに気づいたんだ。だって僕があの教授に楯突いたんだぜ?君が『氷の氷室』なんて言っていた、あの氷室教授に」
理人はふふっと笑った。
「親の子を想う気持ちは──科学をも凌駕する。計測不能だけど、確かなことだよ」
理人の言葉を受け止めるように、写真の女性は優しい微笑みを向けていた。
「あれ?これって……」
理人は写真に写っている、デスクの上の本に注目した。先ほどハコが抱えていた本と同じものだ。
「ああ。そうだ。この本、確か──」
理人は写真立てを戻し、ベッドの下からダンボール箱を引きずり出した。ガムテープを剥がし、ごそごそと中を漁る。
「あった!」
理人の手には、写真のものと同じ本がつかまれていた。おもむろにページをぱらぱらとめくると、一枚の栞がはらりと床に落ちた。ラベンダーの押し花が紫色の紙の枠に入れられ、その上から丁寧にラミネートされている。理人はその栞に見覚えがあった。
「なんでこれがここに?」
凪ノ浜海水浴場での騒ぎの翌日。
透たち四人はいつものバーガー店にいた。正司と日和のふたりの会話に、透とハコは耳を傾けていた。
「昨日の私たち、かなりよかったんじゃない?」
日和は山盛りのポテトを次々と口に放り込んでいる。昨日の頑張りのご褒美にと、普段の倍の量のポテトを注文したのだ。
「ああ、素晴らしい連携プレーだった!俺たちは向かうところ敵なしだな!はっはっは!」
正司は腕を組んで声高らかに笑った。
「そう言ってすぐ調子乗るんだから」
そこまで言って、ポテトを口へ運ぶ日和の手が一瞬止まった。
「でも、あの氷室とかいう人がヒーロー扱いされてんのはちょっとモヤモヤするけど……」
──御神木復活プロジェクトは成功した。
ここ数日で『次なる御神木』は驚異的なスピードで成長し、日に日に立派な姿を見せている。じきに大木になることは疑いようもなかった。これにより、氷室は地域再生に大きく貢献した『天才科学者』として、テレビやネットニュースで連日取り上げられ、伝承を守る町の老人たちからは、町を救った『英雄』として崇められるようになっていた──。
正司は目を閉じ、わずかに眉をひそめた。
「御神木が復活するのはいいことだがな。理人さんの予想通り、迷い人は一気に増えているわけだしな」
この話題について話したかったのか、日和は前のめりになった。
「でも、そのことってあんまニュースになってないよね?桂木さんもあの日から、ずっと浮かれててさ。この町で本当はなにが起こってるのかなんて、みんな気にしてないのかな?」
「今はお祝いムードなんだろう。夏休みに入ってから、迷い人の件で町はごたごた続きだったしな」
「うーん……そんなもんかなぁ」
「なんにせよ、あとは俺たちがどんどん迷い人を救っていけばいいだけだ!はっはっは!」
ここで、ずっと話を聞いていた透は正司に確認した。
「ところで、本当にいいのか?正司。あれだけレッドにこだわってたお前が、グリーンと変わって欲しいって……」
正司は少し言葉を選んでから、こう言った。
「ああ!俺はみんなを引っ張るレッドより、『みんなをサポートするグリーンのほうが向いている』と気づいたんだ!それに、レッドはやはり透が適任だ!」
「そうか。わかった。正司がいいならそれでいい」
透は穏やかな声で言った。正司は自分の中でなにかをつかんだのだろう。そう感じたからだ。
今度は正司がハコと日和に確認した。
「改めて、ふたりはどうだ?それで問題ないか?」
「うん。レッドでもグリーンでも、どっちも正司だよ」
ハコが正司の目を見て言った。
「そうか!確かにそうだな!ははっ!」正司はうれしそうに笑った。
そして、にやにやしながら日和は言った。
「まぁ、私は最初からわかってたけどねー」
「……」
四人でしばらく談笑をしていると、突然ハコが顔を曇らせたことに、透は気づいた。
「どうした?ハコ」
「……なんか、嫌な予感がする」
「え、なに?嫌な予感って……」日和は指でつまんでいたポテトを、とりあえず皿に戻した。
すると、正司が勢いよく立ち上がった。
「まさか……ついに迷い人の存在を感じ取れるようになったのか!?」
「んーん。そうじゃなくて……もっと別のなにかが……」
そのとき、声がした。「やっぱり、ここだったか」
現れたのは理人だった。プロジェクトの実験のあった日と同じリュックを背負っている。
「お父さん、どうしたの?」
もはや、この店で誰かが突然現れることは恒例なので、ハコは別段、驚かなくなっていた。
「ちょっと君たちに見てほしいものがあって……あ、いつもので」
理人は水を運んできた店員に注文をした。どうやら彼も店の常連になったようだ。
「プロジェクトの実験があったあの日以降も、僕は個人で町の磁場を観測していたんだ。すると、研究施設周辺の磁場の動きに気になるところがあってね。ここなんだが……」
理人はリュックからノートパソコンを取り出し、画面に映し出されたグラフの一部を指さした。
「いや、私たちじゃわかんないですって」日和は呆れ気味に言った。
「あぁ。すまない。ここに波形の動きがあるだろう?これは他の動き──今の町の磁場反応とは別ものだ」
透は顔を画面に近づけた。「確かに。違いますね」
「この波形を示した時間は深夜二時。だが、この時間は職員は誰もいないはずなんだ。これがあの日以降、毎日起きている。きっかり同じ時間に」
「……誰かが施設を稼働させている?」透は目だけを理人へ向けている。
「そう考えるのが自然だろう。そして、もうひとつあるんだが……ところで、君たちニュースは見るかい?」
「普段はあんま見ないけど、どうせあの人のことでしょ?この町のヒーローになっちゃってる『あの人』」
日和はそう言うと、『いーっ』と歯を見せて顔をしかめた。
「そう。今や教授はこの町の英雄だ。しかし当の本人は、あの日以降、公に顔を出していないんだ。取材も代理人が受けている」
「まぁ、あの無愛想顔でメディアに出るというのも考えものだが。やはり、ヒーローには人びとを安心させるための『笑顔』が必要だからな!」
正司はそう言って、にかっと笑った顔を全員に見せたが、その顔については誰も触れなかった。
透はもう一度、理人へ顔を向けた。「理人さん、もしかして……」
理人はテーブルに肘をつき、顔の前で手を組んだ。
「そう。『教授が別の研究をしている』可能性がある。公にはできない秘密の研究を」
透はハコの顔を見る。その視線に気づいたハコは、不安そうな目で返した。
「探る必要がありそうですね。なにが行われているかを」
透がそう提案すると、理人は姿勢を正した。そして、大きく息を吐いてから言った。
「いや。もう、こそこそ探る真似はやめよう。正々堂々、本人に聞きに行く」
「え……でも、相手がそれを許さないんじゃ──」
透が言い終わる前に、正司が大きな声を出した。
「なるほど!そういうことか!用意周到な相手だからこそ、その『虚をつく』ということですね!」
「いいから、あんたは座りなさい」
日和は先ほどから立ったままで話をしている正司に、呆れ気味に言い放った。
理人は正司が素直に座ったのを確認したあと、一度咳払いをして、話を続けた。
「まぁ、それもあるが。それよりも、腹を割って話をしようと思うんだ。科学者としてではなく、対等なひとりの大人として、ね」
理人の目には力が宿っていた。
「それに、もう本人に直接アポは取ってある」
「よくOKしてくれましたね」と透は言った。
「これのおかげだよ」
理人はリュックから一冊の本を取り出して、テーブルに置いた。
──『センス・オブ・ワンダー』
「あ、その本」表紙を見たハコがすぐに反応した。
「葉子が読んでいたのとは別のものだよ。僕の部屋にあった…というより紛れ込んでいた。そしてこれは教授の本だ」
理人は本を開いてラベンダーの栞を取り出した。
「この栞は教授の奥さんの手作りでね。大学院時代に教授がいつも持ち歩いていたものだ」
透たちの視線は栞へと集まった。理人は話を続ける。
「あるとき、学生のひとりが栞について教授に質問してね。すると、花好きの奥さんが特に好きだったラベンダーの花を押し花にして、自分のために作ってくれたものだと教えてくれたんだ。普段の教授とのギャップが印象的だったから、栞を見つけたときにすぐ思い出してね。きっと大事なものだろうから、この栞の入った本を返すと電話で伝えたら、快く会うことを承諾してくれたよ」
そして、理人はハコの顔を見た。
「教授が教えてくれたよ。この本はね、お母さんが学生の頃、間違って持ち帰ったものなんだ。お母さん、結構ズボラなとこあっただろう?教授も返ってくることを諦めていたそうなんだが。もしかしたら、お母さんが僕たちにチャンスをくれたのかもしれない」
「お母さんが……」
ハコはそうつぶやいたあと、勢いよく立ち上がった。
「私も一緒に行く!」
「みんなで行こう」ハコに続いて透が言った。
しかし、理人は落ち着いて透たちに伝えた。
「いや。僕だけで行くよ。ふたりで話さなくちゃいけない。そんな気がするんだ。──それに、君たちからたくさん勇気をもらったからね。もう大丈夫、ちゃんと教授と向き合って話せるよ」
理人と目が合ったハコは、黙って頷いた。
透は立ち上がり、ポケットから取り出したものを理人に手渡した。
「じゃあ、せめて、これを持って行ってください」
理人は受け取ったものを広げる。「これは──」
それは、『NS』のロゴが入った『青色』の腕章だった。
「急いで作ったんで、それだけですが。理人さんのおかげで俺たち、町の人たちを救えてます。だから、ぜひナギノセーバーに入ってください」
「い、いいのかい?こんなおじさんが……」
正司は、また立ち上がった。
「もちろんです!ずっとブルーが不在だったのは気がかりだったんです!理人さんならありがたい!」
今度は日和も立ち上がった。
「私たちだけじゃ、磁場のこととかわかんないしね。理人さん、適任テキニン!」
「お父さん、よろしくね!」
ハコは両手を胸の前に出して握りしめ、『ガッツポーズ』をした。
「みんな、ありがとう!よろしく頼むよ!」
腕章を握る理人の手に、ぐっと力が入った。




