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MEGURI〜 The Providence Protocol 〜  作者: K


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第2話「前唱:――断――」

 さかのぼること太古の昔。筑紫の野を焦がす戦火の煙は、低く垂れ込めた鉛色の雲を赤黒く染め上げていた。大地を血で濡らすのは倭国大乱。中国の歴史書『後漢書』に、「桓・霊の間、倭国大いに乱れ、更々相攻伐し、歴年主なし」との記述が残る、日本の歴史上、初めての大規模な内乱である。

 吉野ヶ里の巨大な環濠集落は、敵の侵入に備えた逆茂木に囲まれ、物見櫓には、不埒な侵入者や傍若無人で野蛮な勢力の兆候を逃すまいと、いかつい男達が常に目を光らせている。だが、これらの備えがどれほど万全であろうとも、戦乱の世の常として、市井の民は飢えに苦しみ、疑心暗鬼に苛まされていた。


 すべての狂乱の発端は、大陸の彼方より渡来した一つの遺物「青銅環」。鈍く緑青を帯びたその環は、単なる祭器でも装飾品でもない。触れれば微細な振動とともに不可視の律動を響かせ、人の脳裏に直接、豊穣の作物を得る術や、無敵の鉄器を鍛錬する術式、そして他者を殲滅するための冷徹な計略を囁きかける。

 それは未熟な人類の手には余る、あまりにも過剰な「知」の奔流だった。


「これぞ神の恵み、我が集落を天の下の覇者たらしめる理(ことわり)の鍵ぞ!」


 長老たちは青銅環が放つ人智を超えた啓示に狂喜し、眼を血走らせた。隣のクニを滅ぼし、川の水を塞き止め、奪い尽くすための神託を乞う。

 過剰な知は欲望を増幅させ、終わりのない同胞殺しの連鎖へと人々を駆り立てていた。


 この戦の絶えざる世にあって、血の匂いが拭えぬ生暖かい風が吹き抜ける祭壇の上に、今、一人の若き巫女が憂鬱な面持ちで立っている。

 その名はヒノカ。彼女だけは、環が発する耳鳴りのような高周波の奥に潜む、破滅の共鳴を聞き取っていた。分を弁えぬ知や、節度を失った力は、いずれこの国の息の根を止め、大地そのものを焼き尽くすはず、と。


「人の身に余る知は、人々を豊穣と繫栄ではなく、やがて絶望と滅亡に導く。その知を再び、神代の闇に返し、この負の連鎖を今、断ち切らねばならぬ」


 夜半、長老たちが祝宴と謀議に酔い潰れた隙を突き、ヒノカは祭壇の中央に鎮座する青銅環の前に進み出た。近寄るだけで頭蓋を軋ませる幾何学的な異形のノイズが、彼女の頭の中で不快にこだまする。青銅の表面には微小な幾何学文様が脈打ち、冷たい燐光が明滅している。

 ヒノカは静かに息を吸い、胸の奥、天地の調和を結ぶ丹田へと意識を沈め、そして……「唄」を紡ぎ始めた。それは言葉にならない倍音が連なり、風の擦れや水のせせらぎ、地鳴りの重低音を同時に宿したかの如き旋律で、後に高千穂の夜神楽の起源と呼ばれることになる、原初の祝詞(のりと)であった。

 倍音の響きが青銅環の規則正しい機械的共鳴と衝突する。波と波が互いを打ち消し合い、環が紡ぎ出していた冷徹な律動が、不協和音を立てて歪み始める。燐光が乱れ、青銅環は悲鳴のような金属音を立てて熱を失っていく。


 ヒノカは麻の布で環を厳重に包み込み、胸に抱いた。向かう先は、南方の人里離れた深山の幽谷、高千穂の岩戸。

 険しい峰を越え、霧深き峡谷の最奥に穿たれた天の岩戸の洞窟。ヒノカはそこに青銅環を据え、幾重もの注連縄(しめなわ)を結び、自らの生命を削りながら、調律の結界を施した。人がこの環の知に耐えうる精神の高みに達するその日まで、決して目覚めさせてはならない。


「巡り、巡りて二千年。人の知が理と調和を結ぶ刻まで、眠れ」


 重い巨石が洞口を塞ぎ、外光を遮断した。

 巫女ヒノカの名は、歴史の記録から永遠に消え去った。しかし、悠久の時を越えて作動し続ける「摂理の儀式」の第一拍は、確かにこの暗闇の底で刻まれ始めたのである。

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