第4話「前唱:轟音」
さかのぼること半日前。その日の午前、初夏の湿り気を帯びた陽光が照りつける佐賀市水ヶ江の一角。入り組んだ水路沿いにたたずむトタン葺きの平屋の工場「吉本精密」からは、油の焦げた特有の刺激臭と、金属を削り出す旋盤の甲高い切削音が漏れ聞こえていた。表札のペンキは潮風と歳月でかすれ、お世辞にも「先端技術」を標榜するテック企業とは程遠い、典型的な町工場である。
油染みた作業服の袖をまくり上げ、旋盤から削り出されたばかりの円筒状のパーツをノギスで測っていたのは、この工場の主である吉本繁だった。白髪交じりの短髪に深い眉間の皺、無口で頑固な職人の典型のような男が、引き戸を開けて入ってきた天寺の姿を認めると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……おいおい俊介。零細IT企業のうだつの上がらない万年平社員のエンジニアが、こんな油臭い掃き駄目に一体、何の用だ? 定期点検の端末叩きなら、吉野ヶ里の空調の利いた部屋で優雅にやってりゃいいだろうに」
「吉本さん、挨拶代わりに嫌味を飛ばすってこのいつものパターンは、きっと今日もご機嫌なんですね。ところで、頼んでいた『あれ』、仕上がってますか?」
天寺は人当たりの良さそうな、どこか気弱な薄笑いを浮かべながら、雑然とした作業台の上に置かれた無骨なジュラルミン製のケースに目を留めた。弁当箱を一回り大きくした程度のサイズだが、ケース表面には荒々しいフライス盤の切削痕がそのまま残り、分厚いビスで厳重に留められている。
「出来てるも何も、とんでもねえ代物を作らせやがったな」
吉本はくわえ煙草の灰を床に落としながら、ケースを無造作に叩いた。
「手巻きの超小型のコンデンサバンクに、超伝導コイルの瞬間励起パルス回路、外装は軍規格の削り出し。指向性の小型電磁パルス発振器なんざぁ、イマドキ、秋葉原のジャンク屋を漁っても手に入らんぞ。こんな危険なオモチャを一体何に使う気だ? 近所の違法電波でもジャミングして鬱憤晴らしでもするのか?だったら、品行方正万年優良企業の吉本精密としては、だまっちゃあおけねえ」
「まさか。ただの電子工作の延長ですよ。最近、吉野ヶ里のデータセンター周辺で妙な高周波が観測されていて……万が一のシールド測定器みたいなものです」
「嘘をつけ、この大馬鹿野郎が!」
吉本は細めた眼の奥を鋭く光らせ、天寺の顔をじっと見据えた。
「お前が昔、どこで何を仕込まれてきたのか、俺は詮索しねえって約束だ。だがな、こいつのトリガーを引いたら最後、半径十メートル以内の半導体は一瞬で焼き切れる。安全装置はあるが、絶対に素人がポケットに入れて持ち歩くようなシロモノじゃねえぞ。わかってんのか?」
「理解してますよ。いつも無理な仕様に応えてくれて感謝してます、吉本さん。相変わらず、いい仕事してますね」
そう言われて満更でもない表情の吉本の傍ら、天寺はケースの感触を確かめるように指先で撫でると、慣れた手つきで作業バッグの底へと滑り込ませた。その所作には、零細企業のしがないITエンジニアらしからぬ、一切の淀みがない計算された静謐さが漂っていた。
そして再び、現在。
「……神話の再起動だ!」
天寺が吐き捨てた言葉の余韻をかき消すように、異変は前触れもなく訪れた。それまでけたたましく鳴り響いていたデータセンターの冷却系破断アラートとサイレンが、唐突に途絶えたのである。赤く明滅していた非常照明がプツリと消え失せ、残されたのは最深部のサーバルームの奥で脈打つ青銅環の、異様な緑青色の燐光と、高電圧ケーブルの放電スパークのみ。
完全なる静寂。だがそれは平穏ではなく、まるでこれから三人に訪れようとしている死の予兆そのものだった。
「な、何……? 音が止まった……?」
友歌が暗闇の中で息を呑み、身を縮こまらせる。
「おい、天寺。主電源が丸ごと落ちたのか? それとも外部からの給電遮断か」
北野が低く唸りながら、胸ポケットから取り出した煙草を苛立たしげに指で弾いた。
「違います。意図的な回線の切断。有線、無線、光回線を含む全通信インフラの強制シャットダウンです。外との連絡は完全に絶たれました」
天寺の声は低く、平坦だった。その瞳はすでに暗闇に慣れたかのように、開け放たれたサーバルームの搬入通路のその先を凝視している。
パシュッ―。
微かな圧縮空気の破裂音とともに、廊下の天井の角に設置されていた非常用監視カメラが火花を散らして砕け散った。それはおそらく、サプレッサーを装着した徹甲弾による極めて正確な狙撃。
足音は一切ない。振動吸収ソールを装着したコンバットブーツが、床の鋼板を猫のように滑る。漆黒のタクティカルギアに身を包み、四眼式暗視ゴーグルの緑色のレンズを怪しく光らせた武装集団が、まるで最初からこの空間に身を置いていた亡霊であるかのように通路の闇から染み出してきた。
所属を示す記章や国籍のワッペンは一切、剥ぎ取られ、装備は最新鋭のPDW(個人防衛火器)と特殊合金のバリスティックシールド。おそらくは軍隊のそれとも警察の特殊部隊とも異なる、冷徹極まりない民間軍事会社(PMC)の特務チーム辺り。その無言の殺気は、この場に居合わせた目撃者を誰一人として生かしては帰さないという、明確な意思と強い決意を物語っていた。
「ひっ……!」
友歌の喉から小さな悲鳴が漏れかける。だが、その声が空気を震わせるより早く、北野が彼女の肩を掴んで大型サーバーラックの陰へと引き倒していた。
「伏せろ小娘! こいつは映画の撮影じゃねえんだぞ!」
侵入者たちの銃口が、迷いなく三人の潜むラックへと向けられた。無駄な警告も投降勧告もなく、引き金が無慈悲に絞られようとしたその刹那。
「北野さん、友歌さん、目を閉じて耳を塞いでください!」
天寺が叫んだ。作業バッグからあのジュラルミンケースを滑り出させると、セーフティピンを弾き飛ばし、ラックの角から通路の中央へと滑り込ませた。
ドォン―ッ!
爆発音ではない。大気が高密度の電磁エネルギーによって引き裂かれるような、鼓膜の奥に直接、突き刺さる鈍い衝撃波がフロアを満たした。目も眩むような青白い電弧がジュラルミンケースの排熱スリットから放射状に吹き荒れ、狭いサーバルームの金属空間を駆け抜ける。
指向性小型電磁パルス発振器の直撃を受けた瞬間、襲撃者たちの頭部で火花が散った。彼らが装着していた四眼暗視ゴーグルのイメージインテンシファイア管が一斉に焼き切れ、網膜には猛烈な負荷が叩き込まれる。
「う、ぐあぁっ……!」
徹底的な訓練で痛覚を抑制されているはずの兵士たちだったが、それでも視界を奪われた激痛に呻き声を漏らし、よろめいた。銃器に搭載された光学照準器のドットサイトが消滅し、暗視通信リンクのノイズが彼らのイヤーマフを破裂させる。
「よし、今だっ!」
天寺が作った千載一遇の隙を、北野は見逃さなかった。普段のだるそうな態度を一変させた北野は、大柄な体躯を躍動させると、激痛で姿勢を崩した先頭の兵士へ猛然と襲いかかった。容赦のない膝蹴りを兵士の腹部に叩き込み、怯んだ隙に分厚い腕で首元を抱え込んで床へ叩きつける。それは誰に教わるともなく、長年の泥臭い現場仕事と破天荒な修羅場で培われた、なりふり構わぬ豪快かつ力任せな格闘術。
兵士の手から滑り落ちたサブマシンガンを足で蹴り飛ばすと、北野は後続の兵士のバリスティックシールドを力任せに引っ張り込んで体勢を崩させ、肘打ちを叩き込んで退路を強引にこじ開けた。
「おい、ボーっとしてんじゃねえ! 天寺、小娘、俺に続け!」
北野の大声に弾かれたように、天寺と友歌はサーバーラックの陰から飛び出した。北野は二人を庇うように背後に従えながら、通路の先にある非常階段の防火扉を目指して力強く突進する。
「走れ! 立ち止まるな!」
北野は倒れた兵士のベルトから手榴弾状の音響弾を引きちぎると、ピンを抜いて通路の奥へ投げつけた。直後、凄まじい閃光と爆音を通路内に轟かせ、体制を立て直しかけていた敵部隊の追撃を完全に遮断する。
三人は非常階段の重厚な扉を押し破り、コンクリートの階段室へと雪崩れ込んだ。北野が速やかに非常ロックの門扉を落とし、防火扉の裏に背中を預けて肩で激しく息をつく。友歌は膝に手をつき、激しい動悸と恐怖に震えながら、天寺と北野を交互に見つめた。
「北野参事、今の格闘、すごかったです。でも、天寺さん! あなたが投げたあの機械、一体なんなんですか!? 兵士たちのゴーグルが全滅して…ただのエンジニアが持ってるような代物じゃないでしょ!」
北野もまた、呼吸を整えながら冷めた灰色の瞳を天寺に向けた。
「ああ、同感だな。おい、天寺、お前が投げ入れたあのジュラルミンケース、ありゃ指向性の小型EMP兵器だろ。地方の零細IT企業のエンジニアが、なんでそんな恐ろしいブツを鞄に仕込んで点検に来てんだ? 説明してもらおうか」
二人の強い視線と詰問を受け、天寺は一瞬だけ口を噤んだ。だがすぐに、いつもの頼りなげで気弱な苦笑いを浮かべ、困ったように後頭部を掻いた。
「い、いやだなあ、北野参事に友歌さんまで。そんな大層なものじゃないですよ。あれは本当に、ただの趣味の電子工作です。佐賀市内の町工場、吉本精密の吉本さんっていう頑固オヤジに頼み込んで、余ったスクラップ部品で組み立てた実験用のノイズ発生器ですよ。あんなに派手に火花が散るなんて、僕自身が一番驚いてますって」
「嘘つけ! 偶然であんな高出力のEMPができるわけねえだろ!」
北野が呆れたように怒鳴る。友歌も疑念の目を緩めない。
「そうですよ! 最初のパルスの波形だって、あなたは事前に何かを知っていたみたいに……」
「たまたまですよ、本当に。運が良かっただけです」
天寺はいかにも気弱そうに視線を泳がせ、手を振ってごまかした。その不自然極まりない言い訳に、北野も友歌も到底、納得した様子ではなかったが、階段の下から防火扉を叩く重い衝撃音がひびき、それ以上の追及を遮った。
「……チッ。まあいい、詮索は後回しだ。奴ら、すぐに追撃してくるぞ」
北野が扉を一度睨みつけ、階段の上を指差した。
「地上に出るぞ。吉野ヶ里の暗闇に紛れるしかねえ!」
天寺は小さく頷き、北野の後を追って階段を駆け上がった。その伏せられた面持ちからは気弱な苦笑いが消え、闇の中で冷徹な思考を走らせる静かな横顔が覗いていた。




