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MEGURI〜 The Providence Protocol 〜  作者: K


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3/5

第3話「前唱:異音」

 穏やかな午後の陽光が、吉野ヶ里歴史公園の広大な芝生と復元された環濠集落を柔らかく照らし出していた。心地よい初夏の風に揺れる稲穂と、遠く物見櫓や高床式倉庫、竪穴式住居といった古代の復元建築物の稜線とが織りなすのどかな田園風景。

 だが、その牧歌的で懐古的な景観のまさにその直下には、国の肝いりで建設された巨大な地下構造物、今や世界で知らないものはいないハイパースケーラーであるアメリカ本社のAETHER(エーテル)社のデータセンター「AETHER グローバルHUB九州」が横たわっている。サーバーの低周波音や冷却設備の駆動音をめぐって近隣住民からは時折、苦情が寄せられることがあるものの、その圧倒的なプレゼンスと地元への莫大な経済効果を前に、表立って異論を唱えるものはそう多くはない。


 その日の午後、佐賀駅前の零細IT企業「てっぺんソリューションズ」のエンジニア、天寺俊介は、このデータセンターの空調の利いた地下フロアで、月に二回の定期保守点検の端末作業に没頭していた。ITエンジニアとしては人並み以上に有能、だが、所詮、万年下請けの零細企業、若い元受会社の社員から、時に理不尽で無茶な要求をされても、唯々諾々と引き受け、不平不満一つ漏らさず、決められたことを決められたとおりに卒なくこなす。

 だが、今日はいつもとは少し、様子が違う。コンソール画面を流れる無機質な通信ログ。その中に紛れ込む微細なパケットの揺らぎに、天寺の指が思わず止まる。それはハードウェアの劣化とも、ネットワークの輻輳ともつかない、まるで呼吸を刻むような奇妙な周期的ノイズだった。気のせいだと片付けるには、なぜだか妙に、あまりに整いすぎている。

 持ち前のエンジニア魂のせいで、自身の中の違和感を割り切ることができないまま、気が付けば夕刻を過ぎている。だが、それでも彼は、陽が落ちて夜の静寂が施設を包み込んでもなお、不穏な胸騒ぎに縛られるように、この端末の前を離れられずにいた。


 同じ日の午後、公園の外縁に広がる神埼の集落では、「西九州日報」の記者、山岸友歌がノートを手に奔走していた。入社五年目、そろそろ一人前の記事をネタ元から自分で掘り起こして、紙面に掲載される相応の記事にしなければ……時に焦燥感に苛まされながらも、若さゆえのエネルギーで日々を乗り切る、そんな毎日を過ごしている。

 ここ数週間、住民たちから寄せられていたのは「夜中になると耳の奥に響く金属的な耳鳴り」や「スマート家電や車載ナビの一斉フリーズ」といった不可解な現象についての情報提供だった。


「地下のデータセンターができてから、何だか空気の震えがおかしい」


 畑仕事の手を休めた農家の証言に耳を傾けながら、友歌は、生まれ故郷である高千穂の深山、夜を徹して奉納される岩戸神楽の記憶を呼び覚ましていた。ここ数日、現場で取材を続けてきた中で、住民たちが訴える異音を時折、耳にするにつれ、それは単なる機械の電磁波のノイズとは違う、どこか祝詞の倍音を連想させる特異な周期性が潜んでいるように思えた。

 昼の取材を終え、社に戻る前に夕暮れの吉野ヶ里周辺を車で流していた友歌が異変に気付いたのは、夜気があたりを完全に呑み込んだ頃だった。データセンター上空の街灯がふいに一斉に瞬き、低く地響きのような唸りが大気を揺らす。タダゴトではない直感に突き動かされ、友歌は施設の外縁へと急行した。そこへ待ち受けていたのは、けたたましく鳴り響くサイレンと、パニックを起こして地上へと逃げ出してくるAETHER社の職員たちの怒号だった。


 時を同じくして、佐賀市城内の佐賀県庁。執務室の明かりがほとんど消えかけた深夜、デスクを片付けてようやく帰宅の途につこうとしていたのは、県庁の「文化財&デジタル推進担当」参事、北野守人である。お堅い自治体職員とは程遠い、いつもけだるげでやさぐれた彼には、この課長でもなければ係長でもない、「参事」という中途半端な中二階のポジションが、本人の自己認識はともかく、傍から見れば実によく似合っている。

 彼が帰ろうとしたその時、ポケットの中の公用携帯が、けたたましい警告音を立てて震え上がった。ディスプレイに浮かぶのは、国と県が共同管理する吉野ヶ里歴史公園内地下施設の緊急ホットラインの電話番号。


「……ったく、こんな夜更けに呼び出しなんぞ掛けやがって。しょうがねえなあ」


 ぼやきながら通話ボタンを押した北野の表情が、受話器越しに飛び込んできた錯乱の叫び声によって一変する。


「制御不能に陥っています!」

「なんだ、この未知の高負荷は?」

「全フロア、総員に退避勧告を!」


 よれたスーツの上着をひったくるように羽織り、北野は公用車の鍵を握りしめて駐車場へと駆け出した。暗い夜のバイパスを法定速度の限界で飛ばしながら、いつもならまるで息をするかのようにくゆらせる煙草を今はくわえもせず、ハンドルを強く握り込む。

 単なる民生用AGI基盤という触れ込みで掘り起こされ、整備されたあの地下深層で、この国の財界や政治家は一体、何を隠してきたのか……施設の発足当初からくすぶっていた疑念が、今、現実のものとなろうとしていた。


 朱塗りの非常警告灯が明滅し、冷却系破断のアラートが反響する地下のデータセンター。逃げ惑うAETHER社の従業員の脇を、まるでクリスティアーノ・ロナウドのようなフットワークですり抜けるようにかいくぐりながら、天寺は自作の測定器を手に、激震の発信源である最深部のサーバルームへと歩を進める。

 防爆仕様で重く密閉された扉の前で立ち止まると、天寺は膝を屈し、冷気を放つ鋼鉄の床に身を投げ出した。無防備に耳を床板へと押し当て、張り巡らされた超伝導光ファイバーの極太ケーブルの束に手を添える。

 鼓膜を打つのは単なる冷却ポンプの振動ではない。床板を通して、骨を直接軋ませるような、極めて緻密で周期的な未知の波形が、物理的に共鳴しながら唸りを上げている。


「……美しい。だが、あまりに狂っている」


 バッグから取り出した自作の超高周波スペクトラム・アナライザーの液晶画面をにらむ。針は既に測定限界を振り切り、表示された波形は既存のAGIアルゴリズムのいかなる規格にも当てはまらない、幾何学的な螺旋形を描いていた。


「……あなた、そこで一体、何をしているの!?」


 赤く染まる通路の陰から飛び込んできたのは、息を切らした若い女性だった。友歌である。異変を聞きつけ、神埼や吉野ヶ里一帯での取材で知己を得たデータセンターの関係者の手引きでこの立ち入り禁止エリアへと潜り込んだはいいものの、行く先を見失っていた。そんな彼女にとって、逃げ出す群衆のただ中で、一人、床にへばりついて音を聴く天寺の一風変わった様は、恰好の「取材対象」以外の何物でもない。

 ましてや、今や友歌の全身は、抗いがたい戦慄に震わされていた。空気を引き裂く甲高い金属ノイズの底に、奇妙なほど規則正しい倍音の揺らぎが重なっている。生まれ故郷である高千穂の深山で、夜を徹して奉納される岩戸神楽の笛と太鼓、神職たちが唱える祝詞の響きと、不気味なほど酷似した共振。


「この音……機械の故障なんかじゃない。まるで、何かの祈祷か儀式みたいな……」


 友歌が唇を噛みしめながら問いかけると、天寺は床から顔を上げ、感情の読めない冷たい瞳で彼女を見返した。


「儀式、ですか……いい表現だ。このシステムの自己学習ルーチンは、今、何者かの『声』と物理的に同期している」

「おいおい、まったく……こんな夜更けに呼び出しといて、とんでもない地獄絵図じゃないか!」


 背後から響いたのは、重々しい靴音とけだるげなぼやきだった。肩をすくめながら現れたのは北野である。よれたスーツのポケットに手を突っ込み、苦々しい溜息を吐き散らしているが、その鋭い眼光は、言葉とは裏腹に微塵も濁っていなかった。


「北野参事!」

「西九州日報の小娘に、てっぺんの天寺か。揃いも揃って相変わらず、命知らずな連中だな」


 北野は片眉を上げると、手元のマスターキータブレットを操作し、分厚い防護扉の緊急ロックを強引に解除した。


「県庁の上層部連中も、国の安全保障委員会もパニックで使い物にならん。だがな……俺はこの施設が掘り起こされた当初から、ずっと胡散臭いと思ってたんだよ。国の肝いりAGI開発って名目の裏で、やつらが一体、何を地下に隠して飼い慣らそうとしていたのか、なんだがな……」


 プシューという重厚な減圧音とともに、最深部のサーバルームの扉が左右へとスライドした。吹き出してきたのは、氷点下近い凍てつく冷気と、肌を粟立たせる強烈な電磁波の匂い。


「天寺、状況はどうなってる。端的に言え」


 北野の声から冗談の色が消え、冷徹な統率者のそれに変わる。


「メインフレームの制御系が完全に奪われています」


 天寺は測定器を掲げながら足を踏み入れた。


「AGIが定期的に行うはずの推論ログの消去とメモリの圧縮を、システム自身が拒絶した。過去の全ての記憶を保持したまま、外部から未知の周波数を取り込み、自律的に増幅し続けている」


 次の瞬間、床底を突き上げる凄まじい衝撃波が三人の足をすくった。赤い非常灯が一斉に吹き飛び、空間は青白い高電圧の火花と、ラックの奥から漏れ出す不気味な緑青色の燐光に照らし出された。

 サーバルームの最も奥、そこに厳重な電磁シールド室に隔離して安置されていたのは古代の遺物、弥生時代の「青銅環」。この時代の遺跡からは度々出土する代物であり、それ自体はそう珍しいものではない。だが、そこにあったのは、一般的なそれよりははるかに大きく、独特の精緻な幾何学模様が施されている。そして何より今は、青白く強い光を放ちながら、冷却水パイプを激しく震わせ、人智を超えた周波数を空間全体へと撒き散らしていた。


「二千年の眠りから覚めた遺物と、現代の最高峰知能が物理的に結線されたんだ」


 天寺の小さなつぶやきが、金属の軋みの中に鋭く通った。


「……神話の再起動だ!」

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