第十五話『父と娘』
夜が深まり、静寂に包まれる時間。ハコはこの時間が一日の中で最も好きだった。この時間は決まって、自分の部屋で本を読むことにしていた。今読んでいるのは、図書館で借りたあの児童小説だ。借りてきた日から毎日読み続けている。貸出期限が近づくと、一度返却してすぐにまた借り直した。ページ数もそこまで多くない児童小説なので、すでに何周もしていた。それでも飽きたりはしなかった。
この本を読んでいると、自分が本の世界に入り込み、主人公の男の子と入れ替わったような感覚になった。何度読んでも、この物語が空想のものとは、ハコにはどうしても思えなかった。
本の内容はざっくりとこうだ──。
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あるところにとっても小さな星がありました。その星は小さいながらも、たくさんの自然と生き物がうまく共存している豊かな星でした。
この星で暮らす人びとは質素で穏やかな暮らしをしていました。人びとはこの星を愛していました。そして星自身も、自分の星で暮らす人びとを愛していました。
ある日、別の星からぴかぴかの小型宇宙船に乗って、旅行客がひとりやってきました。客が来るなんてことはこの数百年なかったことなので、小さな星の人びとはその旅行客をもてなそうと、着陸した宇宙船の周りに集まりました。しかし、その旅行客の男は宇宙船から降りてくるなり、ぐるーっと星を見渡して、集まった人びとにこう言いました。
「この星は実につまらん」
すると、集まった人びとのうちのひとりが男に聞きました。
「どこがつまらないんでしょうか?」
「この星にはなんにもないではないか。私の星には夜でもきらきらと光を放つビルや、離れた場所でもひとっ飛びできる空飛ぶ車があちこちにあるぞ。ぴかぴか光るテレビや、夜でも遊べる場所だってある。私の星はエンターテイメントにあふれかえっておるのだ!それに比べ、この星は実につまらん」
ビルも車も、テレビもエンターテイメントも初めて聞いた言葉ばかりで、小さな星の人びとは戸惑いました。しかし、男の話に人びとは興味が湧いてきました。そして、別のひとりがこう聞きました。
「この星はどうやったら、つまらなくない星になりますか?」
「ふん!そんなの決まっておる!私の星のようにどんどんビルを建て、車を走らせ、テレビを組み立て、夜でも遊べる場所を作ればよいのだ!」
そう言って、男は自分の宇宙船に戻り、さっさと小さな星を出て行きました。
あとに残された小さな星の人びとは、大慌てで作業に取り掛かりました。木を切り倒し、海を埋め立て、ビルに車やテレビ、夜でも遊べる場所を次々と作っていったのです。
あっという間に、小さな星はいろんな光と音が飛び交うエンターテイメントの星になりました。人びとはエンターテイメントを思う存分味わい、派手な生活に酔いしれました。
しかし、小さな星はとっても寂しい気持ちがしていました。今や、人びとは星のことなんて愛してはいません。彼らが愛しているのは、ぴかぴかの激しい光と、がしゃがしゃとした音を放つモノであって、星のことなんかすっかり忘れていました。
そうして、ついに小さな星は心を閉ざしてしまったのです。星が心を閉ざしたことで、残された木々は枯れ果て、海も一気に干からびてしまいました。しかし、それでも人びとは星のことなど気にも留めません。星の資源が少なくなったことで派手な生活ができなくなると考えた人びとは、作った宇宙船で次々と別の星へと移ってしまったのです。
──星が枯れ果てて百年がたちました。この小さな星で暮らしている人はほんのひと握りです。
そんなあるとき、この星で生まれた男の子は、この星が心を閉ざしている原因を誰も知らないことを疑問に思いました。そして小さな星自身に聞いてみました。
「君はどうしたら僕たちに心を開いてくれるの?」
すると小さな星はこう答えます。
「君たちが忘れている大事なものを取り戻したら、私はまた心を開いて、元気になれると思う」
「僕たちが忘れている大事なものってなに?」と男の子が聞きます。
小さな星は「それは、君が他の星を巡って自分で探すんだ」とだけ言いました。
こうして、男の子は小さな宇宙船に乗り込み、いろんな星を旅して『忘れている大事なものを取り戻す旅』に出るのでした。
男の子はいろんな星に行きました。お金持ちだらけの星、たくさんの知識をもつ星、おしゃれなモノがたくさんある星、そしてエンターテイメントであふれた星にも。男の子はそれぞれの星で質問します。「この星で一番大事なものってなに?僕の星に持ち帰りたいのだけど」
すると、それぞれが違う主張をします。最初の星では「お金が一番だ!」と言って札束を、二番目の星では「知識こそ全て!」といって分厚い本を、三番目の星では「おしゃれに見せることがなにより大事!」と言って派手な色の服を、最後の星では「エンターテイメントにあふれていることこそ本当の幸福だ!」と言ってぴかぴか光るテレビを男の子に見せつけてきました。
しかし、男の子にはどの星の主張も本当に大事なものだとは思えませんでした。どのモノも欲しいとはこれっぽっちも思いません。あまりにちっぽけだと感じたのです。
結局、男の子はなにも持ち帰ることができずに、小さな星へ戻ってきました。
男の子は小さな星にこう言いました。
「ごめんよ。いろんな星を巡ってみたけど、どの星の主張するモノも、僕には本当に大事だと思えるものはなかったよ」
すると、小さな星は答えました。
「君は大事なものを取り戻したよ。それは、『モノに縛られない心』さ。目に見えるモノに人びとの心が縛られてしまったことを私は憂いて、心を閉ざしていたんだ。モノに心を縛られると大切なことが見えなくなるからね。──でも『モノに縛られない心』を持った人が、私の星にもまだいたのだとわかったよ。ありがとう」
そして、小さな星は大きく深呼吸をしました。すると、たちまち枯れた木々が緑に色づいて枝を大きく伸ばし、干からびた海底から海水が湧き出て、青々とした海原が広がりました。
こうして、枯れ果てた小さな星はまた以前のように自然豊かな星に戻りました。そこで暮らす人びとは男の子の教えで、モノに縛られていたことに気づき、また自然と共に幸せに穏やかに暮らすことができるようになりました。
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最後まで読み終えたハコは、本をぱたっと閉じた。そして、ベッドの上に寝そべって天井をぼーっと眺め、本の中の男の子について考えた。いろんな星の主張を聞いている間、男の子の目にはどんな光景が映っていたのか、なぜどの星の主張するモノも欲しいと思わなかったのか。ハコにはなんとなく男の子の気持ちがわかる気がしていた。
そして、並行世界に旅立っていた頃を思い返した。並行世界へは意識しか行けない。なににも触れないし、もちろんなにも持ち帰れない。しかし、ハコは一度だってそのことを気にしたことはなかった。目に見えるモノには、まったくと言っていいくらい興味がなかったのだ。それよりも、楽しく暮らすもうひとりの自分を見ていると、自分もその場に一体化したような感覚がして心が温まった。その感覚がなによりの財産になっていたのだ。
そしてそのうち、この感覚を共有できる相手が欲しいと願うようになった。モノではなく、心で誰かと共感したいと。
しかし、そう願えば願うほど、並行世界の話をすればするほど、周囲はハコから離れていった。そしてそれをとても寂しいと感じていた。
私は──。
そうか。とハコは思った。ずっと本の中で自分を男の子と重ねていたけれど、自分に一番近かったのは『小さな星』のほうだったんだ。
小さな星が自分と同じ『モノに縛られない心』を持った男の子がいることを知って、元気を取り戻したように、私も同じ心を持った共感できる相手が欲しいと強く願った。そして小三の夏に、並行世界で透たちと出会った。私が引き寄せたんだ。
ハコはゆっくりと目を閉じた。瞼の裏に『小さな星』の穏やかで幸せそうな顔が浮かんできた。そして、そのままゆっくりと眠りについた。
翌朝。目を覚ましたハコは、二階の自分の部屋から一階のリビングへと降りた。いつもこの時間帯のリビングには、ソファでコーヒーを片手にくつろぐ理人がいるはずだが、今朝はその姿が見えない。代わりに、食卓に置かれたメモを見つけた。
『また大学院時代にお世話になった人のお手伝いをすることになりました。なので、今日からちょくちょく家をあけます。しばらく帰らなかったりするかもしれないので、晩御飯は僕の分の用意はしなくていいよ』
メモの最後に、『ニコちゃんマーク』が書かれていた。これは理人がハコに書き置きをするときに必ず描くサイン代わりのようなものだった。元々は、研究のためにしばしば家をあけることがあった理人が、娘を少しでも安心させようと描くようになったものだが、それが今も続いている。初期の頃は、アンパンマンなどのアニメキャラクターを描いていたが、理人の絵心が壊滅的だったため、ハコはいつもなにを描いたのかを帰宅した理人に聞いていた。そしてそのうち、『外しようのない』ニコちゃんマークに落ち着いたのだ。
ハコはキッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、コップに注いだ。そしてコップを持ってソファに座り、テレビをつけた。画面に映し出された地方番組の朝のニュースでは、『地元の最新情報を届けるコーナー』が始まるところだった。地元キャスターが県内で活躍する人を取材するという、よくある内容だ。キャスターが歩きながらカメラに向かってなにやら話している。ハコはテレビから流れてくる音をぼんやり聞いていた。
「──というわけで、この凪ノ町の御神木は昨年の落雷により、その一部が消失しました。そして──」
『凪ノ町』の名前が出てきたことにハコは驚いた。キャスターはなにかの施設のような建物の前で、老人にインタビューを始めた。鋭い目つきをした、白髪の老人の顔がアップで画面に映し出された。下のテロップには『名誉教授 氷室 宗一郎氏』と出ている。老人はキャスターからのインタビューに淡々と答えている。
ハコはさらに驚くことになる。キャスターと老人の後ろを通り過ぎた人物が、間違いなく理人だったからだ。一瞬だったが、娘のハコが見間違えるはずがなかった。
「お父さん!?……て、テレビ出た……。すごい!」
ハコは心が軽く高揚した。高校生のハコにとって、父が何故テレビに映ったかより、『テレビの画面に映ったこと自体』が重要だった。
ハコがテレビ画面に釘付けになっていると、食卓に置いていたスマホから通知音が鳴った。手にとって確認すると、透からのメッセージが届いていた。
『今、朝のニュースに理人さん映ったぞ!』
ハコはなんだか誇らしい気持ちになって、透に返信するのだった。
凪ノ神社の裏手には、綻ノ山という、凪ノ町で最も高い山がそびえている。山頂には、雷害防止のための『避雷塔』が建てられていた。避雷塔は晴れた日なら凪ノ町のどこからでも見える。特に夜になると、その存在感を町にアピールするように、塔の上部にある赤い航空灯が点滅する。落雷の多い凪ノ町ならではの光景だ。そして山の中腹には、避雷塔をコントロールする制御棟がある。
氷室の研究チームは、この制御棟の地下に穴を掘り、そこに『蓄電槽』を設置した。避雷塔に雷が落ちると、電流はケーブルを通り、制御棟を経由して蓄電槽へと辿り着く。そこで溜めた『雷エネルギー』を活用することが、今回のプロジェクト内容だ。更に研究チームは、制御棟の近くの地上に『研究施設』を建てた。理人を含む研究職員は、交代制で施設に常駐することになっている。
「こんな短期間で、蓄電槽と研究施設を建ててしまうとは、さすがは『名誉教授』。行政を動かせるだけの権力ということか……」
施設の前で理人はひとりつぶやいた。その背中には大きめのリュックを背負っている。交代制とはいえ、今回のような大きなプロジェクトの場合は施設に寝泊まりする覚悟が必要だった。そのため、生活用品や着替えをリュックに入るだけ詰め込んできたのだ。
それに、理人にはプロジェクトを止めるという本来の役目があった。怪しまれないためにも、『研究に熱心に協力する姿勢』を見せる必要があった。
そのために朝早くに家を出て、一番に出勤するつもりで来たのだが……。それよりも先に集まっていた、地元局の報道陣に入り口前を塞がれ、出勤初日だというのに、あたりを右往左往する羽目になったのだった。
「──よしっ!」
報道陣が撤退したのを確認した理人は、再度気合を入れ、リュックを背負いなおした。
そして、施設へと足を踏み入れた。




