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第二十一話『声』

八月も中旬に入り、夏祭りまであと二週間となった。毎年この時期になると、商店街を中心に、町のいたるところに夏祭りの告知ポスターが貼られ、徐々に祭りの空気が高まり始める。しかし、今年は町の人びとの関心を集めるものが、他にあとふたつある。


ひとつは、夏休みに入ってから急増した『迷い人』である。前例のない事態に、町全体が混乱に包まれた。しかし、ナギノセーバーの活躍もあり、多数の被害が未然に防がれた。さらにナギノセーバー活動休止後は、町の警察と自治体が連携をとり、迷い人の保護にあたっていた。保護された者たちは現在、自治体が設置した臨時保護センターへ収容されている。それらの活動が実を結び、被害はかなりの減少傾向にあった。町は平穏を取り戻しつつあったのだ。


そしてもうひとつ、人びとの関心を集めていたのが、『御神木復活プロジェクト』である。氷室名誉教授の率いる研究チームが、避雷塔から集めた『雷エネルギー』を活用し、短期間で若木を大木へと成長させるという前代未聞のプロジェクトに、近隣県からも報道陣が駆けつけた。全国ニュースまでにはならないものの、なにもない田舎町がこれだけ注目を集めることは珍しい。


研究チームは雷エネルギーを最大限に有効活用するための装置を整え、地層磁場の計測や地層に眠る鉱石の調査まで、抜かりなく行った。──そして準備は整った。あとは落雷を待つだけだった。


氷室は所長室のデスクでひとり、考えごとをしていた。


もう少しだ……。もう少しですべてが完成する。


氷室は御神木復活の成功を確信していた。その根拠が彼にはあった。長年の実験データに、『昨年の落雷で得られたデータ』というピースがピッタリとはまり、これまでの研究の『答え』がすでに出ていた。


しかし、それは氷室しか知らない。理人が見たデータは表面的なものだけで、本当に大事なことは誰にも知られないように隠していた。


氷室にとって、御神木復活は答えを確認するためのただの通過点。──本当の狙いは、その先にあった。


氷室はパソコンの電源を入れ、今後のスケジュールを確認した。予報を見る限り、今週末が実験の狙い目だ。当日の実行マニュアルも完璧。


すべては計画通りに進んでいる。……にもかかわらず、この焦燥感はなんだ?障害となりうるものは徹底的に排除せねば……。


氷室はそれらを改めてリスト化するため、パソコンのキーボードを叩いた。


ハコは深い眠りについていた。


夜空のような暗闇の中に、たくさんの光が浮かぶ。


近くには手のひらサイズの光の玉、遠くには無数の小さな点がきらめいていた。


まるで宇宙だ。近くの玉は惑星のようで、遠くの点は星のよう。ハコは今、この宇宙をふわふわと浮遊している。


他には誰もいない。音も聞こえない。静寂と闇の中を、淡い光の玉たちが仄かに照らしているだけ。


それでも、ハコは寂しいとは思わなかった。むしろ──懐かしい──。そう感じていた。ここは小学生の頃によく来た空間だった。


そう。ここは並行世界への入り口だ。光の玉に触れると、その世界を『観に行く』ことができる。おもちゃの箱から好きなものを選ぶように、直感的に選べば、玉のほうから静かに寄ってくる。赤い玉、青い玉、黄色に緑にピンク──。どれも見覚えのある世界。


けれど、今はどの玉も寄ってこない。不思議と、どの世界も観たいという気にならなかった。


ハコの『意識の体』は、ただ宇宙に浮かんでいるだけだった。


《迎えにきて──》


どこからか声がした。


(……誰?)


《迎えにきて──》


声は同じことを繰り返した。


耳で聞こえているのではない。頭の奥に、直接響いている。ハコはそう気づいた。


《迎えにきて──》


こんなことは初めてだった。


ハコは水の中を泳ぐように空間をかき、声のするほうへ進んだ。『声のほう』というのも、『進む』というのも、正確ではない。この並行世界の入り口では、前後も上下も曖昧だ。どこから始まり、どこで終わるのかもわからない。おそらく、ここは『無限の空間』なのだ。


それでもハコは必死に空間をかいた。水中と違い、手にはなんの抵抗もない。そもそも、意識だけのこの体に『手』なんてあるのだろうか。自分が手だと思っているなにかを、ただ動かしているだけ。


すると、光の玉たちが少しずつハコから離れ、その奥から、ひとつのオレンジ色の玉が静かに近づいてきた。


(あぁ。あなただったのね)


ハコは玉に声をかけた。その玉のことはよく知っていた。ハコはオレンジの玉に触れようと、そっと手を伸ばす。それに呼応するように、玉はいっそう光を増し、ハコはその光に包まれた──。


そこで目が覚めた。結局、オレンジの並行世界を観に行くことはできなかった。


なんで突然、並行世界の入り口に行ったのだろう?行きたいと願っていないのに……。もしかして、『あの声』に呼ばれたから?知っている声にも聞こえたけど、ぼんやりとしていて、誰の声かはわからなかった。


ハコは一階のリビングに降りた。理人はすでに外出しているようだ。


ふと窓の外を見ると、昨晩からの雨がまだ降り続いていた。雨粒を受け、庭の木の葉がリズムを刻むように小刻みに揺れていた。


自分の部屋から持ってきたスマホを開く。すると、透からメッセージが届いていた。


『御神木復活プロジェクト、いよいよ明後日だな。実験の様子を凪ノ神社で見学できるらしいから、当日みんなで見学に行かないか?正司と日和も行くってさ』


『もちろん行く!』とその場で返信した。すると、すぐに透から親指を立てた『グッド!』のスタンプが返ってきた。


この日の午後、透とハコは日向野町の総合運動公園内の体育館に来ていた。盆踊りチームと太鼓チームの練習風景を見るためだ。


ジャージ姿で華麗に舞う日和たち盆踊りチーム。その奥では、タオルを巻いた正司たち太鼓チームが重低音を響かせていた。どちらのチームも連携の取れた美しい動作で、体育館隅に座って見学していた透とハコは、感嘆の声をあげた。


「ふたりともすごい!感動しちゃった!」


練習終了後に日和と正司に駆け寄ったハコは、興奮気味にふたりに感想を伝えた。


「あぁ。すごかった!」


透も思わず声に力が入った。いつも一緒にいるふたりが、こんなに一生懸命に打ち込む姿を見るのは初めてで、素直に感動した。


「私は毎回、練習参加してたからねー。ブランクを感じさせない正司のほうがすごいよ」


日和は照れながら言った。


「ははっ!なんせ、俺は筋がいいと言われていたからな!」


正司は謙遜せず、胸を張っている。


「でも、あの練習に毎回参加してる日和も、かなりのものだ。本当によくやってるよ」


正司は日和の顔を見ていった。


「ま〜ね〜」日和は頬をかきながら笑った。


「みんなー!」


ナツメが透たちの元へと駆け寄った。


「日和も正司もホントにお疲れー!全体練習は今日が最後になっちゃうけど、どっちのチームも心配なさそうで、よかった!」


「ナツメもずっとみんなを引っ張ってくれてありがとう!本番までは個人練習に励むね!」


日和はナツメにガッツポーズをした。正司もその後ろでポーズを決めた。


ナツメを含む五人は体育館を出て、一緒に駅前まで歩いた。


「あ!」ハコは突然、なにかを思い出した。


「ごめん。私、図書館に本を返しに行かないといけないんだった!みんな先に帰っててー」


ハコはそう言って、ひとり図書館の方向へと走り去っていった。


図書館に来たハコは、受付カウンターで『小さな星』を返却した。ハコが何度もこの本を借りていることを、履歴で確認したカウンターの人が聞いてきた。「また引き続き、お借りになりますか?」


ハコは少し考えたあと、「いえ、もう大丈夫です。長い期間ありがとうございました」と言って、カウンターをあとにした。


図書館を出ようとしたところで、テーブルで本を読むスーツ姿の老人男性が、ハコの目に留まった。


(え……あの人って)


それは朝のニュースで見た、あの氷室だった。


ハコに緊張が走った。研究施設で理人のカードを取り返したことが、もし知られていたら……そのうえで、もし見つかったりしたら……。


しかし、氷室は本に集中しているため、気づかれる心配はなさそうだった。


(プロジェクト前々日に、図書館で本なんか読んでていいの?)


無性に氷室が読んでいる本が気になってしまったハコは、そっと忍び足で氷室の後ろの本棚に回り込み、本と本の隙間から氷室を観察した。


結局ハコは、氷室が本を棚に戻し、図書館を出るところまで見届けた。その後、氷室が読んでいた本をそっと手に取る。それは翻訳された少し古い海外の本で、表紙にはこう記されていた。


『センス・オブ・ワンダー』(レイチェル・カーソン著)


その表紙をしばらく見つめたあと、ハコは本をカウンターへ持って行った。


「すみません、これ借ります」

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