温泉回(暗黒編)
「…や…やっと着いた…。」
イヨマンテの言っていた温泉に到着した頃には、すっかり夜になっていた。
あいつ…どこが『ちょっと』だっ!
メチャクチャ階段登ったぞ!?
…つーか何だあの階段の長さは!?
前の世界の地理的に、多分ここは伊香保の辺りだとは思うんだが、俺の記憶ではさすがにあんな長い階段じゃあなかったハズなんだけどなぁ…。
俺が死んだ後に新たに延長されたのか?
それともパラレルワールド的な違いなんだろうか…。
…しかも、普通に怪物も出てきたしな。
イヨマンテが言ってたゲリラゴリラが。
藪の中から突然、迷彩色のゴリラが飛び掛ってきた時は心底びびった。
いや、道中柵とかで囲われてるわけでも無かったから、そりゃあ仕方ないんだけど。
…浮かれてて千里眼を使い忘れた上、武器まで置いてきた俺が一番悪いけど。
…と、ともかく!今は温泉だ!
俺は入口のバリケードを借りてきた鍵で開け、中へと入る。
これまたイヨマンテから渡されたお風呂セットを右腕に抱え、チョウチョやベータと別れて男湯へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふぐっ…!!」
「…っあっ!!」
「…。」
「…。」
「…これは…最高だな…。」
「…ああ…。」
肩まで湯に浸かると、俺とオッサンは即効で蕩けた。
なんせ数ヶ月ぶりの入浴だもの。
…俺でそうなんだから、オッサンにいたってはもうどれ位ぶりなのか怖くて聞けない。
温泉は俺が記憶していたものより、かなり広い露天風呂だった。
設備自体は老朽化しているが、入れない程ではない。
『…ふん、ただ湯に浸かるのがそんなに良いものかねぇ…。』
…ちなみにアブさんは端っこの方に立てかけられている。
さすがに錆びたりはしないとは思うけど、なんか精密機械っぽいし。
万が一があっても嫌だからと入浴はお預けとなった。
…もちろんベータにも湯には浸からないように言ってある。
…少し悪い気もするから、帰ったら全身拭いてやろうかな?
俺達ももちろん、湯につかる前にちゃんとかけ湯をし、イヨマンテから受け取った石鹸で全身をくまなく洗っている。
露天の温泉で石鹸を使うのはマナー的に良いのかとも思ったが、どうせ利用者は俺達だけだし。
…そういえば、本当にどうでもいい話だが、この石鹸もイヨマンテ謹製らしい。
なんでも豚薔薇とかいう、動物なのか植物なのか食材なのか微妙な怪物からとれる油で作るそうで、泡立った石鹸からはなんとも言えない花の良い香りが漂っていた。
体を洗ったついでに、頭まで石鹸で洗ってしまう。
髪には良くないかもしれないけれど、贅沢は言っていられない。
…とにかくサッパリしたかったんだよ…。
石鹸を作るんだったらシャンプーなんかも作ってくれればいいのに…。
…とか思ったが、よく考えたらイヨマンテはスキンヘッドだった。
自分が使わない物は、さすがに作らないか。
「…あぁ…。」
「…ふぅ…。」
『…。』
…体の疲労がどこかに飛んでいくように感じる。
まぁ効能がスゴイって言ったって、そこまで即効性は無いだろうから、心理的なもんが大きいんだろうけど。
それだけ精神的にも疲弊していたってコトなんだろうな。
「…やっぱ、日本人は風呂に入らないとダメだな…。」
「…まったくだ。」
『…。』
女湯の方からは、ベータがチョウチョに石鹸の使い方やらをレクチャーする声が聞こえてくる。
…一応チョウチョの名誉のために言っておくが、アエオンに風呂の文化は無かったらしいが、体を拭いたり髪を湯で流したり位はしていたらしい。
旅の途中もずっとそうしていたが、まさかそれがスタンダードな行為だったとは…。
湯船の縁に頭を預け、暗い空を見上げた。
そこには鈍い金色に光る、大きな月だけが浮かんでいる。
…こっちに来てから、こんなにゆっくりと月を見ることも無かったなぁ…。
…なんか理由は知らんけど、よく見るとバカでかいのな、こっちの月。
「…ああ…贅沢は言えんが、これで旨い酒の一つもあれば最高なんだけどな…。」
俺と同じように月を見上げていたオッサンが、しみじみと呟いた。
「…だよなぁ。…せっかく温泉に入るなら、やっぱそう思うよな…。」
「…まぁ、流石に贅沢すぎる話だったな。」
「俺、持ってきたぞ。」
「…え?」
俺は湯船から飛び出すと、脱衣場へ駆け込んだ。
そして自分の荷物の中から一本の瓶を取り出し、再び湯船へとダイブした。
俺が飛び込んだ勢いで、湯が大波となってオッサンを飲み込んだ。
「ぶばっ!!…っエッホッ、ゲホッ…!」
「…正直すまんかった…。」
調子に乗りすぎて、妙なテンションになってしまったな…。
しばらくして落ち着きを取り戻したオッサンが、改めて俺の持ってきた物を見る。
「お前…マジで酒なんか持って来てたのか…。」
「旅の途中で見つけた酒なんだが、これはこれで結構旨いと思うぞ。…帰りのこともあるけど、まぁ少しだけなら良いだろ。」
瓶の中身は、ラクエンの町で発見した「ポンシュ」だ。
悪酔いし辛いし味も結構気に入ったので、自分用に何本か確保してゴリアテに積んである。
「…武器は忘れたのに、酒は持ってきたのか、お前…。」
「…申し開きのしようも無い…。」
「…ま、まあそれはもう置いといて、早速ご相伴にあずかるか…。」
そう言うとオッサンは、フタをあけて直接飲みだした。
「ラッパかよ…まぁコップもグラスも持ってこなかったけど。」
「…おおっ!こりゃあ思ってた以上にイケるな!」
「…ちょっ!何口飲んでんだ!俺にも飲ませろよ!」
そんな感じで俺がやいのやいのと催促をした、その直後。
ガシャーーンッ!!
突如、金属質な音が響き渡る。
敵襲か!?と反射的に身構える俺達の耳に、何やら奇妙な音が聞こえてきた。
…ごり…。
…ごりごり…。
…何かを引きずるような、そんな奇怪な音の出所に目をやると…。
『…貴様ら…いい加減にしろよ…!?』
…アブさんが、ずりずりと刀身を引きずりながら移動している…。
…単体で動けるんかよ…。
『…もう我慢ならん!ワシも温泉とやらに浸かるし、酒も飲むぞっ!!』
…なんかスゲー怒ってらっしゃる。
…ってか、温泉浸かって大丈夫なのか?
しかも酒飲ませろとか言ってるし。
口何処だよ。
「あっ…アブさん!?しかし…本当に入っても平気なのか!?」
『知らん!…雨に濡れた程度なら問題無かったんだ、大丈夫じゃろ!』
「…そんなの分かんないじゃん!安い時計とかみたいに、日常生活防水程度かも知れないじゃん!」
…俺とオッサンが制止するのも聞かずに、アブさんはとうとう湯船の縁を乗り越え、そして…。
『…南無三っ!』
ザバーンっ!…と大きな音をたてて、湯船の底へ沈んで行った。
「あっ…アブさぁぁぁんっ!!」
…。
何だこれ…。
なんて馬鹿馬鹿しい展開なんだ…。
「…アブさん…無理して自力で動いてまで、温泉に入りたかったんだな…。」
オッサン泣いてるし。
…え?アブさんマジで死んだの?
無いわー。
『…お?』
「!!アブさんっ!?」
『あ、なんか平気っぽいわ。やっぱワシ防水っぽいわ。』
「良かった…!本当に良かった…!!」
…沈んだままだけどな…。
俺は無言で湯船からアブさんを拾い上げ、縁に立て掛けてやった。
『ふん…。…ほう。確かにこりゃあ具合が良い。少しばかりぬるい位じゃが、なんとも心地好いじゃあないか。』
…顔も無いから表情は分からないが、どうやら温泉はお気に召したようだ。
『…さぁ!次は酒じゃ!酒を飲ませいっ!』
「だから、アブさん口無ぇじゃねーか!」
『何とかなる!構わんから刀身にぶっかけろ!』
…えぇ~…?
なんかすげー勿体無い感じがするんだが…。
仕方がないのでポンシュの瓶を傾け、中身をちょろちょろと刀身にかけてみる。
『おっほ!?しゅ…シュワシュワするっ!?なんかシュワシュワしてるぞ!?』
炭酸入ってるからな、ポンシュ。
「で…アブさん、飲めたのか?」
【深刻なエラーが発生しました。】
「「!?」」
『…なーんちゃって、冗談じゃよ!ヌハハハっ!』
…あ、飲めてるわ。
つーか酔ってるし。
酒弱っ!
『あぁぁ…良い気分じゃぁ…。』
「ほ…程ほどにな、アブさん…。」
『何を言っとるモリモト!今夜はメモリが飛ぶまで飲むぞっ!』
オッサンが制止するも、酔っぱらったアブさんは聞く耳を持たない。
…刀だけに、けん(・・)もほろろってか…?
…あぁ…面倒臭い…。
「…やっだぁ、なんか楽しそうじゃな~い?男二人で何を盛り上がってるのよ~?」
『「「!?」」』
…予想外の声に驚き振り返った、そこには。
…毛布のように巨大なバスタオルを体に巻き付けたイヨマンテが、満面の笑みで立っていたのだった。
次回、極楽編。




