青海の灯姫編 上げられぬ旗
「群青と焔」(あおとあか)
第三部
青海の灯姫編 開幕です。
大陸を東西に分断する天蓋山脈。
その山脈を眺めるように東へ向かう街道。
アイジア王国から東方世界へ行くための街道である。
その街道から北へ外れて、二日ほど山脈へ向けて進めば深い森があり、魔物や魔獣が跋扈するようになる。
さらに数日進めば風光明媚な温泉地が現れる。
ここが一部のヒト族から『この世の楽園』と呼ばれている――夢魔族の里であった。
大昔は王都の保養地であったが、夢魔族の里とされてからは『魅了』に引き寄せられた魔物や魔獣が周囲に増えてしまい、今となっては『この世の楽園へ辿り着くか、本物の楽園へ辿り着いてしまうか』と、王都の花街では面白おかしく話に上る。
この話をするのは主に、王都で働く、『目隠し巫女』梓月の同胞――夢魔族たちだった。
彼女ら彼らは故郷へ帰りたくても、旅路は危険が伴う。
故に、ヒトを煽って里へ行かせる。
そして、それに便乗する。
そんな強かな同胞たちであるからこそ――今回もまた、機会を逃さなかった。
ルミナは梓月の言葉を頭の中で整理しながら、窓の外を見やる。
「いやぁ悪いね、うちの娘たちも便乗させてもらってさ」
「……便乗とはいっても、隊列が一緒なだけで、何かしたわけじゃないですし、それにリア殿下も気にしないとおっしゃってますから。そんな何度も頭を下げなくても」
「それでもさ。リアたちのおかげであることには変わりないんだからさ。あの娘たちも久しぶりに帰れるって喜んでるんだ。本当にありがとうね」
それは、一際大きな馬車の中で交わされている会話だった。
話しているのは、夢魔族の『目隠し巫女』である梓月と、リア王太女の筆頭侍女にして近衛騎士であるルミナ・アストリア・ソレイユである。
そしてルミナの膝を枕に呻き声をあげているのは、馬車に酔ったアイジア王国王太女、オルラ・アウレリア・ルクスヴィカ・コローインフィーリンネだった。
馬車の中では『魅了』を阻害する魔道具、『禁心香』が焚かれている。
薄荷のような香りの香は、車内を満たし、漏れ出るリアの『魅了』を火花となって防いでいた。
「しかし……後ろの馬車には貴方のお知り合いの方々が乗ってるのですよね?」
ルミナが言っているのは、王太女の車列の後ろに続く、十数台にもなる乗合馬車のことだった。
「全部じゃないけどね。……お客たちも大勢いるみたいよ?」
「秘密は守られてるんでしょうね?」
「今のところはね」
「今のところ……ですか」
夢魔族の里は一国の王女、しかも王太女が向かうべき場所ではない。
しかし、リア王太女に魅了の魔眼が発現してしまったのだ。
しかも、強力すぎるが故に自力で制御することができずにいた。
そこで、その筋の専門家が多い夢魔族の里へ行く必要があった。
制御方法を学ぶ、いわば修行のようなものである。
それ以外にも漏れ出る魅了を城から遠ざける意味もあった。
『魅了』は国によって厳しく管理されており、それが王太女に発現したとなれば、国民の手前非常に外聞が悪かった。
実際には『外聞が悪い』では済まないのだが……。
城に居ては、制御できない魅了によって誰かが操られるかもしれない。
それが身内であればまだしも、政敵や他国の大使などに被害が出てしまっては、大きく国益を損なうこと間違いないのだ。
だからこそ、リア王太女一行はその身分を隠し、お忍びで城を出たのだ。
通常であれば、車列の先頭に群青地に銀糸で睡蓮が刺繍された紋章旗を掲げた騎士が先行し、その車列が誰のものかを誇示しながら進むのだ。
しかし、今はそれもない。
家紋が入っていないその大きな馬車は、どこからどう見ても高貴な人物が乗っているような見事な造りの馬車だった。
その後ろには、ただの乗合馬車が続いている。
ルミナが秘密は守られているのかと、心配になるのは無理もなかった。
「大丈夫でしょ。なんせ客は全員花街からの客なわけで、それは本人たちも後ろめたい思いをしているのだし?」
「でも、それはそれで殿下のことが知られたら……」
「その時は、殿下より直々にお命じくだされば、我らが力を使って……いかようにも」
いつもとは違う、低い声で梓月は言った。
――目隠しを指先で触りながら。
「それは……その時がくれば、殿下が判断されるでしょう……まったく、頭の痛いことばかりだわ」
今日何度目か分からないため息をついたルミナ。
それでも膝の上のリア王太女に視線を落とすと、自然と微笑みが溢れる。
「アンタ……本当にリアのこと好きなのね」
「……仕えるべき主君として、殿下以上の方はおりません」
「……そ。まぁいいわ。もし困ったことがあったらなんでも聞くといいわ」
「なんでも?」
「ウチら夢魔族は、恋の悩みや恋人同士の悩みまで、専門家がいっぱいいるからね」
ルミナはその言葉に首を傾げた。
「恋の悩みはわかりますが、恋人同士の悩みというのは?」
「それはアンタ、こういうことよ」
梓月は夢魔族らしい仕草をしてみせた。
それを見たルミナはそれが何を意味するのか分からなかったが、膝の上で気配がして見てみれば、いつの間にか起きていたのだろう。
顔を真っ赤にしたリアが、梓月を凝視していた。
窓の向こう、山あいの森の奥に、白い湯煙が見え始めていた。
目的地――夢魔族の里は、もうすぐそこだ。




