第十四話『普通の高校生』
それから数日後。
いつものバーガー店では、昼のピーク前なのもあって、店内はがらがらだった。『例のボックス席』を除いて。店員はカウンターの中に立って今日の仕込みを確認していた。
(よし、ピークに向けた用意は漏れなくできている)
しかし、店員はふと違和感に気づいた。
いつも騒がしいはずのボックス席から声が聞こえない。そこで店員は、通路の掃き掃除をするふりをして、ちらっと中をのぞいた。
ボックス席はいつもとまるで雰囲気が違っていた。座っている若者たちは誰も口を開かず、全員深刻な表情でスマホをじっと見ている。それに、いつもよりひとり少ない。どんよりと重い空気が、あたりに充満していた。なんだかマズいと感じた店員は、そそくさとカウンターへ引っ込んだ。
ボックス席の透たちは、それぞれのスマホでSNSの情報を見ていた。しかし、そこに正司の姿はない。
先日のワンピース女性の『迷い人』の件で、ナギノセーバーに不信感を募らせた人びとからの誹謗中傷が、アカウントのコメント欄に溢れていた。
透がスマホをテーブルに置くと、日和とハコもそれに合わせるようにスマホを置いた。三人はテーブルの木目をただ見つめていた。
ハコは下を向いたまま、声を絞り出した。
「ごめん……。私がもっと早く気づいていれば……」
透は顔を上げてハコを見た。透の目にはうなだれた小さな体が、とても弱々しく映った。彼女がこのまま縮んで消えてしまうのではないかと感じてしまうほどだった。
「ハコのせいじゃないよ」
透はそう言うのがやっとだった。
すると、日和も顔を上げた。
「そう、ハコちゃんは悪くないよ。私も、追いかけてでも止めるべきだったし……」
日和は自分の行動を悔いて、下唇を噛んだ。
少しの沈黙のあと、透は日和に確認した。
「正司から連絡は?」
「相変わらず、既読にもなってない……」
日和は自分のスマホを確認して言った。彼女はこの数日間、片時もスマホを手放さず、正司からの返信をずっと待っていた。
「もし、もう正司が戻って来なかったら……」ハコは震える声で言った。
三人の間にまたしばらく沈黙が続いた。
透は自分がふたりをフォローしてあげなくてはと考えていたが、どう切り出していいかわからなかった。いや、それ以前に、『今なにをすべきなのか』が見えていなかった。自警団を結成する提案をした責任が重くのしかかり、思考がロクにまとまらない。
──小学生の頃はこんなに判断に思い悩むことはなかった。いつも次になにをするべきかが頭にぱっと浮かんで、次の瞬間には行動に移していた。周りも自分を信じて着いて来てくれていたし、あのときはなんでもうまくいっていた……あれ?……これは自分の記憶?それともハコの記憶──?
透は徐々に混乱し始めた。
……頭がくらくらする。透は思わず目を閉じた。すると、暗闇の中から意識の世界が音も立てずに現れた。
──意識の中で透は、暗闇をひとり彷徨っていた。
無限に続く床以外、壁も天井もなにもない空間。誰の声も音もしない。この空間は、まるで孤独そのものだった。
《止まって──》
突然、透の頭に声が響いた。この声……前にもあった。確かハコと再会する前に、御神木のそばで感じた声だ……。
透はその場で立ち止まり、足元を見た。すると、つま先の数センチ先に真っ黒の巨大な穴が広がっていた。恐る恐る、穴をのぞき込んでみる。底はまったく見えないが、中からかすかに音がする。
まるで、穴が呼吸しているようだ。ずっと穴の中を見つめていると、そのまま吸い込まれそうな感覚になり、透はバランスを崩してよろめいた。
(──お、落ちる!)
その瞬間、暗闇の中から『手』が伸びてきた。手は透の腕をつかみ、穴の外へと引っ張った。
(はぁ…はぁ…助かった……あ、ありがとう)
透は自分が安全な所にいることを確認して、手のほうを見た。しかし、そこには誰もいなかった。
その代わり、また声が響いた。
《大丈夫──自分を信じて──仲間を信じて──》
急にあたりが光に包まれていく──。
透の目がぱっと開いた。意識が『今ここ』へと戻る。
(……だめだ! 今、俺までパニくってたら収拾がつかない!)
パンッ!
透は両手で自分の頬を挟み込むように叩いた。そして目の前のジンジャーエールを一気に飲み干した。頬のひりつきと、食道を通る炭酸の刺激が、透に活力を与えた。
ハコと日和は目を丸くして、透を見つめている。
透はふたりの顔を交互に見ながら言った。
「大丈夫。正司は必ず戻ってくる。あいつを信じよう」
透の顔を見た日和は一度頷いてから言った。
「そうだね!正司は戻ってくるよ!私信じる!」
うっすらと涙で濡れたハコの瞳にも、少し力が戻っていた。
「うん!私も信じる!」
三人の間に漂っていた重い空気は、嘘のように消えていた。
そして透は最後にこう言った。
「四人が揃うまで、当面の間、ナギノセーバーの活動は休止。どのみち迷い人は時間とともに回復するわけだし、俺たちが今ここで焦って行動するのはよくない」
ハコも日和も同意した。三人は正司が戻ることを信じ、『普通の高校生としての夏休み』をまっとうすることにした。そしてこの日は解散となった。
帰り道、透はひとりになったタイミングで自分を穴から助けてくれた『声』の正体を考えていた。しかしそれが誰なのか、答えは出なかった。
数日後、いつものバーガー店に三人で集まった。日和の提案で、『夏休みの思い出づくりカレンダー』にハコが一緒に遊べる日を加えるためだ。
日和は油性ペンでカレンダーにスケジュールを書き込むハコに聞いた。
「そういえば、ハコって夏祭りの日って予定入れちゃってる?」
「……!」
ハコは手を止め、目を丸くして日和を見つめている。
「…?どしたの?」
日和は不思議そうにハコを見つめ返した。
「い、今ハコって…」
「え?ハコはハコじゃん」
「だって…今までハコ『ちゃん』だったのに!」
「そうだっけ?」
「そうだよ!ハコって呼んでくれたの……うれしい!」
ハコの目に涙がたまり、頬を伝った。
「えぇ?そんな泣くほどのこと〜?」
そう突っ込む日和も、ハコに釣られて涙を浮かべている。
透はそんなふたりの様子をほほえましく眺めていた。
──『あの夏の思い出』を持たない日和にとって、ハコは夏休みに入ってから出会った『新しい仲間』だった。フランクな性格の日和とはいえ、さすがに幼なじみの自分や正司に比べると、ハコとは少し距離感があったのを透も感じていた。『ちゃん』付けが取れたことは、ふたりが本当の意味で打ち解けたことを意味していた──。
日和は指で自分の涙を拭い、ポケットから取り出したハンカチでハコの涙を拭き取ってあげた。ギャルの格好で、『お母さん』のような振る舞いをするあたり、いかにも日和らしい。透はそう感じた。
鼻をすするようにして、ハコは日和に言った。
「ありがとう。……あ、夏祭りのことだったね。その日は特に予定は入ってないよ。お父さんが仕事なかったら一緒に行こうかなって考えてたくらいで」
「そっか!私たち今年は運営の手伝い側なんだけど、ハコも手伝いに来てよ!まぁ理人さんには悪いけどさ」
「もちろん!行く!」
ハコは誘ってもらえたことがうれしくて、無邪気に喜んだ。
「うちの盆踊りチームは人数足りてるけど、まだ人手が必要なところあったよね?」
日和は透を見た。
「あぁ。たしか駐車場の誘導係とかは、まだ募集していたと思う。あとは──」
「と、透は?なんのお手伝いするの?」割り込むようにハコが透に聞いた。
「俺は迷子案内ブースだけど」
「わ、私もそこがいい!子ども好きだし!」
ハコは前のめりになって、テーブル向かいに座る透に言った。
「ま、まぁこっちも人手は多い方がいいし、大丈夫だと思う。じゃあ、俺からブースのリーダーに伝えとく」
「ありがとう!」
ハコは満面の笑みで透にそう言った。透は少しどきっとした。こんなに笑ったハコを見たのは、少なくとも高校生になってからは初めてのことだったからだ。
透とハコのやり取りを、日和はただ見つめていた──。
翌日。日和は朝から自分の高校の美術室にいた。
夏休み期間も校舎は毎日解放されており、課題の制作をするためであれば、生徒は自由に校舎を使ってよいことになっている。とはいえ、利用する生徒の数は全体の三分の一ほどだった。
美術室には先ほどまでナツメもいたはずだが、いつの間にか、筆を放ったらかしてどこかへ行ったっきり、しばらく戻ってこない。そのため、今の美術室には日和ひとりだった。県展が近いため、日和はかれこれ数時間、自分のキャンバスと向き合っている。
しかし、筆は一向に走っていない。キャンバスはずっと真っ白なままだ。
「お・つ・か・れ〜!!」
ナツメが日和の背後へ近づき、後ろから両手で日和の頬を挟み込んだ。
「ひゃっ!なっ…なに!?」
ナツメの手の冷たさに驚いた日和が、思わず声をあげた。
「あっはは!さっきまで凍ったペットボトル握ってたからね〜!どう?クールダウンできたっしょ?」
ナツメは、にやにやしている。
「もー……集中してんだからやめてよ……あと、ちょっとで見えてきそうなんだから」
「日和は集中しすぎなんだって〜。リラックス、リラ〜ックス」
ナツメは両手を横に広げ、くねくねと波のように動かした。
透はナツメのことを豪快少女と考えているが、それはあくまで彼女の一面だ。どちらかと言えば、そのときどきの感情に素直に従っている、直感タイプだった。
「休憩しよー!差し入れ買ってきたよ!」
ナツメは腕にぶら下げていたレジ袋から、カップのアイスと木製スプーンを取り出して日和に渡した。どうやら近くのコンビニに行っていたようだ。
「最高!ありがとー!」日和の機嫌はすっかりよくなっていた。
窓の近くに椅子を並べて横並びに座り、外の景色を眺めながらふたりでアイスを食べることにした。窓から見える真夏の青空には、まるで真っ白なペンキを塗りたくったかのように、くっきりした入道雲が浮かんでいた。
「最近、絵を描いてる日和、楽しそうじゃないねー」
ナツメはストレートに日和に伝えた。
「やっぱナツメは気づいてたかー。なんか最近、気が乗らないっていうか……」
──『最近』という言い方をしたが、実は高等部二年にあがってからというもの、以前ほど日和は絵を描くことを楽しめなくなっていた。
中等部まではクラスメイトの絵の技巧にそこまで差がなかったはずなのに、高等部になった途端に、その差が開き出した。置いていかれないように必死に絵と向き合ってきたが、バイトもしなくてはならないため、日和は巧い生徒との差の開きを埋めることができなかった。
そして、その巧い生徒の中でも頭ひとつ飛び抜けていたのが、今となりに座っているナツメだった。中等部のころから彼女の作品はどれも賞を取り、金賞も何度も受賞している。まさにナツメは校内一の有名人だった。しかも、彼女が絵の上達のために努力している姿を、誰も見たことがなかった。そのため、周りの人たちは紛れもない『天才』だと一目置いていた。しかし、個性的でどこかつかみきれないところがあり、ナツメは学校でいつもひとりだった。
高等部二年で日和は初めてナツメと同じクラスになった。コツコツ積み重ねる以外に方法はないと思っている日和にとって、天才肌のナツメは真逆の人間だった。しかし、ふたりは不思議と馬が合い、いつも一緒に過ごすようになっていた。お互い、特に絵のことについて語るようなことはせず、普通の女子高生トークに花を咲かせていた。日和は一緒に笑い合うナツメの顔を見るたび、周りの人たちはナツメのことを誤解していると考えていた。
それでも、やはり日和もナツメの絵の巧さには毎回度肝を抜かれていた。そして、そのたびに自分のちっぽけさを実感せざるを得なかった。ナツメみたいには無理でも、せめて自分らしい絵を描きたい。その思いで必死に勉強してきたが、『自分らしい絵』がなんなのか、日和にはどうしてもわからなかった──。
日和はとなりのナツメをちらっと見た。ナツメはとっくにアイスを食べ終えて、ふたの裏をなめとるのに集中している。無邪気な子どものような彼女の仕草は、日和の心を落ち着かせた。肩の力が抜けた日和は、静かに口を開いた。
「私さ。来年──」
しかし、その先を言いかけてやめた。
「ん?なんか言った?」ナツメは不思議そうに日和を見ている。
「……んーん、なんでもない!よしっ、休憩おしまい!続きがんばろー!」
日和はそう言って、勢いよく立ち上がった。
夕方、日和は一緒に帰宅していたナツメと途中で別れ、正司のマンションの前に来ていた。建物の裏手へ回ってベランダ側を見ると、正司の部屋のカーテンは閉じられており、その隙間から明かりがこぼれていた。
(……とりあえず、家にはいるな)
正司が姿を消して以来、日和は毎日この時間帯に様子を見に来ていた。しかし、部屋を訪ねることはしなかった。今は無理に干渉すべきではない──日和はそう直感していた。そのため、毎日こうしてマンションのそばから見守るだけだった。
「──あれ?もしかして、日和ちゃん?」
後ろから声がした。日和が振り向くと、上品な着物に身を包み、落ち着いた雰囲気をまとった女性が立っていた。それは正司の母だった。
「あっ!お久しぶりです」
日和は正司の母親にお辞儀し、ふたりで立ち話を始めた──。




